
竹のドームで焚き火をする。このドームの構造は、土間に石を並べて囲炉裏を作っただけの、「縄文式」とも言える簡素なものだから、思い立った時、すぐに焚き火が出来る。
この囲炉裏で焚き火をすると、子供のころのことを必ず思い出す。私の父親は、仕事場である石切場の「孟宗小屋」(現代はティピという)と呼ばれる三角錐の小屋に寝泊まりして働いていた。同僚も何人かいた。私たち子供も泊まらせてもらうことがあった。石で区切られた炉の火に手をかざしながら、石工たちの話を聞くのは、楽しかった。山から石を切り出す荒っぽい仕事だったが、男たちは皆、心優しく、繊細な感覚の持ち主だった。話は、職人として渡り歩いた各地の現場のこと、十年ほど前に終戦を迎えた戦争のこと(彼らの多くが従軍経験を持っていた)、猪や鹿を追う狩りのことなど、尽きることはなかった。夜が更けると、小屋の天井の空間から星座が見えた。

弟の剛(空想の森美術館・館長)が、焚き火で「ガマズミ」の幹を炙って伸ばす作業をしている。ガマズミは硬さと粘り気を兼ね備えた落葉低木で、晩秋、赤い実を付ける。甘酸っぱくて美味しい。葉は、茶系の色を染める染料にもなる。幹は玄翁(石を叩き割るハンマー。1メートルほどの柄の先端に約1キロの鉄塊が付いている)の柄として使われるものである。現代、そんな道具を使う仕事はほぼ消滅しているが、弟はそれに刃を取り付けて「山槍」を作るのだという。先日、塚原越えの峠道で車にはねられて下半身の自由を亡くした鹿がおり、数台の車の通行の妨げになっていたので、トドメを刺して持ち帰りたかったが、斧や山刀など、狩りの道具またはそれに代わる道具がなく、惜しくも藪に引きずり込んで放置した、それで、次の機会には仕留められるよう、猟具を車に積み込んで備えるのだという。山で暮らし、父と鹿罠をかけて暮らした体験のある彼らしい発想が笑えるが、私も協力を惜しむものではない。私たち兄弟は、鹿の骨付き肉を齧りながら成長したのだ。「空想の森の食卓」を飾る鹿肉のシチューは彼の好物である。
この山槍は、四国山地では「山犬槍」といい、月の輪熊を仕留める狩猟具だった。私はそれを祈祷神楽「いざなぎ流」を伝える物部川上流部の民家で見たことがある。

作業を終え、竹のテラスで昼寝をする。
午後の陽射しが温かい。
由布岳がローズグレイに染まっている。
その色は、木々が芽吹きを迎えた早春の色だ。一本一本の枝先にぽつりと芽生えた木の芽が、山岳全体を構成し、遠くからみると山そのものが淡灰紫色に見えるのだ。

竹のオブジェで区切られた空を、小さな鳥が横切って飛んだ。南から渡って来た鳥だろう。