Love our lives

人生の一コマ一こまを 愛し慈しんで 残したい。
ステキな庭のバラを! 旅行のスナップも そして大切な家族の素顔も!

サンジョルジョマッジョーレ寺院

2009年07月31日 20時14分36秒 | 09,Iイタリアの旅

 サンジョルジョ マッジョーレ島の

          サンジョルジョ マッジョーレ寺院

 長ったらしい名前だが ベネティアの小サンマルコ広場の正面に

 ある それはそれは素晴らしい景色を成す寺院です。

 イタリアに来てこんなに快晴の日は無かった。 晴れ男Ma-君の

 おかげかな。いやそもそもこのベネティアへ来る予定は当初の私の

 予定には無かったのだが、Maー君が是非ここは行きたいと、私を連

 れて行ってくれたのだ。

 人々が賞賛するとおり、光溢れる町、ベネティア

 本当に素晴らしい!           


妻有トリエンナーレ  絵本の世界

2009年07月30日 20時39分07秒 | Art
 早速出掛けてきました。前回見れなかった田島征三さんの小学校へ行ってみると、なんと田島さんがサイン会をしているではないか。 ほんとにラッキー!とchachaさん大喜び。田島さんと少し会話。病気をしてから随分体力が無くなりフラフラしていると、周りが気を遣ってくれてと。 帰りにchachaさんが、お父さんも何でも一人でがんばりすぎないように、と言ってくれた。


 
 もうここは廃校になっているのだろうか? でもこの明るさはどうだろう。
一つひとつのオジュジェが全て異なり自己主張をしている。
全てが田島征三の絵本ワールドになっている!




ついついその気になって!  というか我も童心を誘い出されて。


 入口にあった バッタのおもちゃ  バッタには目がないchachaさんがパチリ!

私は初めてお目にかかる人であったが、ほんとにやっている事を楽しんで居られるのがよくよく伝わってくる。 これと同じような感じを最近もう一人の人からも感じた。 それは 稲荷山の鉄やさん。あの人はさまざまな事に手を出しているが、その根には自分が面白い、楽しいくてといった気持ちが周りからでも充分感じ取られる。  そうだ、私もそうならなくっちゃ。面白い事、やりたい事に夢中になろうじゃないか。 人生、楽しまなくっちゃナ。 脚を引っ張るのは○の事だけれど、これにこだわってしまえばずっと抜けられないぞ。 身体のことの気にするな。生ある限り生きるんだ。生きるとは自分の心で感じ、頭で考え、自分の手で,足で実現、生み出す事である。   そうもうひとつ  自分で解決する事はスピリット 元気 活力 のことかな。

そう忘れてはならない過去の震災  廊下にあった子どもの記事


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霧のむこうに住みたい    須賀 敦子

2009年07月22日 21時23分15秒 | Books

   霧のむこうに住みたい     須賀 敦子

 昨年は 塩野七生さんの本を 幾冊か読んだが、同じイタリアを紹介してくれるこの須賀さんの本は初めてであった。昨年NHKで100冊の推薦本の特集があったが その中に須賀さんの作品があった。その紹介では、須賀さんの文章は、透明感があってなおかつ視線が低く清純であるという。 読んで、先の塩野七生さんとは正反対の世界のエッセイといった感じを受けた。読んでいて、高揚、興奮はしないが、一つひとつのエッセイが短く、なおかつ彼女のイタリアでの生の日常生活から得た話題を取り上げている。だから、読んでいて、肩が凝らないというか、ゆったりとした気分に浸りながら読み、好きなところで置くことが出来る。

 この言葉は 今の私には理解できない。『宗教家にとってこわい誘惑の一つは、社会にとってすぐに有益な人間になりたいとする欲望だ。』

 『“時間”が駅で待っていて、夜行列車はそれを集めて一つにつなげる為に、駅から駅へ旅を続けている。』 時間とは 一人一人の人間、乗客であり、様々な思いをもった人々が一つの列車に乗り合わせ、それを運んでゆく。面白い表現だと思った。

 イタリアには 当時?羊飼いが居たそうだ。今はどうか知らないが。彼らは羊をつれて山に籠もると誰とも話さない。彼らの子どもはやはり親父の後を継ぐのであろうか?彼らはどうして羊飼いになったのであろうか?なんて 読んでいて疑問に思った。

 面白かったのは、イタリアには大洗濯日というのが有るそうだ。春の復活祭の前に、汚れ物を一斉に洗濯し、牧場では一面に広げて干すそうである。そしてたたみ仕舞うときにラベンダーをその間に挟んで、と書いてある。 以前、沖縄のペンションで枕の中に潜ませてあるのがあったが、良い香りで、眠りも気持ちよかったことを思い出す。  イタリア人もこんな工夫をしているんだなぁ!


病んでこそ知る 老いてこそ知る   日野原重明 高野悦子

2009年07月12日 20時30分42秒 | Books

 病んでこそ知る 老いてこそ知る   日野原重明  高野悦子

 日野原さん90歳、高野さん80歳のときの対談です。現在日野原先生96歳ぐらいか、 バリバリの現役ですね。ご高齢になられてからも、ミュージカに出演したり、脚本を書いたり、本業以外でも好奇心旺盛でチャレンジしてゆく。高野悦子さんは映画と向き合って50年、がむしゃらに駆けて来られた。高齢になられて、お母さんの介護と、ご自身の病気を患われなおかつ、一病を囲いながら頑張っておられる。お二人の 病んでこそ 老いてこそ 知るとは 実に説得力ある言葉が発せられている。

 『病気があっても逞しく生きている 人が居る。あの輝きは、彼にスピリットが有るからです。 略  1946年に WHO が健康の定義をした時は、人間が健康であるとは、たんに病気がないだけではなく、身体的にも社会的にも精神的にも完全に良好な状態にあることだとしていたが、その後、その定義にスピリットも入れようとしている。』 スピリットか、残念ながら自分にはあまり感じられないな。

 高野さんが母親を介護していたのだが、実は『母を思う子の心よりも、子を思う母の心の方がずっと大きかった。』と気付いてから、心から母に感謝する気持ちになったそうです。そして、母を介護できる幸せを感じるようになったそうだ。母への介護の仕方を変えた後、母が話したい話題に耳を傾けるようになった。 すると母の認知症が改善したそうだ。

 『いろいろな機会というのはハプニングで起こってくるのだけれど、子ども時代の環境とか体験などといった素地がないと、それをうまく受け止めるアンテナが働かない。』  

 高野さんから 『私、色紙を頼まれると 今日なら遅くない、今日から始まる。』と書いていたそうだ。『人間は長生きすると、若いときにはわからなかったことがわかってくると。』

 日野原先生『明治の人には、何かモデルがあったんです。』みんな目標と出来る人物像があったのだと。今の若い人達にはあまりないよう。自分はどうだろう?

 『いままで出来ないとおもっていたのは、機会が無かったからなんですよ。』

 『健康とはフレキシビリチィを持つこと。』

 南博先生の言葉『本当の意味での娯楽は、リ・クリエイト、つまり大衆に再創造するエネルギーを与えるものである。明日への生きる意欲、力を起させる娯楽は福祉なのだ。』 なるほど、良い娯楽は明日えの生きるエネルギーを与えてくれるものなのだ。そしてそれは福祉という考えとまさに一致する。