伊奈氏の墓碑の前に立つと、
川のせせらぎの音がする。
鴻巣市に所在する勝願寺には、伊奈氏の墓碑がある。
埼玉県指定文化財だ。
徳川家康が関東に入府して以降、
幕府代官頭(関東郡代)として貢献した伊奈氏の実績はあまりにも大きい。
その一つに、“利根川の瀬替え(東遷)”がある。
いま利根川は千葉県銚子に注いでいるが、
元々このような流れだったわけではない。
江戸時代当時、利根川は江戸湾(東京湾)に注いでいた。
これを現在の流路に変えたわけだが、
ここに尽力したのが伊奈氏だった。
利根川の瀬替え第一期工事と言われるのが、
文禄3年(1594)の会の川締切。
その後、長い歳月を経て着々と瀬替え工事が進んだ。
元和7年(1621)には新川通の開削。
同年に、赤堀川が初めて開削された。
寛永12年から18年にかけて江戸川が通ると、
寛永18年(1641)に権現堂川が掘られた。
そして、承応3年(1654)に赤堀川が増削され、
銚子に注ぐ現在の流れになったのである。
この一連の流れに大きく尽力したのは、
伊奈忠次の2男“伊奈忠治”である。
荒川の西遷や見沼溜井の造成にも関わり、
初期の関東開発を支えた。
ただ、穏やかに流れているように見える川でも、
そこには深い歴史と、
そこに携わった人物の生の輝きがあると言えよう。
十代のとき、利根川を遊び場としていたぼくは、
この利根川の歴史は衝撃的だった。
当たり前のように流れている川でも、
実はいろいろなドラマがある。
水上交通が主だった往古は、
川は高速道路のようなもので、
多くの舟が行き来をしていたし、
川沿いには伝説もたくさん伝わっている。
その深みと広さに一気にはまってしまった。
利根川の瀬替えに深い関係を持つ伊奈氏も、
川の歴史に触れて知った。
実は、小学校の副読本に載っていたのだが、
興味のなかったぼくは、
その名は忘却の彼方に飛んでいたらしい。
関心の有無は雲泥の差ほど違う。
その後、勝願寺へ行って伊奈氏の墓碑を目にしたとき、
まるで憧れの芸能人と対面するようだったのを覚えている。
同寺の境内には、伊奈忠次と忠治の墓碑がある。
もの静かに建っているだけだだが、歴史の重みが違う。
その生の輝きや強さみたいなものを、
墓碑の前に立っていると得られそうな気がした。
関心がなければただの墓碑だ。
かつ「ただの人」である。
しかし、その歴史や生の軌跡を知っていると、
たちまちオーラを放つ。
そのオーラを感じたとき、
何か得るものがあるのではないだろうか。
伊奈氏墓碑(埼玉県鴻巣市)
川のせせらぎの音がする。
鴻巣市に所在する勝願寺には、伊奈氏の墓碑がある。
埼玉県指定文化財だ。
徳川家康が関東に入府して以降、
幕府代官頭(関東郡代)として貢献した伊奈氏の実績はあまりにも大きい。
その一つに、“利根川の瀬替え(東遷)”がある。
いま利根川は千葉県銚子に注いでいるが、
元々このような流れだったわけではない。
江戸時代当時、利根川は江戸湾(東京湾)に注いでいた。
これを現在の流路に変えたわけだが、
ここに尽力したのが伊奈氏だった。
利根川の瀬替え第一期工事と言われるのが、
文禄3年(1594)の会の川締切。
その後、長い歳月を経て着々と瀬替え工事が進んだ。
元和7年(1621)には新川通の開削。
同年に、赤堀川が初めて開削された。
寛永12年から18年にかけて江戸川が通ると、
寛永18年(1641)に権現堂川が掘られた。
そして、承応3年(1654)に赤堀川が増削され、
銚子に注ぐ現在の流れになったのである。
この一連の流れに大きく尽力したのは、
伊奈忠次の2男“伊奈忠治”である。
荒川の西遷や見沼溜井の造成にも関わり、
初期の関東開発を支えた。
ただ、穏やかに流れているように見える川でも、
そこには深い歴史と、
そこに携わった人物の生の輝きがあると言えよう。
十代のとき、利根川を遊び場としていたぼくは、
この利根川の歴史は衝撃的だった。
当たり前のように流れている川でも、
実はいろいろなドラマがある。
水上交通が主だった往古は、
川は高速道路のようなもので、
多くの舟が行き来をしていたし、
川沿いには伝説もたくさん伝わっている。
その深みと広さに一気にはまってしまった。
利根川の瀬替えに深い関係を持つ伊奈氏も、
川の歴史に触れて知った。
実は、小学校の副読本に載っていたのだが、
興味のなかったぼくは、
その名は忘却の彼方に飛んでいたらしい。
関心の有無は雲泥の差ほど違う。
その後、勝願寺へ行って伊奈氏の墓碑を目にしたとき、
まるで憧れの芸能人と対面するようだったのを覚えている。
同寺の境内には、伊奈忠次と忠治の墓碑がある。
もの静かに建っているだけだだが、歴史の重みが違う。
その生の輝きや強さみたいなものを、
墓碑の前に立っていると得られそうな気がした。
関心がなければただの墓碑だ。
かつ「ただの人」である。
しかし、その歴史や生の軌跡を知っていると、
たちまちオーラを放つ。
そのオーラを感じたとき、
何か得るものがあるのではないだろうか。
伊奈氏墓碑(埼玉県鴻巣市)
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