大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

天皇皇后両陛下のこころ

2015年03月25日 | 日々徒然
天皇皇后両陛下は、今年戦後70年を迎えるにあたり、パラオ共和国を含む太平洋諸島への慰霊の旅に出ます。
81歳という高齢を考えると両陛下にとってはとても過酷な旅になると思います。

皇后陛下は昨年の誕生日に際し、戦後70年に向けた思いをこんなふうに話していました。
「…私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。
まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います。
戦後の日々、私が常に戦争や平和につき考えていたとは申せませんが、戦中戦後の記憶は、消し去るには強く、たしか以前にもお話ししておりますが、私はその後、自分がある区切りの年齢に達する都度、戦時下をその同じ年齢で過ごした人々がどんなであったろうか、と思いを巡らすことがよくありました。…
世界のいさかいの多くが、何らかの報復という形をとってくり返し行われて来た中で、わが国の遺族会が、一貫して平和で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。
遺族の人たちの、自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも、今、平和の恩恵に与っている私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています」
こんな素敵な皇后さまを持てたこと、ひとりの日本人として誇りに思います。

これに対して、両陛下が慰霊に訪れるパラオで、海中に沈む日本海軍の沈没船に中国国旗がゆわえつけられていた事件が発覚しました。
誰の仕業かわからないままにいつのまにか撤去されていたとのことですが、あまりに気持ちの悪い悪戯で、胸糞が悪くなりました。



さて、来月8日から2日間、両陛下がパラオを訪れることを報道で知りました。
しかし、驚いたことにチャーター機で4時間半かけてパラオに向かい、各国首脳との晩餐会の後、海上保安庁の巡視船に宿泊するというではありませんか。
報道では日程的な都合からそうなったとの説明ですが、81歳になる両陛下はあの狭い巡視船のなかで波に揺られてどんなことを思うのでしょうか。

天皇陛下の昨年の誕生日の言葉です。
「80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。
私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。
終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。
この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。
前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。
戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。
戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています」

戦没者の慰霊の旅にかける両陛下のこころは、ますます右傾化していく安倍政権に対するアンチテーゼのような気がしてきました。