くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景126 第63景 綾瀬川鐘か淵 白髭橋とスカイツリー

2013年12月14日 09時30分46秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、荒川区(あらかわく)南千住(みなみせんじゅ)の隅田川沿いにある都立汐入公園(しおいりこうえん)付近でスカイツリー撮影です。
 下の写真は、隅田川に架かる水神大橋(すいじんおおはし)から撮影した写真です。スカイツリーは緑が美しいクリスマス用ライトアップの「ホワイトツリー」です。
 「名所江戸百景124 第104景 小梅堤 スカイツリーのクリスマスライトアップ」で、スカイツリー直下で「キャンドルツリー」が「ホワイトツリー」に切り替わるのを撮影後に、白髭地区に移動しました。

 右側に見える白い橋が白髭橋(しらひげばし)です。
 浅草付近は水上バスや屋形船の往来が激しいですが、白髭橋付近は、この時間帯になると、ほとんど船の通行がなくなるので、水面に光が奇麗に映し出されます。
 この付近の隅田川の堤防や橋は、人も少ない(散歩する人はいますが)ので、多人数で行った方が安心かもしれません。また、住宅街が近いので、夜遅くに騒ぐのは、止めておきましょう。

 現在、この付近の隅田川には、下流から「白髭橋」、「水神大橋」、「汐入大橋」の3本の橋が架っています。
 それぞれの橋の近くには、過去に渡し船がありました。

 下の写真は、別の日の昼間に撮影した水神大橋で、北の鐘ヶ淵方面を望んだ風景です。
【水神大橋(すいじんおおはし)】 平成元年・竣工(完成)
 東京都の防災拠点である西の汐入公園と東の東白鬚公園を結ぶことを目的で造られました。
 橋桁(はしげた)の組み立てを、陸上の別の場所で行い、橋桁を台船に乗せて、橋の位置まで運び、潮の干満の差を利用して橋脚に乗せるという珍しい方法で作られています。

 川の流れも、潮の干満で変わるので、位置合わせをどのようにやったのでしょうか・・・??

【水神の渡し】
 真崎稲荷と隅田川神社を結んでいた渡しで、東白髭公園にある隅田川神社が水神を祀っていたので、この付近が「水神の森(浮洲の森)」と呼ばれた鬱蒼(うっそう)とした鎮守(ちんじゅ)の森が広がっていたことが、名前の由来になります。現在の水神大橋の100mほど下流にあったとのことです。
 広重の名所江戸百景で「隅田川水神の森眞崎」や「真崎辺より水神の森」で水神の渡しを描いています。

 しばらく、撮影していると、珍しく、パトロール艇らしき船が通り過ぎ、水面に揺らぎが発生しました。

 川沿いに首都高速が走っていますが、その先の東白髭公園の中に隅田川神社があります。現在は公園ですが、昔は森が広がっていたのです。

 だいぶ水面の反射が落ち着いてきましたが、元の状態に戻るのに時間がかかりそうです。
 白髭橋と首都高速だけで、フレーミングしてみました。カメラのフィルター機能で、クロススクリーンを追加です。


 下の絵は、広重の名所江戸百景「第63景 綾瀬川鐘か淵」(夏景)です。

 隅田川を東京湾から上流に進んでいくと、大きく屈曲した所があります。江戸時代は鐘ヶ淵(かねがふち)と呼ばれていました。現在の都立汐入公園側から隅田川越しに綾瀬川合流部(現在の旧綾瀬川)を望んだ景色です。川の合流部なので、船の難所として知られていました。
 手前にはネムノキが、名所江戸百景の特徴である近景構図(手前の物を大きく描く)で描かれ、イカダ(筏)を操り人の姿・格好と、奥に飛ぶシラサギが夏の情景を映し出しています。

 下の地図は、北区にある荒川知水(ちすい)資料館にあった鐘ヶ淵付近の拡大図です。
 荒川放水路が水色の線で引いてありますので、開削(かいさく)前の明治・大正の頃の地図です。
 地図の赤○のエリアが白髭地区で、上部の隅田川が大きく屈曲している所が鐘ヶ淵、そこに右上から合流している川が綾瀬川(あやせがわ)です。綾瀬川は、荒川放水路の開削により分断され、隅田川との間にある旧綾瀬川が、江戸時代の流路の跡として残されています。

 赤○内の隅田川屈曲部の一番上に汐入大橋が、赤○内の一番下の隅田川に文字が書いてある付近が白髭橋です。その中間の隅田川右(東)側に入江の様な場所がある所が、水神大橋のある所です。
 地図に太い黒線で、江戸時代の隅田川の堤防が示されていますが、隅田川の治水の話は、
  「名所江戸百景037 第102景 蓑輪金杉三河しま 都電とバラ(2)」
 で取り上げましたので、そちらを参照お願いします。

 スカイツリーの水面の反射が首都高速のライトと重なり、白髭橋も画面の端なので、水神大橋から汐入公園の親水テラスに下りて撮影することにしました。
 汐入公園があるエリアは、白鬚西地区とも呼ばれています。隅田川対岸の墨田区側には東白髭公園があります。
船が通過してから20分程経過しましたので、水面が落ち着いた反射を取り戻しました。

 昨年の平成24年の時は、夜10時(22:00)になると、緑の「ホワイトツリー」から、赤の「キャンドルツリー」に戻りますので、このまま待つことにしました。
 (今年、平成25年は、22:00にライトアップ変更の情報はありませんので、ご注意ください。)

【鐘ヶ淵・汐入大橋】
 明治末期から大正期にかけて大規模工場が進出し、大日本紡績(現ユニチカ)や鐘ヶ淵紡績(旧カネボウ、現クラシエ)が操業していました。
 昭和46年から昭和51年にかけてこれらの工場が移転すると、東京都が跡地を買収して、防災都市計画により、関東大震災や大火災発生時の避難場所や避難ルート確保の為、現在の汐入公園が造られ、千住汐入大橋(平成18年完成)が架橋されました。

 22:00となった時点で、一度、スカイツリーのライトアップが消灯します。
 (今年、平成25年は、22:00にライトアップ変更の情報はありませんので、ご注意ください。)


【汐入の渡し】
 千住汐入大橋のある所は、「汐入の渡し」がありましたが、両岸にある鐘紡紡績工場に女工さん運ぶ為に明治23年から昭和41年にかけて存在した墨田川で最後まで運行していた渡しがありました。

 スカイツリーが赤の「キャンドルツリー」が点灯されました。LEDなので、1分もかからず通常の明るさになります。
 水面も落ち着いた光を映し出しています。隅田川のような大きな川では、これ以上の反射は難しいでしょう。

 この写真を、広重の名所江戸百景「第63景 綾瀬川鐘か淵」に対応する「くまドン板」の景(確定・冬景)とさせていただきます。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
 前々回の「名所江戸百景124 第105景 御厩河岸 厩橋とスカイツリー」で撮影した浅草(あさくさ)近くの屋形船が行き交う喧騒(けんそう)の中での風景と比較して、静寂の中でのスカイツリー撮影となりました。

 白髭橋の方に少し進むと、、「名所江戸百景055 第98景 両国花火 白髭橋と両国花火」で、両国花火を撮影した土手の下に着きます。「くまドン」も百景の撮影に追われていたので、ここは、夏の両国花火大会以来です。
 (その話は、「名所江戸百景055 第98景 両国花火 白髭橋と両国花火」を見てください)
(絵画調)

 名所江戸百景で描かれた絵が、もう一枚あります。「真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」です。
 「名所江戸百景066 第36景 真崎辺より水神の森 浅草の灯篭流し」で、「両国花火」の代わりに浅草で使用しましたが、8月のブログが間に合わない時だったので、説明は次の機会としていました。
 12月も相変わらず、ブログ作成が「火の車」ですが、そのままにしておくわけにも行かないので、簡単にします。

 下の写真は、石浜神社の社殿です。上の写真を撮影した土手の内側にあります。
 祭神は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」と「豊受姫神(とようけひめのかみ)」で、奈良時代(西暦724年)からの鎮座(ちんざ)の古い神社です。

 境内には、「真先稲荷神社(まっさきいなりじんじゃ)」と、その奥宮の「招来稲荷神社(おいでいなりじんじゃ)」があります。江戸時代は、別の神社でしたが、大正15年、石浜神社に併合されました。色々な歴史のある神社です。
 その他に、戦国時代の天文年間に、江戸重長が勧請(本社の祭神の分霊を迎えて新たに祀る)した江戸神社があります。元は牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)でしたが、現在の祭神は、素戔雄尊(すさのおのみこと)になっています。
 正確な場所は分からないのですが、中世には江戸氏一族の石浜氏が本拠を構える「石浜城」が付近にあったそうです。

【真先稲荷神社(まっさきいなりじんじゃ)】
 戦国時代の天文年間(ポルトガル船が種子島に漂着し、鉄砲が日本に伝来した頃)に、石浜城城主となった千葉守胤が、ここに一族一党の隆昌を祈って宮柱を築き、先祖伝来の武運守護の、尊い宝珠を奉納安置申して以来、真先かける武功という意味にちなみ、真先稲荷として世に知られました。
 現在の石浜神社付近は、江戸時代は、真崎という地名で呼ばれていました。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第36景 真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」(春景)です。

 江戸時代の真崎は、東に隅田の大川(隅田川)、西に霊峰富士、北に名山筑波といった景観に恵まれていました。
 真先稲荷は、江戸時代には武門の隆盛を祈る縁起のいい神社とし 庶民の信仰を集めていました。
 歴史的な背景もあり、江戸の名所として多くの人が訪れていました。当然、境内に は茶店や料理屋が並んでいました。
 広重の絵は、そのような広重が生きた時代の風景を、「名所江戸百景」の特徴と言える近景構図(近くの物を大きく描く)で、生き生きと描いています。
 建物の2階の茶室風の丸窓と白い障子(しょうじ)により、暗い室内と外の明るい景色を区切り、室内に椿と窓の外に梅の花を配置することにより、対比の構図を作りだしています。
 丸窓から見える隅田川と渡し船・舟遊びの屋形船・荷物を運ぶ船、対岸の水神の森(水神社の鳥居)や関谷の里、筑波山の明るい景色が、窓の外側に広がる景色を想像させ、まだ早い春の一日の暖かい日差しを感じさせてくれます。

 白髭橋に近づくと、スカイツリーの位置が右ずれてきます。この付近、江戸時代は「橋場の渡し」がありました。


 下にあるのは、以前の「くまドン」の話にでてきた室町時代の東京下町エリアの地図です。
 (話のながれは、「名所江戸百景021 第68景 深川八幡山ひらき 深川(1)」を参照お願いします。)
 図の中段・左付近が白髭地区です。川の上部に現在と同じ、大きな屈曲部・鐘ヶ淵があります。
 古代の頃は、この付近が河口部で、東京湾の入り口だったそうです。

 中世から戦国時代までは、関東平野の真ん中を利根川(とねがわ)と荒川(あらかわ)が合流して、大河となって流れていました。本流は氾濫(はんらん、洪水)を繰り返し、頻繁に流路を変えていました。
 この絵では、太い川筋の利根川&荒川が、現在の隅田川の白髭地区に流れ込んでいます。現在の綾瀬川(あやせがわ)・旧綾瀬川がこの流路に当ります。実際には、利根川&荒川は、江戸時代初期は中川が本流だったり、江戸川にも流れを分けていたこともあったそうです。
 現在の墨田区南部の本所(ほんじょ)付近は、河口部に当り、川・低湿地・砂州が入り乱れ、とても人が歩いて進める場所ではありませんでした。
 地図を見ると、当時は、白髭地区に中世の街道筋があったことがわかります。西白髭地区にある石浜神社付近から浅草の鳥越(とりごえ)まで、七つの小高い山があるがある岡が続き、旅人は砂州に沿って、武蔵野方面に向かっていったのです。江戸時代に待乳山聖天(まつちやましょうてん)の真土山を除く六山は江戸で使用される土として削れられ、石浜付近も砂利(じゃり)の採取場となり、現在では小高い部分が、真土山だけとなったと伝えられています。
 さらに地図を見ると、中世以前は、浅草(地図の左下)付近は、東京湾に面した海岸(河口部)であり、浅草と上野の低地部には大きな池があった事が分かります。これらの場所は、江戸時代に埋め立てれらていきました。


【橋場の渡し(別名:白髭の渡し)】
 記録に残る最も古い隅田川の渡しで、平安時代初期には、「住田(すみだ)の渡し」として記録に残っています。
 現在の白鬚橋付近にありました。(歴史が古いので、場所が度々変更になっているらしいので、位置は特定できません。)
 江戸時代に五街道が整備される前の奥州(東北)、総州(千葉)への古道があり、伊勢物語(いせものがたり、平安初期の歌物語)で主人公が渡ったの渡しや、平安時代末期に源頼朝(みなもとよりとも)が挙兵して、房総(千葉)から武蔵(東京)に入る際に、歴史上隅田川に最初に架橋した「船橋」もこの場所とされ、「橋場」という名前の元とも伝えられています。
 橋場付近は、その歴史的な土地柄から江戸時代から風流な場所とされ、大名や豪商の別荘が隅田川河岸に並んでいたらしいです。
 そのため、有名な料亭なども多く、明治になっても、屋敷が建ち並んでいて、華族や文人などが出入りしていました。

 白髭橋を渡ると、墨田区の東白髭公園の南端があります。


 江戸時代の白髭地区は、江戸近郊の観光地だったので、広重の名所江戸百景でも、4景も描かれています。
 この付近で、広重の名所江戸百景で描かれた「隅田川水神の森真崎」については、東白髭公園から見た風景ですので、次回とさせていただきます。

 関連する話のリンク先としては、
(1)夏に両国花火大会を白髭橋を入れて撮影していた話は、
 「名所江戸百景055 第98景 両国花火 白髭橋と両国花火」
 「両国花火」の代わりに、他の場所に百景を持って行った話しは、
 「名所江戸百景066 第36景 真崎辺より水神の森 浅草の灯篭流し」
(2)隅田川に架かる橋の話は、
 「名所江戸百景018 第58景 大はしあけたの夕立 隅田川の大橋(1)」
 「名所江戸百景019 第4景 永代橋佃しま 隅田川の大橋(2)」
 「名所江戸百景020 第39景 吾妻橋金龍山遠望 隅田川の大橋(3)」
(3)上流にある千住大橋の話は、
 「名所江戸百景105 第103景 千住の大はし 千住大橋と水上バス」
(4)東京下町エリアの地図の話としては、
 「名所江戸百景021 第68景 深川八幡山ひらき 深川(1)」

 スカイツリー直下でも、「キャンドルツリー」の景を選択したので、白髭橋と「冬雅(みやび)」で撮影できないかと思い、試しに1月に撮影に行きました。結果は、下の写真となりました。

 「冬雅」は、上の方が暗く、下の紫色の部分が首都高速に隠れているので、今一つの結果になりました。

 最後に、スカイツリーのライトアップ・イルミネーションの情報です。
【スカイツリーの限定ライトアップ (12月予定分のみ抜粋) 】
 期間: 2013年11月1日(金)~12月25日(水)
 時間: 2013年12月 1日(日)~12月25日(水) 17:00~23:00
 内容: 期間中5種類の限定ライティングを点灯(点灯する種類は、日により異なります)
  「ホワイトツリー」「キャンドルツリー」「シャンパンツリー」「冬粋(いき)」「冬雅(みやび)」の5種 
  12月は、金・土・日と20日~25日は「キャンドルツリー」(赤)で始まります。(1日と20日~25日は単独点灯)
   2日~19日までの偶数日は「ホワイトツリー」(緑)、金・土・日は20:00から点灯。平日は単独点灯。
   2日~19日までの奇数日は「シャンパンツリー」(緑)、金・土・日は20:00から点灯。平日は単独点灯。
  26日以降のライットアップ日程は不明です。「冬粋」と「冬雅」は、12月1日~25日の点灯予定ありません。
   ※スカイツリー側の都合により、変更となる場合があります。

 今回は、これで終了とさせていただきます。

 次回も、東白髭公園で、スカイツリーのクリスマス向けライトアップの話が続きます。

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