石光真清さんの 手記4冊を読み終えました。2冊目廣野の花、3冊目望郷の歌、4冊目誰のために、の3冊を 新たに読み終えました。
石光さんは 日清戦争時代から ズーットシベリア、満州に関わって生きてこられた。最後になって息子にこう話します『お父さんは失敗したんだよ、なにもかもね。・・・どうも人生観というか、近頃の新しい言葉で言えば社会観というのかね、・・・人間を信じすぎ、人情に溺れてね ・・・世の中というものは、それだけで動いているものじゃなかった。・・・』 シベリアの、満州での人々と共に苦労して生きているうちに世界の流れというか移り変わってゆく社会観から 取り残されてしまったのであろう。 この石光さんの生い立ちを見ると、この時に植えつけられた人生観のまま 生きてきたのであろう。この方の母の言動をみれば この石光さんをしっかり支持しているのがわかる。しかし、時代、社会観が変わろうとも 石光さんは自分の生き方、社会観に忠実に守って生き抜いてきた。たとえ世間的には失敗者のように見えても。
彼の長い他民族との交流の中から『国籍が違っても階級が違っても、人間の生活感情や思想は互いに共通する部分の方が、相違する部分より遥かに多いのに、相違点を誇大に強調して対立抗争している。僅かな意見の相違や派閥や行き掛かりのために、ただでさえ不幸になりがちな人生を救い難い不幸に追い込んでしまう。・・・一国の歴史、一民族の歴史は、英雄と賢者と聖人によって作られたかのように教えられた。教えられ、そう信じ己を律して暮らして来たが・・・だが待て、それは間違っていなかったか。野心と打算と怯だと誤解と無知と惰性によって作られた事はなかったか。』 なるほどと、中国史を見るとよくわかる。やくざが、馬賊が 皇帝の座を取り合ってきたではないか。
もう一つ息子へ『将来も・・・だよ、将来も決して大陸へなんか行くんじゃないよ。いいかい。内地で良い家庭を持ち、良い仕事が出来れば、それが一番さ。』と。この言葉とは少し意味あいが違うかもしれないが、日本人は日本にいるのが良い。世界に出れば日本人だからという事でいい事もあろうが 悪い事もある。やはり人種、民族差別は 拭いきれない。 世界はまだまだコスモポリタンではないのだねと 家内が奇しくも的を射た言葉を語った。
そして最後の一言。上官から『君は一体、誰のために働いているのだ、ロシア人のためか?』 この言葉への返答は無かったが、上記の言葉にある述懐に表われているように思う。
一人の波乱万丈の人生を自己に忠実に書き込まれた手記によって眺められた。自分のこれまでの人生を思い返し、これからの生き方に大きな視野を与えてくれたように思う。