クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

桶狭間における織田信長のコトノハは? ―戦国コトノハ―

2014年12月28日 | コトノハ
 運ハ天ニ在リ、此語は知らざる哉。懸らばひけ、しりぞかば引付くべし。
 是非に稠倒し、追崩すべき事案の内なり。分捕をなすべからず、打捨たるべし。
 軍に勝ちぬれば此場へ乗つたる者は家の面目、末代の高名たるべし。只励むべし
 (『信長公記』より)

これは、今川義元の本陣へ突っ込む直前に織田信長が言ったコトノハ。
世に言う桶狭間の戦いにおけるコトノハである。

このとき信長は死ぬ覚悟ができていただろう。
しかし、悲観している様子はない。
諦めてもいない。
兵力に差はあっても、勝ちを捨ててはいない。
1%でも勝利の確率があるならば、
全力でそれに賭ける、といったところだろうか。

もし、信長が投げやりになっていたならば
歴史は大きく変わっていただろう。
信長はこの世を去り、今川義元も桶狭間で死すことなく、
歴史に輝かしく名を残したかもしれない。

ピンチはチャンス。
今川勢の進攻は、信長の生涯で上位に入るほどの危機だった。
しかし、見事チャンスを掴み取っている。
少数の軍勢で大軍を打ち破った信長は、
強烈なインパクトでその名を全国に轟かせた。
もし諦め体質だったならば
今日知られる「織田信長」は存在しなかったはずだ。

「すはかかれ、かかれ」と、大音声をあげて急襲したという信長。
服部小平太が義元と斬り合って負傷。
毛利新介が義元を討ち取り、織田方の勝利となった。

討ち取った首は3千余。
翌日に首実検が行われた。
また、信長は義元塚を築き、千部経を読ませると、
大卒塔婆を立てたという。
後年、容赦ない殺戮を繰り広げた信長と比べると、
この頃はまだ死者を悼む気持ちがあったことがうかがえる。

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