Love our lives

人生の一コマ一こまを 愛し慈しんで 残したい。
ステキな庭のバラを! 旅行のスナップも そして大切な家族の素顔も!

根に帰る落葉は

2020年06月14日 17時19分46秒 | Books

   根に帰る落葉は     南木 佳士

 帯に「書くために生きてきたのではなく、生きる揺らぎを書いてきた。」 南木さんは、内科医師であり、40年に渡り、多くの患者の死に立ち会ってきた。医師として、その死が単なる客観的な出来事ではなく、それぞれに様々な思いを抱きながら見送ってきたのであろう。それが、ストレスとなりうつ病を発症することになった。

この時に南木さんの気持ちを整理し、また気持ちを外に向けてくれたのが 文筆 であったのだろう。

「言葉が、体が、しみじみ深呼吸する。」とあるが、どの作品を見ても実に起伏の少ない、まあ地味な流れの作品ばかりである。しかし、そこに地道な生活のこもごもが語られて、読み手に安心感と納得感を覚えさせてくれるのだろう。

「落葉帰根。   おまえも、もう根に帰ったらどうだい、と葉っぱたちに諭されて なんだかうれしくなった。」   

ここに、多くの死を、人生の最後を看取ってきたうえでの、南木さんの人生観、死生観が表れている。生への執着はなく、自然と共に、また先祖への帰着も受け入れやすいものである。

   


山中静夫氏の尊厳死

2020年06月14日 16時44分24秒 | Books

  山中静夫氏の尊厳死   南木 佳士

 この南木佳士さんと私は同じ歳である。しかも,共に信州に住んでいる。という事で随分親近感を覚えるだけでなく、好奇心を感じて手にしました。実は以前にも一冊読んだのだが、残念ながらその名は忘れてしまった。しかし、なんとなくその時の読んだ感触をおぼろげながら覚えている。それは、穏やかな筆致であったということ。 その後、「阿弥陀堂だより」という映画を観たのだが、これも南木佳士さんの作品だったとは知らなかった。今回この本を読み、ビデオで再びこの「阿弥陀堂だより」を観てなるほどと、南木佳士さんらしい作品だと納得した次第。

 さて、この主人公は病院勤の内科医師が一人の余命3か月の患者を担当し、その方の人生最後の願いをサポートするべく色々と思案してゆくその時の精神的葛藤が記されている。私は、このようにその実の医師がその仕事中に感じる思い、葛藤を小説にしたという作品を読んだことがなかった。まぁ、医者の本音が述べられているように読んだ。いや、この著者 南木佳士という一人の医師の心中を有りの儘に著したものである。やはり全体の流れは、起伏が少なく淡々と流れてゆくが、これもこの作者ならではである。それが却って、奇をてらうような作品にならず、読み手に安ど感を与えてくれるようである。 芥川賞を受賞されたようですが、それにのっかる様子はなく、生活への視線は我々と同じように感じる。 


悲しみの中の真実     若松 英輔

2020年05月10日 12時07分54秒 | Books

 

  悲しみに中の真実   石牟礼道子  苦海浄土   若松英輔

 数年前に「苦海浄土」を読みました。読み切るのが、その土地の方言があり大変でしたが、水俣病の方々の大変さを教えてもらいましたが、それはあくまで知識となっただけでした。 今回、若松英輔さんにより、更に石牟礼道子さんの世界、伝えたい世界をわかりやすく解説してくれたようです。読み進めてゆくと、その筋からはドキッとするような展開になることもしばしばであった。   例えば、「水俣病は耐え難い苦しみの連続だったが、その一方で、そこに立たねばならなかったからこそ、見いだせたものもあると、  中略  水俣病のお陰で私は、人としての生活が取り戻せたように思う。」  

もう一つ 「チッソとは一体何だったのかということは、 中略 唐突な言い方のようですが、私は、チッソというのは、もう一人の自分ではなかったかと思っています。」(緒方正人)

 若松英輔さんは、この苦海浄土 は石牟礼道子さんの詩であると紹介している。知識や理屈ではなく、素直に生きてゆく姿が詩という文体の底から感じ取られるように。

 記憶に残った文章を

石牟礼さんの言葉で  「極端な言い方かも知れませんが、水俣を体験することにより、私たちが知っていた宗教はすべて滅びたという感じを受けました。」

「人は、群れた途端に見えなくなるものがあります。だが、一人でいるときにははっきりと見える。  中略  水俣の運動で人々は、集うことはあっても群れません。それぞれの志、それぞれの立場を持って集うけれど、決して群れない。」

最後に  若松さんからのメッセジ  「読み終えることのできる本は、たくさんあります。しかし,人生で何冊かは、読み終えることのできない本に出合ってもよいように思います。むしろ、そうした問いをなげかけてくれる書物こそ、真の文学と呼ぶにふさわしい。」 

また、いつかこの本に再会する時があるでしょう。


Factful-ness

2020年04月02日 12時01分11秒 | Books

Factful ness       ハンス・ロスリング

世界中の様々なデータを集めて、現在の世界の状況を把握しようとし、その結果我々が思っているよりはるかに、世界は良くなってきていると。

 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣。

世界を生活水準により 4段階に分けて考える。  

レヴェル1  1日1ドル。 5人の家族が一家に一つしかないバケツを持って、はだしで水くみに行く。1日2ドルに収入を得られれば。 極度の貧困。現在世界に10億人いる。

レヴェル2  1日4ドルの収入。自転車が手に入る。子どもたちにサンダルを買ってあげられる。世界には 30億人いる。

レヴェル3  1日16ドルの収入。水道を引ける。水汲みはしなくてよい。電気も使える。バイクも買える。 世界に20億人いる。

レヴェル4  1日32ドルの収入。旅行は時に飛行機。車も買える。蛇口からお湯も出る。世界に10億人いる。

これを覚えておきながら世界の実態を想像すると理解しやすい。

思い込み①分断本能  上から目線の判断に気を付けよう。高いところから低いところは正確に眺められない。  すべてのランクの差はなだらか。

思い込み②ネガティヴ本能  ネガティヴ本能とは、物事のポジティブな面よりもネガティヴな面に気づきやすい。ネガティヴなニュースの方が、圧倒的に耳に入りやすい、広がりやすい。 悪いとよくなっているは両立する。ゆっくりとした進歩はニュースになりにくい。   平均所得を高め、平均寿命を延ばすことの一番の理由は、それにより人々が好きなことを楽しむ自由を得られるからだ。

思い込み③直線本能  グラフは、まっすぐに進むだろうという思い込みに気づく事。なんでもかんでも、直線のグラフをあてはめないようにする。今はグラフのどのあたりだろうと考える。

思い込み④恐怖本能  人はみな恐怖に包まれると、判断力がにぶる。パニックが収まるまで、大事な判断、行動は避けよう。リスクは、「危険度と頻度」、言い換えれば「質と量」の掛け算で決まる。

思い込み⑤過大視本能  目の前の数字が一番重要だという思い込み。それと比較できるようなほかの数字はないか。80・20ルールを使おう。多くの場合、小さな項目は無視してよい。

思い込み⑥パターン化本能  一つの例がすべてに当てはまるという思い込み。強烈なイメージに注意しよう。それは例外かもしれない。自分以外はアホだと決めつけないようにしよう。好奇心を持ち謙虚に考えてみる。

思い込み⑦宿命本能  すべてはあらかじめ決まっているという思い込み。色々なもの(人も、国も、宗教も、文化も)が変わらないように見えるのは、変化がゆっくりと少しずつ起きているからだと気づく事。

思い込み⑧単純化  世界は一つの切り口で理解できる、という思い込み。一つの視点だけでは世界を理解できないことを知る。知ったかぶりはやめよう。単純なものの見方と単純な答えには気を付けよう。

思い込み⑨犯人捜し本能  誰かを責めれば物事は解決するという思い込み。犯人よりもシステムに注目しよう。世界を本当に変えるなら、現実の仕組みを理解すること。

思い込み⑩焦り本能  今すぐてを打たないと大変なことになるという思い込み。今すぐ決めなければならないようなことはめったにない。占い師に気を付ける。過激な対策に注意しよう。ドラマチックな対策よりも、たいていは地道な一歩に効果がある。


フランス人は 老い を愛する

2020年04月01日 18時08分56秒 | Books

  フランス人は 老い を愛する    賀来 弓月

 私ももうすぐ自己廃業して引退生活をしたく思っている。日本では一つの仕事を生涯全うするのが良しという文化がある。しかし、自分の体調などを考え、いつまでも今の仕事を続けられるものではないと思っている。そのような中で、老後をゆったりと暮らしている長らく海外で生活されてきた著者からフランスの老人の様子を知らせてもらった。

・意味の危機(自分の生きている意味)を乗り越えて、人生の実りと収穫の秋を生き抜くには、日常生活のごく当たり前のことに生きる喜びを感じる、見いだせる感受性を養うようにすること。

・フランスでは、どんな形でも 家に招待することが 最高のもてなしとされている。

・あらゆる出会いを良い機会と捉えて、もっと一期一会を楽しむ、それが定年後の孤独感を癒す良薬になる。

・老いの本当に悪いのは 身体のおとろえではない。  それは心が無関心になることである。

・陽の光を浴びながら老いを生きる。

・特に老いの時期には、日常生活の ありふれた普通の事柄 を見直し、日々の暮らしに愛情を持つことが出来れば、自分を取り巻くすべてのものに満足感をもって、生きることが出来るでしょう。   人間の本質的な幸せは、自治は自分の足元にあるのかもしれません。

・生きる喜びを感じるのは、人を愛し、人に愛されている ことを実感できるときではないでしょうか。性愛を含めるのはごく自然な事でしょう。夫婦愛であれ、配偶者を失ったあとの恋愛であれ、死ぬまでだれかを愛し、誰かに愛されているという心の充実感があれば、高齢期はもっと幸せなものになるでしょう。

・高齢期は、高齢者たちが自分のこれまでの人生を振り返りながら、その喜びと悲しみ、希望や不安を集大成しているとき。自分の一生が何だったのかを思いめぐらせるときである。

 

 

 


野菜は小さい方を選びなさい

2020年03月10日 18時22分37秒 | Books

野菜は小さい方を選びなさい     岡本よりたか

岡本さんは 野菜を無農薬で育てています。

畑を耕さず、肥料、農薬などを施さないことにより、自然の循環に沿った野菜の成長が期待され、むしろ虫食いも減り、病気にもなりにくく、味も良くなると云ってます。

野菜にはそれぞれの本来の大きさがあるので、大きいものはかえって栄養価が少なく水っぽいようである。

トマトの熟成度の見分け方は、蔕が上にそっているのが良いと。

肥料が多いと硝酸物質が多くなり、苦み、エグ味、が多く糖度が減少して美味しく味わえなくなる。

さあ今年はこれらのことをあたまに入れながら我が菜園がんばってみよう。


人生は生きがいを探す旅     神谷美恵子の言葉

2020年02月14日 21時31分54秒 | Books

 私の大学生時代、彼女の『生きがいについて』を読み、又その後『心の旅路』を読み、これまでの人生、彼女の言葉にどれほど道しるべを示唆されてきたことだろう。

 今回この本を読みながら、彼女の人柄というものを読ませてもらった。 

一番なるほどと思ったことは、実に謙虚な方だったということ。  もう死を前にしての彼女の言葉は、  「私は もうたくさん生きて  たくさん この世のめぐみを 頂いて  そっと 去って行きたいと思う」と65歳の生涯を閉じていった。

 以後 なるほどと思った言葉をつづる。

生が自然なものなら

死もまたしぜんのものである。

死をいたずらに恐れるよりも

現在の一日一日を大切に生きてゆこう。

現在のなお人生の美しいものに

ふれうることを喜び、

孤独の深まりゆくなかで、

静かに人生の味をかみしめつつ、

さいごの旅の道のりを歩んでゆこう。

 

人生最大の幸福

もし若き日に一生をつらぬくほどの友や師をとのこころのまじわりが与えられたら、それは人生の最大の幸福の一つにちがいない。

中井久夫さんの言葉

 神谷さんの医師になる動機はむしろ看護に近いと思う。この方の存在が広く人の心を打つ鍵の一つはそこにあると思う。医学は特殊技能であるが、看護、看護は人間の普遍的体験に属する。一般に弱い者、悩める者を介護し相談し支持する体験は人間の非常に深いところに根差している。  と美恵子を分析している。                           


不死身の特攻兵

2019年02月17日 18時41分19秒 | Books

       不死身の特攻兵  軍神はなぜ上官に反抗したのか  鴻上 直史

 特攻に9回出撃し、体当たりをしろという上官の命令に抗い、爆弾を落として、9回生きて帰ってきた人がいた。名前は佐々木友次。その時、彼は21歳の若者でした。 一体、どうしてそんなことが可能だったのか。  この疑問を持って著者は、この佐々木さんを探し出し、インタビューをして当時の様子を聞き出そうとしました。

 彼には飛行機乗りとしてのプライドがあり、『爆弾を命中させて敵艦を沈没させれば何も死ぬことはないのだ。』。彼にはそれをなせる自信があったのであろう。その自信の故に、帰ってきていくら上官、周囲になじられてもくじけることはなかったのである。

 後半には『特攻の実像』という章で、特攻を命じた側、内情について書かれている。

 まず、特攻を命じられた側は、志願ではなくほぼ強制であった。このことは2016年、『報道ステーション』で、自衛隊の駆けつけ警護に関するアンケートがじえいたいで行われたという番組があった。 南スーダンでの駆け付け警護への参加に対して、1、熱望する 2、命令とあらば行く 3、行かない という三択で、3に〇をつけると、個人的に上官に呼ばれ「なぜ行けないのだと?」とえんえんに問い詰められたと、匿名の自衛官は語り、結局は 2 と答えたそうだ。今の時代においても特攻の時代と何も変わってはいないのだ。

 特攻を命じた大西滝治中将は、特攻の目的として、天皇がこのことを聞いてきっと戦争をやめると仰せられるだろうと。

 また当時マスコミは特攻をセンセーショナルに取り上げ、国民が熱狂した。

 当時の精神主義の末路 例えば東条英機が「申すまでもなく、戦争は畢竟、意思と意思との闘いであります。さいごの勝利は、あくまでも、最後の勝利を硬く信じて、投資を持続したものに帰すると。」

 


捨てる技術

2018年08月31日 09時22分18秒 | Books

    捨てる技術       辰巳 渚

  捨てるための様々な手法、考え方が述べられてますが、私がなるほどとか、心がけることができると思えることをまとめていおきます。

● ”とりあえず取っておく”は禁句  とりあえずという言葉は便利ですね

● ”いつか”なんてこない  ふと自分の周囲を見回すと思い当たるものがあちこちに

● 私にとって便利な物 素敵な物は 他人にとって邪魔物   なるほどかもしれぬ

● 貴方が死ねばみんなごみ  私が平均寿命で死ぬとして後 何年? その後はみんなごみ 不要物 邪魔物

● 持っているものは どんどん使おう  もったいがらずに


夜と霧 ビィクトル E フランクル

2018年07月03日 07時56分19秒 | Books

夜と霧            訳 池田 香代子

 私が高校生時代に 倫理の授業で知ったこの、夜と霧  そしてアウシュビッツについて。 それ以来いつか行って見たいと思っていたのですが、偶然 昨年ワルシャワの女性と出会い、彼女との再会とアウシュビッツ訪問を兼ねて行ってくることがっできました。

 実に広大なビルケナウ、そこに整然と立ち並ぶ収容舎、 そこに立っても全容はとても見渡せません。今は、青空と緑の草原に覆われて、当時の恐ろしさは微塵んもかんじられませんが、一歩その収容舎の中に入るとその悲惨さが実感できます。

 フランクルのことばより

・人間はいかなる残虐にも慣れてしまうものだ。

・私たちが生きることから何を期待するのではなく、むしろひたすら生きることがわたしたちに何を期待しているかが問題なのだ。

・ひとりひとりの人間に備わっている掛けがえののなさは、意識されたとたん、人間が生きるという事、生き続けるという事に担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせてくれる。  自分んを待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚しつぁ人間は、生きることから降りられない。

・人はこの世にもはや何も残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれる。

 

 


よく生き よく笑い よき死と 出会う

2018年07月02日 18時58分49秒 | Books

よく生き よく笑い よき死 と出会う アルフォンス デーケン

 もう何年まえになるでしょうか、いっとき死について考えようというブームがありましたね。その中心人物がこの デーケン先生だったように思います。あれから何年経ったのでしょうか、しっかりと根を下ろしているのでしょうが、マスコミの上には全く出てきてませんね。当時関心はありましたが、残念ながら手に取ることはなかったこの本、偶然見つけ早速読んでみました。自分なりにこれからの余生をどのように生き、そして自分なりの死生観を持たねばと思ったからです。

 デーケン先生が生い立ちから様々な体験をしながらこの日本の大学の教授となり、また死生学を作り上げてきたかを述べてあります。

 私が なるほどと思った個所を列記しておきます。

・戦争後多くの難民が帰ってきました。彼らを前にデーケン先生の父親は「同じ人間   同士,困っている時には暖かい手を差し伸べよう。飢えている人には食べ物を分けてあげ、旅人には喜んで宿を貸すべきだよ。」


・この世には自分の「生死」をかけてでもやらねばならない大切なことがある。 戦 時中デーケン先生一家は 反ナチスとして活動していた。

・祈りの最初は、まず 感謝 の祈りが一番最初。    謙虚に祈るわけですが、その最初は健康、食事、無事などの感謝すること。

・自分の頭で考え、自分の良心に従って生きる。  以上が父親からの教えだった。

・旅人としての自己表現   旅をすれば、人に出会うことになります。その出会いによって、人間の視野はいっそう広く、深くなってゆく。 ゲーテは「心ある人にとって、最高の教育は旅の中にある」と言いました。このこころあるという言葉は「開かれた心」と言い換えても良いでしょう。   旅の途中の様々な出会いを、開かれた心で見つめるという事は、すなはち自分とであうことである。

・もっと「励まし」を贈ろう     アメリカ人の「励まし」の素晴らしさにかんげきした。

・お互いに今、ここで出会っている時間を、精一杯楽しもうという気持ちから、自然に出てくる喜びと感謝が、ユーモアのある楽しい雰囲気を生むのでしょう。  真面目になりすぎる危機を乗り越えるのにも、ユーモアと笑いは大変役立ちます。

・自己風刺   ユーモアには、そよ風のように、周囲の人たちをやさしい笑顔で包む働きがある。 自己風刺が、一番ぴったりだと思います。真に内的な自由を獲得した人だけが、自分の失敗や弱点を客観視して、おおらかに自分自身を笑うことができます。

・豊かな余生を過ごすためには、新しい価値観を身に着けることが大切. 決まり切った役割意識に固執するのではなく、私たちの潜在能力に対して正面から立ち向かえば、それは新しい生き甲斐の探求に結び付く。  そんなことはとてもできないなどと、自分で自分に限界を設けたりせず、何にでも取り組んでゆく積極性が大切。

以上私の主観で記しました。

 

 


それでもなお、人を愛しなさい

2018年05月10日 18時30分25秒 | Books

ケント・M・キース著

二度目の再読である。

今回納得した言葉は、

・あなたが属する社会や会社がプレッシャーをかけてこうなりなさいといっているような人間になるのではなく、本当の自分、あるべき自分になるということ。自分にとって一番大切なものとは何だろうとといかけ、その価値観を生きることである。

・子供がどのような体験をすることほど、重要なことはありません。若い人には、自分の言うことに耳を傾けてくれ、教えてくれ、力づけてくれ、何かを達成したときには共に喜んでくれる大人が少なくとも一人は必要です。


日日是好日   森下 典子

2018年04月18日 14時04分42秒 | Books

    日日是好日    森下 典子

 今年 この本を原作とした映画ができるというので何となく気になっていたのですが、 懐かしくて 再読しました。

 その中で、やはりと思った個所を列挙しておきます。

・世の中には『すぐわかるもの』と、『すぐにはわからないもの』の二種類がある。 すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにはわからないものは、 中略 何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、『別もの』に変ってゆく。

・『病気をきっかけに、身の回りの何でもないありふれたことが、ものすごく愛おしく感じられるようになった』 という人もいる。 人には,どんなにわかろうとあがいたところで、その時が来るまで、わからないものがあるのだ。

 再読するにつれて、初めてなるほどと思う事よりも、そうだ私も同じくそう思っている、といったことが多いように思う。 私も、作者と同じく年を取って少しは生きてゆくことがわかるようになってきたのかな。

・『もし私だったら、心の気づきの楽しさを、生徒にすべて教える』・・・・それは、自分が満足するために、相手の発見の歓びを奪うことだった。  この言葉が今社会にでたばかりの息子たちに向かって思う気持ちである。 彼らの人生は彼らが楽しむものである。良いことも、つらいことも すべて彼らが自分で判断した人生のストーリーであるべきである。  私は傍で、彼らの人生を見守るだけ。


たとえば君

2018年04月07日 15時37分06秒 | Books

 たとえば君   四十年の恋歌     河野裕子・永田和宏

先ずは 気に入った短歌を

・たとえば君 ガサッと落葉すくふように私をさらって行ってはくれぬか (河)

・夕闇の櫻花の記憶と重なりて初めて聴きし君が血の音 (河)

・ブラウスの中まで明るき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり (河)

・貧しさのいまはればれと炎天の積乱雲下をゆく乳母車 (永)9

・背後より触るればあわれてのひらの大きさに乳房は創られたりき (永)

・しっかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ (河)

・良妻であること何で悪かろうか日向の赤まま扱きて歩む (河)

・立った一度のこの世の家族寄りあいて雨の廂に雨を見ており (永)

・もうすこしあなたの傍に眠りたい、死ぬまへに蛍みたいに私は言

 はう (河)

・やわらかな縫い目見ゆると思ふまでこの人の無言心地良きなり (河)

・あるいは泣いているのかもしれぬ向こうむきにいつまでも鍋を洗いつづけて (永)

・歯茎腫れてまた童顔となりし妻頬づえをついて選歌しており (永)

・ちょっとだけ私にくれていい筈のじかんがあらぬ君が日程表 (河)

・あなただけ私の傍に残りたり白い牡丹だよと振り向いて言う (河)

・歌集『家』をかなしみて読む君が病気をまだ知らざりしあの頃の家族 (永)

・粋がって傘もささずに歩いてた若かったあなた、私は追いかけて (河)

・良き妻であったと思う扇風機の風量弱の風に髪揺れ (河)

・病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ (河)

・あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき (河)

・さみしくてあたたかかりきこの世にて会い得しことを幸せと思う (河)

・手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が (河)

・一日が過ぎれば一日減ってゆく君との時間 もうすぐ夏至だ (永)

・たったひとり君だけが抜けし秋の日のコスモスに射すこの世の光 (永)

・あほやなあと笑のけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがいない (永)

・みほとけよ祈らせたまへあまりにも短きこの世を過ぎゆくわれに (河)

・ひらく手の指のほそさよわが妻の指を継げるや亡き妻の爪に似るとや (永)

 

 この夫婦似た者同士かな  感情を素直にストレートに表現している 詩の上だけでなく日常の生活においてもそうであったのか。  うらやましい性格であり、お二人の暮らし、人生であるよな。           NHKの番組を観て。