クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生市内で目にする “城”の字は? ―東城橋―

2023年06月20日 | 羽生城跡・城下町巡り
羽生城の遺構は消えても、
町の中に散見される「城」の字。

例えば、「東城橋」がある。
埼玉県羽生市東8丁目に架かる橋で、
うどん・そば店「よしの」のすぐ北側に位置する。
道路の一部となっているから、「橋」という認識を持っている人は少ないかもしれない。

「東城橋」があるなら西・北・南があるかと言えば、ない。
東城橋から西に向かってぶつかるのは「城橋」である。
前者が城沼落としに対し、後者は葛西用水路に架かっている。

城の字が付いても、戦国時代まで遡らない。
城絵図を見ると、羽生城は東南北を大沼で覆われているため、
往時において東城橋は姿形もなかったと思われる。

橋のそばは交差点になっており、車の交通量が多い。
なので、見学の際には注意が必要だ。

この十字路を通り過ぎるたび、過去の時間が交差する。
かつて、「よしの」の向かいには「シバタ薬局」という店舗が建っていた。
髪を茶色く染めたのは15歳のときで、
人生初のヘアカラー購入は「シバタ薬局」だった。

学校で髪を染めることは禁じられていたから、
身だしなみ定期検査をクリアする必要があった。
そのため、検査前日に「シバタ薬局」で手に入れたのは髪を黒くするヘアカラー。
付け焼刃もいいところだったが、不思議と職員室に呼び出されることはなかった。

「シバタ薬局」の向かい側には、「清香軒」というラーメン店があった。
同級生から美味と教えられ、部活帰りに友人と何度も足を運んだ。
いつしか常連客の一人になっていたと思うが、
期末テスト前の放課後に食べたのを最後に、わけあって足を運べなくなってしまった。
いつの間にか閉店してしまい、ラーメンのみならず終わっていく寂しさを知った。

東城橋から城沼落としを下っていくと、やがて中川に合流する。
その手前に「セーブオン」というコンビニがあった。
他校の同級生がバイトをしていたらしい。
釣り場へ向かう明け方、窓越しに見えたのはその同級生だったかもしれない。
それが本人だったか否かいまもわからず、
答えを知ったところでどうにかなるわけでもないのに、そんなことが妙に引っかかる。

「清香軒」の横にあったお好み焼き店は最初で最後の入店となり、
交差点近くに住んでいた国語教師は、とっくに引っ越しているだろう。
変わらないのは、「よしの」の美味しいそばくらいか。

カウンターでラーメンをすすっていた頃は「城」の視点を持っておらず、
どこにでもある町の一角にしか目に映っていなかった。
「城橋」の言葉に何ら違和感を覚えず、
そこが「東城橋」と知っても立ち止まることはなかった。

橋の欄干代わりのカードレールには、
「東城橋」と書かれたプレートが取り付けられている。
信号待ちをしている間、遠い羽生城の時代に想いを馳せてもいいかもしれない。
時間が交錯するだろうか。
ただ、上杉謙信が羽生の地に立った1574年よりも、
「清香軒」で最後にラーメンを食べた1995年の方が遠くに感じるのはなぜだろう。


埼玉県羽生市
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