三箇日、初詣は行かれたでしょうか。
家内安全、交通安全、学業成就、恋愛成就などなど、祈願はそれぞれです。
羽生市内に「落ちない神社」と言われる社があります。
場所は中岩瀬。
「天神社」がその社です。
なぜ落ちないのか?
それは羽生城に関する伝説に由来しています。
羽生城が敵勢に攻められて落城するとき、
城主の奥さんと息子は城から脱出。
そのとき、懐に入れて持ち出したのは鎮守である天神社のご神体でした。
母子は無事に落ち延び、戦乱が治まるまで身を隠します。
そして、ようやく戦乱の世が終わったとき、
母子は名前を変えて生きていくことになりました。
母子は社を建て、城から持ち出したご神体を安置。
それこそが中岩瀬の天神です。
したがって、落城しても焼失しなかったという意味で、
「落ちない神社」と言われるようになりました。
受験に落ちない。
志望校に合格する!
ということで、受験生からの信仰を集める神社になったそうです。
以上は地元の方から聞いた話です。
古文書や記録等で「落ちない神社」と記されているわけではありません。
伝説は「中岩瀬天満宮縁起」に拠っています。
大変興味深い内容ですが、あくまでも伝説と捉えるのが無難でしょう。
中岩瀬の天神社は少々わかりにくい場所に鎮座しています。
「中岩瀬上集会所」を目指した方がいいでしょう。
小さな社です。
祠のようなものが塚の上に立っており、
一般的な神社のイメージとは異なるかもしれません。
祈願すれば本当に落ちないのでしょうか?
中岩瀬の天神社のご神徳をまだ確かめたことはありません。
落ちたくないのは、何も学生だけでなく社会人も同じこと。
一度参拝して試してみるのもいいかもしれませんね。
※最初の写真は岩瀬公民館前のバス停。記事と特に関係はありません。
中岩瀬天満宮はこのバス停から北へ向かったところです。
家内安全、交通安全、学業成就、恋愛成就などなど、祈願はそれぞれです。
羽生市内に「落ちない神社」と言われる社があります。
場所は中岩瀬。
「天神社」がその社です。
なぜ落ちないのか?
それは羽生城に関する伝説に由来しています。
羽生城が敵勢に攻められて落城するとき、
城主の奥さんと息子は城から脱出。
そのとき、懐に入れて持ち出したのは鎮守である天神社のご神体でした。
母子は無事に落ち延び、戦乱が治まるまで身を隠します。
そして、ようやく戦乱の世が終わったとき、
母子は名前を変えて生きていくことになりました。
母子は社を建て、城から持ち出したご神体を安置。
それこそが中岩瀬の天神です。
したがって、落城しても焼失しなかったという意味で、
「落ちない神社」と言われるようになりました。
受験に落ちない。
志望校に合格する!
ということで、受験生からの信仰を集める神社になったそうです。
以上は地元の方から聞いた話です。
古文書や記録等で「落ちない神社」と記されているわけではありません。
伝説は「中岩瀬天満宮縁起」に拠っています。
大変興味深い内容ですが、あくまでも伝説と捉えるのが無難でしょう。
中岩瀬の天神社は少々わかりにくい場所に鎮座しています。
「中岩瀬上集会所」を目指した方がいいでしょう。
小さな社です。
祠のようなものが塚の上に立っており、
一般的な神社のイメージとは異なるかもしれません。
祈願すれば本当に落ちないのでしょうか?
中岩瀬の天神社のご神徳をまだ確かめたことはありません。
落ちたくないのは、何も学生だけでなく社会人も同じこと。
一度参拝して試してみるのもいいかもしれませんね。
※最初の写真は岩瀬公民館前のバス停。記事と特に関係はありません。
中岩瀬天満宮はこのバス停から北へ向かったところです。
現在は愛宕様と言わないと地元の人には通じない解らないのです、以前私も知識の無い時は天神様とは知りませんでした。
現在の神社は幕末から明治期に医王寺から移したと見受けたのですが。
戦国期の川鍋屋敷に祀ってあったのが始まりと記憶しています。
以前からですが歴史教科書に無い歴史は伝えても伝わらない虚しさが有り、教科書の歴史すら理解してもらえません。
でも、映画の影響か忍城は話しをする人が多いですね、
羽生城とは理解している人がほとんど居ません寂しくなってきますね。
高校生の頃、あの辺りを自転車で行く機会があったのですが、
神さまが祀られていると知ったのはあとになってからのことでした。
医王寺も郷土史に興味を持ってから知った寺院です。
逆に言えば何も知らなかったから、知識を得てからの史跡巡りはとても楽しかったです。
「普及」の難しさは実感するところです。
ブログや書籍、市広報でアピールしても、
少しでも関心を持たなければ目に留まることはありません。
その「関心」を芽生えさせるのは長年の多くの人たちの努力なのだと思います。
全ての人に関心を持ってほしいとは言いません。
でも、関心がなくても知識(情報)として知っているというように伝えていきたいですね。
その知識(情報)が、後年関心へ芽吹くかもしれないですから。