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森の空想ブログ

錦秋の九重高原から阿蘇・高千穂を経て椎葉へ――晩秋の山旅(2)【空想の森から<187>】

由布院盆地の中心部は、標高450メートル。由布院空想の森美術館のある辺りはおよそ標高500メートル。この地点まで、深い霧に包まれることは稀だが、この朝は、窓の外は真っ白で、何も見えないほどの濃霧だった。雲海の中で一夜を眠り、目覚めて、ゆっくりと珈琲を淹れ、次第に晴れあがってゆく景色を観る。至福の時間がながれてゆく。この美術館のある地点の近くからは縄文時代の遺跡(かわじ池遺跡)が発掘され、埋め戻されている。その遺跡には、ある意志に基づいて並べられたと思われる集石遺稿があり、その石群の配置は、由布岳の山頂を望む方角を向いていた。太古の人々は由布岳の山頂から昇る朝日に向かって敬虔な祈りを捧げ、「まつり」を行なったものであろう。そしてその生活跡は、霧の中で一万年の眠りを続けていることであろう。霧が上がると、由布岳が山頂を表す。そして町の中心部は観光客であふれかえる。半世紀ほど前に「東洋の桃源郷のような町ができる」と夢想し、本気で活動を続けた人たちの理想像とはかけ離れた姿にこの町は変容してしまったが、それもまた由布院である。観光とは何か、普遍の価値とは何か。問いは生まれ、答えは見つからない。いや、答えはあるが、すぐに現状を変えることは困難である。変化と変容を繰り返す町が、いつかそのあり様を整えるとすれば、それは「時の造形」ということになろう。その日を待つほど、私の人生の持ち時間は残されてはいないが・・・。

黄葉したクロモジ(黒文字)の葉をすこしだけ頂く。胃潰瘍の特効薬として知られた薬草だ。さらにヒュウガトウキ(日向当帰=日本山人参)の自生種の種子を採取。これも希少種だ。ゆえに採集地点は極秘。

季節は立冬を過ぎているから、初冬あるいは晩秋というべきだが、地球温暖化の影響で夏のような気温の日が続いている。南海上に四つの台風が発生したという気象情報もある。それでも九重高原へ車を乗り入れると、ここは秋の真っ盛り。紅葉した樹々の下を歩き、ひととき、錦秋の山旅を楽しむ。「山旅」とは、本来、山男たちが大きな荷を背負い、山岳を歩き、山中に寝て次の山を目指す旅のことをいうが、私の旅は車で九州脊梁山地の山々を巡り、神楽を見て画帖を広げ、山道の脇では薬草を採取したり、夏にはヤマメを追って源流の渓を分け入る旅だ。それでも大病、大怪我、重ねた年齢などを経ての小旅行だから、変則的ながらも「山旅」の仲間に入れてもらうことしているのである。

     

ススキ(芒)の穂が銀色に光る阿蘇の草原を走り抜けて高千穂の西方をかすめて椎葉に入った。そこで会うべき予定の人たちには時間の設定が微妙にずれていて会えなくて、岩手・釜石から下ってきた旧知の新聞記者氏から電話が入った。

「今、高千穂から宮崎へ向かっていますが、高見さんはどこにいますか?」

「おおっ、僕は椎葉にいて、いまから家に帰るところです」

「家とは以前おたずねした九州民俗仮面美術館ですか?」

「そうです。では我が家で合流しましょう」

ということになり、ノンストップ・二時間で帰着。来客もほぼ同時刻に到着。四日間・400キロを走破した旅は、山中で得た茸や途中の無人販売所で買った新鮮な野菜類を放り込んだ茸鍋が終点を飾った。話題は、東北の震災以後のこと、阿蘇の地震とその後の復旧状況、由布院の現況や友人・仲間たちの近況、神楽取材のあれこれなど、尽きることはなかった。そして彼は、また宮崎県南部地震のその後を検証するために去っていった。被災地の現場を取材し続けている筋金入りの新聞記者である。私もまた、二週間ほど身体に休養を与えて、また神楽の現場へと向かう。神楽シーズンは始まったばかりだ。


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