旧大利根町(現加須市)の砂原にも人柱伝説がある。
利根川が決壊し、その土手の修復に困っていたとき、
人柱を立てようという話が持ち上がる。
そのとき、偶然通りかかったのが巡礼の母娘だった。
村人たちは無理に巡礼の母娘を荒れ狂う川に投じてしまう。
すると、川はみるみる静かになった。
村人たちはホッと胸を撫で下ろす。
と、そのときだった。
水面から顔を出したものがある。
巡礼の母娘ではない。
それは白いヘビだった。
ヘビは白い頭をもたげ、村人たちを見つめたという。
土手の修復工事は無事に終了。
が、村人は母娘の祟りを恐れた。
そこで弁財天を祀り、人柱になった母娘の霊を慰めたと伝わる。
この伝説は代々語り継がれると共に、信じられてきた。
氏子たちは毎月21日に供養を続けているという。
砂原の鷲神社の裏にその弁財天は現存している。
多くの弁財天がそうであるように、周囲は池となっている。
この池にはやや複雑ないきさつがあり、
一度埋め立てた池を再び掘ったものらしい。
が、元は利根川の決壊によってできた沼地だった。
弁財天のお堂には、白いヘビが描かれた絵馬がたくさん奉納されている。
旗や千羽鶴、額が奉納され、信仰の厚さがうかがえる。
諸願が叶う神社として信仰されているが、
特に安産祈願で参拝する人が多いという。
弁財天遠景(埼玉県加須市)
利根川が決壊し、その土手の修復に困っていたとき、
人柱を立てようという話が持ち上がる。
そのとき、偶然通りかかったのが巡礼の母娘だった。
村人たちは無理に巡礼の母娘を荒れ狂う川に投じてしまう。
すると、川はみるみる静かになった。
村人たちはホッと胸を撫で下ろす。
と、そのときだった。
水面から顔を出したものがある。
巡礼の母娘ではない。
それは白いヘビだった。
ヘビは白い頭をもたげ、村人たちを見つめたという。
土手の修復工事は無事に終了。
が、村人は母娘の祟りを恐れた。
そこで弁財天を祀り、人柱になった母娘の霊を慰めたと伝わる。
この伝説は代々語り継がれると共に、信じられてきた。
氏子たちは毎月21日に供養を続けているという。
砂原の鷲神社の裏にその弁財天は現存している。
多くの弁財天がそうであるように、周囲は池となっている。
この池にはやや複雑ないきさつがあり、
一度埋め立てた池を再び掘ったものらしい。
が、元は利根川の決壊によってできた沼地だった。
弁財天のお堂には、白いヘビが描かれた絵馬がたくさん奉納されている。
旗や千羽鶴、額が奉納され、信仰の厚さがうかがえる。
諸願が叶う神社として信仰されているが、
特に安産祈願で参拝する人が多いという。
弁財天遠景(埼玉県加須市)
昨日砂原の鷲神社に参拝し、弁財天にも寄ることができました。北武蔵の神社の先々で高鳥先生の足跡を追い、歴史や伝承に触れることができます。人柱の伝承についてはそうした悲しくも恐ろしい歴史の一部が遠い昔にあったことを知ると共に、伝えていかなければならないと感じています。
砂原の鷲神社と弁財天にご参拝されたのですね。
加須市内だけでも人柱伝説はいくつか残っています。
私自身は、実際に人柱に立った人はいなかったいなかったと考えています。
もともと祀られていたほかの神さまに伝説が結びついたのだろうと。
ただ、大水が出たことは間違いなく、利根川とともに生きてきた人々の想いや祈りを伝説の中に感じます。