私の祖国は 世界です 玄 順恵
4年振りに再読しました。 先日Chachaさんと彦根に行きました。そして明後日から長浜、小浜へと観光に行く予定です。この琵琶湖周辺は、学生時代から何故かこころ引かれる土地なのです。前回この本を手にしたとき、この地域には日本の古代大和朝廷が出来る以前から、朝鮮半島から多くの優秀な朝鮮人が渡来し、この土地に根を張り文化を広めてきたとの記載が心に深く残っていた。そんな訳で、今回もう一度と読み直してみたくなったわけである。
作者の 玄 順恵さんは 小田 実さんの奥さんである。名前から分かるように彼女は在日二世である。彼女は7人姉妹の末っ子だそうで、姉の中には自己の選択で北朝鮮の国籍を取りその地で亡くなって行った方もおられたそうである。そんな家族の中で多くの在日の方と同じく自己のアイデンティティーについて悩んでこられたようだ。いつも人には『Korean born in Japan』といっていたようです。若い頃に、韓国の詩人金 芝河が韓国で拘束された時その解放にむけて運動していた小田実と知り合い、それから結婚に至ったようである。その後、小田実が世界各国で生活するようになり、彼女の人生観、世界観もこの本のテーマのように大きく変わっていったのでしょう。
この玄 順恵さんの本職は、水墨画家である。そしてその画筆は、日本でもなくまた 中国でもない、朝鮮の画筆だそうである。 そういえば、この本の各章の前頁に挿入されている彼女の絵を見ると、あまり眼にしないタッチである事がわかる。 『西洋画は画面いっぱいを埋め尽くす為に、様々な道具や手法を使って構築してゆくが、東洋画の場合は余白が語ることを重視する。画面を埋める筆と、埋められないよはくはいつも共鳴しあって対をなしていること。それは西洋画が常に写実であったのに対し、水墨画は徹底して写意であるからだろう。』 なるほど、こういわれてみれば、西洋画と東洋画の違いが納得ゆきます。
文中からこころに残る言葉ですが。
『歴史に進歩は、人間の自由がどれだけ拡大し、保障されているかによってはかられるものだろう。』 なるほど、これまでの人類の歴史を見ると、民衆人々の自由獲得の為の戦いの歴史である。現在、多くの国が 民主主義を謳うようになって来た。しかし、国家の存続に関わる(少し大げさ)ような一大事には、個人はまだまだ犠牲というか二の次とみなされてしまうようだ。個人より国家が大切だと。すなわち国家あっての市民、いや国民なのであろう。
『異質な価値が強制できる社会は、人間にとってもっとも平和でよい社会であるに違いない。』
さて、明後日からの旅行、白洲正子さんの文章からも読み取れるが、『この鎮守の杜の神を祀る農耕共同体の豪族中の豪族は、百済、新羅からの移住者であった。』 そんな片鱗が 読み取られるような出会いがあれば嬉しいのだが。