クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

北武蔵のパワースポット”はどこにある?(15)―伊奈氏の墓碑―

2010年11月14日 | パワースポット部屋
伊奈氏の墓碑の前に立つと、
川のせせらぎの音がする。
鴻巣市に所在する勝願寺には、伊奈氏の墓碑がある。
埼玉県指定文化財だ。

徳川家康が関東に入府して以降、
幕府代官頭(関東郡代)として貢献した伊奈氏の実績はあまりにも大きい。

その一つに、“利根川の瀬替え(東遷)”がある。
いま利根川は千葉県銚子に注いでいるが、
元々このような流れだったわけではない。

江戸時代当時、利根川は江戸湾(東京湾)に注いでいた。
これを現在の流路に変えたわけだが、
ここに尽力したのが伊奈氏だった。

利根川の瀬替え第一期工事と言われるのが、
文禄3年(1594)の会の川締切。
その後、長い歳月を経て着々と瀬替え工事が進んだ。

元和7年(1621)には新川通の開削。
同年に、赤堀川が初めて開削された。
寛永12年から18年にかけて江戸川が通ると、
寛永18年(1641)に権現堂川が掘られた。
そして、承応3年(1654)に赤堀川が増削され、
銚子に注ぐ現在の流れになったのである。

この一連の流れに大きく尽力したのは、
伊奈忠次の2男“伊奈忠治”である。
荒川の西遷や見沼溜井の造成にも関わり、
初期の関東開発を支えた。
ただ、穏やかに流れているように見える川でも、
そこには深い歴史と、
そこに携わった人物の生の輝きがあると言えよう。

十代のとき、利根川を遊び場としていたぼくは、
この利根川の歴史は衝撃的だった。
当たり前のように流れている川でも、
実はいろいろなドラマがある。

水上交通が主だった往古は、
川は高速道路のようなもので、
多くの舟が行き来をしていたし、
川沿いには伝説もたくさん伝わっている。
その深みと広さに一気にはまってしまった。

利根川の瀬替えに深い関係を持つ伊奈氏も、
川の歴史に触れて知った。
実は、小学校の副読本に載っていたのだが、
興味のなかったぼくは、
その名は忘却の彼方に飛んでいたらしい。
関心の有無は雲泥の差ほど違う。

その後、勝願寺へ行って伊奈氏の墓碑を目にしたとき、
まるで憧れの芸能人と対面するようだったのを覚えている。
同寺の境内には、伊奈忠次と忠治の墓碑がある。
もの静かに建っているだけだだが、歴史の重みが違う。
その生の輝きや強さみたいなものを、
墓碑の前に立っていると得られそうな気がした。

関心がなければただの墓碑だ。
かつ「ただの人」である。
しかし、その歴史や生の軌跡を知っていると、
たちまちオーラを放つ。
そのオーラを感じたとき、
何か得るものがあるのではないだろうか。



伊奈氏墓碑(埼玉県鴻巣市)




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