大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

“生きた”長さと、“生きた”重さ

2014年05月09日 | 日記


厚生労働省の資料
からの引用です。
日本の平均寿命は世界トップクラスということがよくわかります。
同時にどこの国々も寿命は確実に伸びています。
古来より人々は不老長寿を追い求めてきましたから、大満足かと思いきやなかなかそうはいきません。

死というものは、人間にとって必ず一度は訪れてくるものです。
いつか「誰も」が死を迎える訳ですから、古来から死は深い考察のテーマでもありました。
たとえばソクラテスは、哲学とは死ぬための訓練をしていることであると言い切っています。
ソクラテスは、死を「自分の生の成就」として捉えていました。

こんな話をするのはこのところずっとお葬式が続いているせいかもしれません。
もっと生きたいと願いながらも若くして亡くなる方もいます。
なにかのために自ら命を絶つ方もいます。
人生の不可思議さ・儚さを感じてなりません。


いずれくる死であるならば、私も自らの死生観を持ちたいと思いました。
そして私のそれは4年前に出会った1冊の本で定まりました。
V・E・フランクルの「それでも人生にイエスと言う」です。

自分の生きる意味を見いだそうとするのではない。

私が人生の意味を問うのではない。

私が人生から問われているのである。

お前はどう生きるのか。

今日のいまをどう生きているのか。



その本に出会ってから、一日一日が愛おしくてなりません。
今日もまたいい一日でした。
ありがとう、感謝します。
明日もいい日でありますように…。




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