クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

クニのウラ部屋雑記(5) ―須影駅―

2008年06月09日 | ウラ部屋
埼玉県羽生市には4つの駅があり、
その中に“南羽生駅”がある。
その周辺は新興住宅が次々に建ち、
変貌著しい場所と言える。

いまでこそ南羽生駅と呼んでいるが、
かつては“須影(すかげ)駅”だった。
明治36年(1903)9月13日に設置。
須影村(現羽生市須影)にちなんだ駅名と思うが、
実はここは神戸村、あるいは手子林村に属している。
須影ではない。

なぜ須影駅と命名されたかというと、
実は、羽生初代市長“出井兵吉”が絡んでいるという。
出井兵吉は須影村出身。
明治36年当時は北埼玉郡会議員であった。
駅の設置にあたって“手子林駅”と名付けられるはずだったが、
出井兵吉が「待った」をかけた。

「手子林(てこばやし)は館林(たてばやし)に似ている。これでは間違える者もいるだろう。須影駅の方がよい」
これによって須影駅に決まった。
手子林と館林。
本当に間違えるほど似ているだろうか。
それが本心かどうかは定かではないが、
結局須影駅として開業された。

ところが、あまりに乗降客が少ないため、
須影駅は明治41年8月15日に廃止。
旧川俣駅のごとく「再び草の野に」なったのかもしれない。
現在の南羽生駅が開業したのは、
昭和2年(1927)4月1日のこと。
東武鉄道が電化・複線化に伴っての再開業だった。
駅名は須影駅改め、南羽生駅となったのである。

ちなみに、出井兵吉は昭和29年の市制施行により、
同年10月に初代市長に当選した。
現在、羽生市役所内に建っている銅像がその人である。


出井兵吉翁像

当時の市役所は中央2丁目にあった(現中央公民館)。
しかし、行政事務の複雑化に伴い、
庁舎移転の話が持ち上がる。
その候補地に挙がったのが須影だった。
結局それは実現しなかったが、
もし須影に庁舎が建っていたらどうなっていただろう。
出井兵吉は昭和35年8月14日に没。
享年89歳だった。

現在、南羽生駅は多くの人たちに利用されている。
周辺地域の発展に伴い、
乗降客の顔ぶれも新しく変わっているのかもしれない。
また、周辺の景色も著しく変わり、
近年では“イオンモール羽生”がオープン。
ひとつの転機を迎えている。

一方、出井兵吉の屋敷跡は現在パチンコ店である。
これも時代の流れだろうか。
屋敷跡のそばには新しい4車線道路ができ、
車が絶え間なく通り過ぎている。
南羽生駅へ向かう電車が走り過ぎても、
その音は聞こえてこない……


岩瀬落から出井兵吉屋敷跡を望む。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 6月9日生まれの人物は?(... | トップ | 6月10日生まれの人物は?... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウラ部屋」カテゴリの最新記事