goo blog サービス終了のお知らせ 

花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

展望の山・日光男体山へ・その6

2010年07月10日 | 登山

折角望遠に取り替えたので、300mmで尾瀬の燧ヶ岳をとらえてみた。


山頂から降りて振り返ると、鉄の宝剣がまっすぐに天を差し、鳥居と祈念碑が
信仰の山を物語っている。


櫓に鐘が下がっており、何だろうと思ったら「良縁の鐘」と書かれていた。
もう良縁を求める年でも無いのだが、一応鳴らしてみるのは日本人のサガか(笑)
清んだ音色が梅雨空に吸い込まれて行った。


表登山道から登ってくると、正面の鳥居の奥に有るのが日光二荒山神社奥宮で
こじんまりしたお社が建っている。

その西側には、二荒山大神と書かれた神像が立っている。



その昔、日光権現と赤城大明神が、湖水の境を巡って神戦を繰り返したという
伝説がある。
それによれば、日光権現は大蛇になり、赤城大明神は大蜈蚣(おおむかで)になって
激闘したという。

半刻ばかりのち、日光権現の加勢に来ていた無双の弓取り、小野猿丸が
矢を放って大蜈蚣の両眼を射たため、赤城大明神は撤退したという。

実際の文献を見たわけではないので、真贋の程は判らないが、戦いのあった
場所が「戦場ヶ原」であり、勝敗が付いた場所が菖蒲ヶ浜(勝負ヶ浜)だと
聞いたことがある。
何ともはや嘘くさい話だが、物語としては面白い。

その上、勝利を祝って宴を開いた場所が「歌ヶ浜」と言うに至っては
出来過ぎと言うものである。
再度おことわりするが、これは伝聞なので正しいとは限らない。
興味の有る方は、文献に当たって欲しい。

神像から話が脱線したが、神像の前からさらに西に進むと、ザレの歩きにくい
尾根を下る様になる。
左右に崩落を防ぐためか、カバーを掛けた復元作業と思われる地帯が有る。




なおも進と、巨大な岩の前に小さいお社が建っている場所が見えてくる。


そこが日光二荒山神社・太郎山神社のお社で、後ろに聳える太郎山の神社も兼ねている
のであろうか。
登山の安全を祈願してぬかずいた。

神社の先の大岩にはロープが張られて、その先には入れないようになっている。
昔は、この尾根から三本松に抜ける登山道があったらしいが、今は廃道となり
歩くことは出来ない。

この尾根のもっと先に、2398mの三角点が有るのだが、どうやって行っているのか
不思議である。

ここからの風景で、最も美しいのはやはり中禅寺湖であろう。


立体的な景観は、いつまで見ていても飽きることは無い。

6月の梅雨の晴れ間をねらった登山だったが、我ながら大成功だったと思う。
書いた後で、新たに判った事も有る。
それは六合目の上の、左斜面の崩落地が、「鼻毛ノ薙」と呼ばれる薙の突き上げ
だった事などである。

展望の山・日光男体山へ・終わり

******************************************************************************

男体山は、中禅寺湖の眺めが最高だが、戦場ヶ原の眺めが最高なのは
大真名子山ではないかと思う。


大真名子山から戦場ヶ原の展望 2009年10月
橙色に見えるのはカラマツの紅葉である。
正面に聳えるのは日光白根山、 誠に雄大な眺めであった。

ちなみに、男体山の登山道の俯瞰図に相当する写真はこちらです。

但し、俯瞰図は上空3500mから描いているのに対して、こちらは山頂からとった
ものなので、目線の高さが違います。

展望の山・日光男体山へ・その5

2010年07月10日 | 登山
日光男体山は、南側の中禅寺湖側から眺めると、秀麗な富士山型の山である。
だが、北側の大真名子山側から見ると、山の上部は荒々しい爆裂火口を思わせる
アルファベットの「C」の字の様に、北に開いた尾根に囲まれ、大崩落地が
口を開けている。

志津から登る登山道は、その「C」の字の東の尾根を登る道で、湾曲の頂点で有る
南側で、二荒山神社から登る表登山道と合流する。
そこに二荒山神社奥宮有る。そもそも山自体がご神体なので、お社も質素なのであろう

さらに尾根は湾曲しながら西に延びて、その途中に「太郎山神社」のお社が建て
られている。
登山者が行けるのはそこまでで、その先は嶮岨な岩場に阻まれた断崖があり
通行止めのロープが張られている。


さて、志津口から登った九合目の展望は、何と言っても金精山と五色山の間に、尾瀬の
至仏山が見えることが、私の心を躍らせる。
私が尾瀬保護財団の友の会に入っている事もあるが、自分が登った山が見えると言うのは
何よりも嬉しいものだ。
山の鼻から、蛇紋岩の登山道を4時間近くかけて、至仏山の頂きに登った記憶が昨日の
様に思い起こされる。

とうに花の季節は終わっていたが、タカネトウチソウだけが風になびいていた。
私が初めて目にした蛇紋岩残存植物であった。


こちらは下旬に登る予定の会津駒ヶ岳の写真、太郎山の左後方に雄大な尾根が続く
山名の由来は、雪形とか尾根が馬の背に似ているからとか言われているようだが
私は馬の背説をとりたい。

あの尾根の木道を歩けば、誰もが馬の背を思うであろう。
数年前の夏、私はハクサンコザクラに彩られた木道を、中門岳を目指して歩いた。
あんなに高い山に、無数のトンボが飛び交って、短い夏を惜しんでいた。


振り返ると女峰山がガスに覆われて、帝釈山の頂きの一部がかろうじて見えていた。
流れる雲が、青い空に模様を描き、それだけでも充分美しい絵のようである。


石楠花や


笹藪にヒメイチゲの咲く登山道を尚も登ると、前方がやや開けた尾根になり


前方左の中禅寺湖側から、ガスが勢いよく吹き上げ、左側の展望は無い。


尾根の途中に、古い建物の基礎が残っていた。
コンクリートの基礎だから、それ程の昔ではない。


やっと平らな場所につき、少し進と男体山の一等三角点に着いた。
三角点の標高は、2484.4mで、すぐ隣の宝剣が天をついている岩の上が山頂なのだろう。
山頂の標高は、2486mである。


三角点の脇から、爆裂火口の跡をのぞき込むと、いまだに崩落が続く薙が無数にある。


中禅寺湖側のガスが、いっそう激しさを増している。
時計を見たら12時を過ぎていた。
腹が減った訳である。
ザックを降ろして弁当を取り出し、一口食べたところで思い出した。
雲の上に富士山が見えると教えて貰った事である。

あわてて岩の上に登って富士山を探した。


よくよく目をこらして探したら、雲の上にうっすらと頭を出している富士山が有りました
この写真では判りにくいかも知れませんが、鳥居の右端の上、横にたなびく雲の上に
ひとかたまりの雲が有りますが、その間にかすかに富士山が写っています。


こちらは300mmの望遠でとらえた富士山、霞んでいますが、残雪の様子もわかりました。

ひとまず続く