細川 ガラシャ夫人 三浦 綾子
先日読んだ 信長の妹 お市の方 についでの戦国時代の女性が主人公となった 小説である。 小説とは云っても 作者はかなりそれぞれの時代の歴史考証をしての著作なので 歴史の勉強にもなる。
さて今回は細川ガラシャ夫人である。この方は 信長を討った明知光秀の娘である。 そしてこの明智光秀を知らねばその娘玉子(後の洗礼を受けてからのガラシャ夫人)の生い立ちはわからない。それほど父親である明智光秀の人柄は当時としては抜きん出て異彩を放つものであったのであろう。 この本の前半は ガラシャ夫人というよりも明智光秀と信長との生き様の違いを述べてある。我こそが神よ、我を信ずれば 栄華が得られるといって 豪語し逆らうものは全て抹殺してきた信長。かたやその非道を非道と嘆き呪いつつもこの信長の命令に懸命に従い尽くそうとする光秀。 今流に言う信長にいじめられとうとう最後に“切れた”光秀の謀反も解る様な気がする。
そして後半は 細川忠興に嫁いだ玉子が主人公である。 光秀謀反までは実直な親光秀を理解し尊敬しつつ生きてきて幸せな結婚生活を送っていた。しかし、光秀謀反の後は光秀の血の繋がったものは全てころされてしまう。 玉子は一瞬に一人ぼっちになってしまう。夫である忠興は、細川家を守る為に、光秀への援軍は送らなかった。そして 忠興は信長の次ぎの秀吉、さらに徳川にへと時勢を読みつつ懸命に家を守るように生きてゆく。 そんなか玉子は侍女の佳代というキリシタンの女性や高山右近などからキリスト経の教えを聞き次第に感化されてゆく。 なぜ私ばかりがこのように苦難が襲ってくるのだろうか?という問いに、苦難によって更にあなたはより高い人間へと向上してゆくのだ。という答えに感動したようだ。やがて、自分の信念を硬く持つようになり、死をも恐れない最後を迎えた。
面白い言葉に、もし光秀が信長を討たなかったならば歴史はどうなっていただろう。誰もが信長に逆らうことが怖くてできなかったのに。
なぜ 信長は光秀に冷たく当たったのであろう。おそらく信長が光秀のあらゆる面に優れた能力を持っていることを知っていて、恐れ且つ嫉妬していたのであろう。
この時代、弱小大名はその存続を掛けて懸命に読み戦っていたのだろう。一つでも間違えば、一族全てが死ぬ、滅びることになったから。
本来ならば殺されても不思議はなかったお玉が生き延びれたのは夫 忠興の愛とそれにより宮津の山奥(味土野)に身を潜めたからである。そこで村人のここで生まれここで平和に暮らし死んでゆく人々を知り、自分の身分は高く豊かな生活を送るが決して心休まることのない血なまぐさい生活と比べて、ささやかだが心休まる幸せというものを知ったからこそ後にクリスチャンへと進んでいったのであろう。
散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ お玉