左手に大阿蘇の噴煙を見て、右手に九州最高峰の山々が聳える久住連山を望みながら行く、草原の夕暮れ時。
一輪の月見草が咲いているのを見つけると
まてどくらせど 来ぬひとを
宵待ち草のやるせなさ
今宵は月も 出ぬそうな
と思わず口ずさんでいる。
月見草(オオマツヨイグサ)は富士に似合う、と太宰治は言ったけれど、阿蘇・久住の高原の点景としても格別である。
ある夏、一面に咲き誇る月見草の群落を見つけ、少しだけ採集して草木染めに使おうと、その地点を忘れないように目印になる小径の入口を確認しておいた。
月見草で染めると、鉄媒染でほのかに赤みがかった紫が染まる。
ところが、三日後にそこを通ったら、群落は刈り払われてまるで一夜の幻のように消えていた。
「宵待ち草」は竹久夢二の詩集「どんたく」に収められている詩である。
この三行だけの詩が、大正・昭和の人々の心に響き、浪漫の灯をともし、歌い継がれた。
詩集には
[かくれんぼ]
豆の畑にみいさんと
ふたりかくれてまつていた
とおくで鬼のよぶ声が
風のまにまにするけれど
ちらちらとぶは鳥の影
まてどくらせと鬼はこず
森の上から月がでた。
などの幼い日々の思い出と郷愁とが綯交ぜになった繊細で優しい詩の数々が収録されている。
そして、ところどころに素敵な挿絵が添えられている。
夢二という人は、大正ロマンを体現する画家であり、すぐれたイラストレーターでもあり、抒情詩人でもあった。
15行以上は「読まない」とも「読めない」ともいわれる現代のインターネット社会の若者たちから、このような美しいしらべをともなった短詩はまだ発出されてはいなようだ。私たちの風土から、短くとも美しく、心に沁みる言葉は、幻のように消えてしまったのだろうか。