Love our lives

人生の一コマ一こまを 愛し慈しんで 残したい。
ステキな庭のバラを! 旅行のスナップも そして大切な家族の素顔も!

2011 我が家の春バラ

2011年06月23日 09時33分34秒 | rose

 ようやく 今年の春バラが 一段落 しました。年ねん 素敵になってゆきます。 写真で見るといまいち迫力に欠けますが、実際は とてもあでやかで存在感が感じられます。Sacchanが 来年には写真でも十分 見ごたえのある 庭になってるでしょうと!

 良く咲いたバラ達  この子達と呼びたくなります。


昭和二十年夏、僕は兵士立った

2011年06月10日 07時06分48秒 | Books

  昭和二十年夏、僕は兵士だった   梯 久美子

 今はもういい年をした、というよりはいまさら何の修飾することなどとは無縁になった人たちの歴戦記ではなく、当時二十歳で 一兵卒としての戦地での思いが読めるのではと思って手にした。5人の今はその世界では十分功をなした人たちとの聞き取りである。

 金子兜太さん  からは 戦場という極限地での人間の理性、倫理,体面などとは無縁となった世界での男達の姿が述べられている。『底辺といえばまさに底辺の人たちなんだが、人間というものの、むき出しの、生な姿があった。』。多くの仲間達の死を見つめながら『目的とか大儀とか、そういうものを持っていない者は、こういう時にやっぱり弱い。我慢がきかんのです。そして、あっというまに衰えてゆく。そしてある状態までくると、ガクッと駄目になるんだ。そういう人の死顔は、木の葉のようです。』。 やがて敗戦、そこで見たものは若い米兵たちのまぶしい姿、『あの弾んだ感じは、なんというか、まぶしかった。』と。戦場では賭博、男色、殺人となんでもあったと。 でもわたしは彼らが好きだったと。

 池田武邦さん 「人生が凝縮したような日々を、誰でも生涯に一度は持つ。それが人生のどの時期にやってくるかは人によって違うが、池田氏にとっては“矢矧”とともにあった二十代最初の一年間だった。」。海軍兵学校を卒業後、駆逐艦“矢矧”に乗艦。その後1年間でこの船が撃沈されるまで共にする。そこで見てきたものは『むごたらしく焼けただれ、あるいは油煙で真っ黒になった遺体。負傷者のうめき声。それは生き地獄のような光景でした。  そうか戦争の現実とはこういうものか  壮烈な戦死、というのは言葉だけのもので、戦場の死はひたすら無惨な者だと知ったです。』  そして 最後の戦艦大和と一緒の沖縄特攻が決まった時『この作戦が特攻であると聞いたとき、自分でも意外なほど冷静でした。やっとこれで自分の人生にケリがつく、死に場所がさだまったという気持ちです。さばさばした、爽やかな気分だったことを、いまでもはっきりと覚えています。』  この言葉は日本の侍たちの心情、哲学と共通している様に思う。

 その他、大塚初重、三国連太郎、水木しげる、といった人たちの話が載っている。