Love our lives

人生の一コマ一こまを 愛し慈しんで 残したい。
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マキャベリ語録    塩野七生

2008年12月31日 21時51分17秒 | Books

マキャベリ といえば歴史の時間に聞いた事のある程度でした。

 歴史に残る本というのは なるほどと 納得する内容でした。

 塩野七生さんの抜粋ですがむしろエッセンスが簡単に判って読みやすかった様に思う。 これから印象に残った抜粋を書き込みます。

 ・政治とはもっと広いもので、いってみれば、持てる力を、いかに公正に、かつまた効率良く活用できるかの『技』ではないかと。 ただし政治とは、場合によっては人倫の道に反することもやらねばならない。と。

 ・人間いかに生きるべきか、ばかりを論じて現実の人間の生き様を直視しようとしない者は、現に所有するものを保持するどころか、すべてを失い破滅に向かうしかないのだ。なぜならば、何事につけても善を行おうとしか考えない者は、悪しき者の間にあって破滅せざるを得ない場合が多いのである。それゆえに、自分の身を保とうと思う者は、悪しき者であることを学ぶべきであり、しかもそれを使ったり使わなかったりする技術も、会得すべきである。    この言葉に私は少なからずショックを受けた。

 ・自らの安全を自らの力によって守る意志を持たない場合、いかなる国家といえども、独立と平和を期待することはできない。

 ・リーダーの素質とは、所詮もって生まれた天性のものによるものではないだろうか。

 ・歴史は、我々の行為の導き手である。だが、特に指導者にとっては師匠である。   人間社会には、相も変わらず同じ事を考え、同じ事を望む人間が棲んできたきたのだ。

 ・困難な時代には、真の力量をそなえた人物が活躍するが、太平の世の中では、財の豊かな者や門閥に支えられた者が、我世の春を謳歌する。

 ・過去や現在のことの想いをめぐらせる人は、たとえ国家や民族がちがっても、人間というものは同じような欲望に駆られ、同じような性向をもって生きてきた事がわかるであろう。

 ・人は、ほとんど常に、誰かが前に踏みしめていった道を歩むものである。

 軍の司令官にとって,最も重要な資質は何かと問われれば、想像力である。  いかなる職業でも、想像力なしにその道で大成することは不可能である。

 ・やった後で後悔するほうが、やらないで後悔するよりずっとましである。

 ・好機というものは、すぐさま捕らえないと、逃げさってしまうものである。

 このマキャベリは16世紀のフィレンツェの人であるが、1000年以上続いたローマ帝国の歴史をじっくりと紐解き、其処から得られた事例をまとめて君主論を書いた。これは人間の、国家のありのままを書いた書であろう。          


09年 餅つき

2008年12月31日 18時23分41秒 | 旨い物

 今年は30日に我家恒例の餅つきを行った。 今年はこのところの好天続きで天気予報では曇りから雪となっていたのですが、やはり好天で久し振りのお餅つき日よりでした。もう4回目となると準備もスムーズにあまり迷うことなくできた。

 さて 当日参加してくれたのは  美帆親子 いつもパパにバンバンついて貰って頼もしいかぎりです。パパもお持ちが好きなので楽しみに来てくれてるようです。 小口親子 手が少々熱くても平気で お餅を返すのには重宝です。  次に兼さん 昨年お呼びが無かった、待っていたのに、と言われちゃいました。しかもお友だち、蛭さんも一緒でした。初めてだけれど気さくで良い青年でしたね。二人はぴったしかな!

今回は 高橋親子も参加。杵が重くてまだまだつくのはもうすこし大きくなってからかな、というところだけれど周りはヨイショ、ヨイショと声を掛けてあげていい雰囲気。きっと将来餅つき上手になってくれるでしょう。

今回は ゴジラ餅、黒豆餅、ができました。  評判の良かったトッピングは明太子だったかな。昨年は ノリとマヨネーズとしょうゆの合わせ、その前はイチゴ大福でした。

 楽しかったです。また来年も。 年末我家の最大のイヴェントです。  


ゴリラ餅

2008年12月31日 18時11分28秒 | 旨い物

 これがゴリラ餅の作り方 

   材料は みかんの皮 これを細かくみじん切りに 食べたすぐ    

   後で良い

   胡桃の細かにしたもの

   ゴマ、青海苔、 塩少々、 砂糖 塩より大目 好みです

   写真のようにお餅をついた後 混ぜてこねます

   どんなお味かって?

   みかんとノリとくるみ、それぞれの味がしっかり醸し出されて

   少し甘みがあって  ・ ・ ・ まー珍しいお味で   


アンドリューワイエス

2008年12月27日 07時53分33秒 | Art

      アンドリューワイエス

23日 渋谷の文化村に思い切って出かけてきた。アンドリューワイエス 久し振りで、しかもやはり観に行きたかった。何故それ程惹かれるのだろうか? ワイエスの日本展示は今回で3回目だそうだ。私が最初に観たのは大学時代、ヨッチャンとである。窓ガラスのレースのカーテンが風邪で揺らぐ一瞬を描いてあったのと、クリスチーナの世界という丘の上の家に向かって野原で横たわった女性が手を差し伸べているあまり意味の感じられない心象派のような絵が記憶に残っている。2回目はなんと言っても ヘルガという女性の横顔である。

 今回は以上のような強烈な印象を与えてくれる作品は無かったが、一つの作品ができるまでのいくつもの習作が並べられていて、作者がいかに創作してきたかが窺えて興味深かった。 

 何が気に入っているのであろう。初めてこの絵画に出合って30年以上経つのだが、変わらないのは私の心の感受性も同じく根底は変わってないという事である。そして 今の私の眼を少し気付かせてくれたのは、一昨年の妻有トリエンナーレである。日常のありふれた生活の一瞬や、使われ磨り減った家屋の一瞬をを静謐な眼で見つめ、正確に描写してゆく。ワイエスには其処に精神性というか神秘性まで描きこまれているように思う。    

 


怒りのソウル  

2008年12月25日 20時39分48秒 | Books

 怒りのソウル 日本以上の格差社会を生きる韓国

 プロローグの最初に『韓国の状況が、あまりにも日本と似ている』という出だしから始まっている。しかし、私が思うには、小子化問題にしろ、地方の過疎の問題にしろ 日本の一歩先を進んでいるように思える。 韓国の状況を知ればいずれ日本の将来も予測できると思っいる。また 最近の不況にしても経済状況は本当に資源が無く、輸出に頼らざるを得ない日本と全く同じである。

『働く人の3人に一人が正社員出ない日本と比べて、韓国は二人に一人が正社員ではない。OECD諸国中、第一位の非正規雇用率。』

『95%の若者が非正規のままで』

『一度非正規になると永遠に非正規』、『派遣は携帯メールで解雇かよ』 などという言葉が並んでゆく。中には海外へ出稼ぎに行く若者も居るようである。しかしまだ日本では其処まで考える者は居ないようである。しかし、韓国ではこの政府の無策に対して大きなデモが発生して抗議しようとしている。ところが日本ではその力は非常に弱い。

韓国では この格差はソウルに住む人と、一部の優良企業の者たちが上層で、地方に行くほど格差は広がっているようである。

もう一つ 面白く読んだのが 韓国の徴兵制について

男子19歳から2~3年徴兵に行かねばならない。その検査の時5つのランクに分別され Aランクの者は自慢だそうだ。ところがD,Eランクの者は公益勤務とか、免除に当たるそうだ。ところがこの人たちは非常に肩身が狭く感じるようである。中には女性に徴兵制がないというのは不公平だと云う女性も居るそうである。ところで、この本の中でのインタビューされた若者は、兵役を拒否したのである。この兵役を拒否したということは、韓国の社会からも阻害、無視されてしまうようである。即ち、会社への就職もできなくなるという事。その親たちも厳しい避難の目で見られるのだが、この若者は、手をついて親に謝り、兵役拒否実行したそうだ。彼は1年6月の懲役を受けることになる。

ここでまた面白い節がある。『絶対に行くなという人は、軍隊が持っている徹底した序列文化、人を人扱いしないような文化に傷つけられた人たちです.でも『意味のあるところだ。男なら行くべきだ。』という人もいます。そういうことを云うのはある意味で理解できます。・ ・ ・ ・ 軍隊で身に付けてきたものが、社会的には確かに役に立つのですよね。強者に対しては媚びて、弱者にはつよく出るとか。人の扱い方とか命令の仕方とか』

 まぁ 韓国は日本の文化の源でもあって 非常に興味ぶかいのですがこの現状を見ていると気分が滅入ってきますね。お互いよきライバルとして両者が良き世界を作っていってもらいたいですな。  

 

 


昔話からのメッセージ ろばの子  小澤俊夫

2008年12月16日 15時05分33秒 | Books

作者の小澤俊夫さんは 指揮者の小澤征司さんのお兄さんだそうです。約50年間大学で教鞭をとられ、今は小澤昔話研究所を立ち上げて活躍されています。

 私にとって、昔話はストーリーだけを追って、終わりよければ良かった良かったといって眠りに就いた。その話しの暗に云わんとするところなど全く考える事も無かったです。ですが この本を読む事によって、なるほどとうなづけるものが隠されているのに気付かされました。

 本文はじめより

 昔話の伝承を具体的に思い浮かべてください。今八十歳の語り手が居るとすると、その人は、七十年前には、確実に十歳の聞き手だったのです。そのとき、感銘を受けて聞いたから、七十年たった今、年寄りとして語って聞かせるのです。七十年間には、いろいろな人生経験をしたでしょう。自分の子どもを育てたでしょうし、肉親や近所の、あるいは教え子としての子ども達をみてきたでしょう。しかも、その子の一時期を見るだけでなく、十年後、二十年後のその子の成人した姿も見たでしょう。洟垂れ小僧で、悪い事ばかりしていた子どもが、二十年後には立派な若者になり、三十年後には真面目な父親になったのも見たこともあるでしょう。だから、人生を一つの流れとしてみる事ができるのです。昔話には、そういう人生観、若者感がしみこんでいます。それは、いわゆる社会的道徳よりももっと根本的な、人が育つとはどういうことか、人は人生をどのように歩いてゆくかを表わすようになるのです。

 ろばの子  (グリム童話)   若者を受け入れる社会

 昔むかしあるところに一人の王様とおきさきがいました。二人には子どもが居らず、いつも神様に子どもが授かるように祈っていました。 そしてようやく願いが叶えられ、子どもが生まれたもですが、生まれてきた子は人の子どもではなくろばの子どもでした。王様は神様が下さったのだからといってそのろばの子を大切に大切に育てました。その子はすくすくと育ち、その間にリュートを学びとても上手に弾けるようになっていました。 しかしあるとき自分の顔を鏡で見てとても悲しくなり、一人で旅に出ることにしました。そこで ある御城に行ったとき、門でリュートを弾いていると珍しいろばが居るというので、そこの王様の前でリュートを弾く事ができました。王様は褒美に何が欲しいかと聞いたので、ろばの子はそばにいた王女様が欲しいといいました。その夜二人が寝室に入るとろばの子はろばの皮を脱いで素敵な王子様になりました。翌日王様は王女さまに悪かったなと聞かれたところ、王女様は昨晩の事を話しました。その夜、また二人が寝室に入ってから王様も密かに忍び込んで王女様の言葉を確かめました。そしてろばの皮を焼いて捨ててしまいました。翌日ろばの皮がなくなったのに気付いた王子様はあわてて立ち去ろうとしました。そこで王様は『おい、我息子よ。そんなに急いでどこへ行くのだ。ここにいなさい。お前は、私のところから去ってはいけない。そして、私が死んだらこの国を治めるのだと。』

 ろばの皮は、実は王子の外見に過ぎなかったのです。一見ひどい姿をしているが、内面は美しい  と言い換えたら、これはもう世間の若者の姿一般ではないでしょうか。子どもや若者は、ふだん、いろいろなことをして、親や先生に心配をかけたり、社会的に非難されたりします。いわば汚い姿で暮らしています。しかし、そういう子でも、本当は内面に美しさをいろいろ持っているのです。ふだん醜い若者が、たまに、思い切って本当の美しい姿を現したとき、誰かがそれを無条件に認め、その美しい若者に愛情を注ぐ事が大切なのでしょう。

 次に何度も失敗したり、悪さをすることがある。 これは 親を裏切ろうとしてやっているのではないのですよ。振り子が振れているのだから、本人でも止められないのです。もうすこし待ってあげてください。よい自分と悪い自分とのあいだを揺れ動いているのです。それが若者の自然な成長の道筋だと思います。私はこういった若者の成長の道筋を 灰かぶり振り子 と呼んでます。  灰かぶりとは表面上は灰をかぶって 醜くしている様を云うのでしょう。

 

最後に 人の価値を測るものさしがひとつしかない社会は、息苦しい社会です。     その通りだと私も思います。子どもにはおおらかな目で見つめてあげようと思います。          

 

 


Diary

2008年12月15日 15時26分01秒 | daily life

 非公開です

 このブログをたどってみると 1年が 走馬灯のように思い起こされる。  あー、こんなこともあったんだなーと。写真と一緒のメモリーは瞬時にその時のことを 鮮やかに蘇らせてくれる。 さてカテゴリーのこのDiaryには その時々 一瞬の思いを書き込んでみようと思う。

 


イタリアからの手紙   塩野七生

2008年12月13日 18時13分27秒 | Books

 再び塩野さんのイタリアシリーズです。イタリアからの手紙。これは彼女の30ちょい過ぎぐらいのエッセイ集です。 いわば 彼女の遊学時代のエピソード集というのか。 あまり理屈っぽくなく、説教臭くなく、へぇ~といった珍しい話が載っています。感覚としてはまだまだ若い塩野さんの青春時代のエッセイといった感じが得られます。

 地中海

ある年の夏、ギリシアの島めぐりを終えた私たちのヨットは、ナポリの港へ、夕日を背にしつつ帰ってきた。カプリ島を回った時は、太陽はまだ、大きな燃える球となって水平線上に輝いていたのだが、ナポリ湾に入る頃には、それが水平線にふれた時だった。水に触れたとたんに、落日は、金色の光をあたり一面に投げ散らす。おだやかな海が、一瞬、金色の延べ板に変わるのはその時だ。速力を増した私たちの船は、その金色の延べ板の真ん中を突き進んだ。割って、それを左右に切るようにしながら。  さわやかな風が、あらいセーターを着ている私の首もとを吹きすぎる。髪の毛が、長くうしろにひるがえっては、頬を打つ。  進むにしたがって、ナポリ湾は、広く両手を広げるように大きくなった。    ・ ・ ・  同じ船の友人たちは、皆無言だった。  ・ ・ ・  静かに眺めて楽しむのではない。全身でそれにひたって、それにすべてを投げ込んではじめて得られる、恍惚の境地とでもいおうか。それは、絵画の持つ美しさではなかった。肉体のすみずみにふれ、それを愛撫し、やがて通り過ぎてゆく、交響詩のようなうつくしさだった。

  この情景を想像すると、いてもたっても自分もその中に置きたくなってしまう。 塩野さんの表現力も素晴らしいと思う。

 もう一節 同じ地中海から  『ヴェネツィアに死す』の中で、トーマス・マンは、ヴェネツィアへは、海から訪れるべきだと ・ ・・ そうモネのあの素晴らしいベネツィアの絵画も 海から見た絵でしたね。あの様々な光が瞬き交差する印象派の。

 その他 シチリア、マフィア、マカロニ、など面白いテーマで書かれてました。

  人間は、金を貯える時よりも、金を使う時の方がより人間的になる。     なんて面白い考察ですね。

 


星の王子様    サンテグジュペリ

2008年12月07日 20時36分10秒 | Books

 この年になって 初めて この本を読みました。購入してみたらなんと 子供向けのダイジェスト版 絵本でした。 でも エッセンスは 変わりないでしょう。   サンテグジュペリは学生時代 『夜間飛行』を読み大事にしていました。夜 飛行機の上から地上を見下ろすと 真っ暗な闇の中 あちらこちらに 明かりが見える。その明かりの元に居る人々と心を通わす事が大切だ。という 一節が心の中に今も残っている。

 さてこの星の王子様 のなかに 有名な一節がありますね。友だちになったキツネから教えてもらった大切な心得。『大切な物は目に見えない。心で見るんだよ。』 心で見るとは どういうことなのだろう。心は 人の視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚、等の五つの感覚と予感というか第六感と、それらを総合して行う想像という事をして感じること、分る事ではないだろうか。  この創造する事の難しさよ。例えば、相手の身になって考えてみるという事でさえ大変であるね。

 次に、原本で フランス語でアプリポワゼという言葉が出てくる。これを日本語へ翻訳する際 大変訳者は苦労されるそうだ。日本語にふさわしい言葉がないのだ。星の王子様が出会ったキツネに友だちになってくれと頼むのだが 断られる。まだお互いにアプリポワゼができていないからだと。 このアプリポワゼとは 『きずなをつくる』ということ。単に仲良くなるのではなく、時間を掛けて目には見えない、精神的つながりを作るという事である。すると お互いが かけがえのない者同士となる。これが大切なのだと。  星の王子様の星にたった一本咲いていたバラ。地球に来て5000本の同じバラを見たとき、王子様は悲しくなったそうだ。そして星に残してきた 我侭な一本のバラを思い出したそうだ。これが アプリポワゼ。         これにつながり、『時間をかけて世話をしてあげたからこそ、君のバラは、君だけの特別なバラになったのだ。』 もう一つ『わすれちゃだめだぜ、自分が大切にしてやった相手に対して、きみはいつまでも責任があるんだ。あのバラに、きみは責任があるんだ・ ・ ・  』    


サッチャンの作品

2008年12月07日 17時17分06秒 | Short trip & intereting sights

 今回 小口さんのコンサートの舞台の袖に 飾りました

 11月から リハーサルの様子など見ながら ここ一ヶ月発想したそうです。 あまり目立たないように、けれども雰囲気を盛り上げるのに役立てれば、 なかなか 難しかったようです。  てっぺんの冠は ある花の枯れてカチカチツンツンになった物が グー然目に留まり使ってみようと思いついたようです。ちなみに もちろん近所のガーデンソイルという 専門店ですが、一緒にこの花の球根も購入、来春はこの花の本来の姿もみられるかも。

 さて 小口さんも2回ばかり見えて このようなオーナメントの存在がどのようにコンサートに影響を与えるか等話しに来てくれましたが、それを聞くと却って サッチャンへの プレッシャーになったのでは?といったことがありました。 その折、このようなコンサートを一人で企画、実行してゆく時の様々な苦労話など聞かしてもらい、華やかな会場の裏、無事に終わるまで大変なんだなーと知らされました。 例えば、独唱する人の体調が悪くなったりして出れなくなると、その代わりを探し、誰でも良いというわけではなく 他のメンバーとの折り合い具合など見たりで  またその他会場の手配、パンフレットの作成、集める観客の数、会計・・・ なるほどホントに大変ですね。

  さてこのサッチャンのオーナメントは 高さ180センチぐらいで、後ろの素敵な チェンバロの色、グリーンを基調に、金のラインが入っており、天板をあげるとその下は 赤と、まるでピッたしおそろいといった感じでした。  

 サッチャンも一安心でしたでしょう!   素敵でした。

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小口コンサート

2008年12月07日 16時20分32秒 | Short trip & intereting sights

今年の小口さんのコンサート 数えて32回目 

  昔は 藤や旅館の狭いところで 膝と肩を寄せ合わせながら聞いていたのですが、ここんと頃は 結構立派な会場で開催されています。 まぁ お弟子さん達や コーラスのグループが大きくなってきているので仕方ないのでしょうが、昔の家族的な雰囲気は薄れてきました。 その代わり 衣装や楽器など チェンバロ、ビオラだガンバ、スピネット、などあまり馴染みのない楽器も加わり素敵になって来たところもあります。   このスピネット、 バロック音楽の古楽器ですが チェンバロよりも素敵な音色、もうすこし響いて、艶やかかな、  いいですね。