Love our lives

人生の一コマ一こまを 愛し慈しんで 残したい。
ステキな庭のバラを! 旅行のスナップも そして大切な家族の素顔も!

ポトスライムの船   津村記久子

2009年06月27日 18時47分23秒 | Books

  ポトスライムの船     津村記久子

 小説を手にするのは、久し振りだ。しかも、芥川賞受賞作品だなんて、およそ自分の好みではないのだが。 主人公がピースボートに乗船したいという夢を持ちながら日々様々な周囲との交流、ときに軋轢にもはまりながら生活してゆく、そういった話である。 作者が大阪の人であろうから、文体が大阪弁であり、慣れるまで少し時間が掛かる。 大阪弁といえばすぐお笑いを想像しおもろい といったことを期待するが、ここでは大阪人の心の動きといったものを感じる。

 そう、この本を手にしたきっかけは このピースボート という言葉が引っかかったからである。 何故ピースボートなの?という答えは出てこなかったように思うが、どんな人が?或いはどんなに努力、工夫してピースボートを目指しているのかな?という好奇心であった。  

 自分の20才代の生活を思い出す。 お金には細かかったな。かつかつで月々生活していたな。 

 


リンゴが教えてくれた事   木村秋則

2009年06月26日 06時48分10秒 | Books

 リンゴが教えてくれた事    木村秋則

 昨年の奇跡のリンゴ 以来2度目ですね。  言葉、文章にしてしまえば、さらりとなってしまうが、これを実際に生きてきたことは実は我々には想像も出来ない。しいて云えば、同じ体験をした人でなくては理解できないのだろう。 自死を決心して、というか無我の境地で足が自然に死へと向かう、この境地は言葉ではわかりそうだが、果たして実際はいかがであろうか?

 Baikinmanのいつも話す言葉、自然には何一つ無駄なものはない。

これだけ科学が進歩してきても人間は、生物を誕生させる事は出来ない。

 同じような言葉が秋山さんの口からでてくる。 自然に対して謙虚な方は、みなこのような思いを持っているのだろう。

 無農薬、無肥料を始めて9年間収穫がない。収入がないということだ。 そして、果たしてその後毎年収穫が出来るのだろうか?という不安の中、秋山さんの津軽人魂はもちろん家族の協力あってこそだろうな。  

 全てを疑ってみて、自分で確認して、納得すれば、一人でもやってゆく。

 花に優しい言葉をかけるときれいな花が咲き、ながもちすると。

 手間暇惜しむものにいいものなし。

 おもしろいことに 大根は土中で回転する。

 キュウリのヒゲが巻きつくか?巻きつくキュウリは真っ直ぐ伸びる。

 土がよくなればムシは来なくなる。バランスのとれた土壌で、農薬を投与しなければ害虫は発生しない。害虫はとりわけ未完熟堆肥を入れた作物に集まる。

 自然の野菜の葉は淡い緑色。

 土は上からつくる。

 なで腐るものと腐らないものが出てくるのでしょうか。自然のものは枯れていきます。人がつくったものは腐ってゆきます。

 すべては観察から始まる。

 


メメント・モリ   藤原新也

2009年06月25日 20時24分26秒 | Books

 もう7~8年前になるか、南信の駒ヶ根美術館に行った時にこの藤原新也さんのメメント・モリの写真を初めて見た。 イヌに食われている死んだ人の写真にゾットしたのを覚えていた。その後もう一度見ることがあった。その時には、『人間は犬に食われるほど自由だ』という言葉を覚えた。 今回新聞にこの人の記事が載っていたので思い切って手にしてみた。

 藤原信也さんは写真家なので写真集であるのは当たり前なのだが、実際手にしてみてようやくそれとわかった。一枚一枚の写真に彼の短いコメントが記せられている。

 先ず最初に 『ちょっとそこのあんた、顔がないですよ』とあるが、私には余計なお世話だと言い返したい気持ちになる。これが俺の顔なのだ。人の顔色を見て自分の顔を変えるつもりはないのだ!

 『いのちが、見えない。生きていることの中心(コア)がなくなって、ふわふわと綿菓子のように軽く甘く、口で噛むとシュッと溶けてなさけない。 死ぬ事も見えない。  中略  本当の死が見えないと本当の生も生きられない。』 死というと、死ぬ時の様子、或いは死後のこと、死による自己の消滅への恐怖、などがすぐに思い浮かべられる。 しかしそれらについては、自分の力ではどうしようもない事なのだ。 そう、大切なのは自分の死までの時間に、自分の生をいかに納得させられるか、何かを成し遂げられるか、いや途中で途切れてしまうか、どちらでも良い、自分の置かれた境遇の中でいかに精一杯努力したか、あるいは自己の生き方に満足できたかである。

 『にんげんは犬に食われるほど自由だ』 他者の視線に煩わされるな。 もう時間はそうは残されていないのだ。

 『死とは、死を賭して周りの者を導く、人生最後の授業。』 これと同じような言葉を茂木健の言葉にもあった。 今はこの言葉がどうもわが身に良く響いてくる。私の親父は心筋梗塞で2時間苦しんで、私が病院に着いたときには既に旅立ってしまっていた。その後、私はこの家の名目上実際上も家長となったのだ。 いつか私にもこのときが来る。 子ども達はどのように受け止めるであろうか。 なんだか少し先々を考えすぎて居るような気もするが、どうであろう?

 『黄色と呼べば、優しすぎ、 黄金色と呼べば、艶やかに過ぎる。朽葉色といえば、人の心が通う。』  そうです、生きているということは、この色になるという事です。地味な色ですが、軽すぎず、派手すぎず、奥の深い味わいのある色です。

 『ひとがつくったものには、ひとがこもる。だから、ものはひとの心を伝えます。ひとがつくったもので、ひとがこもらないものは、寒い。』 そうだね、心の籠もった物を作りたいね。そうでないと、寂しい。

花がゆれる。 花の影がゆれる。                 光には発情が、影には死が見える。                  死を想え。                           生の真っ最中                         光優々と、ふりそそぐ                     あの景色を見てから瞼を閉じる。

 いのちのある限り、精一杯努力し、生を味わい、             生を終える時 後悔せぬように。


空 日がな一日

2009年06月25日 12時05分30秒 | daily life

 久し振りに 朝からなんの予定も入ってない。 こんな時には、山の畑に出かけてリンゴの最後の摘果をしてしまおうと6時からchachaさんと早起きして出かける。 昼前 chachaさんは ヨガ教室へ、私は一人庭を眺めている。 いまは 白い柏葉アジサイが美しい。清楚な感じがして好きだ。   するとそこへフワーッと風に乗って何かが舞ってきた。と思っているとその白いアジサイの中に埋もれてしまった。 あー、モンシロチョウなのだ。 そう気付くと、ひらひらと羽根をはば立たせて周囲の花々の巡り歩いてまたもとの白いアジサイの中に潜んでしまった。 ここからは全くわからない。擬態という言葉があるが、この場合にも当てはまるのだろうか。  その様子を眺めていると、じゃ人間の擬態というのはあるのだろうか。あるとすれば どういった状況なのだろうかと想像しようとしたが、思い浮かばない。  思いつかない。  なんだかこの蝶が羨ましくなって来た。  時には私も何かに身を隠して潜んで見たい。

 写真は 先日の菅平での雨上がりの後の青空

 白洲正子さんの言葉                     『おかしい時は 何が何でも全ての事を打っちゃってしまえ』


菅平高原 富田ペンション

2009年06月21日 20時31分47秒 | Short trip & intereting sights

 久し振りに 菅平冨田ペンション に行ってきた。ミカンさんにジャズフェスティバルが有るからと誘われたのだ。 ジャズは長野周辺の愛好家のグループであった。スイングジャズが多くて懐かしく、聞くだけではもったいない、合わせて踊れたらと思ったほど。

中休みには 仲間のペンションの奥さんたちからの美味しいクッキーの提供がありお茶で一息。

 さて 久し振りの富田ペンション  ミカンさんの働きですっかりリニューアルされてました。 すごい がんばったんだなー!  年季が入って更に味わいが感じられる。

片付けの後 今花盛りの 蓮華つつじを案内してくれた。

 


上野公園

2009年06月18日 20時15分45秒 | Short trip & intereting sights

久し振りの上野公園です

西郷さんの像を見たのは初めてでした。

西郷さんの 座右の銘は 敬天愛人 という言葉だそう。

公園では いつも行く度に 南米ペルーの音楽が流れているように思う。

続いて 東京芸術大学に向かう。すると博物館の西に このような立派な門が。 これが有名な黒門か!


奇跡の脳     ジル ボルト テイラー

2009年06月16日 20時22分36秒 | Books

 作者のジルボルトテイラーさんは 37歳の時に 脳動静脈奇形からの出血で倒れた。それまでは神経解剖学者として ハーバード大学、インディアナ医科大学などで活躍されており、まさにその解剖学者が脳卒中を患った訳である。 しかし、ここは 彼女の医者としての好奇心というか、矜持を持って自分の疾患の状況を分析してゆく、その緊張感が読みながらひしひしと伝わってくる。

 彼女の言葉で 自分は以前とは違う人間に生まれ変わったと。けれども日々のリハビリの努力で持って、再び社会にカムバックし活躍できるようになったと。

 彼女がラッキーだったところもあっただろう。

 しかし彼女が云いたいのは、それではない。回復までに必要だった40のこと  と記したなかでいくつかピックアップした。

●あなたの身振りや顔の表情が私に伝わっている事を知っていて

●私に直接話して。わたしのことについて他の人と話さないで

●脳は常に学び続けることが出来ると、固く信じて

●励まして欲しい、例え20年掛かろうとも、完全に回復するのだと       期待を持たせて欲しい。

●小さな成功を全て讃えて下さい。それが私を勇気付けてくれます。

●現在の私をそのまま愛して。今では前とは違う脳を持っているのです。

 その他に  

 回復への挑戦に立ち向かう勇気を与えてくれたのは、紛れもなく、こうした無条件の愛と支援であったと。

 会話する事はもちろん出来ませんが、訪ねてきた人たちがちょっとのあいだ部屋に入ってきて、私の手を取って優しくゆっくりと、かれらがどんなに私の回復力を信じているかを伝えてくれると、とっても嬉しい。逆に、ものすごく心配よ、という負のエネルギーを発散しながら入ってくる人に対応するのは、とても辛い。与えてくれるエネルギーがどんな種類のもんなのか、責任を持って下さい。極端に神経質で、心配しているか怒ったように見える人たちは、治療には逆効果なのです。

 私がすごく大切だと思ったのは、感情が体にどのような影響を与えるかということ。喜びというものは、体の中の感覚だったのです。

 最後に  深い心の平和というものは、いつでも、誰でも掴む事ができるという智恵を授かりました。涅槃(ニルヴァーナ)の体験は右脳の意識の中に存在し、どんな瞬間でも、脳のその回路につなぐ事が出来るはずなのです。  

 彼女は左脳を患い、左脳からの干渉から開放されたのです。すると右脳による涅槃の状況を体験できた。 しかし、やがて脳細胞が新たなネットワークを再構築するにつれ、言葉や運動機能など回復し左脳も再び活動できるようになった。 人間の回復力はすごいものがあるのだなと感心した。 我も諦めてはいけないな。