

(写真・上)は神門神楽の「寿舞(じゅのまい)」。「住吉」ともいう。仮面は比木神社に伝わる神面。高鍋神楽にも「寿の舞」(写真・下)
があり、こちらも同じ芸態だが、比木の神面を復刻した翁面が使用されている。いずれも、背負われて出て、よろめきながら舞い、若い女性に絡んだりした後、祝子に背負われて退場する。中之又神楽の「住吉」と同一である。


(写真・左)は中之又神楽の「住吉」(黒い翁面)。(写真・右)は西都市南方神楽の「寿舞」。この面は復刻面。


(写真・左)南方神社伝来の古面。現在、西都市歴史民俗資料館に保存・展示されている。裏面に文亀4年の墨書がある。(写真・右)は熊本県宇土市の南朝の皇子・懐良親王伝承を伝える地にある翁面。南北朝時代の作であることが確認されている。


(写真・左)は西都市銀鏡神楽「シシトギリ」の姥面。(写真・右)は西米良村村所神楽の「大王様」。懐良親王とも「宿神」とも伝えられる。
以上により、この様式の翁面が米良山系から西都市、児湯郡一帯に分布し、米良の神楽の源流ともいわれる懐良親王伝承と関連していることがわかる。
少し前の記事「中之又神楽の住吉」の項で、石地まゆみ君がコメントを寄せてくれている。能・歌舞伎の鑑賞歴が長く、宮崎の神楽にも毎年通い続けているので、さすがに良い着眼。以下に要約してコピー。
『住吉の神は、神像でもたいてい老人の形で表わされていますね。世阿弥作の能「高砂」でも、住吉の神が尉で出てきます。海の神でもありますが、和歌の神として、芸能と縁のある神なのでしょう。(1月には国立能楽堂で「高砂」を見す!祝祷ですねー)天文民俗学者の野尻抱影さんは「住吉はオリオンの三ツ星」と書いていたと思います。底筒男命・中筒男命・表筒男命、の「筒」、明星=夕星も、「ゆうづつ」と読みますし、禅竹の宿神を考えても、さまざま空想(妄想?)が広がります。宿神、追い続けてくださいねー。』
翁面の「白式尉・黒式尉」については、日本の民間仮面研究の先駆者・後藤淑(はじめ)氏が著書「民間の仮面―発掘と研究―」(木耳社/
1969年)で詳述しておられる。翁面の起源を能楽発生以前と説き、各地に分布する古面のデータを採集し、比較参照した労作である。その後、後藤先生のご研究は続き、私が運営していた由布院空想の森美術館(1986-2001)にも足をお運びいただき、展示してあった仮面についても多くのご教示をいただいたが、私のほうに基礎知識と現場での実見の集積がなかったので、良く理解できずに終わったことが悔やまれる。以後、後藤先生の仮面研究を深めていく研究者も現れてはいない。惜しむべきことだ。私はそれから25年以上の年月を経て、ようやく後藤先生の仰られていたことが理解できるようになった気がする。私と私の仲間たちが研究を深めていくとすれば、この時点が出発点ということになろうか。
「翁面」と「住吉」の関連については、後藤先生は、兵庫県上鴨川住吉神社の「黒い翁」など多くの事例をあげているが、上記の西都市南方神社の翁面も取り上げておられる。この地方に能面成立と同時代にこのような翁面の文化があったと見ていいだろう。石地君の指摘、住吉の白い翁と黒い翁を底筒男・上筒男と捉え、中之又神楽の「若男」を「千載」と解釈する視点も参考になる。