Love our lives

人生の一コマ一こまを 愛し慈しんで 残したい。
ステキな庭のバラを! 旅行のスナップも そして大切な家族の素顔も!

小さいっが消えた日   ステファノ・フォン・ロー

2010年10月28日 19時05分17秒 | Books



  小さい っ が消えた日  ステファノフォンロー


 小さい ’っ’ って、音がないのね。言葉の中で ’あ’ や ’か’ などは声になるけれど。だからみんなにお前は役立たずと言われ、僕なんか居なくてもいいやといって、みんなの輪の中から一人居なくなってしまった。 すると困った事があちこちに起こり出した。例えば、いっぱいが いぱい、はっきりがはきりと言った具合で、意味不明、コミュニケーションが取れなくなってしまった。  困って、みんなは小さい ’っ’に、帰ってきてくれるように手紙を書いたのです。それを読んだ小さい’っ’は帰ってきてくれました。  最後に『音が無いから必要ないと思える小さい’っ’でも、実は、他のどにお言葉と同じように大切だってことが分かったでしょう。 我々はいつもそうだが、一度失くしてから、それがいかに大事だったかという事に気付くんだよね。』
 
 この日本語の小さい’っ’の話、作者はドイツ人なんだって。  これも不思議!

へこむなこの十年が面白い       小寺 圭

2010年10月28日 18時13分10秒 | Books


   ヘコむなこの十年が面白い   小寺 圭

 この著者の小寺さんは ソニに30年勤め、まさにグローバルな視野を持って世界と対峙してきた方である。 世界のNo1 ブランドから 今やその座をサムスンに奪われるに至った経過をまざまざと見てきた人なのでしょう。
 門外漢の自分が この様な経済関連の本を読むと、何故かワクワクしてくるのは、やはり門外漢であるからなのか? まぁ、なるほど自分の世界、日本の中での世界、そしてグローバルな世界、と視野が峻別できるようになった。 今から何年前か、10年以上昔になるか、グローバリゼーションと言う言葉が流行りだし、当時は グr-バルスタンダード、それはすなわちアメリカンスタンダードだと、このグローバルという事に反感を抱いていた。 そして今、社会の情勢を見ると、なるほどグローバルとはこうなっていくことなるのかと理解させられる。
 グローバル化とは、情報伝達や輸送手段の一段のスピードアップ化により、需要が世界同時多発的に発生し、商品供給も急速にかつ大量に行わなければならなくなった状況を指すと。
 ここには 昔の日本の物つくりの匠の技は不要。 むしろ日本の伝統文化産業の中だけでそれ技は残してゆかねば、いやそこにしか生き残る価値はない。 
 パソコンは今ほとんど中国で組み立てられている。部品も台湾、韓国製である。パソコンといったが、それはソニーであれ、ダイナブックであれ、アップル、デルその他全てである。中身は変わらない。ただラベルが違うだけで、そしてそのラベルの人気で値段も違ってくるのだ。
携帯も、世界で見るとノキアが38%、サムスンが19%、そして日本代表シャープはたったの1%だそう。  日本人は、まさに世間いや世界知らずで、しかも日本が1番と思いたいのか日本製品にこだわる。これが日本企業を弱くしているのか、今後は安くてほどほどの性能のものを、日本製にこだわることなく購入しよう。
  さて私が考えなくてはならない事 
 それは 『サービスには価値があり、それは売るものです。タダで提供するものではない。』 
 では何処までがサービスとして、何処からお金を頂いてよいのでしょうか? 優柔不断な日本人として、悩みますね。

 次にマーケティングについて
 日本人はモノを規格化してその成分や原料コスト、製造工程にかかる費用からその商品価値を決めます。欧米人はモノに歴史やストーリーや憧れなど、商品価値を高めることであれば何でも乗せて飾り立てます。この飾り立てる事が、すなわちマーケティングです。マーケティングには 付加価値の創造のほかに、ニーズの掘り起こしと言う役目もある。

 最後に日本食の焼き鳥、餃子、クレープ、カレーライス、など海外に売り込めるのでは?とあった。

あの世からのことづて     松谷 みよ子

2010年10月26日 14時42分40秒 | Books



  あの世からのことづて     松谷 みよ子

 先日 黒姫童話館に行った時 ふと目に留まった本です。この松谷さんは童話作家なのですが、日本各地の民話も集めておられて、その最中にここに集められているような不思議な話も聞かされたのでしょう。
 例えば 人が亡くなる時に、その肉親や親戚、友人に姿を現したり、何気なく知らせたりということがあるようです。 また、あの世への三途の川を前に戻ってきた話、火の玉の話、神隠しや、幽体離脱、など、おおよそ今の時代では信じられない一笑に伏される話ばかりです。
ですが、自分の親父はまだ自分が幼い頃に似たような話をしばしば話してくれていたのを思い出します。 残念ながら私自身には この様な経験をした記憶はありません。
 先日 多田富雄さんの本を読んでいると、多田さんが 脳梗塞で倒れ意識がない時の記憶を述べてましたが、暗い中でもがいていて奥さんに呼び止められて意識が回復したとありました。その時まで 非常な孤独感を感じていたと。これは ジャンコクトーの黒いオルフェの世界と一緒だナァと思った。話が少しそれましたが、この本に納めてある話は、実話と思っていよいのでしょう。 だからこの世、人生には何があるか分からないと、楽しみに生きてゆこうじゃない。 火の玉の一つも お目にかかりたいものです。

王ヶ頭 ホテル に行ってきました

2010年10月25日 07時51分08秒 | Short trip & intereting sights
 久しぶりの 家族の宿泊でした。
知人の方から 是非行って見てと言われていた宿です。



紅葉はボツボツといったところですが、薄曇でしたがアルプス一望、そして富士山もススキに隠れて







2034メートルの山頂に ホテルがあります。周囲は テレビ塔が林立し、ここから長野県全体に電波を発信しているとのことです。
ホテルの屋上からは、東は 八ヶ岳、そして富士山、南アルプス、中央アルプス、西に移って御岳、乗鞍、穂高三山、槍、そして 白馬三山、北では妙高三山、最後に浅間山と 本当に360度見渡せる。




日の出前の朝焼け





滝雲です まさに雲が滝のように下って流れてゆきます。



ホテルのスタッフの皆さんも感じの良い親切な、そう皆さん笑顔で、朗らか明るい方ばかりで
そんな皆さんの中で囲まれて 大変居心地が良かったです。
 機会があれば、また 、今度は雪の積もった冬が面白そう!

豊作きのこ

2010年10月17日 06時50分52秒 | daily life
 今年は 猛暑の後 雨が続いて きのこの発生には好条件であったのか。
先ず 写真は無いけれど 安茂里より 鬼ふすべ  これは以前りんご畑でよく見かけたけれど、既に中はけむり化していて蹴っ飛ばすとボワンッとして中の胞子が飛び散る。 その時調べて、あぁーこれ食べれるのだーと思った。 それが9月末かな、国之さんが山でまだまだ生まれたてのそれをゲットし あまり大きいので(大人の頭ぐらい)半分を分けてくれた。はんぺんのようで、我が家ではバターとにんにくで炒めていただき! 味はそんなに無いけれど、まぁ珍味!珍味!でも日が経つといまいちに 新鮮さが大事ね。

 さて次は 鬼無里の山奥から採って来たもののおすそ分け。 天然の舞茸。 免疫系に良いですよと言われて頂く。 これもそれほどの味は無かったかな。お吸い物、おろし合え、ぐらいの料理でした。




次は ウラベニホテイシメジ。これは 大豊作のようでした。知人から頂く。よく似た毒キノコがあるようだが 彼は私はきのこのプロだから心配ないですとメモってある




最後は有名な 松茸。 我が家は いつも友人からの 待つ茸 ですね。  今年は 目玉焼きと一緒に、 お吸い物、炊き込みご飯 に決定。



可愛い木工細工   黒姫童話館

2010年10月14日 07時12分31秒 | Short trip & intereting sights

先日 黒姫高原にある 黒姫童話館に行ってきた。 満開のコスモスを期待して。  残念でした。少し遅かったよう。その代わり この童話館をゆっくりと見て歩く事ができた。 朝から曇りで 大丈夫かと心配だったが、そこはMa-君と一緒の安心感。 この広々とした開放感と雨上がりに気持ちの良い青空が覗いてじつに清々しい。 黒姫か、 戸隠ともチョット違っていてエーナー!




これが 童話館。主にミヒャエルエンデ と 松谷みよ子 さんの作品が 展示されている。 そして 童話の挿絵の美しいこと。 本として印刷されてしまうと、印刷技術の限界か、本来の絵の具の色合いが出てこない。

































 可愛いね! ちょっとした工夫で こんなに素敵になってしまう。


それからの海舟    半藤 一利

2010年10月12日 14時26分44秒 | Books



  それからの 海舟      半藤 一利

 根っからの江戸っ子を これまた根っからの江戸っ子が べらんべえ口調で 庇い弁解する。
いやこう云うと、お叱りを受けるに庇い弁護ではなく、終始黒子に徹した海舟の苦心談をいま開示するといったところかな。

 それからというのは、西郷と海舟との江戸城無血開城以後の事である。幕府と維新政府との橋渡し役として、様々に活躍してきた。例えば幕臣を静岡に移り住まわせ、彼らに原野を開墾させお茶を育てさせた。これが現代の有名な静岡茶の始まりであったそうな。そして最後は、明治天皇と徳川慶喜との会見をも実現させている。この会見が旧幕臣と新政府との手打ちであったわけである。それまでは、依然旧幕臣の不満分子があちこちでくすぶっており、いつ爆発するは分からなかったようだ。その前にも 西南の役のように旧薩長藩の中でも不平不満が高まっていたのに。 その他、いかに徳川旧幕臣をいかに食わしていくかといった、そしていかに徳川家を立ててゆくかに努力してきた姿が述べられている。

 長岡藩 米百俵 の逸話について
戊辰戦争敗北により長岡藩は七万五千石から2万5千石へと減らされてしまった。これでは養ってゆけない。そこへ三根山藩よりお見舞いの米百俵が届けられた。 ここで小林虎三朗なる重臣が、これを分けるのではなく、金に換えようとするのである。『米百俵をこのまま分けてしまえば、一人当たり四合か五合しかない。食う事は大事な事であるが、それを食い終わったあとに何がのこるか。この百俵をもとにして、学校を建てようぞ。学校を建てて、有為の人材を養成する。まどろっこしいようであるが、これが長岡復興の為の、唯一の、一番確かな道だ。その日暮しでは長岡は立ち直れない。我々が今苦しみに耐えなかったなら、次の時代の人たちも同じ苦しみをしなければならない。』 といって出来たのが 長岡中学(現長岡高校)であり、疎開していた半藤さんの母校でもあった。  これは 痛みを分かち合うと言う意味ではない。 小泉首相はこのように意味を曲解して使おうとしたようだ。

 もう一つ 半藤さんの言葉から。 『近代日本史を考える時、日露戦争の前と後との日本人は、違う民族になったのではないかと思われるほどに変わったことにひどく驚かされる。世界五大強国のひとつのロシアに勝つ事ができた(実は惨勝なのであるが)。ということから、日本人はいっぺんにのぼせ上がり、どんどん傲慢になっていった。固有の美風をことさらに強調して、文化・風俗・週間・信仰・道徳・等はもとより、国の成り立ちからして世界に冠たる国家を誇りだした。あえていえば狂的に偏狭な国粋主義だけが幅を利かすようになった。それがやがて世界を敵とする大戦争を起こして、折角つくりあげた国家を滅ぼすようになるのである。』  いまの日本にも言えることではないか。 一昔前、世界第二の経済大国であったが、いまや中国に追い越され やがては韓国ブラジルインドネシアに追い越されますます縮小した気持ちの日本になってゆく事でしょう。いつまでも昔の栄華に浸っていてはならない。今までの優越感と言うか傲慢さを忘れ捨て、紳士として世界と向き合い共生してゆかねば。

 面白い言葉があったよ。明治になって江戸いや東京市民は それまでの徳川様を蹴散らした薩長を野蛮な田舎侍としか見ていなかったと。

 いろいろ読み始めたが なぜ 江戸幕府が 薩長連合に敗れたのだろうか?その他の藩はただ 成り行きを眺めていただけなのだろうか?

 まぁ、半藤さんの歯切れのよい語り口で ついつい面白く読み終えました。 上手だね、江戸弁好きになったよ。  しゃやけど 私は 関西弁で話しまっさ。