Love our lives

人生の一コマ一こまを 愛し慈しんで 残したい。
ステキな庭のバラを! 旅行のスナップも そして大切な家族の素顔も!

石光真清

2008年09月26日 21時32分55秒 | Books

 石光真清さんの 手記4冊を読み終えました。2冊目廣野の花、3冊目望郷の歌、4冊目誰のために、の3冊を 新たに読み終えました。
石光さんは 日清戦争時代から ズーットシベリア、満州に関わって生きてこられた。最後になって息子にこう話します『お父さんは失敗したんだよ、なにもかもね。・・・どうも人生観というか、近頃の新しい言葉で言えば社会観というのかね、・・・人間を信じすぎ、人情に溺れてね ・・・世の中というものは、それだけで動いているものじゃなかった。・・・』 シベリアの、満州での人々と共に苦労して生きているうちに世界の流れというか移り変わってゆく社会観から 取り残されてしまったのであろう。 この石光さんの生い立ちを見ると、この時に植えつけられた人生観のまま 生きてきたのであろう。この方の母の言動をみれば この石光さんをしっかり支持しているのがわかる。しかし、時代、社会観が変わろうとも 石光さんは自分の生き方、社会観に忠実に守って生き抜いてきた。たとえ世間的には失敗者のように見えても。
 彼の長い他民族との交流の中から『国籍が違っても階級が違っても、人間の生活感情や思想は互いに共通する部分の方が、相違する部分より遥かに多いのに、相違点を誇大に強調して対立抗争している。僅かな意見の相違や派閥や行き掛かりのために、ただでさえ不幸になりがちな人生を救い難い不幸に追い込んでしまう。・・・一国の歴史、一民族の歴史は、英雄と賢者と聖人によって作られたかのように教えられた。教えられ、そう信じ己を律して暮らして来たが・・・だが待て、それは間違っていなかったか。野心と打算と怯だと誤解と無知と惰性によって作られた事はなかったか。』 なるほどと、中国史を見るとよくわかる。やくざが、馬賊が 皇帝の座を取り合ってきたではないか。
 もう一つ息子へ『将来も・・・だよ、将来も決して大陸へなんか行くんじゃないよ。いいかい。内地で良い家庭を持ち、良い仕事が出来れば、それが一番さ。』と。この言葉とは少し意味あいが違うかもしれないが、日本人は日本にいるのが良い。世界に出れば日本人だからという事でいい事もあろうが 悪い事もある。やはり人種、民族差別は 拭いきれない。 世界はまだまだコスモポリタンではないのだねと 家内が奇しくも的を射た言葉を語った。
 そして最後の一言。上官から『君は一体、誰のために働いているのだ、ロシア人のためか?』 この言葉への返答は無かったが、上記の言葉にある述懐に表われているように思う。
 一人の波乱万丈の人生を自己に忠実に書き込まれた手記によって眺められた。自分のこれまでの人生を思い返し、これからの生き方に大きな視野を与えてくれたように思う。      

おくりびと

2008年09月26日 08時46分24秒 | Movies

 Sacchanと二人で久しぶりに映画館へ

   最近の映画を見るのは クリントイーストウッドの硫黄島関係  

   の映画以来である。

   今時の若い俳優さんが,  なるほどカッコエーナー と感じ

   つつ観ながら 頬に涙がこぼれていました。

   観ながら Ma-クンの影響か 脚本を考えながら観ていたのを

   感じた。 なるほど、話ばかりを追うのではなく、脚本を考え

   ながら観るのも面白そうだと思った。

   観終わって、涙もそそったし まーまーよく出来た作品かな

   といった感想。  いまひとつ物足りなかったのは

   私には この作品の主題がはっきりつかめなかったことかな。


区民祭

2008年09月25日 08時48分09秒 | Short trip & intereting sights
順序が逆ですが これが 最後の予定で下。
これは、大人のみこし。これも車で引っ張っています。
ただ、笛と太鼓は本物です。 最後に 踊り、を舞ったソウダさんがのんびりと役目を果たしたといった顔で付いてきました。  これがこの地域の秋祭りですね。 href="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a6/b697bdb9fd61465b23adea67c4bc089e.jpg">

 今年 地区の公民館長を引き受けた。これまで全くといって地区のこととは関らなかったが 順番ということでいつかは受けねばならないのだからと思ってうけたのだが。  初めての区民祭。 こんなに多くの子供たちがこの地区にいたのだと 実感。彼らが楽しそうに 花火を楽しんでいる様子を見るのもいいもんだ。

 これは 当日午前中に行われた子供みこしである。今は担ぐのではなく、車で引っ張っている。 元気のないのは、親の後姿。

実録 連合赤軍

2008年09月21日 18時54分51秒 | Movies
 
 写真は 先日の旅館に飾ってあった 日本画家 加山又造さんのリトグラフです。 さすが とじっくり 眺めてしまいました。 スゴイ デッサン力ですね。

 もう3週間前になりますか、この映画 実録連合赤軍 を見てきた。今頃何故かというと、自分の高校時代をもう一度見直してみた方からだ。私の高校時代は 受験競争と そう日本中の大学に吹き荒れていた学生運動であった。 あさま山荘事件は、私がちょうど高校を卒業しようとした春の事件でした。その前の歳、通っていた高校の同学年の中に この学生運動に啓蒙された学生がいて、当時男子生徒は丸刈り頭が校則で決められていたのだが、これを変更しようとして全校集会が開かれて、その場で訳のわからぬいちゃもんみたいなことを声高に語っていた。そんな程度であったが 我々も 訳がわからずとも ニュースに気が向いていた。 そして翌年は 東大が入学試験を中止し、 私も機動隊に守られた中で大学受験をした覚えがある。 当時の 核丸派、中核派、などその違いは何も知らなかった。

 この一連の学生運動が収束してからは、日本の大学生は政治に無関心となった。
 あさま山荘事件の時、彼らは孤立無援となったが、もし、彼らを支援する為に各 地の大学その他で彼ら支援の運動が起きていたら?
 しかしもうその当時は 彼らの運動は、学生や一般市民からは全く遊離してしま っており支持は無かった。 人々は、傍観者となっていた。これは、今、現在も 同じである。 人々は、政治に関して傍観者である。お茶の間テレビのコメント にただただうなずき自分の意見を持っているかのような欺瞞的錯覚をしている。
 
 この連合赤軍のリンチ事件を見ながら、組織に加わると、その組織を守り維持す る為に、個人が犠牲になる。見せしめの生贄となる。 また 孤立すると、自分 を客観的に見られない、判断出来なくなるのだと思った。
 これは 今の国会議員にもいえると思う。 一人では何も出来ない。党に入ると
 党に拘束されてこれも思うようには何も出来ない。

 私個人は、組織の中では働けない人間だと思っている。    
    

脂漏性角化症  老人性いぼ

2008年09月21日 06時55分57秒 | daily life

  また出来てしまいました。 今年の春ごろは大きな黒いシミだったのですが

     このところ 次第に大きく盛り上がってきて 顔を触ってもボコット気になる。

     2~3年前には背中に突然出来て これは麻酔下で 抉り取った。直るまで

     2週間掛かった。今回は どうするのだろうと、顔だし、2週間も絆創膏は

     チョット! という感じで 皮膚科へ行きました。

     『そうですね これは液体窒素ですね。』

     『痛いですか?』

     『いえ、少ししみる程度ですね』

     『日を改めた方がよいですか?』

     『いえー・ ・ ・』

     内心今日のつもりじゃなかったのだが 『じゃ、今日やってもらえますか?』

     『はい!』   小さな容器に入った綿棒を持ってきて イボの上から

     何回か 押さえている。 冷たさが伝わってくるし ややしみるように痛い。

     この間 僅か 3分ぐらいかな いや2分かな?

     『はい、 これで2週間程度で かさぶたになって 剥れます。 跡はこの

     黒いシミは残りますが。 顔は 普通に洗ってもらってかまいません。』

     少しヒリヒリ シミシミ? していたけれど 痛み止めも出ませんでした。

     写真は 家に帰ってからすぐの状態。周りが少し腫れぼったくなってますね。

     さぁ、 2週間後は  どうなっていることでしょう?    

     


ミスキャロライン

2008年09月20日 21時33分34秒 | rose

  今年はじめてのデビュー

           ミスキャロライン でーす。 

   やや小さめの花輪でさらに小さな花びらがクシュクシュクシュ

     どう  可愛ゆくない!

     今年の 新顔はこの他に

       オフェリア    ポリー

        ミセスチャールズランブロー  ラ・トスカ

    この 薔薇というヤツは 人の持っている薔薇も欲しくなる

    けれど   また 誰も持っていない薔薇も 密かに育てて

    いたい  という 欲望が湧いてくる。

    今年は 冬肥をしっかり施して 夏は何もせんどこうと

    思っていたのですが  やはりこの時期 花数が少ないよで

    寂しいですね  やはり 7月から8月にもう一度

    肥料を上げたほうが  秋楽しいようです。 

 

 


今日は 曇り

2008年09月18日 08時17分06秒 | daily life


 南から 台風が来ているらしく 今朝から風が強く 天気予報では 終日 曇り
写真は おそらく 7月頃の わがやの庭ですかね?

昨年 内山節 産の 本を読んだり 講演に行ったりで随分感化されました。
今年も 講演があったので Sacchan&Yuchan を誘って行ったりもしています。

その中で 変わらないこと の大事さを感じています。
変わらないことにより 私たちは 安心して 将来迎えることが出来る訳です。
今 サブプライム問題を発端として 金融が揺れ動いています。年金や利子で生活している人たちは お金の価値にすごく敏感になっている事でしょう。安心してお金を使う事もできずらいでしょう。将来の設計もしずらいでしょう。 このように
日々の生活を支えている基盤が崩れてしまうと安心も崩れてゆくのです。 その他
温暖化、とか 医療費、交通なども思いつきますね。

 また 変わらないことというか 変えない事も大変難しい事のようです。時代が
どんどん変化してゆく中、変えずに維持、継続するということは 大変な工夫、努力が必要です。 たとえば 伝統芸能の世界、歌舞伎、能、などですかね。

 先端技術の開発はもちろん大事ですが、昔からの生活、技術を継続、維持する事もそれと同様大切にしてゆかなくてはと思います。

ろくざん美術館

2008年09月16日 18時11分52秒 | Art

 35年振りに訪れてみた 信州穂高の荻原ろくざん美術館です。
以前は 有名な入り口の写真一棟だけでしたが、現在は3棟に増築されていてすごく立派になっていました。 この3棟の中では 以前の第一棟にろくざんの作品、年譜が集約されており、他の2棟には 同時代の彫刻家の作品が展示されていました。 今回改めて知ったことですが、ろくざん享年31歳という若さで亡くなっています。そして 国の重要文化財の指定となっている ’女’、叔父さんの頭像などは、彼の晩年近くに製作されていますね。 これらは 眺めれば眺めるほど、内から味わいというか、そのものの本質が感じられてくるような気がしました。
 彼は20台で資金稼ぎにアメリカへ渡り、その後フランスでロダン、ブールデル、マイヨールなど有名な彫刻家と知己になり開眼していったようです。
 そう、英語もフランス語もこなしていたのでしょうね。

 写真は 第2棟の入り口にあった言葉です。 なかなかよい言葉ですね。

 上記の2つのろくざんの作品を鑑賞するだけでも行った甲斐があったように思います。

花托の会  安曇野

2008年09月15日 11時28分16秒 | Short trip & intereting sights

  花托の会を 今回は 安曇野で開催しました。

   宿は 葛温泉の かじか荘 

   こんな山奥の隠れ家のような宿ですが、仲間の2人が

   知っていました。 

   学生時代の仲間というのは 上下優劣分け隔てなく

   本当に楽しい一晩の語らいの時ですね。 

   家内にも話せないことまで口に出せるしね。

   

 

 

    


サフォーク ラムチョップ

2008年09月11日 19時48分51秒 | 旨い物

 もう Ma-君の夏休みもおしまい

    いろいろ手伝ってもらったし フロにも 行きたかったし

    ということで 信州新町のサフォーク牧場のある

    さぎり荘へ行く事にした  ここには温泉もあって

    今日の目的に ピッたし!

    写真は ラムチョップ  とても柔らかいお肉で

    お値段もいいですね 実際は半値でもイイかなというところ

    温泉は ぬるくて この時期 ピッたし

    ゆっくりと 湯に浸かって  瞑想!

    さぁ Ma-君  16日から 後半戦ですね

    充実した 学生時代を送れよ!  


デッキペイント

2008年09月10日 07時36分37秒 | daily life

 どうですか この見事な仕事振り

   Ma-君の夏休みのお手伝いです

   しかも 自分から デッキの塗りなおしをしなくっちゃと

   天気も良さそうだしということで 一人でし始めました

   キシラデコール 4リットル8,000円

   2度塗りで 1缶終わる

   Sacchanも 私も 何も手伝わなかったです

   アー 我息子ながら 頼もしいです   

 


秋の気配

2008年09月09日 08時40分28秒 | daily life
今朝 いつものように半袖姿で自転車で仕事場に出かけましたが、風を切ると少し肌寒く感じました。 そして、昨日までは少し汗をかいたのが、爽やかにさらさらとした肌のまま。  この空気は 大陸からの乾燥した秋の大気だと感じた。 いま、石光真清さんの大陸の本を読んでいる最中だが、大陸がこれほど身近に感じたことはなかった。 こと果てない大陸で明治時代から多くの日本人 男も女も 渡って生きていたのかと思うと、一度行っててみたくなってきた。  ハルピン、ハバロフスク、ウラジオストックと。

井上ひさし さん 信州岩波講座

2008年09月06日 18時44分36秒 | 講演
 今年2回目の信州岩波講座  講演者は 井上ひさし さんでした。
 テーマは『ふるさと』

 話しは 3人の日本人を紹介しながら進められました。
一人目は、ペシャワール会代表の 中村哲さん。 この方は1980年代に海外青年協力隊員として パキスタン、アフガニスタンに出かけ、現地でゴム草履の普及に努め、続いて井戸を掘ることに努力され、次第に現地の人々の信頼を得て今日まで発展されてきた人だそうだ。この井戸を掘るには資金が必要でありその資金集めに、ペシャワール会というのが設立されたそうだ。多くの会員がいるようで、会の収入は5億円。そのなんと97パーセントが 現地に送金されるそうだ。この会のスタッフはほとんどボランティアである。 これまでに1800以上の井戸が掘られて、最近では井戸だけでなく用水路まで建設するようになったそうだ。
 これから2人目先日殺害された伊藤さんに移る。昔といっても40年ぐらい前までは、このアフガニスタンは緑豊かな土地であったそうだ。しかし、ソ連のアフガン侵攻、さらにその後の大旱魃により今の砂漠化した荒野になってしまった。
この大地に再びみどりを取り戻そうというのが この伊藤さんをはじめ、ペシャワール会の目標になっていたこのような活動は現地の人々からの信頼も得られ、中には 是非うちの娘を嫁にもらってくれ、そしてお前の両親もこの地に呼んで一緒に暮らそうではないか、と言う人も現れていたそうだ。  しかし皆が同じように思っていたわけではなく、日本が給油している石油で以ってアフガニスタンの爆撃が行われているではないか。これは日本がアメリカとぐるになっておりペシャワール会の活動はむしろ目をそらす為の策略ではないかと疑い、その結果伊藤さんのような事件に繋がってしまったようだ。
 次に山形のラスクで有名になったシベールの創設者、熊谷しんいちさんについて。私がこのように成功できたのは、地元の人々の支援があってこそであり、この土地をより豊かにするために投資をするという話しでした。
 自分で拠って立つところができれば、どこにでもふるさとはできる。 この伊藤さんにとっても、志は半ばであったが アフガニスタンという土地にしっかりと根付いた人生を送っておられた。かれにとってもこの土地は第2のふるさとであったろう。

 もう一つ日本人は一斉に一つの方向に流れやすいので気をつけましょうと。



靖国 YASUKUNI    リ・イン 監督

2008年09月04日 20時43分38秒 | Movies
ここ長野でもようやく放映されました。 中国人リ・イン監督の映画 靖国。
内容は  靖国刀の製作と 8月15日の靖国神社での 様々な参拝者の様子である。  この映画だけでは 何を表現しようとしているのかよく理解できない。
 ありのままを撮影して 観る人に自由に 素直に感じさせ、考えさせるというのか?  わたしは 途中で 出てきてしまった。 手渡された解説レジメを読んで多少はなるほどと思ったけれど、映像からだけでは やはり私の浅学では 何も浮かんでは来なかったであろう。
 靖国といっても ホントに様々な人、考えを持った人が集まってきているのだと思った。 しかし、お国のために亡くなった人々をお国が慰霊して何が悪い、というのが大方の考えである。この靖国の発祥は、明治維新時,討幕に尽くした人に対して天皇が慰霊したということから始まる。この慰霊という行為は ある意味で 顕彰行為であり多分にに政策的行為だそうだ。 要は お国の為、天皇の為命を捧げる事は 名誉の行為になるというのであろう。 慰霊と 鎮魂とは違う。一方的にこの靖国神社に奉られた人も多かろうが、みんながそれを望んでいたわけではなかろう。 安らかに鎮魂を願う人、残された人もいるだろうに。 
 もう一つ、この日本軍に嫌な思いをした外国の人々にとっては この慰霊の為の靖国はどう映るのであろう。