くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

コペ転

2006-05-31 13:56:26 | ノンジャンル


僕の世間知は遅かった。

遅かったことだけは憶えているんだけれど、いつの頃だったのか、それがとんと思い出せなくなっている。
ひょっとすると高校生ぐらいだったのかも知れない。

大学の頃、アンダーソンのワインズバーグオハイオという作品を読んだ記憶とごちゃ混ぜになってしまっているというのも原因の一つだ。
いくつもの短編が、それぞれの主人公の物語を紡ぎながら、すべてが絡まり合って発展していき、一つの世界になっていく。
あの中での一人の青年の世間知のエピソードは、本当に美しかったと記憶している。


いやいや、だからホントはそんなに遅くもなかった気がしてくる。
遅かったと感じているのは、大学院の頃、万年助教授がえらく感動した様子で「コペル君」の本をみんなで読むようにとゼミに持ち込んだなんて事があったからかも知れない。
僕はそこで中学校のホームルームに参加しているような居心地の悪さを感じては居たけれど、すでに3人も子どもがあるその万年助教授の遅すぎる春を、おもしろ可笑しくも思ったのだった。あの頃その助教授は何歳だったんだろうか?
最初は学生たちに対する教育効果を狙ったんだろうと思っていたのだけれど、話を聞いている内にどうやらわかってきたんだけれど、ホントにその本を読んで初めて世間知を体験したようなのだった。
あまりにも遅すぎる世間知。
たぶんそのことが、僕の記憶を覆ってしまったんだろうね。
大学という一種クローゼットな環境が、彼のそんな幼児性を温存させていたのかも知れない。彼は、いろんな言動においてクローゼットモンスターであり続けていたしね。






「世間知」という言葉を知らないまでも、その通過儀礼を済ませてしまっている人も多いに違いない。
僕がそうだったからと言うわけでもないんだけれど。
「コペル君」の本ってのは、<君たちはどう生きるか 吉野源三郎著>。ついでだから、あらすじを紹介しているサイトから、少しだけ抜粋してみようか。

<ある日、叔父さんはニュートンが林檎からなぜ引力を思いついたのかを語った。そしてわかり切ったと思われていることをどこまでも追っかけて考えてゆくことの大切さを説いた。コペル君はそのことに刺激を受け、粉ミルクが自分のところへ届くまでにどれだけ多くの人が関わるかということを考え、「人間分子の関係、網目の法則」という名をつけた。>

コペル君ってのはコペルニクス的転換からきてるんだけど、ついでだからもう少しそのサイトから抜粋してみよう。

<私たちは幼少の頃、地動説の見方をします。
「うちの隣が山田さんの家で、そのお隣が公園。。。」
自分が世の中の中心とした考え方です。

年を重ねるにつれ、天動説の見方になります。
「私は、会社の中のこの立場、役割にいる。。。 誰さんは上司の秘書。。。」
自分が世界の中心ではなく、世の中の水の分子のようなもの。
このパラダイムシフトをコペルニクス的転換、と言うようです。>


今着ている服だって今朝食べた食事だって、辿りきれないほど人の手を伝って、人の手間を経て、自分のところに届いてくる。何気なく生きていることの目も眩むような因果関係を悟るというのかな。世間にやんわりと支えられていて、決して孤独に生きているのではないと言うことを悟る。思春期の孤独の終わり。そして人は大人になっていく。

そう言えば、その昔はやった「博多っ子純情」ってなマンガでも、このコペルニクス的転換ってやつを取り上げてたことがあったなぁ。登場人物たちが「コペ転って知っとうや? コペ転、コペ転!」と騒いでたのを、苦笑しながら読んだっけ。




さて、世間的には大人になったものの、地球で暮らす一生命体としては、相変わらず世間知を体験する前の状態の人たちが多いような気がしている。

生命は互いに長い鎖になって、それが絡まり合って奇怪なネットワークを造っている。支え合っているなんてもんじゃないのだ。その複雑さと言ったら、じっとのぞき込んで細かいところが見え始めると、目眩がするほど。喩えて言うなら、手のひらの上に銀河があって、その中にさらにたくさんの銀河がつまっていて......。それはもうどれか一つを切り離して生きていける物ではなくて、全部で一つの生命なのだと言うことがわかってくる。
決して人間が単独で生きているんじゃないのだ。
ましてや、他の生命たちが人間のためだけに造られたんじゃないんだ。
人類は、そう言う意味ではまだ大半が大人になっていないんじゃないかと思ったりする。

熱帯の生命のるつぼの中に、緑の混沌の中にいると、そんなことを改めて強く感じさせられる。



人類は大気を汚し、大気を巡る生命の連関を壊し続けている。それは自らの呼吸器系を痛めつけているのと変わらない事なのに。頭からビニール袋をかぶってシンナーを吸っている中高生よりも愚かしい行為なのに。CO2濃度は跳ね上がり、胸深く吸い込んだ化学物質に朦朧となる。

人類はまた、水を汚している。海を汚している。それもまた自らの循環器系に毒を流し込んでいるのと変わりない事なのだと実感できずに、どこか遠くで起きている他人事のように思っている。
そうして、自分の血管にせっせと毒薬を流し込んでいる。

このまま大人になる前に、命絶えてしまうかも知れない勢いだ。
早いとこコペ転してくれないとね。

コペ転!
知っとうや?