こんにちわ、「くまドン」です。
今回は、新宿区(しんじゅくく)と豊島区(としまく)の境を流れる面影橋(おもかげばし)付近の神田川(かんだがわ)に咲く桜の風景です。
神田川に架かる高戸橋(たかとばし)到着すると、橋と並行に神田川を渡ってきた都電荒川線の電車が、交差点付近で直角に曲がります。神田川と同じ方向に「面影橋駅」を経由して、終点の「早稲田駅」まで走っていきます。
前回のブログ「名所江戸百景171 第23景 目黒千代が池 目黒川の桜並木」の話の続きになりますが、今回は、ここから神田川沿いにある桜並木の遊歩道を行きます。
高戸橋のたもとから桜並木の遊歩道に入ると、すぐ下流で川が流れる大きな音がします。都会では珍しい川の流れる音です。音のする方に行くと、都会では珍しい段差のある大きな魚道がありますが、結構な流量です。
この写真を、広重の名所江戸百景「第116景 高田姿見のはし俤の橋砂利場」に対応する「くまドン板」の景(確定・春景)とさせていただきます。
(このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
高戸橋のすぐ上流で神田川に、妙正寺川(みょうしょうじがわ)と高田馬場分水路の水が合流するため、この付近から水の量が急に多くなります。
春の暖かい日差しの中、川に覆いかぶさるような桜並木を見ながら遊歩道を行きます。
最初に見える橋が曙橋(あけぼのばし)で、次に見える橋が面影橋(おもかげばし)です。
(絵画調)
現在ではコンクリート橋ですが、江戸時代には木の太鼓橋が架けられていました。
下の絵は、広重の名所江戸百景「第116景 高田姿見のはし俤の橋砂利場」(冬景)です。
広重の絵の題名からすると、絵の手前の神田川にかかる太鼓橋(たいこばし)が姿見の橋(すがたみのはし)となり、画面右奥の北へ続く鎌倉街道(かまくらかいどう)に見える小さな川にかかる橋が俤の橋(おもかげのはし)を眺めた景色となります。現在の面影橋という橋は神田川に架かっていますので、混乱します。
神田川を向こう側北側(現在の高田)付近は砂利(じゃり)がとれたので、「砂利場村」と呼ばれたそうです。
江戸名所百景で描かれたのは、この地が室町時代の武将・大田道灌(おおたどうかん)の山吹の里の伝説で知られる地だった為です。また、ホタルの名所でもありました。
面影橋付近は水深があるので分かりませんが、面影橋の下流に向かうと、川底に不思議な岩の列が見えます。
(絵画調)
この付近の神田川は、都心では珍しく自然の川の地形が残っている場所です。通常の都心の川は、前回の目黒川の写真のように、三面コンクリート張りの川が多いのですが、川底に岩が見えるようになってきて、水面の上に大きな岩盤が姿を見せるようになってきます。
「高田の一枚岩」と呼ばれる岩盤です。堆積岩(たいせきがん)で柔らかい岩盤の為、明治になると、暴れ川だった神田川の治水のため、重機で平らに削られてしまったそうです。
(絵画調)
江戸時代の神田川は、神田上水の水として使われる程きれいな水が流れていましたが、
他の都市の河川と同様に神田川も都市化の進行に伴い生活排水が流れ込み、急速にどぶ川となって行きました。川は三面コンクリートに覆われ、多くの支流は埋められ、暗渠(あんきょ)となり下水道となって行きました。
以前は、「死の川」と呼ばれ、日本でもっとも汚い川(BOD)のワースト1位になる程ひどかったのです。
現在では、生活排水は下水処理場で処理される様になり、落合水再生センターの処理水を神田川に、中野水再生センターの処理水を妙正寺川に放流するようになったので、天気の良い日の神田川の水はかなりきれいになりました。
さらに、神田川は本流の水源である井の頭池だけでなく、支流の善福寺川(ぜんぷくじがわ、水源は善福寺池)や妙正寺川(みょうしょうじがわ、水源は妙正寺池)など湧水が多く、清流復活事業復活した玉川上水の水も供給されているので、水量が豊富なのも幸いしました。現在では、アユの遡上がブログの前半にでてきた魚道の上まで確認されています。
上の写真の新江戸川公園の横を通り過ぎると、駒塚橋があります。この付近は関口と呼ばれる地名です。
下の写真は駒塚橋から北側を撮影した写真ですが、江戸時代の代表的俳人・松尾芭蕉(まつおばしょう)が神田上水の改修工事に携わった時に住んでいた関口芭蕉庵(せきぐちばしょうあん)があります。写真真ん中の桜の間に見える門が、復元された芭蕉庵の門です。(開園時間は10:00~16:00、月・火休)
この当時の芭蕉の俳号は「桃青」という名前でした。俳人としての名前を高めつつ、水戸藩の工事も請け負っていたわけです。その後、深川の芭蕉庵に移り、松尾芭蕉として、後世に残る「奥の細道」を始めとした「わび・さび」の世界を確立していく事になります。
当時は「竜隠庵」と呼ばれた水番屋に住んでいたそうですが、芭蕉死後の33回忌に門人の弟子たちにより、「芭蕉堂」が建てられ、その後、芭蕉の真筆の短冊を埋めた「さみだれ塚」も建てられていきます。いつしか、「竜隠庵」は「関口芭蕉庵」と呼ばれるようになりました。
この付近の河原には石も転がっていて、「東京都心にもこのような場所が残っていたのか・・・!」と思わせる雰囲気があります。
さらに、関口芭蕉庵のすぐ下流側には、有名な椿山荘(ちんざんそう)があります。
下の絵は、広重の名所江戸百景「第40景 せき口上水端はせを庵椿やま」(春景)です。
この絵の説明は、紅葉の景の時にさせていただきます。(紅葉の残景のブログができていないもので・・・・・)
絵と同じ位置から撮影してみました。桜に埋め尽くされていますが、写真の右端が椿山荘で、写真真ん中の奥に見える付近が関口芭蕉庵です。
この場所の景は「くまドン板」では秋景にしたのですが、後から桜の季節に撮影して、春景にしておけばよかったかな・・・・・と思った一枚でした。(すでに桜景の上限20景の上限に達していたので、入れることができませんでした。)
(1)この付近の以前のブログは、
「名所江戸百景096 第115景 高田の馬場 流鏑馬(やぶさめ)」
今回は、これで終了とさせていただきます。
ブログ作成をのんびりしていたら、あっという間に桜が開き始め、都心では満開・7分咲きの所も出てきています。桜散るまでに残りの桜景作れるのか不安になってきました・・・・・・(汗)
また、脱線ですが、別に4月になって消費税が8%上がります。
しかし、相変わらずというか、「くまドン」は消費税増税は8%すら反対です。したがいまして、平成26年度も、
適当な理由を付けて公共事業を増やして財政悪化させるの反対!!!
国民にだけ負担を押しつける消費税増税反対!!! 消費税5%に戻せ!!!
企業優遇の法人税減税反対!!!
です。個人ブログで、何のしがらみもありませんので、気にせず書かせていただきます。
(ブログ作るのが大変で、あまり政治の事は気が重くなるので、書いている時間がなかったのですが・・・・)
次回は、名所江戸百景の別の桜景の予定です。
日本プログ村に参加しています。良ければ、「ポチッ」応援お願いします。(携帯からは無効ですので、不要です。)
今回は、新宿区(しんじゅくく)と豊島区(としまく)の境を流れる面影橋(おもかげばし)付近の神田川(かんだがわ)に咲く桜の風景です。
神田川に架かる高戸橋(たかとばし)到着すると、橋と並行に神田川を渡ってきた都電荒川線の電車が、交差点付近で直角に曲がります。神田川と同じ方向に「面影橋駅」を経由して、終点の「早稲田駅」まで走っていきます。
前回のブログ「名所江戸百景171 第23景 目黒千代が池 目黒川の桜並木」の話の続きになりますが、今回は、ここから神田川沿いにある桜並木の遊歩道を行きます。
高戸橋のたもとから桜並木の遊歩道に入ると、すぐ下流で川が流れる大きな音がします。都会では珍しい川の流れる音です。音のする方に行くと、都会では珍しい段差のある大きな魚道がありますが、結構な流量です。
この写真を、広重の名所江戸百景「第116景 高田姿見のはし俤の橋砂利場」に対応する「くまドン板」の景(確定・春景)とさせていただきます。
(このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
高戸橋のすぐ上流で神田川に、妙正寺川(みょうしょうじがわ)と高田馬場分水路の水が合流するため、この付近から水の量が急に多くなります。
春の暖かい日差しの中、川に覆いかぶさるような桜並木を見ながら遊歩道を行きます。
最初に見える橋が曙橋(あけぼのばし)で、次に見える橋が面影橋(おもかげばし)です。
(絵画調)
現在ではコンクリート橋ですが、江戸時代には木の太鼓橋が架けられていました。
下の絵は、広重の名所江戸百景「第116景 高田姿見のはし俤の橋砂利場」(冬景)です。
広重の絵の題名からすると、絵の手前の神田川にかかる太鼓橋(たいこばし)が姿見の橋(すがたみのはし)となり、画面右奥の北へ続く鎌倉街道(かまくらかいどう)に見える小さな川にかかる橋が俤の橋(おもかげのはし)を眺めた景色となります。現在の面影橋という橋は神田川に架かっていますので、混乱します。
神田川を向こう側北側(現在の高田)付近は砂利(じゃり)がとれたので、「砂利場村」と呼ばれたそうです。
江戸名所百景で描かれたのは、この地が室町時代の武将・大田道灌(おおたどうかん)の山吹の里の伝説で知られる地だった為です。また、ホタルの名所でもありました。
面影橋付近は水深があるので分かりませんが、面影橋の下流に向かうと、川底に不思議な岩の列が見えます。
(絵画調)
この付近の神田川は、都心では珍しく自然の川の地形が残っている場所です。通常の都心の川は、前回の目黒川の写真のように、三面コンクリート張りの川が多いのですが、川底に岩が見えるようになってきて、水面の上に大きな岩盤が姿を見せるようになってきます。
「高田の一枚岩」と呼ばれる岩盤です。堆積岩(たいせきがん)で柔らかい岩盤の為、明治になると、暴れ川だった神田川の治水のため、重機で平らに削られてしまったそうです。
(絵画調)
江戸時代の神田川は、神田上水の水として使われる程きれいな水が流れていましたが、
他の都市の河川と同様に神田川も都市化の進行に伴い生活排水が流れ込み、急速にどぶ川となって行きました。川は三面コンクリートに覆われ、多くの支流は埋められ、暗渠(あんきょ)となり下水道となって行きました。
以前は、「死の川」と呼ばれ、日本でもっとも汚い川(BOD)のワースト1位になる程ひどかったのです。
現在では、生活排水は下水処理場で処理される様になり、落合水再生センターの処理水を神田川に、中野水再生センターの処理水を妙正寺川に放流するようになったので、天気の良い日の神田川の水はかなりきれいになりました。
さらに、神田川は本流の水源である井の頭池だけでなく、支流の善福寺川(ぜんぷくじがわ、水源は善福寺池)や妙正寺川(みょうしょうじがわ、水源は妙正寺池)など湧水が多く、清流復活事業復活した玉川上水の水も供給されているので、水量が豊富なのも幸いしました。現在では、アユの遡上がブログの前半にでてきた魚道の上まで確認されています。
上の写真の新江戸川公園の横を通り過ぎると、駒塚橋があります。この付近は関口と呼ばれる地名です。
下の写真は駒塚橋から北側を撮影した写真ですが、江戸時代の代表的俳人・松尾芭蕉(まつおばしょう)が神田上水の改修工事に携わった時に住んでいた関口芭蕉庵(せきぐちばしょうあん)があります。写真真ん中の桜の間に見える門が、復元された芭蕉庵の門です。(開園時間は10:00~16:00、月・火休)
この当時の芭蕉の俳号は「桃青」という名前でした。俳人としての名前を高めつつ、水戸藩の工事も請け負っていたわけです。その後、深川の芭蕉庵に移り、松尾芭蕉として、後世に残る「奥の細道」を始めとした「わび・さび」の世界を確立していく事になります。
当時は「竜隠庵」と呼ばれた水番屋に住んでいたそうですが、芭蕉死後の33回忌に門人の弟子たちにより、「芭蕉堂」が建てられ、その後、芭蕉の真筆の短冊を埋めた「さみだれ塚」も建てられていきます。いつしか、「竜隠庵」は「関口芭蕉庵」と呼ばれるようになりました。
この付近の河原には石も転がっていて、「東京都心にもこのような場所が残っていたのか・・・!」と思わせる雰囲気があります。
さらに、関口芭蕉庵のすぐ下流側には、有名な椿山荘(ちんざんそう)があります。
下の絵は、広重の名所江戸百景「第40景 せき口上水端はせを庵椿やま」(春景)です。
この絵の説明は、紅葉の景の時にさせていただきます。(紅葉の残景のブログができていないもので・・・・・)
絵と同じ位置から撮影してみました。桜に埋め尽くされていますが、写真の右端が椿山荘で、写真真ん中の奥に見える付近が関口芭蕉庵です。
この場所の景は「くまドン板」では秋景にしたのですが、後から桜の季節に撮影して、春景にしておけばよかったかな・・・・・と思った一枚でした。(すでに桜景の上限20景の上限に達していたので、入れることができませんでした。)
(1)この付近の以前のブログは、
「名所江戸百景096 第115景 高田の馬場 流鏑馬(やぶさめ)」
今回は、これで終了とさせていただきます。
ブログ作成をのんびりしていたら、あっという間に桜が開き始め、都心では満開・7分咲きの所も出てきています。桜散るまでに残りの桜景作れるのか不安になってきました・・・・・・(汗)
また、脱線ですが、別に4月になって消費税が8%上がります。
しかし、相変わらずというか、「くまドン」は消費税増税は8%すら反対です。したがいまして、平成26年度も、
適当な理由を付けて公共事業を増やして財政悪化させるの反対!!!
国民にだけ負担を押しつける消費税増税反対!!! 消費税5%に戻せ!!!
企業優遇の法人税減税反対!!!
です。個人ブログで、何のしがらみもありませんので、気にせず書かせていただきます。
(ブログ作るのが大変で、あまり政治の事は気が重くなるので、書いている時間がなかったのですが・・・・)
次回は、名所江戸百景の別の桜景の予定です。
日本プログ村に参加しています。良ければ、「ポチッ」応援お願いします。(携帯からは無効ですので、不要です。)