Love our lives

人生の一コマ一こまを 愛し慈しんで 残したい。
ステキな庭のバラを! 旅行のスナップも そして大切な家族の素顔も!

今日は夏至

2010年06月21日 18時38分04秒 | daily life

今日は 夏至。 昔はこの日は1年で一番暗くなるのが遅い日だということで 夕方7時過ぎまで 家の外で遊びながら暗くなるのを待っていたような気がする。 7時半頃か ようやく暗くなり あぁ やはり遅くまで明るかったんだなぁと嬉しく思ったものである。
一方、反対の冬至は 5時といえばもう真っ暗かといってはしゃぐような気分ではない。 家に入って居間で夕飯を待つといった程度であった。
  今日は 久しぶりのプールに行ってきた。昨年は2000メートル泳げたのが 今回は300メートルか。息が苦しくて、続かない。 しばらく時間を見つけて せめて1000はリカバーできるように頑張りたい。 
 今年は りんごに バラに 草刈に 類子さんの介護になかなか 時間が空かない。  今日 日赤受診の日であった。 検査結果は良好。     
  写真は プールの前のラベンダーの花壇。ラベンダーの紫が美しい。さわやかな初夏を香わせてくれるよう。
   

なんだか パワーをもらった  ダライラマから

2010年06月20日 19時52分33秒 | 講演
 ダライラマ の講演会に行ってきた。  入場には金属探知機でチェックを受けてから、と比較的厳重な警備であった。
会場は ビッグハット で主催者発表7000人の入場であった。
会場は 写真撮影禁止で パンフレットの一部です。 講演は 先ず背面に掲げてある善光寺の曼荼羅に向かい、膝を床に付けてから3度の五体投地をしてから始まった。 声は、70歳を過ぎているというのに高い、張りのある声で。  後半に、会場からの4名の質問を受けた。 みな、 若い人たちからの質問ばかりで、勇気があるなと感心。 ある政治学科の学生の質問に、21世紀のリーダーの資質は?との問いに。 have a long term vision & a broad mind. また 悲嘆にくれている人へ何と声を掛けたらよいか分からない。という問いに。この地球上60億の人がいるが、あなたと同じような境遇で悩んでいる人がきっといるでしょう。けれどもその中には、諦めず努力を続けて生き抜いている人もきっといることでしょう。その人にも諦めずに努力をするようにと。決して 自分の中に閉じこもってしまわないようにと。  世界の平和を願い、60億の人々の幸せを願い、この60億の人々みんなが自分の身体の一部だと思って。  そう以前から感じていたのだが、ダライラマの言葉、頭の中では、民族、国、貧富、などの区別がまったく無い、と今回とくと感じた。 以前の ダライラマの言葉に、恕 という言葉があったがこれも そのとうり実践していると思えた。 恕 とは、辞書によると①おもいやり ②ゆるすこと となっている。   講演の帰り道、ふと気づくと なんだか元気になっているような気がしている。  これはきっと ダライラマのオーラが放ってくれた、パワーであろう。     彼の姿、一生」忘れないであろう。   同じ人間のはずなのに これは 一体!

死顔     吉村 昭

2010年06月18日 06時00分07秒 | Books
   死顔     吉村  昭

 人の死ぬ間際の様子はどうなのだろう?といった疑問があり、そこを小説家はどのような眼で、心持で見つめ書き表すのであろうと思って、 かつ精緻な文章を書く吉村 昭の この様な本があったので手にしてみました。
 6つの短編と 奥さんである津村節子さんの吉村の最後の様子を書いた一文が纏められている。 どの短編も、死にまつわるものばかりです。 全て抑えられたタッチで書かれており、それでいて読んでいて飽きない。却って通奏低音のような緊張感を読むものが感じているのであろう。
 文中から抜粋 『次兄には家族がいて、かれらに見守られながら死を迎えるのは、次兄にも家族にとっても幸せなのではないか、という思いが胸にわいている。 弟であると言え、次兄とは異なった生活をしてきた私は、むろん次兄と家族との絆よりはるかにそのむすびつきは弱い。そのような私が、悲しみに嘆くかれらの輪の中にはいってゆくことは、死の瞬間というかれらの心が一つにむすびつく時間をみだしてしまうことになるのではないか。』 
 『死の確定し病臥している人の見舞いに行くことはひたすら避けている。それに、病み衰えた人の顔、体を眼にするのは失礼だという気持ちがある。』
 奥さんの津村節子の文章より、『死はこんなにあっさり訪れてくるものなのか。急速に死が近づいてくるのがよくわかる。ありがたいことであだ。』 これは 死の間際の吉村の言葉である。 吉村はこの後延命治療は拒み、自ら体に挿入されていたチューブを引き抜いてしまったそうだ。改めて挿入させることは、この津村節子がこの人の良いようにさせてあげてといって断ったそうである。 
 死の間際の心持が多少は分かったようで、私も少し落ち着いたような気がした。 

神様のカルテ       夏川 草介

2010年06月15日 20時29分04秒 | Books
    神様の カルテ   夏川 草介

 長野県の国立大学のある 松本を舞台にした物語である。 作者は32歳のまだ若い医者のようです。 Ma-君のお勧めで、たまにはこちらがこれどうやといって勧めるのではなく、向うのオススメにも乗ってみようと手にした。 
 本文の流れは 三部になっており、先ず主人公のおかれている状況。大学を卒業しまだ5年目という経歴で、研修医を経てそのままこの町の病院勤めをしている。地方は医者不足で、一人で何でもかんでも科をこなさなくては、押し寄せる患者をさばけない。それでも病院の中ではスタッフからは信頼されている。そして下宿をしている、怪しい(後で心やさしい連中の)者達が寄せ合っている御岳荘の紹介。ここで主人公は出会った可愛いカメラマンの女性と夫婦なのである。 続いて2部に入ると癌末期の患者とのやりとり。 そして3部には、心を通わせた患者を見送り、そこへ 大学病院へ研修に行かないかとの周囲からの誘いが来るが、主人公は また将来気が変わるかもしれないが、今はここの自分を待っている患者のいる病院勤めを続けようと決心するところで終わる。登場人物もそれぞれユニーク 個性的なものばかりで読後感としては、さわやかなものが残った。  
 これはと納得した一節に 『世の中というものは、こうやって回っているのだ。  中略  きっと世の中のほとんどの人間がそうやってぐるぐるぐるぐるやっている。いろんな不満や不安をかかえながら、ぐるぐるぐるぐるやっている。』 時代はゆっくりゆっくりとしか進歩してゆかない。しかし一つが改善すれば その時点で理想は更にもう一歩先に進んでおり、これで良いというところには落ち着かない。 

最後の将軍  徳川慶喜   司馬遼太郎

2010年06月08日 20時07分23秒 | Books
  最後の将軍  徳川 慶喜       司馬 遼太郎

江戸幕府 15代将軍  徳川 慶喜 が 将軍として鎮座していたのは 最後の1年間であった。  しかし その業績は、大政奉還 という大仕事であった。  江戸幕府200年の終止符を打つと決断したと時の心の葛藤は いかなるものであったろう? 文中では、この慶喜という人物の 生い立ちから受けた教育による 貴族性によるものだと述べられているが、果たしてそれほど簡単に片付けられるものだろうか。    
 後世の人は、長州と幕府軍との最後の一戦、鳥羽伏見の最中形勢不利と判るやあっという間に江戸に帰ってしまった。このようなことからこの将軍は、智謀、策謀には 長けていたが最後の胆力は欠けているとあまり良いように評価していない。しかし、大政奉還をなし、日本を分裂させなかったことが、いかにその後の日本を救ってくれたは 計り知れない。開国を迫った諸外国に中国のごとく蹂躙されずに済んだのである。
 慶喜は 比較的長命で、大正2年まで生き永らえたそうだ。  明治の時代になり、敵対した西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文、などの活躍を見守り、そして彼らより長生した。 どんな思いで彼らを眺めていたのであろう。
 文中より 『慶喜の死は、江戸を一挙に遠い過去のものにした。この日以来、慶喜は江戸を懐かしむ人々の感傷の中にいきはじめた。』

 『時勢という魔物には勝てぬ』と 慶喜は つぶやくが、  
かの諸葛孔明も 曰く 『人 事を計り 天 事を成す』と。  同じような思いがここにはある。

2,010  我が家の ローズ

2010年06月08日 07時58分54秒 | rose
今年の我が家のバラ達
昨年のように アレンジは上手くいかなかったけれど
植えて3年目のバラ達もようやく根が落ち着いてきたようで
もう これでもかといわんばかりに咲いてくれました

でも きっと 更に株を増やすことでしょう
欲張りだから

背景がかっこ悪いな  それにこけているし  まーエーわ