こんにちわ、「くまドン」です。
今回は、一年の最後となる大晦日(おおみそか)の日の話です。名所江戸百景で大晦日と言えば、全118景の最後となる「王子の狐」の話です。場所は、北区(きたく)の王子(おうじ)の装束稲荷(しょうぞくいなり)と王子稲荷(おうじいなり)です。
この話は、「名所江戸百景034 第18景 王子稲荷の社 北とぴあ」の続きにもなります。
早めに王子に到着した為、まだ、日が沈むには、かなり時間がありました。
とりあえず、混雑する前に王子稲荷に立ち寄って、参拝を済ませる事にしました。
大晦日に参拝する人は、ほとんどいないと思いますが・・・・・・・・
王子稲荷の正面は幼稚園になっていますので、平日は侵入禁止です。(左手の坂の途中から入れます。)
しかし、大晦日なので、今日は神社の正面から入れるようになっていました。
階段の上に王子稲荷の拝殿が見えます。
毎月午の日が縁日で、2月初午の日、二の午、三の午には、火防(ひぶせ)の凧(たこ)、守札がだされ、境内にも凧を売る店が出て、賑わいます。
【王子稲荷神社(おうじいなりじんじゃ)】
(1)社伝によれば、「平安時代中頃の武将・源頼義(みなもとのよりよし)が、奥州(おうしゅう、東北地方)の前九年の役(ぜんくねんのえき)を鎮定する時に深く王子神社を信仰して、関東稲荷総司とあがめた」と伝わります。
この当時の「関東」とは、陸奥国(青森県)まで含む「東国三十三国」を意味しましたので、東日本の稲荷様の取りまとめ役です。
階段の下のお稲荷さんも、大晦日の今日は、装束を着ています。
(2)江戸時代になると、2代・秀忠(ひでただ)の慶長年間に、宥養上人を招いて、王子稲荷と王子権現の別当(べっとう、神社を管理する寺)であった金輪寺の住職に任じます。
王子稲荷も、武家に縁(ゆかり)が深い寺として、徳川将軍家祈願所(きがんじょ、神仏に願い事を行う寺社)の一つに定められました。
拝殿の右手奥に進むと、本宮があります。そして、さらにその奥に進んで行くと、「狐穴」と呼ばれる謎の穴があるのです。
(3)3代・家光(いえみつ)の寛永年間には、すでに狩野派(かのうは)の絵の中に、王子の狐と狐火の姿が見る事ができます。この当時には、王子の狐火の話は、将軍の耳にも届いていたようです。
(4)8代・吉宗(よしむね)の享保年間に出版された「江戸砂子(えどすなご)」と呼ばれる江戸の地名・寺社・名所の説明を書いた書物によると、「狐火がおびただしく、当地の農民はこの火によって田畑の豊凶を占ったりする。」という記載があり、当時の様子を伝えています。
下の絵は、広重の名所江戸百景「第18景 王子稲荷の社」(春景)です。
絵の説明は、「名所江戸百景034 第18景 王子稲荷の社 北とぴあ」で説明済みですので、省略いたします。
(5)江戸時代前半までは、王子稲荷は「東国三十三国」の幟(のぼり)、扁額(へんがく、門・鳥居などの高い位置に表示あされた額)を備えて、別当の金輪寺が「関東三十三ケ国の狐が王子稲荷神社に参集し、この灯す 狐火をもって翌年の作物の豊凶を占うことができる」と宣伝したりと、のんびりとした時代でした。
11代・家斉(いえなり)の寛政の改革(かんせいのかいかく)が始まると、幕府に「関東三十三ケ国」の言葉に疑いがかかり、資料などの没収の上で、以後は「関東八州」の稲荷の総社とのみ観光紹介に許されることになったそうです。
これ以後は、関八州稲荷の頭領として知られるようになりました。
下の絵、広重の名所江戸百景「第118景 王子装束ゑの木大晦日の狐火」(冬景)です。
夜空に星が輝く大晦日の夜、王子のエノキ(榎)の木の下に、多くのキツネが集まっている。
よく見ると、各々のキツネの横には火が浮いています・・・・・・狐火(キツネビ)です。
王子稲荷の別当寺金輪寺などに残る狐火伝承をモチーフとしています。
江戸時代には、毎年大晦日の夜、関東八州の稲荷(いなり)からの使い狐が、このエノキの下で装束を整えてから、絵の右奥にある小高い森にある「王子稲荷」に参拝したという伝説が伝えられていました。
絵の王子稲荷に行く途中の低い所には、人の行列らしきものが描かれていますが、よく見ると、人影の横にも狐火らしきものが見えます・・・・・・・・この人影は、エノキの下で装束を着替えたキツネの化けた姿だったのです。
江戸時代の王子は、江戸郊外の田畑が一面に広がっている地帯でした。
武蔵野台地(むさしのだいち)の東端にあたる現在の王子駅東側には、低く開けた土地が広がっていました。
現在の装束稲荷(しょうぞくいなり)の付近には、一本の大きなエノキ(榎)がありました。
このエノキは「装束榎」と呼ばれ、江戸時代の王子の人達は、狐たちが灯す狐火によって、翌年の田畑の豊凶を占っていたそうです。
広重の絵に描かれているエノキの下に集まるキツネも、何かしらを話しているように見えます。
妖しく光るキツネが集まる中で、暗い夜空と、冬枯れのエノキ、地面の稲ワラが、寒い冬の夜を映し出しています。
王子稲荷神社の参拝の後に、装束稲荷に向かいました。
(絵画調)
江戸の人々は、商売繁昌の神様として稲荷を厚く信仰しており、王子稲荷神社への参詣も盛んでした。
やがて、王子稲荷神社の名とともに王子の狐火と装束榎のいいつたえも広く知られるようになっていきました。
このような王子の背景から、明治時代になって、
落語(らくご)「王子の狐(おうじのきつね)」が生まれる舞台となっていったわけです。
【王子の狐(おうじのきつね)】
人を化かそうとした王子稲荷の狐を題材にした噺(はなし)です。
明治16年に初代・三遊亭圓右(さんゆうてい えんう、明治から大正にかけての落語の名人)が、上方落語の「高倉狐」を東京に逆輸入したもので、7代目・立川 談志(たてかわ だんし)など落語家の間で語り継がれてきました。
落語「王子の狐」の舞台となった扇屋は、まだあるらしく、大きくて旨みタップリの卵焼きを販売しています。
昭和4年に「装束榎」は道路拡張に際して切 り倒され、碑のみが現在の装束稲荷のある場所に移されて、装束稲荷の祠が建てられたそうです。
平成5年からは、毎年大晦日の夜に、装束稲荷から王子稲荷まで『狐の行列』が行われています。
日が暮れると、絵行燈(えあんどん)にも明かりが灯されます。
装束稲荷の近くにある公園では、町の人達が、屋台の店を開いていて、安く美味しく食べられます。
ただし、元々、JR王子駅の近くなので、食事する所はいくらでもありますので、食事には困らないでしょう。
王子狐の行列の参加者が集まってくるまでにに2時間程度ありましたので、昨年・平成24年は、皇居(江戸城)の特別ライトアップをやっていたので、一度、王子駅から東京駅に向かい、皇居へ行ってきました。
今年、平成25年度も皇居のライトアップやっています!!!
しかも、今年は、二重橋、富士見櫓、伏見櫓に加え、坂下門と正門桔梗門に発光LEDのライトアップが追加されて、さらに明るくなっています。(正月2日に行って確認した所、桜田巽櫓は消灯していました)
期間は、平成25年(2013年)12月23日(月)~平成26年(2014年)1月5日(日) 17:00~21:00
昨年撮影した写真は「名所江戸百景095 第113景 虎の門外あふひ坂 皇居外苑の二重橋と櫓」にあります。
皇居で撮影後に、再び、装束稲荷の所に戻ってくると、大きな狐のお面の前で、太鼓の演奏が始まっていました。
右の白狐が、この王子狐の行列の主役一人で、「花婿役」です。
(絵画調)
そして、もう一人の主役「花嫁役」が、白狐の右にいる女性です。地元出身のレコード会社の歌手だそうです。
周りに居る子供達は、撮影に協力してくれるだけでなく、祭りで大いに活躍をするのです。
この写真を、広重の名所江戸百景「第118景 王子装束ゑの木大晦日の狐火」に対応する「くまドン板」の景(確定・冬景)とさせていただきます。
(このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
祭りに参加する方は狐の化粧や狐面をつけていたりするので、結構、快く撮影させていただけます。
小さな子供が、大人になった時、この時の風景・時代を懐かしく思うのでしょうか?・・・・・・・・・・
そろそろ、王子狐の行列が出発するようです。
王子狐の行列は、大通りから回り込みながら王子稲荷神社に向かいます。
行列より先に王子稲荷に到着すると、すでに新年になっていましたので、初詣(はつもうで)の参拝客が長蛇の列です。大晦日に参拝しておいて良かったです。
(絵画調)
右の列が、初詣の参拝客の列です。階段の左は、王子狐の行列が通る為に空いています。
王子狐の行列が、王子稲荷に到着した時は、すでに正月元旦です。
この後、午前2時まで、正月らしい芸が続きました。最後まで撮影していたら、朝寝坊して、元旦の景の撮影失敗となっていくのでした。
今回(来年の元旦)こそは、「くまドン」は、早寝・早起きしなければなりません!!!
それでは・・・・・・・ZZZ・・・・・・・ZZZ・・・・・・・・
(絵画調)
平成26年(2014年)が良い年でありますように
王子付近の過去のブログは、以下の通りです、
「名所江戸百景034 第18景 王子稲荷の社 北とぴあ」
「名所江戸百景035 第49景 王子不動之滝 名主の滝」
なお、「名主の滝」は年末・年始は休園日ですので、ご注意ください。
「名所江戸百景109 第18景 王子稲荷の社 北とぴあ 夕暮れ」
なお、「北とぴあ」は、12/29~1/3の間は全館休館日となりますので、ご注意ください。
今回は、これで終了とさせていただきます。
「くまドン旅日記」のブログを作り始めて、9カ月が過ぎました。仕事、撮影、旅行、体調不良で、ブログ作成計画は完全に未消化となっていて、正月分もできていません・・・・・・それでも、全119景で残り35景程度となりました。
今年、何度も、この「くまドン」ブログを見ていただき、暖かいコメントまでしていただき、本当にありがとうございました。良いお年を。
次回は、正月関連の話題ですが、今年(平成25年)の元旦の景は失敗しましたので、年明け早々(平成26年)に再挑戦です。
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今回は、一年の最後となる大晦日(おおみそか)の日の話です。名所江戸百景で大晦日と言えば、全118景の最後となる「王子の狐」の話です。場所は、北区(きたく)の王子(おうじ)の装束稲荷(しょうぞくいなり)と王子稲荷(おうじいなり)です。
この話は、「名所江戸百景034 第18景 王子稲荷の社 北とぴあ」の続きにもなります。
早めに王子に到着した為、まだ、日が沈むには、かなり時間がありました。
とりあえず、混雑する前に王子稲荷に立ち寄って、参拝を済ませる事にしました。
大晦日に参拝する人は、ほとんどいないと思いますが・・・・・・・・
王子稲荷の正面は幼稚園になっていますので、平日は侵入禁止です。(左手の坂の途中から入れます。)
しかし、大晦日なので、今日は神社の正面から入れるようになっていました。
階段の上に王子稲荷の拝殿が見えます。
毎月午の日が縁日で、2月初午の日、二の午、三の午には、火防(ひぶせ)の凧(たこ)、守札がだされ、境内にも凧を売る店が出て、賑わいます。
【王子稲荷神社(おうじいなりじんじゃ)】
(1)社伝によれば、「平安時代中頃の武将・源頼義(みなもとのよりよし)が、奥州(おうしゅう、東北地方)の前九年の役(ぜんくねんのえき)を鎮定する時に深く王子神社を信仰して、関東稲荷総司とあがめた」と伝わります。
この当時の「関東」とは、陸奥国(青森県)まで含む「東国三十三国」を意味しましたので、東日本の稲荷様の取りまとめ役です。
階段の下のお稲荷さんも、大晦日の今日は、装束を着ています。
(2)江戸時代になると、2代・秀忠(ひでただ)の慶長年間に、宥養上人を招いて、王子稲荷と王子権現の別当(べっとう、神社を管理する寺)であった金輪寺の住職に任じます。
王子稲荷も、武家に縁(ゆかり)が深い寺として、徳川将軍家祈願所(きがんじょ、神仏に願い事を行う寺社)の一つに定められました。
拝殿の右手奥に進むと、本宮があります。そして、さらにその奥に進んで行くと、「狐穴」と呼ばれる謎の穴があるのです。
(3)3代・家光(いえみつ)の寛永年間には、すでに狩野派(かのうは)の絵の中に、王子の狐と狐火の姿が見る事ができます。この当時には、王子の狐火の話は、将軍の耳にも届いていたようです。
(4)8代・吉宗(よしむね)の享保年間に出版された「江戸砂子(えどすなご)」と呼ばれる江戸の地名・寺社・名所の説明を書いた書物によると、「狐火がおびただしく、当地の農民はこの火によって田畑の豊凶を占ったりする。」という記載があり、当時の様子を伝えています。
下の絵は、広重の名所江戸百景「第18景 王子稲荷の社」(春景)です。
絵の説明は、「名所江戸百景034 第18景 王子稲荷の社 北とぴあ」で説明済みですので、省略いたします。
(5)江戸時代前半までは、王子稲荷は「東国三十三国」の幟(のぼり)、扁額(へんがく、門・鳥居などの高い位置に表示あされた額)を備えて、別当の金輪寺が「関東三十三ケ国の狐が王子稲荷神社に参集し、この灯す 狐火をもって翌年の作物の豊凶を占うことができる」と宣伝したりと、のんびりとした時代でした。
11代・家斉(いえなり)の寛政の改革(かんせいのかいかく)が始まると、幕府に「関東三十三ケ国」の言葉に疑いがかかり、資料などの没収の上で、以後は「関東八州」の稲荷の総社とのみ観光紹介に許されることになったそうです。
これ以後は、関八州稲荷の頭領として知られるようになりました。
下の絵、広重の名所江戸百景「第118景 王子装束ゑの木大晦日の狐火」(冬景)です。
夜空に星が輝く大晦日の夜、王子のエノキ(榎)の木の下に、多くのキツネが集まっている。
よく見ると、各々のキツネの横には火が浮いています・・・・・・狐火(キツネビ)です。
王子稲荷の別当寺金輪寺などに残る狐火伝承をモチーフとしています。
江戸時代には、毎年大晦日の夜、関東八州の稲荷(いなり)からの使い狐が、このエノキの下で装束を整えてから、絵の右奥にある小高い森にある「王子稲荷」に参拝したという伝説が伝えられていました。
絵の王子稲荷に行く途中の低い所には、人の行列らしきものが描かれていますが、よく見ると、人影の横にも狐火らしきものが見えます・・・・・・・・この人影は、エノキの下で装束を着替えたキツネの化けた姿だったのです。
江戸時代の王子は、江戸郊外の田畑が一面に広がっている地帯でした。
武蔵野台地(むさしのだいち)の東端にあたる現在の王子駅東側には、低く開けた土地が広がっていました。
現在の装束稲荷(しょうぞくいなり)の付近には、一本の大きなエノキ(榎)がありました。
このエノキは「装束榎」と呼ばれ、江戸時代の王子の人達は、狐たちが灯す狐火によって、翌年の田畑の豊凶を占っていたそうです。
広重の絵に描かれているエノキの下に集まるキツネも、何かしらを話しているように見えます。
妖しく光るキツネが集まる中で、暗い夜空と、冬枯れのエノキ、地面の稲ワラが、寒い冬の夜を映し出しています。
王子稲荷神社の参拝の後に、装束稲荷に向かいました。
(絵画調)
江戸の人々は、商売繁昌の神様として稲荷を厚く信仰しており、王子稲荷神社への参詣も盛んでした。
やがて、王子稲荷神社の名とともに王子の狐火と装束榎のいいつたえも広く知られるようになっていきました。
このような王子の背景から、明治時代になって、
落語(らくご)「王子の狐(おうじのきつね)」が生まれる舞台となっていったわけです。
【王子の狐(おうじのきつね)】
人を化かそうとした王子稲荷の狐を題材にした噺(はなし)です。
明治16年に初代・三遊亭圓右(さんゆうてい えんう、明治から大正にかけての落語の名人)が、上方落語の「高倉狐」を東京に逆輸入したもので、7代目・立川 談志(たてかわ だんし)など落語家の間で語り継がれてきました。
落語「王子の狐」の舞台となった扇屋は、まだあるらしく、大きくて旨みタップリの卵焼きを販売しています。
昭和4年に「装束榎」は道路拡張に際して切 り倒され、碑のみが現在の装束稲荷のある場所に移されて、装束稲荷の祠が建てられたそうです。
平成5年からは、毎年大晦日の夜に、装束稲荷から王子稲荷まで『狐の行列』が行われています。
日が暮れると、絵行燈(えあんどん)にも明かりが灯されます。
装束稲荷の近くにある公園では、町の人達が、屋台の店を開いていて、安く美味しく食べられます。
ただし、元々、JR王子駅の近くなので、食事する所はいくらでもありますので、食事には困らないでしょう。
王子狐の行列の参加者が集まってくるまでにに2時間程度ありましたので、昨年・平成24年は、皇居(江戸城)の特別ライトアップをやっていたので、一度、王子駅から東京駅に向かい、皇居へ行ってきました。
今年、平成25年度も皇居のライトアップやっています!!!
しかも、今年は、二重橋、富士見櫓、伏見櫓に加え、坂下門と正門
期間は、平成25年(2013年)12月23日(月)~平成26年(2014年)1月5日(日) 17:00~21:00
昨年撮影した写真は「名所江戸百景095 第113景 虎の門外あふひ坂 皇居外苑の二重橋と櫓」にあります。
皇居で撮影後に、再び、装束稲荷の所に戻ってくると、大きな狐のお面の前で、太鼓の演奏が始まっていました。
右の白狐が、この王子狐の行列の主役一人で、「花婿役」です。
(絵画調)
そして、もう一人の主役「花嫁役」が、白狐の右にいる女性です。地元出身のレコード会社の歌手だそうです。
周りに居る子供達は、撮影に協力してくれるだけでなく、祭りで大いに活躍をするのです。
この写真を、広重の名所江戸百景「第118景 王子装束ゑの木大晦日の狐火」に対応する「くまドン板」の景(確定・冬景)とさせていただきます。
(このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
祭りに参加する方は狐の化粧や狐面をつけていたりするので、結構、快く撮影させていただけます。
小さな子供が、大人になった時、この時の風景・時代を懐かしく思うのでしょうか?・・・・・・・・・・
そろそろ、王子狐の行列が出発するようです。
王子狐の行列は、大通りから回り込みながら王子稲荷神社に向かいます。
行列より先に王子稲荷に到着すると、すでに新年になっていましたので、初詣(はつもうで)の参拝客が長蛇の列です。大晦日に参拝しておいて良かったです。
(絵画調)
右の列が、初詣の参拝客の列です。階段の左は、王子狐の行列が通る為に空いています。
王子狐の行列が、王子稲荷に到着した時は、すでに正月元旦です。
この後、午前2時まで、正月らしい芸が続きました。最後まで撮影していたら、朝寝坊して、元旦の景の撮影失敗となっていくのでした。
今回(来年の元旦)こそは、「くまドン」は、早寝・早起きしなければなりません!!!
それでは・・・・・・・ZZZ・・・・・・・ZZZ・・・・・・・・
(絵画調)
平成26年(2014年)が良い年でありますように
王子付近の過去のブログは、以下の通りです、
「名所江戸百景034 第18景 王子稲荷の社 北とぴあ」
「名所江戸百景035 第49景 王子不動之滝 名主の滝」
なお、「名主の滝」は年末・年始は休園日ですので、ご注意ください。
「名所江戸百景109 第18景 王子稲荷の社 北とぴあ 夕暮れ」
なお、「北とぴあ」は、12/29~1/3の間は全館休館日となりますので、ご注意ください。
今回は、これで終了とさせていただきます。
「くまドン旅日記」のブログを作り始めて、9カ月が過ぎました。仕事、撮影、旅行、体調不良で、ブログ作成計画は完全に未消化となっていて、正月分もできていません・・・・・・それでも、全119景で残り35景程度となりました。
今年、何度も、この「くまドン」ブログを見ていただき、暖かいコメントまでしていただき、本当にありがとうございました。良いお年を。
次回は、正月関連の話題ですが、今年(平成25年)の元旦の景は失敗しましたので、年明け早々(平成26年)に再挑戦です。
日本プログ村に参加しています。良ければ、「ポチッ」応援お願いします。(携帯からは無効ですので、不要です。)