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寡黙なる巨人    多田 富雄 

2009年02月15日 18時02分17秒 | Books

 寡黙なる巨人   多田 富雄

 著者 多田 富雄 さんの紹介。 1934年生まれ。世界的免疫学者。 内外の多くの賞を受賞、1984年には文化功労者。 能学にも造詣が深く、新作能の作者としても知られ、大蔵流小鼓を打つ。 2001年、脳梗塞に倒れ、言葉を失い右半身不随になった。しかし、重度の障害を背負いながら、現在も著作活動を続けている。障害者の先頭に立ち介護制度の改悪に抗議し続ける著者は、自分の中に生まれつつある新しい人を 巨人 と呼ぶようになった。

 脳梗塞を患った時の様々な症状が、患者の表現で書かれている。 例えば麻痺した手足は驚くほど重い。鉛のように重く感じるし、腕は突っ張ったまま動かない。私は自分の腕を無用の長物で、邪魔になるばかりだと思った。麻痺は動かないといった生易しい苦しみではないのだ。 麻痺が起こると、筋肉の力が入らないのかといえば、そうではない。体はだらりとしているわけではなくていつも緊張している。力を抜く事の方が難しい。

 次にリハビリについて。 優秀な療法士は、合理的な指導や科学的な裏づけの元に、あらゆるトリックを駆使して、不可能だった運動を可能にする。目的を知悉した、熱意ある訓練が必要なのだ。 リハビリとは人間の尊厳の回復という意味だそうだが、私は生命力の回復、生きる実感の回復だと思う。

 リハビリをしながら若い人たちの間を車椅子で回っている。すると、あのころは希望に満ちていた。しかし未来は茫漠として、何一つ確かなものは見出せなかった.。 今、重度の障害者となり、同じ不安の対面している。

 私は新しい人間が私の中に生まれつつあるのを感じている。のろまで醜い巨人だけれど、彼は確かにこの世に生を受けた。この様子ではなかなか育たないだろう。それでもいいのだ。私は私の中に生まれたこの巨人をと、今後一生付き合い続け、対話し、互いに育てあうほかはない。私は自分の中の他者に、こうつぶやく。何をやっても思い通りには動かない鈍重な巨人、言葉もしゃべれないでいつも片隅に孤独にいる寡黙なきょじん、さぁ君と一緒に生きてゆこう。

  まさに これらを読んでいると 多田さんの 生への励ましの書であるように思える。 人生 生ある限り 頑張り続けるのだと。 

 最後に  こうやって、些細なことに泣き笑いしていると、昔健康なころ無意識に暮らしていたころと比べて、今のほうがもっと生きているという実感を持っていることに気付く。  日々、生きていることに感謝。 些細なことにも眼を向けよう!   

                                       


2009年2月 息子たち

2009年02月13日 20時09分56秒 | daily life

さてこの頃の 我息子たちの様子である。

レオ君は 27歳となり、東京で年上の女性と同棲中。最近腰痛のために海外出張は控えているようである。運動にスイミングをしている。最近の目標は スペイン語検定である。彼の語彙が少ないのがネックになるだろうと思う。 今の彼女とは続かないだろう。彼を本当にサポートする女性に出会うには、彼自身が人生のの目標、生き方をしっかりと確立して置かねばならないでしょう。東京で10年以上アパート暮らし、宿無し居候暮らしをしてきたので、そろそろ 小さいけれど便の良いマンションを買ってやろうかと考えている。 少しは落ち着くであろうし、親も安心できる。

ゆうちゃんは 経済的には一番安心して見ていられる。暫くは修行であるが、その後については親は干渉しないで自分で考え判断するようにさせたい。人生自分で判断し、その結果については自分で負う。うまくゆけば 自分の手柄だし、自信にもなる。うまく行かなくても他人を憎まなくて済む。あと3年信大に務めな。

マサオくんは、大学に入る時進路に迷ったけれど、そして今も決めかねているだろうけれど、このところ一生懸命に活動している。そう、動いている事はきっと将来役立つだろう。将来のことはあまり考えずに今を一生懸命生きることだな。 きっと そのうち自分のやりたい事がぼんやりとでも見えてくるでしょう。

3人ともいい年になって来た。人生これから、さぁ、自分の人生楽しみなさい。おとうは それを眺めているのが一番のたのしみである。

おとうのこれまでの人生と比べながら見ていると、みんな今は頑張っているね。 安心してみてますよ。     


子どもにおくる 般若心経   新井 満

2009年02月12日 20時48分19秒 | Books

 全くといってよいほど知識の無いこの般若心経ですので、先ずは入門書からといった軽い気持ちで手に取りました。  般若心経は 信仰心の薄い我家で、ただ一つあるお経です。 開いてみてもほとんどその内容は理解できませんでしたが、常々いつかこれらのお経、即ち漢文を理解し納得したいと思っていた。

 先ず これは 観自在菩薩さんが 弟子の舎利子に語ったとされる言葉である。そして 西遊記で有名な玄奘が インドから持ち帰り漢文に翻訳したお経のひとつで、お経の中でも難解とされている。そして8世紀、奈良時代に日本に伝えられたそうだ。

 色即是空とは、この世に存在する形あるものは全て、変化した結果亡びる。

 空即是色とは、変化した結果、この世に存在する形あるものは全て、そこから生まれてくる。

 そこで、何がこれから生じてこようとも、できる限りの努力をした後は、全てを天にまかせ、あるがままを受け入れなさい。  この心境は自分が大学受験に再挑戦し、その結果を待っていた当時の気持ちに似ている。 万事を尽くして天命を待つ、といった心境かな。

 奇跡   あなたとは、無数のいのちが寄り集まりあって生んでくれた、奇跡のような存在でもある。

 感謝   あなたの命と、あなた以外の全てのいのちに、感謝しなさい。  あなたは、たった一人でこの世に生きているわけではないのだから。

 役割   何故あなたはこの世に生まれてきたのか? 役割を果たす為。そう、自分以外の他者と、人間以外の無数の命のために、何ができる? どのような良い事ができるか?

 五蘊皆空   この世に存在する万物は全ては変化し、やがて亡びて無にかえる。    色 とはこの世で眼に見える形あるもの。  受 とは暑い寒い苦しい快いといった感覚。  想 とは想像すること。  行 とは何かをなそうとすること。  識 とは眼や耳,舌、皮膚、鼻みよって知覚すること。    これら眼には見えない形なきもの、 受、行、想、識に 色も加えて、これら五蘊全て無である。さらに変化した結果、そこから再び様々なものが生じてくる。

 聖なる呪文  これは お経最後の箇所である

 ぎゃあてい

 ぎゃあてい

 はらぎゃあてい

 はらそうぎゃあてい

 ぼうじ 

 そわか      般若心経

 

 般若心経  これは空の哲学である。   これにより、何かにこだわったり思い悩んだりする事なくなり、こころにこだわりがなく、あるがままを受け入れるから、何かを恐れる事もない。  決して偉ぶらず、控えめで、常に平安な表情をしている。

 最後あとがきより     

 君の人生の役割は、君にしか見つけられない。こればかりは、誰も教えてくれない。苦しくとも、こればかりは自分一人で見つけ出すしか方法はないんだよ。  『だがね、一つだけヒントをあげるならば   』  君の人生の役割は、君が好きなもののすぐ近くにあると思うよ。 大好きなことをしながら、世の中の人々や、人間以外の様々な命たちを幸せにすることができたなら、どんなにすてきだろうね                 


ジャスミンの花開く

2009年02月12日 09時53分06秒 | Movies

NHKの深夜映画 『ジャスミンの花開く』 を鑑賞

 舞台は1930年代の上海 母と娘 茉 が居る。この茉は 映画が好きな十七歳ぐらいの子で、或る時 映画製作の社長に見初められ、母親の忠告も聞かずに家を飛び出して、以来女優として人気を博してゆく。ところが 日本軍の進駐で社長はホンコンへ彼女を置いて逃げていってしまう。置いてゆかれた 茉 はその時身ごもっており、生まれた子 莉 を邪険に育てていってしまう。 莉 もやがて年頃となり 共産党員の同じ年の青年と結婚するが、二人には子どもができない。そこで二人は養女 花 を引き取り 母親の 茉 と育ててゆくが、次第に 莉 は精神状況が不安定となり、それを気にしてか夫が自殺してしまい、更に 莉 も家を出てゆき戻ってはこなかった。後にはおばあちゃんとなった 茉 と 花 とが残った。 やがて 花 も年頃となり 青年と結婚するが やがて離婚に。だが やはりこの 花 もその青年の子を身ごもっていた。 おばあちゃんとなっている 茉は 花 に父親の居ない子を育てるのは苦労するから降ろしなさいと諭すが、 花 は 降ろしたからといって幸せになるとは限らないといって出産する事を決意している。そんな時、おばあちゃん 茉 は昔の自分の幸せであった時の思い出を胸に老衰で亡くなってしまう。 最後に一人残された 花 は、一人で出産の準備をしてゆくが、 深夜それも土砂降りの雨の中産気づいて、街にタクシーを捜して出るが、誰も助けてくれる人は見当たらない。花 は その雨の中一人で子どもを出産するが、この時の女の、中国の女性といってよいのか、強さは感じ入りました。 最後は自分を育ててくれた 茉 おばあちゃんと 養女として引き取ってくれた 莉 夫婦 の3人に囲まれて幸せであった幼少の頃を思い出してのシーンで終わりです。

 尚 この 茉 莉 花 を一人の女優が演じています。茉莉花は ジャスミンと読むそうです。

 中国の 茉 を中心に 男にはあまり恵まれなかった3代にわたる女性の人生が描かれています。 最近私は様々な苦難があっても綿々と続く、繋がる 人間の生の連鎖ということがいとおしく感じられてたまりません。この映画もそのような私の気持ちに響く作品でした。

 写真は TOYA のお姉ちゃんの年度細工作品です。彼女の結婚式に飾られていました。雰囲気をとても柔らかく優しく醸していました。