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拙著『古利根川奇譚』(まつやま書房)が、
書店の平台に並んでいるのを目にしました。
羽生のショッピングセンター内にある書店。
元上司から情報を得てその書店に足へ運んだら、
想像した以上のスペースをとってもらっていました。
平台は激戦区です。
かつて書店営業をしていた頃、
それは身に染みて感じたことでした。
平台はその書店の個性が現れる場所でもあります。
だから、平台に置いてもらえるありがたさはよくわかっているつもりです。
多謝です。
18歳のとき、自分の本が平台に積まれている光景を夢見たのを覚えています。
それを手にする人の姿も……。
いま思えば、十代のかわいい夢の一つだった気がします。
20代の頃、自分が手がけた本(参考書)が平台に並んだことがあります。
自分が編集に携わった本が、
ワゴンに積まれて売られているのを目にしたこともありました。
そのときどきに嬉しかったのですが、
自著となると感じ方が違いますね。
嬉しさと、気恥ずかしさと、緊張が入り交ざります。
自分の子どもがピアノ発表会や学芸会に出演する姿を見るときも、
これに似た感情になるのでしょうか。
前著『歴史周訪ヒストリア』のときもそうでした。
平台は一つのステージのようです。
ゆえに、交代も激しいもの。
長期間、平台に置かれるわけではないでしょう。
だから、平台の光景は目に焼き付けておきたいものですね。
書店の平台に並んでいるのを目にしました。
羽生のショッピングセンター内にある書店。
元上司から情報を得てその書店に足へ運んだら、
想像した以上のスペースをとってもらっていました。
平台は激戦区です。
かつて書店営業をしていた頃、
それは身に染みて感じたことでした。
平台はその書店の個性が現れる場所でもあります。
だから、平台に置いてもらえるありがたさはよくわかっているつもりです。
多謝です。
18歳のとき、自分の本が平台に積まれている光景を夢見たのを覚えています。
それを手にする人の姿も……。
いま思えば、十代のかわいい夢の一つだった気がします。
20代の頃、自分が手がけた本(参考書)が平台に並んだことがあります。
自分が編集に携わった本が、
ワゴンに積まれて売られているのを目にしたこともありました。
そのときどきに嬉しかったのですが、
自著となると感じ方が違いますね。
嬉しさと、気恥ずかしさと、緊張が入り交ざります。
自分の子どもがピアノ発表会や学芸会に出演する姿を見るときも、
これに似た感情になるのでしょうか。
前著『歴史周訪ヒストリア』のときもそうでした。
平台は一つのステージのようです。
ゆえに、交代も激しいもの。
長期間、平台に置かれるわけではないでしょう。
だから、平台の光景は目に焼き付けておきたいものですね。
先日のブログにて、今月下旬には発売されるとのことで楽しみにしておりました。書店の平台に並んでいるとのことでしたので、待ちきれず仕事の帰りに早速寄って見ました。コメントも大きく付いた企画の売り場で、すぐにわかりました。前著書「歴史周訪ヒストリア」を初めて手にしたのは行田図書館の郷土資料室でした。
実は昨日行田市民大学の皆さんと、川圦神社と砂原の鷲神社を見てきたところです。
これから拝読し、古利根川探訪を楽しみたいと思います。益々の執筆等御活躍を御祈念申し上げます。
また拙著をお手に取っていただき、重ねて御礼申し上げます。
ありがたいもので、想像以上のスペースで拙著を置いてもらっており、多くの方の目に留まればいいなと思っています。
私のサインも飾ってあると聞きました。
ちょっと気恥ずかしいですね。
行田市民大学の皆さまと川圦神社と砂原鷲神社に行かれたのですね。
ちょう拙著で取り上げている場所です。
大学の皆さまにはよくご存知の場所とは思いますが、何かの参考になれれば幸いです。
なお、浅学者ですのでご教示を賜れば幸甚です。
どうぞよろしくお願いいたします。
店員さんの対応にキレテ地元の作家さんをもっと大事に
すべきだと言ってきました。変なおばさんだと思われただけかもしれませんが、、、、。昨日吉増剛造展をみてきました。やはり田山花袋のことも研究しているんですね。
詩人の荒川洋冶は田舎教師の書評で「人は、地理とのかかわりのなかにいる。<中略>それは人間のありかたそのものであり<略>田山花袋は地域を見つめた。身近なところ、基本になる世界を、ていねいに描いた。としめくくっています。タカトリさんはちゃんとあとを
ついでいますね。おめでとう。
無事に出版することができました。
利根川は20代のときから追いかけてきたテーマだったので、このような形になったことを嬉しく思っています。
イオン内の未来屋書店で平積みにしていただいているせいか、「本を見たよ」と声を掛けられることが多くなりました。
もちろんイオンだけではないのですが、平台は書店さんの「舞台」ということを実感している次第です。
田山花袋は確かに地域を見つめた作家だったかもしれません。
紀行文を読んでもそう感じます。
いま、市広報で『田舎教師』を題材にしたコラムを連載しているのですが、花袋の丁寧な描写力と地域を見つめる花袋の目に改めて触れる思いがしています。
花袋も目にした利根川。
花袋が描く利根川はいささか感傷的に流れているかもしれませんね。