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ポーツマスの旗      吉村 昭

2010年05月19日 21時44分35秒 | Books
  ポーツマスの旗       吉村 昭

 これは 戦記ではなかったが、戦には負けたが外交で勝つ ということを聞いたことがあるが、まさにこの外交の駆け引きのノンフィクション的作品である。日露戦争の最後、日本は満州で陸軍が多大な犠牲を払った末ロシア軍を駆逐していた。また海軍は日本海でバルチック艦隊を壊滅させていた。戦況は日本がはるかに有利に見えていた。しかしここまで来たものの、満州における陸軍は弾薬、将兵とも底を付く状況これ以上の戦争続行は不可能であった。一方、ロシアはシベリア鉄道を利用し西方からの精鋭兵士を続々と輸送し、日本の3倍の兵力を結集して、巻き返しを図ろうとしていた。しかし、当時のロシア帝国には 共産党が台頭してきており無駄な戦争は止めようとの国民感情が高まっていた。 そこで、アメリカのルーズベルト大統領が両者の仲介を図って、アメリカ ポーツマスに於いて、講和会議がもたれることとなった。 日本の代表は、小村寿太郎、そしてロシアはウィッテであった。後のない日本の小村と、ロシアの領土は全く侵されていないウィッテ、 この両者の外交上での駆け引きが緊迫感ある文章で記述されている。 
 そして この会議にかけた小村寿太郎の己の利害、名誉など全てをかまわずにこの講和にむけた姿が赤裸々に記述されている。

 文中から 『かれは、ルーズベルトの講和斡旋の努力に十分感謝はしていたが、かれを心から信頼しているわけでは中田。長い外交官せいかつのあいだに、一つの動きの背後には、必ず大小を問わずなにかの意図が隠されていることを知っていた。疑惑をいだき、その裏に秘められたものを的確に突き止めることが外交の基本でもある。』 と、なるほど、われわれは事件の表層のみを見てすぐ目を逸らしてはならないのだ。    『外交は、攻めと守りの術を巧妙に駆使し,自国の利益を守る為他国との間でむすばれた約束事を一方的に破棄することさえある。』 奥が深いのだ。良い子ぶってばかりではだめなのだ。
 この当時、日本は二流国で、ロシアは一流の大国であった。ルーズベルトはこの日露戦争に日本が勝つことによって、将来アメリカと日本が競い合うことを、早くもこのとき感付いていたようである。政治家とは恐ろしいものであるが、さすがであろう。

 この勝利により、明治維新より列強の植民地にならないよう這い上がってきた日本は、アジアの大国になった。そして次ぎは満州から中国へと向かいつつ、この当時はアメリカの好意を得ていたが、次第に競合するようになり、やがて太平洋戦争へと向かっていったのだ。

 この大事な講和会議を見事に妥結させた、小村寿太郎の力の大きさを改めて知った。そしてその私生活をも。

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