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森の空想ブログ

高千穂神楽最古級の仮面/「岩戸五ケ村神楽」の尾迫の荒神とは [宮崎神楽探訪の旅へ'17-18<13>]

岩戸五ケ村神楽の「尾迫の荒神」には昨年、出会った。
12月の第一土曜から日曜の朝へかけては、高千穂はもちろん、椎葉・米良・霧島など各地でぜひとも見ておきたい神楽が開催されるため、岩戸五ケ村神楽については機会を逸し続けていたのだ。
昨年、この仮面神を確認し、その重要性をはじめて私は認識したのだが、詳細は分からないままだった。それで、今年改めて訪ねたのである。



この圧倒的な造形美を持つ仮面については、詳細は分かっていない。
制作年代を「室町期」と推定する通説と「鎌倉期」あるいはそれ以前という解釈とがあるようだが確定できる資料はない。ただ、昨年も報告したようにその「面箱」には穴が開くほどの指の擦り跡が付いており、使われ続けた年月の古さが推定されるのである。一年に一度、神社から神楽宿へと降臨するだけの仮面神の面箱に、このような使用痕が残るということの意味はただ事ではない。たとえば桧の板を500回指でこすって、穴が開くだろうか。このことを勘案しただけでも、「古い」という観念が「江戸」とか「中世」を越えて「源平の時代」あるいはさらに溯った「飛鳥朝」まで飛躍する。
金色の眼、ぐいと大きく曲がった鼻、その特徴のある耳の造形等は、法隆寺伝来の伎楽面に類似のものがある。この面を伝える家には、古代中国の彫刻師の手になるものという伝承がある。
伝承者の家には、この面の兄弟面が豊後竹田のある神社に伝来するという伝えがある。この情報には、高千穂・岩戸地区と祖母山の東北から北方へかけてひろがる豊後緒方、竹田さらには宇佐地方との交流の歴史・文化のルートが重なっており、仮面分布の奥行きと広がりを感じさせる。緒方・竹田地方には高千穂の古代氏族・三田井氏との由縁がある。緒方氏は宇佐の古代祭祀者・大神氏との縁がつながっている。宇佐・国東地方には「修生鬼会(しゅじょうおにえ)」が伝わり、平安期の仮面が分布する。




「尾迫の荒神」と呼ばれることから、この仮面神が岩戸・尾迫地区の氏神であることが分かる。この荒神様は気難しい神様で、機嫌が悪いと神楽の場に降臨しないこともあるという。岩戸地区を縦貫して岩戸川が流れているが、この荒神様は川の東岸の村には出座しないともいう。強い威力・呪力を持つ神面として信仰され続けてきたものであることもわかる。

高千穂神楽では、神楽の序盤、式三番の「神迎え」の舞が舞われた後、「杉登」の中で「入鬼神」として地区の氏神(鎮守神・神楽の主祭神)が降臨し、中盤の「地割荒神」で出る。さらに終盤の「柴送り」では天界へ帰るニニギノミコトとともに「柴乗り」をして、最後の番付で日・月の鏡を採って舞い納める。高千穂神楽は、一般的には「岩戸開き」をクライマックスとする「大和王権=日本という国家」の樹立の物語であると解釈されているが、この全編を通して「荒神」「地主神」が出座する神楽の構造を見れば、高千穂神楽が他の九州脊梁山地に分布する神楽群と同じく、「土地神の祭祀」を骨格として構成されていることが分かるのである。
ちなみに高千穂神社伝来の「十社大明神」の神面は、三田井地区の神楽の折、高千穂神社の宮司が捧持して出座し神楽の主祭神として降臨する。岩戸五ケ村神楽の「尾迫の荒神」も同じ降臨の仕方をする。同系の神として祭られ続けてきたものであり、高千穂神楽最古級の仮面と認識できるのである。

今年、最後の演目で日月の鏡を採り物に舞った荒神様の手で、日月の鏡が、あざやかな閃光を放った。
良い一年が暮れ、また新しい年も良い年になることが予感される神楽であった。

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