何気ないところでポッカリ空いた穴。
それは古墳時代末期に死者を葬った横穴。
群馬県板倉町にある。
その名も“頼母子横穴墓群”。
町の史跡に指定されている。
穴には河原石が敷き詰められていたという。
この河原石は榛名山二ツ岳が噴出した火山弾だ。
同町にある筑波山古墳や、
館林市の渕ノ上古墳の横穴石室にも使われている。
なお、横穴墓から直刀が出土したという。
頼母子横穴墓群は7世紀後半の築造と推定されている。
いまでこそ文化財指定になっているが、
かつては子どもたちの格好の遊び場だったかもしれない。
そこに「秘密基地」を作った子どももいただろう。
歴史や文化財云々というよりも、
その穴にはきっとたくさんの思い出が詰まっているのに違いない。
それは古墳時代末期に死者を葬った横穴。
群馬県板倉町にある。
その名も“頼母子横穴墓群”。
町の史跡に指定されている。
穴には河原石が敷き詰められていたという。
この河原石は榛名山二ツ岳が噴出した火山弾だ。
同町にある筑波山古墳や、
館林市の渕ノ上古墳の横穴石室にも使われている。
なお、横穴墓から直刀が出土したという。
頼母子横穴墓群は7世紀後半の築造と推定されている。
いまでこそ文化財指定になっているが、
かつては子どもたちの格好の遊び場だったかもしれない。
そこに「秘密基地」を作った子どももいただろう。
歴史や文化財云々というよりも、
その穴にはきっとたくさんの思い出が詰まっているのに違いない。
その頃には理解する事の無かった古利根の存在、偶然にも大字上岩瀬字出流。
昔、此の地に土着したであろう先祖にとっても、此処は秘密基地みたいな場所だったのかなと、想像しています。
岩瀬小学校や新郷第一小学校、旧上岩瀬村長宅などに、吹き井戸が在った様で「出流」と言うのも、湧水の由来する地名の様で古利根の恵みだったのでしょうね。
クニさんは、須影や古利根に関する場所での恵みの話を聞いた事はありますか?
とはいえ、日本一の暴れ川坂東太郎、ブログにもあるように数々の災難も、太古からもたらして来たのでしょうね。
当時、その砂が利根川が運んだものとは知らず、あとでわかったから歴史にはまったというのがあります。
(このことについて次作で少し触れましたので、のちほどご笑覧を)
吹井戸があったのですね。
僕は一度も目にしたことがないのですが、昔は井戸から水が吹いていたという話はよく耳にします。
僕は「恵みの話」はいまのところ聞いたことがないですね。
砂地のせいで、少々の雨が降ってもグランドがぬかるまなかったのは、野球好きの少年にとっては「恵み」だったかもしれません。
僕には何の恵みではありませんでしたが(笑)