クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“不動岡”と“岡古井”の地名の由来は? ―子ども昔語り(46)―

2007年09月10日 | 子どもの部屋
本尊不動明王が川の洪水のよって流されてきたと伝えられる總願寺。
(埼玉県加須市不動岡に所在)
ここは次のような伝説も伝わっています。

1039年(長暦3)、おりからの長雨で利根川は満水状態になっていました。
当時の堤防はいまよりも低く、
利根川は板東太郎の異名を持つ暴れ川です。
ひとたび堤防が切れれば、容赦なく人間を襲ってきます。
人々は堤防が切れないことを祈りましたが、
願い空しく濁流は村を襲いました。

高台を求めて逃げまどう人々。
川は民家や田畑を呑み込み、
あまつさえ逃げ遅れた人間をも襲いました。
それでもなお雨は止みません。
ときに強く降り、小降りになったかと思うと再び豪雨になったりと、
まるで人間をからかっているかのようでした。

そんなとき、岡村に住む村人が岸辺に何かが流れ着いたのを見付けます。
よく見てみると、それは不動明王の形をした仏像でした。
「どこから流されてきたんだんべ」
「この長雨じゃあ、いら(とても)遠くからじゃないん?」
「ちっと見てみるべ」
村人がその不動明王を川から引き上げたときのことでした。
グラリと地面が揺れます。
突然の地震に慌てふためく村人たち。
幸い大事には至りませんでしたが、恐怖の念を抱くのに充分でした。

「これはお不動様が怒ったんだんべ」
ひとりの言葉に、ほかの者たちも頷きます。
そして、不動明王を再び川に戻すことにしました。
お不動様をゆっくり水に浸すと、
あっという間に濁流に呑み込まれていきました。

その数日後、雨はやみ、川の水は引けます。
人々は荒れた村に戻り、後かたづけに追われました。
すると、「お不動様が見つかった!」という声が響き渡ります。
なんと、川に流したはずの不動明王が中洲に漂着していたのです。
村人たちは顔を見合わせました。
すぐにそのお不動様を引き上げます。
再び地震が起こるのではないかと心配しましたが何事も起こらず、
村人たちはホッと息を吐くのでした。

以来、村ではお堂を建てて、その不動明王を安置しました。
これが現在の“總願寺”の前身です。
お不動様が流れ着いた中洲は“不動島”と呼ばれ、
村名もいつしか“岡”から“不動岡”に変わりました。
戦国時代にお堂は荒廃しましたが、
江戸時代に別当寺總願寺の開基と共に再建されると、
その後大いに賑わいました。

ちなみに、この不動岡の隣村は“岡古井(おかふるい)”です。
これは不動明王を引き上げたときに起こった地震により岡震え(岡古井)と呼ぶようになり、岡村から分離したということです。
ただし、あくまでも伝説。
郷土史家の冨田勝治氏は、

 思うにこの地は古代よりフルエと唱えられていたが、いつしかその意義を忘れられて、
 地形よりした岡がその上に附け加えられて、「岡古井」となり、
 その北方は低地なるが故に「沖古井」となり、さらに岡古井の東方は
 元来岡と唱えられていたが、後に不動尊を安置せるをもて不動岡と称したものであろう。
 (「中世の古江郷は岡古井か」より)

と、述べています。

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