クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

上杉謙信が羽生城へ“忍び”の指示をした? ―『戦国の城攻めと忍び』刊行のお知らせ―

2023年05月20日 | 戦国時代の部屋
休職していた頃、多くの方にご迷惑をおかけしました。
飛ばした仕事の中で、
心に残っている1つに戦国の忍びに関するセミナーがあります。

令和3年、埼玉県立嵐山史跡の博物館で開催された「実相 忍びの者」に関連し、
「戦国の忍びを考える―武蔵国での戦いをめぐって―」と題するセミナーが開かれました。
企画者である学芸員の岩田明広氏からお声がかかり、
羽生城に宛てた上杉謙信書状の中に忍びとみられる存在を切り口に、
天正2年(1574)における同城の歴史的意義や忍びについて言及するという機会を与えられました。

拙著『古利根川奇譚』(まつやま書房)を執筆していた頃から考えていたものとリンクしていたため、
改めてそれを整理して、想いの丈をお話しするつもりでした。
が、心房細動を起こし、そのまま心も不調をきたして休職。
セミナーの仕事を飛ばしてしまいました。

後日、岩田さんから僕の欠席を残念に思われた方々のお声があったと聞き、
余計心苦しく思いました。
職場に復帰したのはセミナー開催から約半年後のことで、
いまでも図書館等で企画展の図録を見かけると、心が痛くなります。

過去は取り戻せない。
悔いてももうやり直せない。
ので、体調が悪化しないよう気を付けようと、気持ちを新たにしたばかりのときです。
岩田さんから再び連絡をいただきました。

セミナー「戦国の忍びを考える」を基に、書籍を作る企画が持ち上がっているとのこと。
ひいては、セミナーで与えられたテーマで原稿を書かないか? という趣旨が岩田さんから伝えられました。

二つ返事でお引き受けしました。
せっかくのチャンスを飛ばした身です。
改めて機会を与えて下さったことに感謝しかありませんでした。
と同時に、二度と仕事を飛ばすまいと誓ったのは言うまでもありません。

万難を排し、執筆に挑みました。
材料はおおよそ揃っていたので、どう料理をするかが肝でした。
が、言うは易く行うは難し、とはよく言ったもので、
イメージを形にするのは難しく、材料があると言っても史料希少であることには変わりありません。
何度も躓かざるを得ませんでした。

なんとか形にしても、推敲をするたびに粗が目につきます。
一旦原稿を寝かすと、それまで違和感のなかったところが気になり始め、
改めて調べ直したり、書き直したりしたのは一度や二度ではありませんでした。
パソコンで読むのと、印字した紙で読むのとでも目に留まる箇所が異なり、
規定の枚数に収めるのもひと苦労でした。

今回は、主にセミナーに参加した方たちが書いた原稿を1冊にするというものです。
この場合懸念だったのは、自分の原稿だけ浮いているのではないかということです。
ひどく的外れなことを書いているのではないかという不安が常に付きまといました。

最終校正を終えたいまも、その不安は拭い去れません。
もう腹をくくるしかないのですが、
何歳になっても、どの原稿に関しても、
一度自分の手元から離してみないとわからないものです。

さて、この書籍は2023年5月31日に刊行予定です。
タイトルは『戦国の城攻めと忍び 北条・上杉・豊臣の攻防』。
吉川弘文館から刊行されます。
編者は、“戦国の忍びを考える実行員会”及び“埼玉県立嵐山史跡の博物館”であり、
執筆陣は、新井浩文氏、岩田明広氏、木村希氏、嶋田英也氏、谷口榮氏、桝沢誠氏、村山修氏、山田雄司、吉丸雄哉氏の面々となっています。

僕は、「上杉謙信の「夜わざ鍛錬之者」から考える羽生城の忍び」というタイトルで寄稿しました。
岩田さんの論文も含め(「永禄五年葛西城忍び乗っ取り作戦と天正二年羽生城忍び合戦」)、
この書籍を通して羽生城に注目が集まれば幸甚ですし、
関東戦国史の魅力が一人でも多くの方に伝われば望外の喜びです。

上杉謙信は羽生城へどんな忍びの指示をしたのか?
羽生領に忍びがいたのか?
『戦国の城攻めと忍び』の中でお会いしましょう。

ところで、世を忍ぶように休職していた自分が、忍びの原稿を書くというのは、
何かの洒落のようです。
が、心を崩してひどく辛かった時期に別れを告げられた気がします。
(単に目が逸れているだけかもしれませんが)

こんな自分でも、復帰するところまで来られました。
いま暗くて苦しいトンネルの中を彷徨っている方がいましたら、
慌てず無理せず悲観せず、ゆっくり世を忍んでもいいと思います。
いつかトンネルを抜けたとき、
忍びの術を会得したあとの世界はきっと違って見えるはず。
その意味で忍びの日々も悪くなかったかも、と思えたならば、
おそらくそこが免許皆伝(トンネル脱出)なのでしょう。

【書誌情報】
タイトル:『戦国の城攻めと忍び 北条・上杉・豊臣の攻防』
著者:戦国の忍びを考える実行員会編・埼玉県立嵐山史跡の博物館編
版元:吉川弘文館
刊行:2023(令和5年)5月31日予定
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b623089.html
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2 コメント

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Unknown (jiji)
2023-05-20 09:38:07
結局、羽生城ってどこにあるの?
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jijiさんへ (クニ)
2023-05-20 22:43:06
『新編武蔵風土記稿』及び他の文献から類推すると、羽生市東5丁目に鎮座する天神社付近と考えられます。
ただ、天神社は「浅野文庫蔵諸国古城之図」に所収された「先玉」や「武陽羽生古城之図」といった羽生城絵図を見ると、東南の「天神曲輪」に比定されます。
なので、本丸は天神社よりも西にあったことになりますが、実城、中丸といった施設が具体的にどこにあったのか、断言できないのが歯がゆいところです。
「古城天満宮」や「城沼」、「城橋」「城上横町」「戸張」といった地名・名称が、遺構を失った羽生城をかろうじて偲ばせてくれます。
土地の記憶を復元する機械を、例えばネコ型ロボットが出してくれたら、羽生城を見てみたいですね。
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