クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

中島敦が卒業論文に選んだのは…… ―中島敦と北武蔵(17)―

2007年04月09日 | ブンガク部屋
本来自然科学的な性質のものだった「自然主義」は、
田山花袋の「蒲団」によって己の内面を告白するという方向へと傾き、
以後そこから私小説へと発展していきました。
その意味で、田山花袋は私小説の草分け的存在であり、
日本の文芸に計り知れないほどの影響を及ぼした人物です。
日本近代文学を見る上で、決して欠かすことはできません。

この自然主義に当然のごとく反発する作家たちが現れます。
それは“夏目漱石”や“森鴎外”といった面々で、
文学史的に言うといわゆる「反自然主義」です。
彼らは自然主義作家たちが好んで題材にする“不道徳的なもの”に反発しました。
美的なものを求めようとする「耽美主義」もその中に入ります。
森鴎外、永井荷風、谷崎潤一郎がその代表的作家です。

実は昭和7年、中島敦が大学に提出した卒業論文のテーマは、
この耽美主義とその代表的作家たちでした。
「耽美派の研究」と題した420枚の論文。
同年10月27日に大学へ提出しています。
この論文の概要は以下の通りです。

『耽美派の研究』
 第一章 耽美派一般
 第二章 森鴎外・上田敏・及び詩に於ける耽美派
 第三章 永井荷風論
 第四章 谷崎潤一郎論

敦は自然主義が日本の文芸に大きな影響を与えたことを認めつつも、
「破壊的であって、建設的ではない」この主義に対し、
美的な感覚と空気を文壇に採り入れた森鴎外や永井荷風らの耽美派を、
「藝術的に、自然派と拮抗した一派であった」と述べています。
敦は「藝術」を耽美的なものとして捉え、
明治期に興った耽美派の思潮、感覚に大きな影響を受けました。

この耽美派による影響、敦の美意識は、
端的に「山月記」にも表れていると思います。
絶望の果て、人間が虎になってしまうことこそ詩的であり美的です。
幻想性に溢れ、格調高い文体は敦の美なるものの表れでしょう。
虎の孤独、悲しみ、悔い、自嘲は、
ややもすると“美談”と捉えられます。
(「中島敦と北武蔵(18)」に続く)

※画像の人は永井荷風です。

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