クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

幻の駅へ行くには……? ―旧川俣駅―

2009年06月12日 | ふるさと歴史探訪の部屋
約1ヵ月間、夜の学校へ通う。
計3時間近く電車に揺られ、
亡き冨田勝治先生のように史料集を読みたいが、
シートに座ればすぐに寝てしまう。

危うく寝過してしまいそうにもなる。
終電に近いから、寝過したら最後。
タクシーかカプセルホテル、あるいは徒歩。
迷惑そうな友人をなだめて迎えに来てもらうしかない。

これまで寝過したことは多い。
ひらきなおりからか、
普段なら避けることを平気でやる。
すなわち、「歩いて帰れるだろう」である。

これまで、久喜、鴻巣、川俣駅から歩いて帰ってきたことがある。
最長で大宮。
大宮の場合は全て徒歩だったわけではないが、
若気の至りというほかない。

寝過して群馬県の川俣駅から、
歩いて利根川を越えて羽生へ戻ったこともある。
以前にも書いたが、ちょうど分厚い本を買ってしまったために、
まるで亀仙人の修行のごとく、
重いカバンを背負って歩いた。

深夜の利根川は不気味に流れており、
橋の欄干から見下ろすと、この世ならぬ者に手招きされていた気がする。
羽生駅まで戻り、
当時は午前2時まで開店していた「ベルク」でお茶を買った。
ホッとひと息ついて飲んだお茶は、
体の芯まで沁みわたったのを覚えている。

電車の中でウトウトしながら思う。
目覚めたとき、車内には誰もおらず、
窓の外はこれまで見たことのない風景が広がっている……

その風景は見知らぬ土地だからではない。
よく知っている場所。
しかし何かが違う。
根本的に。

願わくば、いまは幻となった旧川俣駅で停まってみたい。
それはかつて、利根川に橋が架かる前に存在した短命の駅。
明治時代にわずか数年間のみ、
東武伊勢崎線の終点駅として機能していた。

その跡地は何もなく、鉄塔が建っているのみである。
そこに駅があり、汽車が停まっていた面影は微塵もない。
しかし、いつかひょんなきっかけで
異界の扉が開いて幻の駅を見ることができる気がしている。

再び戻れるかどうかはわからない。
例え戻れた世界は元のままだろうか。
いつも通るレールのすぐわきには、
そんな異界の入口がひょっこり口を開けているような……
旧川俣駅はそんな空想を抱かせる。
例え絵空事にすぎなくても。

しかし、現実はいつも堅実である。
そして、いささか空しくもある。
夢から覚めるのは、利根川に架かる鉄橋の音。
その音で飛び起き、「しまった」と頭を抱える。
旧川俣駅は遥か遠い……


旧川俣駅跡(埼玉県羽生市本川俣)

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2 コメント

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Unknown (忍っこ)
2009-06-12 21:54:17
東武伊勢崎線、川俣に駅があったとは知りませんでした。
「幻の駅」一夜限りの停車なんてメーテルが出てきそうですね
東武線で思い出したのですが、
熊谷ー妻沼間を走る東武熊谷線をご存じでしょうか
一度小学校の遠足で乗って妻沼の聖天さんに行ったのを
覚えています。学生の頃もう一度乗りたいと思いながら
ずるずると年月が過ぎてしまい昭和58年に廃線に
なってしまいました。
もともと軍事目的路線で、第二次世界大戦末期に、
群馬県太田市の中島飛行機(現・富士重工)への要員・資材輸送が目的で、群馬の大泉まで延ばす計画があったが、終戦により幻の路線となってしまいました。
返信する
忍っこさんへ (クニ)
2009-06-13 00:15:11
補足ですが、この旧川俣駅を題材に、
田山花袋が『再び草の野に』という小説を書いています。
文庫にはなっていませんが、
全集には収録されていますのでご参考までに……

熊谷ー妻沼間の東武熊谷線は目にしたことはありませんが、
その存在は知っています。
まさにいまや幻の路線ですね。
また、当時を象徴している路線だと思います。
ここにこそメーテルがいるかもしれませんね(笑)
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