Love our lives

人生の一コマ一こまを 愛し慈しんで 残したい。
ステキな庭のバラを! 旅行のスナップも そして大切な家族の素顔も!

子ども部屋

2009年01月29日 16時31分51秒 | daily life

去年今年と我家の三人息子達が 年取り正月と過ごしていった。長男、次男と社会人、三男が大学2年で、普段はそれぞれの下宿生活である。 子ども部屋に3つの布団が敷かれるめったにないことなのだ。

 今日は三男が春休みでもう帰省しており、たまたま長男も帰ってきている。 三男はいま二月の演劇の練習と三月の旅行の計画を楽しみにしている。長男は、今の会社にも10年勤務して、会社の人と同棲している。 そんな長男と二人で運動公園のプールに行ってきたところだ。

 長男27歳、三男20歳、次男26歳、  いい年代だなぁ!

 自分のこの頃の年代を思い返して見ると、あまり将来の事は、考えていなかったように思う。そして不安感も持たず、ただ目先の課題、目標をのみ果たしてゆく事を考えていたように思う。

 今の息子たちはどうなんだろう? 父親として、彼らのこれからどのように精神的にも、経済的にも自立してゆくのか、どのような形で社会の一員として生きてゆくのか、眺めて逝く事ほど楽しみな事は無いように思う。

 口出しはなるだけしません。なぜならこの自分の人生を自分の判断で舵を取り生きてゆくほど楽しいことはないのに、それを横取りするような事はしたくないからです。        


ハイコンセプト    ダニエル・ピンク

2009年01月27日 20時20分51秒 | Books

ハイコンセプト  大前研一さん訳となっている

 これからの時代を見据えて どのように戦略を立てるか、等という大それた考えは無いが、それでも少しは覗いてみたいといった気持ちで読みました。 

 自分としては 多くの意見を聞いて、それらを自分なりに纏め上げ、または自分なりのアイデアを築き上げる力が欠けていると自覚させられました。 テレビ等マスコミからのの解説、読書などをしていてもなかなか自分の考えというところに到達しない。周囲に目を配っても結局何者も自分の中に生まれていない事に、脱力感というか自己への絶望感を覚えます。

 この本の中からの抜粋です

 ・答えのない社会を生き抜いてゆく能力      これは優れた個人の下で企業が栄えるというのが結論  突出した個人にはかなわない!

 ・これからは右脳主義      細かいこだわりは左脳 全体像は右脳  左脳は逐次的に処理し 右脳は全体的、瞬時に処理をする一般的に左脳は情報の分析を行い、右脳は統合を得意とする。右脳はばらばらの要素を集め、そこから物事の全体像を認識する能力に優れている。

 ・これからは専門力ではなく 総合力の時代である。

 これから求められる6つの感性センス

1、機能だけではなく デザインも優れていなくては     生活の中で最も重要なのは経験である。物ではなく経験する事にお金を使え。

2、議論よりも物語を語れるように   相手を納得させる話ができる能力が必要。議論での説得ではない。

3、個別よりも全体の調和   全体像を描き、バラバラなものをつなぎ合わせて、印象的で新しい全体像を築き上げる能力。

4、論理ではなく共感     成功する人というのは、何が人々を動かしているかを理解し、人間関係を築き、他人を思いやる能力のある人である。

5、真面目だけでなく 遊び心   笑い、快活さ、娯楽、ユーモアが健康面でも仕事面でも大きな恩恵をもたらす。仕事にも人生にも遊びが必要。

6、モノよりも生き甲斐   驚くほど物質的に豊かになった世界に住んでいるが、多くの人々が日々の生活に苦しむ事から解放され、より有意義な生き甲斐、即ち精神、心の充足を求めている。


カムイ伝講義   田中優子

2009年01月11日 17時52分23秒 | Books

 劇画『カムイ伝』、子ども達もSacchannに聞いても知らなかった。私が大学の頃だったか従兄弟の部屋でその全集を読みふけった事を思い出す。この本を手にするきっかけは昨年の石光真清さんの明治から一庶民として激動の時代を生きてきた手記を読んだのがそれである。今までは歴史の大きな変遷のみを教科書並びに歴史書から知識として知るだけで、この石光さんのおかげで、歴史のうねりの中で人々はどのように生きてきたのかということに興味を持つようになった次第である。

 カムイ伝はカムイというが 忍びとなって活躍する、その面白さに昔は魅かれて読み漁ったのだが、今回この田中優子さんの解説により、この江戸時代という時代の日本のありようが実に良く分った。 其処には 階級制度、があり、また自然の中で人々の自給生活の工夫あり、今まで私の知らなかったその時代の人々の生活が描かれていたのだ。

 印象に残る文節を綴る

 その時代いつでも仕事があり、汗水流して働き、多くの人が収入を得られるという豊かさがあった。

 現代人に(若者とは限らない)には夢がないわけではない。夢の中味が大地を離れ、宙を漂っているのだ。自分の身の底から出た夢ではなく、人から与えられた夢だからだろうか? そんなに金だけもって、その金で何をするのか?

 役に立たない存在は一つもない                しかもどれが良いということを規定する事は不可能で、・ ・ ・ であるからこそ、あらゆるものが役に立つ可能性がある。 ・ ・ ・ 動植物の世界は相互に補いあっているのであって、不必要や無駄が無く、カスもクズもゴミも存在しない。無駄や無意味やゴミを生み出すのは、都市生活や貨幣経済なのだ。

 江戸時代は書類によって左右される法治国家であった。

 生きようとすることは、そこに本人の意志があるかどうかということよりも、まず体がそれを望む、ということである。   中略   また、生きることに慣れすぎてしまった社会(それは豊かさに彩られた世界でもある)では、その錯覚が常識となる。そしてその常識に生きるものにとっては、仮にこれまで操ることのできた身体機能の一部が失われただけでも、たちまち、全体が崩壊してしまったかのようにおもわれてしまうのである。  中略   足を失った事よりも、男の命が残った事が彼らにとっての歓びだったのである。   中略    さらに付け加えておこう。生きようとする体に反して、それでも死にたいと人が思うのは、実はその多くが、単に社会性を脱ぎ捨てたい、と考えているからだ。そこで死を選択する事は、即ち、自分を取り巻く現状(社会環境)をどうにかしたい、またはそこから脱したいという願望を持ちつつも、実際には抜け出そうとする事も無く、死でもって解消しようとすることにほかならない(もちろん、すべての自殺がそうだとは言わない)。そして、その妥協へのはいけいには、どうせ変わらない(変われない、抜け出せない)という一種の絶望感が漂っている。確かにこの絶望は、抱いたものでなければ、理解できるものではない。  しかし、その感覚を覚えつつも、それでも己の体と共に、どうにか生き続けようとする人々も居るのである。 

 この不知火党の抱いていた壮大な夢(それは正助やカムイにも通じるところがある)は、決して彼らの代で達成されるようなものではなかった。だが、そのような大志を抱きつつ、時代を懸命に生き抜いた人々があった。

 この最後の一節が 実はこのカムイ伝の最も表わしたかった事であろう。  登場人物たちはそれぞれ置かれた環境、立場の中で 精一杯自分たちが、また次の世代が、社会が良くなるようにと懸命に生きていた。そこには自分の命さえ投げ出す事もいとわなかった。

 


Ma-kunnの成人式

2009年01月11日 17時31分07秒 | daily life

今日は 我家の末息子 Ma-kunの成人式である。 小学校の頃は体が弱くて、学校も儘ならなかったけれど、いつの間にやら二十歳らしい青年に成長してくれたようだ。健康が一番、夢を持って自分のやりたい事を追い求めてもらいたいね。 2年後には 普通ならば社会人になるのだが、生活を支える収入を得る仕事と、自分のやって見たいこととが違っても良いではないかな。趣味とか、自由時間にやりたい事はすれば良いのだ。  こう考えるのは、イササカ夢のない親の考え、希望であろう。 しかし格差の時代、すべりだい社会などという言葉を聞いていると、ついつい親ばかになって先ずは収入の安定をと考えてしまう。 長男のこともあるし、今の時代男は三十歳まで多めに見守ってあげようではないかね。 

 しかしこれから人生社会的にも一人前の大人として見られるわけだ。   できれば 大きな夢を持って出帆していってもらいたい。その夢に向かって行く様が、親としても一番の楽しみです。 


生き方    稲盛和夫

2009年01月04日 10時41分37秒 | Books

以前はこのような啓発本をよく読んでいたのですが、久し振りです。 たいがい同じようないい事尽くめの内容で飽きてしまっていましたが、今の私の心境で、心が欲する言葉を捜したくて読んでみました。 今の時代とは、これからさらに拡がると云われている世界不況を前に、また己の人生の退職一歩手前という時期である。

 彼らが一様に創造的なひらめき(インスピレーション)を、あたかも神の啓示のごとく受けた瞬間があることに驚くのです。その創造の瞬間は、人知れず努力を重ねた研究生活のさなか、ふとした休息の瞬間であったり、ときには就寝時の夢の中であったりします。

 毎日の創意工夫が大きな飛躍を生み出す            どんなに小さなことにも工夫改良の気持ちをもって取り組んだ人と、そうでない人とでは、長い目で見ると驚くほどの差がついているものです。

 現場に宿る『神の声』が聞こえているか            いってみれば製品や現場に対して、あらためて目を向け、身を寄せ、心を添わせ,耳を傾ける行為です。                 答えはつねに現場にある。

 私たちはいくつになっても夢を語り、明るい未来の姿を描ける人間でありたいものです。夢を描き、創意工夫を重ね、ひたむきに努力を重ねていく事を通じて、人格は磨かれていくからです。

その他仏門だとか、利他の心とか述べられているが、いまの自分には理解納得できないものが多かった。 またこの方の年齢、立場になれたら響いてくるのでしょうか。

 人間は自分の欲しい言葉しか、読み込めない、理解しようとしないとは、昨年よんだ塩野七生の本にあったな。 そのとうりですね。          それで十分です。