時間という贈りもの フランスの子育て 飛幡 祐規
帯の 親から子どもへの一番の贈りものは時間ではないだろうか! 問い言葉に見せられて手に取りました。フランスでの人生の生き甲斐は”仕事以外の時空間を愉しむことがレゾンデートル(生きがい)と言われていたそうです。今はわたしも同じく考えています。バラを育て、リンゴを育て仲間に無償で送って愉しみ、燻製を初めとし 食べたいものは自分で作って楽しみ、あぁ仕事はひととの出会いを愉しむ為に続ける程度。
著者は”私達は今、世界のありようからしばし身をひいて目を見開き、人が生きていくのに本当に大切な事は何かを考える時期にあるのではないか”と言うが、まさに私自身にとって、この事、姿勢は今こそ振り返らねばならないのではと思う。
子どもはまさに、生まれたときから子どもとお互いをそんちょうしあい、対話する関係を作る事が大切。 言葉でもって!
母親のケアの欠如は子どもに不安感を引き起こすが、逆に子どもの欲求に母親が応えすぎると、そのこの万能感が助長されて自我の成長が妨げられる 『まあまあの母親』くらいが子供はよく育つ。 機嫌のよい母親がいちばんだよ! と。
おもちゃが子どもの想像力や知性、心を豊かにするものかどうかを考えて選ぶ。 お膳立てされたエンターテイメントで子どもの想像力が養われるとは思えない。 退屈な時間を子どもの時に経験しないのは、もったいないことである。
親以外に子どもの成長を続けて見守る大人の存在は、その子にとってとてもプラスになる。 人は若い頃にどんな”師”に出会ったかによって、後の職業の選択や生き方に影響を受ける。 子ども時代に見て衝撃を受けた絵や彫刻が、後の人生や創作に大きな影響を与えることがある。
目的に向かって最短距離を突っ走っていては、周りの景色も人も目に入らず、出会いが生まれることも無い。特別な出会いでなくても、交通機関や路上などで誰かとふと交わした視線や言葉は、散文的な”生”のなかに詩的なものをもたらすきっかけになる。
子どもにはノウハウや試験のテクニックではなく、人生を豊かにしてくれる歓びや様々な美、自分と異なるものを発見する面白さを伝えていきたい。
まだ幾分余生の残っていると思っている私だが、子どもや孫の為だけでなく、自分のためにもこのように生きてゆきたいものだ。