クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

屈巣にはどんな記憶が掘り上げられる? ―屈巣沼―

2017年10月26日 | ふるさと歴史探訪の部屋
旧川里町(現鴻巣市)にある“屈巣”(くす)。
ここには公園やゴルフ場があって、
休日になると親子連れやゴルファーたちで賑わう場所だが、
かつて“屈巣沼”という沼が広がっていた。

低地における新田開発として、
“掘上田”(ほりあげた)がよく知られる。
ジメジメした場所を掘り上げて、土を盛って田んぼにした。
土を掘った場所は自ずと水がたまって池沼となる。

掘上田は江戸時代に盛んに行われた。
屈巣沼は、江戸中期にあたる享保年間に水田として開発されたという。

土を掘ってかさ上げし、掘(ホッツケ)に水が溜まる掘上田。
これを上空から見ると、ちょうど櫛のような形をしているところが多い。
戦後になっても掘上田では稲作が行われていた。
その頃の景色を懐かしく思い出す年輩者は少なくないだろう。

現在、この掘上田が見られる地域は少ない。
屈巣沼周辺にも多くあったが、時代の流れとともに消滅した。
屈巣沼もその例外ではなく、
前述したように公園やゴルフ場と化している。

と言っても、最初からその計画が持ち上がっていたわけではない。
屈巣沼では、かつて櫛状の掘割を利用して漁業が行われていたらしい。
戦後には、コイ・フナ・ウナギなどの養殖事業を実施。
これも時代の流れとともに方向転換がなされることになる。
そして、昭和51年にゴルフ場と公園が開業したのだった。

掘上田はいまとなっては遠い昔。
先人たちが新田開発に汗水を流したことは忘れられつつあるかもしれない。
沼に生えたマコモ、底を掻きあげるサデカキ、
かつて行われたという魚捕りや釣りの大会。
現代とは違った記憶がそこには多く眠っているのだろう。

沼の名残をとどめるように、公園の一角に広がっている弁天沼。
釣り人たちが釣り糸を垂らし、
傍らには厳島神社が鎮座している。


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