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名所江戸百景237 新国立競技場の問題について(2) 

2015-06-28 00:25:17 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回も、2020年東京オリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建替問題の続きです。

 6/22(月)の定例記者会見で、下村博文・文部科学相が、「建築家の槇文彦(まき ふみひこ)氏らのグループが示したデザイン見直し案に対し、謙虚に耳を傾けたい」と発言しました。この言葉を聞いて、無駄な建設費のかからない設計に見直して、税金のムダ(無駄)使いをなくすのかと期待しましたが、あっさり裏切られました!
 そのわずか2日後に、デザインを一部変更しただけで、建築設計上は何の役にも立たず、建設費が非常に高くなる元凶になっている「キルアーチ」と呼ばれる見た目だけ派手な流線型の2本の柱を残して、「2500億円もの建設費をかける。ラクビー・ワールドカップ2019に間に合わないから、7月上旬には建設会社と契約する」と言い出しました。国民や都民の税金を何だと思っているのか(怒り)!!!
 断固・反対です。無駄な「キールアーチ」の設計を中止して、設計のムダを徹底的して減らした設計にして、国民の負担の少ない新国立競技場を建設して欲しいです。つまらない外国を気にしたブライドの為に、日本の国民の負担をいたずらに増やさないでください!
 (ロンドンオリンピックを行ったイギリスは、国民の反対を受け入れて、建設費用も、オリンピック後の維持費も抑えた競技場に設計変更していますよ!国際的体面がどうしたというのか!ムダな税金を浪費して、将来の子供たちに負担をかけ続ける過大な新国立競技場を造るなどと言って恥ずかしいと思わないのか?)

 前回のブログにも載せた新宿センタービルの53階(高さ210m)に無料展望ロビーから撮影した写真です。真ん中のオレンジ色の競技場が解体前の国立競技場です。撮影日は、平成24年4月初めの頃ですから、解体前の写真です。平成27年6月現在は解体済みで更地になっています。

 国立競技場のあった場所に、見た目の派手な流線型にドームを作っても、空(むな)しい限りで、不要です。散々、国民や都民の税金をムダ(無駄)に浪費したあげくに、予算を認めさせる為の甘い見積もりの運営計画で、赤字をバラまいてい迷惑をかけ続ける負の遺産にしかならないのですから(怒り)!

【 建築家の槇文彦氏らのグループが示したデザイン見直し案とは 】
 槇文彦氏を中心とするグループ(槇文彦、大野秀敏、中村勉、元倉真琴、山本圭介、古市徹雄)が、2020年東京オリンピックの新国立競技場の建替問題で、コスト高と工期の長さの要因となっているキールアーチ構造を取り止め、これまでのオリンピックで主会場として広く用いられている構造形式と客席にのみを覆う屋根形式にするべきである、という提言を発表した。提言した競技場は、オリンピックおよびラグビーワールドカップ等のスポーツに関する要求条件を満たし、建設予算の削減、工期短縮も可能としています。内容は以下の通りです。

①屋根は観客席用に限定する。屋根開閉装置、芝生育成の装置、閉鎖開口部等は不要になる(競技場の運営経費も削減となる)。結果として、それらを支えていた長辺方向のキールトラスは不要となる。
これによるコスト削減は約1500億円内外が期待できる。
②恒久観客席6万人席以内の規模、2万人席は仮設とし、オリンピック開催時は8万人とする。
 この2点の変更を行うことにより、全体で約1000億円内外で42ヶ月程度の工期で建設が可能となる。
③これまでの国立競技場の使用例を参考とし、様々なイベントにより対応しやすいデザインとする。
④現行案に対して、大幅な変更となるが、設計体制については、デザイン監修者以外の設計・施工体制は継続して設計、建設にあたることが可能である。(JSCとデザイン監修者との契約変更については、国民の納得のいく方法で行う。
 また、サッカー協会が騒いでいたFIFAワールドカップの競技場の規定は、「開幕戦と決勝戦の競技場が収容8万人以上で、フィールドでは無く、観客席の2/3以上が屋根で覆われていること」となっているので、上記①②で問題ないはずです。


 それにしても、新国立競技場の建設費のいい加減ぶり(どんぶり勘定)は以下の通りです。あきれはてます。
(1)オリンピック2020の東京開催前のJSC(日本スポーツ振興センター)の見積もりが1300億円
(2)オリンピック2020の東京開催決定するや否や、改築費が3000億円に膨れ上がります。
(3)こんなバカな話があるかと国民の批判により、床面積や高さを縮小するなどして、昨年2014年5月に1625億円に圧縮したとされていました。この計画により、旧国立競技場の取り壊しを始められました。
(4)最近になって、下村博文・文部科学相から建設会社の試算で、建設資材の高騰を含めて、3000億円を超えて、工期も間に合わないという話が、いきなりでてきました。しかも、東京都にも500億円も負担しろと言ってきました。
(5)今回も、少し変更して、根本的な設計費削減を行わず、どんぶり勘定を2500億円に減らしたから、2019年のラクビーワールドカップに間に合わないから、7月上旬には建設業者と契約をすると一方的です。

 (2)や(4)のように、ぎりぎりまで不利な情報を出さないで、バブル時代の無駄に建設費のかかる過大な施設を建設しようとしている事自体、国民の税金をムダに浪費する計画を立てているようなものです。
 この一年間、東京都は、新国立競技場以外の種目の競技場の建設予算を削減する為、必死に改善案を模索して、20種目以上の競技場を確定してきました。「くまドン」は、その努力に評価をします。各競技場のルールなどの制約があるので、「くまドン」も余計な事を云わずに黙っていました。他の競技場が、こんなに何度も見直しを検討しているのだから、特に情報もなかったのですが、当然、新国立競技場の方も、しっかり見直しているのだろうと思っていました。
 しかし、新国立競技場を担当していた国とJSC(日本スポーツ振興センター、文部科学省の外郭団体)は、この一年の間、なんの危機感もなかったたようです(もしくは、競技場の設計を変更させない為に黙っていたか?)。今年になって、突然、新国立競技場の建設に3000億円もかかり、間に合わないから、そのまま建設すると言い出す有様です。国民の税金をいたずらに使うのが当たり前のような考えしかない有様です。
 過大な新国立競技場建設には、とことん反対しましょう!
 当然、東京都は500億円の無駄な負担金を払う必要もありません。

 「2016年夏季オリンピック」の東京招致運動に失敗後、当時の石原慎太郎・東京都知事「2020年夏季オリンピック」にも東京が立候補するという話が出ました。リーマンショック後の先進国経済の破綻の影響が大きく、日本も急激な不況が訪れた時でした。結構、「税金の無駄遣いだ!」との意見も強く、コンパクトなオリンピック会場を目指して、メインスタジアムも、前回は晴海埠頭(はるみふとう)に新築の予定だったのを、現在の国立競技場の改築に変更になりました。(冷静に考えると、改築だから、国立競技場を壊す必要はなかったわけです。)招致予算も20億円程度に減らして、とことん節約することにしました。
 基本的に、「新しい遺産(レガシー)を造る」では無く、「過去の遺産(レガシー)があるから最低限の予算でオリンピックができる」という考えだったのです。いつのまにか「レガシーを残す」にすり替えられているだけです。
 平成25(西暦2013年)9月に2020年夏季オリンピックを東京で行う事が決定しましたが、決定する一年前の平成24年(西暦2012年)頃は、オリンピック候補地の一番手はトルコ(イスタンブール)、二番手はスペイン(マドリード)、最下位の三番手が東京でした。前回の招致失敗もあり、この時点では、東京都民も日本国内も、あまりオリンピック招致に関心がありませんでした。
 そうした中、平成24年(西暦2012年)11月に「新国立競技場基本構想国際デザインコンクール」の最終審査が行われた分けで、審査員の好みで、実際の設計費や実現性を全く考慮していないデザインが優勝した事が、今回のデザイン問題になった分けです。(1位の優勝者に2000万円の賞金を渡している時点で、税金のムダ使いだとと思うのですが・・・)。東京はオリンピック候補地の三番手とういうことで、選ばれる可能性が無かったので、このようなデザインの新国立競技場を建設することは無い思っていましたから、都民や国民の関心はありませんでした。正直、この時点で、ラクビーワールドカップ2019に新国立競技場を使用するなどという話は聞いたこともありませんでした。オリンピックのメイン会場としての扱いでした。
 つまり、ほとんどの日本人が招致できると思っていなかったわけですから、新国立競技場の建設を深く考えることもなかったのです。

 ところが、1年後にオリンピックの最終選考が近づいてくると、3カ国の状況が変化してきます。
 トルコはシリア内戦により、国境付近での軍事的衝突の危険が発生し、
 高い経済成長がセールスポイントであったスペインはリーマンショック後の経済不振により、当初日本が訴えていた「お金のかからないオリンピック」をセールスポイントにする状況になりました。
 なぜか日本の方が有利に条件が整い、立場が逆転する不思議な状況が発生しました。結果的に、オリンピック2020開催地に東京が選ばれる可能性が出てきた分けです。

 オリンピック2020に東京が選ばれる可能性が高くなってくると、今まで距離を置いていた人達が目の色を変えて、途端に押し寄せてきます。
 それ以前は、石原・元知事の後を継いだ、猪瀬(いのせ)・前都知事の主導でオリンピック誘致していのですが、森・元首相が割り込んできて、組織委員会の会長人事を巡って争いが始まります。
 最後は、猪瀬知事の都知事選での選挙資金疑惑により辞職したため、森元首相が組織委会長となりますが、この辺も自民党側の故意のリークかな?と思っています。(以前は自民党が民主党相手に国会で不利になると、たまに似たような民主党議員に都合が悪い情報のリークやっていましたからね)
 こうして、マスコミに「船頭多くして船山に登る」と批判されている森喜朗・組織委会長を含めて、30人以上もの会長・理事(名誉職、かつ、月額報酬10万円~200万円=税金のムダ使い)が沢山いる「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」が、1年間、まったく危機感も無く、新国立競技場の設計見直しを放置していた分けです。
 これに対して、新国立競技場以外を担当した東京都は、かなり努力したと、「くまドン」は思っています。東京都に責任は無いです。

 新国立競技場のデザインコンペで優勝したザハ・ハディッド氏は、建築家というよりは、芸術家に近く、国際的な賞を受け、国際的なコンペで優勝しても、実際の建築は中止のなる事が何度もあった方です。逆に言えば、前例は、いくらでもあるのです。
 さらに、ザハ・ハディッド氏は、芸術家としての性格要因が強く、デザインの一部変更に対しては反対で、決して妥協(だきょう)しません。
 「くまドン」は、日本の一国民として、異常に高騰した建設費税金のムダ使いに断固反対しますので、この問題に対応する為には、デザインを根本的に見直し、建設費や維持費を最小限に抑えた設計に変更するべきと思っています。


 色々と話すと、途中で何を言っているのか分からなくなりますので、前回の先頭に話しました「くまドン」の結論を、もう一度書いておきます。

1.現在の新国立競技場の設計は、無駄が多すぎるので、デザインばかりを気にしたドームの設計を根本から見直し、建設費を抑えて、耐震性にも優れた設計に変更して欲しい。(税金の無駄つかいをなくしましょう。)
 また、競技場内部の設備も、各団体の要求を不要に受け入れ、運用費や保守費に対する考えが甘いので、競技場内部の設備も、徹底的に見直して縮小して欲しい。(税金の無駄つかいをなくしましょう。)

2.過大に高騰した建設負担を国が東京都に500億円も求めていますが、過大な設計を変更しない国側に問題であり、東京都は断固拒否して払う必要はないです。上の1.で書いたように国側が無駄な設計計画を変更して、国が費用負担すべきです。

3.「ラクビーワールドカップ2019」について
 新国立競技場の完成が間に合わないのであれば、東京会場は、多くラガーマンの血と汗が凍みこんだラクビー聖地である「秩父宮ラグビー場」で行うべきです。まともに考えれば、ラクビーワールドカップを見に来る観客は根っからのラクビーファンしかいないはずですから、日本のラクビー聖地でトライを決めれば、過去のラガーマンは、それで十分に盛り上がるはずです。「秩父宮ラグビー場」が不可能でも「味の素スタジアム」で問題ないと思います。
 (3.については、前回のブログで書きました。)
 基本的に「新国立競技場がラクビーワールドカップ2019用だ」と森・元首相が言っているのは、森・元首相の拡大解釈からくる思い込みですから、「秩父宮ラグビー場」でやりましょう。
 無理して、過大な建設費・維持費の新国立競技場でラクビーのトライを決めても、国民の不満を買うだけです。

(1)前回作成したブログは以下のとおりです。
 「名所江戸百景236 新国立競技場の問題について(1) ラクビーワールドカップ2019」

 ブログの考えをまとめる時間がなくなりましたので、所々、切れ切れですが、これで終了とさせていただきます。

 元々、政治がらみの話は気が進まない上に、ブログ作成中に何度もキーボードの操作ミスにより、せっかく入力した文章がセーブされずに消えて再入力になる状況が重なり、ブログを作る気力が何度もなくなりました。
 やっと今回分を作成しましたが、これから2週間程、ブログ作成ができない日が続きますので
 とりあえず、次回はオリンピックの話を中断して、いつもの簡単にできるブログを作成して、気分転換に入れておきます。
 (もっとも、写真・旅行・歴史が本来の「くまドン旅日記」で、今回のパターンが脱線状態で、ストレス溜まり気味なのですが・・・)

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名所江戸百景236 新国立競技場の問題について(1) ラクビーワールドカップ2019

2015-06-20 23:35:39 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、2020年東京オリンピックのメイン会場となる新国立競技場の問題についてです。
 (個人的には、あまり政治の話には関わりたくないのですが・・・)
 色々と話すと、途中で何を言っているのか分からなくなりますので、先に「くまドン」の考えを言います。

1.現在の新国立競技場の設計は、無駄が多すぎるので、デザインばかりを気にしたドームの設計を根本から見直し、建設費を抑えて、耐震性にも優れた設計に変更して欲しい。(税金の無駄つかいをなくしましょう。)
 また、競技場内部の設備も、各団体の要求を不要に受け入れ、運用費や保守費に対する考えが甘いので、競技場内部の設備も、徹底的に見直して縮小して欲しい。(税金の無駄つかいをなくしましょう。)

2.過大に高騰した建設負担を国が東京都に500億円も求めているが、過大な設計を変更しない国側に問題であり、東京都は断固拒否して払う必要はないです。上の1.で書いたように国側が無駄な設計計画を変更して、国が費用負担すべきです。

3.「ラクビーワールドカップ2019」の東京会場が新国立競技場になるので、建設が間に合わないとの話がありますが、「ラクビーワールドカップ2019」の東京会場は、「秩父宮ラグビー場」や「味の素スタジアム」で問題ないと思います。


 下の写真が新宿センタービルの53階(高さ210m)に無料展望ロビーから撮影した写真です。真ん中のオレンジ色の競技場が解体前の国立競技場です。撮影日は、平成24年4月初めの頃ですから、解体前の写真です。平成27年6月現在は解体済みで更地になっています。

 国立競技場の正式名所は、国立霞ヶ丘陸上競技場(こくりつかすみがおかりくじょうきょうぎじょう)だそうです。(知りませんでした!)
 国立競技場の手前に見える銀色の屋根の建物は東京体育館です。
 写真の右外になりますが、国立競技場の右奥に、」神宮球場(野球)」と「秩父宮ラグビー場」が続きます。

 現在・平成27年6月の状況確認としては、国立競技場は解体済み、2020年の東京オリンピックまでに新国立競技場を建設の予定。現実の建築設計を無視した構造と、建築費の高騰が原因で、工事費が高くなり、税金の無使いとして、新国立競技場の設計の見直しが求められています。
 神宮球場と秩父宮ラグビー場も両方の土地を交換して新規建替する計画がでています。とりあえず、秩父宮ラグビー場2020年までに更地にして、オリンピック会期中は駐車場として使い、オリンピック終了後に新しい神宮球場を建設する予定です。その後、古い神宮球場を解体した跡地に新しいラクビー場を建設する予定です。ただし、こちらも野球とラクビーのファンには聖地扱いで中止の要望が多いようです。


 新国立競技場の問題を一回分で作るのは大変なので、今回は3番目の「ラクビーワールドカップ2019」の東京会場が新国立競技場の必要はなく、「秩父宮ラグビー場」や「味の素スタジアム」で問題ないという考えからいきます。

 平成21年7月に国際ラクビー評議会で「ラグビーワールドカップ2019」の開催地が日本に決まります。こちらは、世界のラクビー団体の決定です。
  開催期間: 2019年9月~10月予定 (約6週間)

 今年・平成27年3月になって、日本国内の「(財)ラグビーワールドカップ2019組織委員会」選定で、日本で試合を行う会場が決まりました。こちらは日本側の決定です。ラグビーワールドカップリミテッド(RWCL)理事会は承認しただけです。
 その中で、東京が開催地の一つに東京オリンピックでメインスタジアム会場の建設費が高すぎることが問題になっている「新国立競技場」に決まりました。
 建設計画が未確定な「新国立競技場」に突然決めた理由は、建設時期を1年早めて、完成が間に合わないように見せて、現実の建築設計を無視して、無駄に見た目のデザインばかり選んだ建設費(税金)のムダを考えていないドーム附きスタジアムと、過剰な建設需要で、さらに高騰した建設費を無理やり押し付ける政治的圧力です。
 「くまドン」は素人ですが、ラグビーワールドカップ2019の東京会場は、新国立競技場の使用を禁止しましょう。替わりのラクビー場としては、「秩父宮ラグビー場」と「味の素スタジアム」が良いと思います。


 一度載せた写真ですが、オリンピック開催地決定前のオリンピック招致ライトアップ時に撮影した写真です。

 ラクビーワールドカップ2019の東京開催決定時にも別の色の組み合わせで、1週間程ライトアップしてましたが、
 「くまドン」は、その場所が新国立競技場という事に政治的な匂いを感じ、嫌だったので、撮影に行きませんでした。 一応、代用に載せておきます。

ラグビーワールドカップ2019の開催スタジアムのキャパシティーについては、日本大会開催のガイドラインで以下のようになっているようです。ただし、これは日本側で決めたルールと思いますので変更可能と考えます。
(1)開幕戦・決勝戦 6万人以上 (現状は、横浜国際総合競技場(72,327人)のみ)
(2)プールA規模 4万人以上(ホスト国や強豪国の開催ができる規模が望ましい)、札幌、静岡、豊田、大分
(3)プールB規模 3万人以上
(4)プールC規模 1万5000人以上
※いずれも座席のみとし、芝生席はカウントしない。全カテゴリー共通 大型映像装置やナイター照明設備の設置など、国際試合に適合したスペックへの改修・新設

 では、現在の東京2会場のレベルは?と調べてみると、

(1)秩父宮ラグビー場(ちちぶのみやラグビーじょう)
 収容人員: 2万4871人(プールB規模)、ナイター設備、大型映像装置1基あり。初期の会場候補の一つ。
 また、数々のラクビーの試合が行われてきたので、「ラクビー場の聖地」としても有名です。
 昭和22年(西暦1947年)の会場にもかかわらず、ラクビーファンの間では壊さないで欲しいとの要望が強い。
 なお、秩父宮ラグビー場と神宮球場と替地にして建て替える計画のようですが、
 神宮球場も野球ファンの聖地として、建て替え計画で野球ファンからの反対を受けています。

(2)味の素スタジアム(東京スタジアム)
 収容能力: 4万9970人(プールA規模)、ナイター設備、大型映像装置(アストロビジョン)あり。
 初期の会場候補の一つ。
 サッカーJリーグのFC東京と東京ヴェルディの試合や、2013年の東京国体(スポーツ祭東京2013)の
 陸上競技、第51回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(2015年)の決勝が行われています。

 ラグビーワールドカップ2019では、グループリーグから決勝まで48試合行われる予定です。
 12都道府県の球技場(競技場、スタジアムなど)で開催予定なので、平均すると、1都道府県で4試合の予定です。

 考えようによっては、「秩父宮ラグビー場」を壊さないで、「味の素スタジアム」をうまく併用して会場に使用すると、そのまま、東京のラクビーワールドカップ会場に使用可能でしょうね。
 「味の素スタジアム」の収容能力5万人弱は、静岡県の「小笠山総合運動公園エコパスタジアム」の5万人超に続いて3番目ですから、開幕戦・決勝戦は、「横浜国際総合競技場」と「味の素スタジアム」の組み合わせか、「横浜国際総合競技場」だけにするかで問題ないでしょう。

 はっきり言って新国立競技場をラクビーワールドカップ会場2019の会場にすると、突然言い出したのは、新国立競技場を無理な設計で造ることを認めさせる為に決めた政治目的ですから、
 断固反対して、「秩父宮ラグビー場」や「味の素スタジアム」をラクビーワールドカップ会場にしまししょう。
 その方が、老朽化しても「ラクビーの聖地」と惜しまれる「秩父宮ラグビー場」の最後の花道になるので、ラクビーファンも喜ぶでしょう。「秩父宮ラグビー場」を取り壊しをワールドカップ終了後まで遅らせても問題はないと思います。

 このように「くまドン」は思います。

 予定では、翌年の「東京オリンピック2020」までにラグビー場を解体してオリンピック中は駐車場などとして利用するらしいのですが、オリンピックの期間は、わずか2週間だけです。
 無理して、翌年のオリンピックまでにラクビー場を解体しなくても、その気になれば、秩父宮ラグビー場内に自動車が出入りできるように一部を改修すれば、グランド部分を駐車場に使用できます。グラウンドの芝の部分は保護シートで覆います。(真面目なラクビーファンからは、「ラクビーの聖地」を自動車のタイヤで踏みつけにするのか!と怒られるかもしれません。また、「秩父宮ラグビーを残せ!」という人もいるかもしれませんが)

 いたずらに建設需要を増やしたり、建設期間が不足して突貫工事をしても、不要な建設費用が増大するだけです。
 新国立競技場の完成時期を2019年に早める必要はないでしょう。また、「秩父宮ラグビー場」の解体をオリンピック後にすれば、オリンピック前の過大な建設需要を減らすことも可能です。
 オリンピックまでの2020年に新国立競技場が使用可能になれば良いという事に気がついてください。
 設計技術を無視したデザインのドーム建設は行わず、競技場内部の設備も、運用費や保守費まで見直して過大な設計・設備をなくした方が、はるかに国民にも、都民にも財政負担が少なくなるのです。
 「くまドン」は、国民の一人として、都民の一人として、
 新国立競技場の設計に対して、建設・運用・保守費を含めて無駄を排除を徹底した設計変更を要求します。

 最初に話した1.と2.の話は、また次回にさせていただきます。

(1)以前作成したブログは以下のとおりです。
 「名所江戸百景180 新宿センタービルからの眺め 国立競技場」

 今回は、これで終了とさせていただきます。

 前回の「城010 阿尾城 前田慶次の城」のブログでも話ましたが、5月頃から新国立競技場建設のムダ使いについて、ブログを作ろうとしましたが、元々「くまドン旅日記」は、政治関連のブログを作るつもりが無かったので、なかなか作る気力が起きませんでした。やっと一部分ができました。
 「くまドン」のブログは小さな個人ブログです。このブログを作っても、何が変わるのか?と思いながらも、多大な税金の無駄使いが、日本全国で行われているのに、煮え切らない「くまドン」自身に腹を立てています。

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城010 阿尾城 (富山県、山城) 前田慶次の城

2015-06-14 23:15:06 | 訪城記
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、富山県・氷見市(ひみし)の阿尾城(あおじょう)です。前田慶次(まえだけいじ、前田利益)のゆかりの城として知られている城です。「くまドン」が、たまたまテレビを見ていたら、前田慶次の米沢(よねざわ)での晩年を描いた「かぶき者 慶次」(NHK木曜時代劇)という番組をやっていました。昔は、マンガの「花の慶次」を見ていましたので、懐かしくも思いました。普段は流行を追わないマイペースの「くまドン」ですが、「かぶき者 慶次」の最終回が今週の6月18日のようで、それではということで、阿尾城の訪城記をつくることにしました。
 訪城日は平成24年4月下旬ごろです。

 阿尾城は富山湾の海に突き出した白い岩肌の断崖(だんがい)に造られた海城です。
(絵画調)


 「花の慶次 -雲のかなたに-」 作画は原 哲夫(はら てつお)、隆 慶一郎(りゅう けいいちろう)の歴史小説「一夢庵風流記」(いちむあんふうりゅうき)が原作で、週刊少年ジャンプで平成2年~平成5年(西暦1990年~1993年)に連載したマンガですが、こちらの阿尾城は、実際に前田慶次が城代(じょうだい、城の管理者)として治めたことのある城です。

 下の写真は、阿尾城の地図(MAP)です。小さいですが、標高は20m~40mもあり、本丸・二ノ丸・三の丸もある海城です。

ただし、現在の地形は、神社付近の地形が変わり、当時の地形とは異なるようです。
 下の写真は、阿尾城の二ノ丸付近と、氷見(ひみ)の海岸線沿いの街並みが見えます。


 三の丸付近には、榊葉乎布(さかきばおふ)神社があります。創建年は不明ですが、奈良時代の歌人・大伴家持(おおとものやかもち)が越中(えっちゅう、現在の富山県)国守として赴任した際に、勧請(かんじょう)したのが始まりと伝えられています。
 この付近には、大伴家持が景観の美しさを表現した歌がいくつも詠まれています。
 石の歌碑には、大友家持が阿尾の浦に行った日に作った歌一首が刻まれています。

 英遠(あを)の浦に 寄する白波 いや増しに 立ちしき寄せ来く 東風(あゆ)をいたみかも (大友家持)

 (訳文) 阿尾の浦にうち寄せる白波は、いよいよひどく、ひっきりなし立ってしきりに寄せて来る。
      これはやはり東風(あゆ)が強く吹くためだろうか。

(1)戦国時代は阿尾城の城主は、この土地の領主である菊池一族でした。上杉謙信(うえすぎけんしん)が越中に侵攻してくると、菊池氏は上杉家に従いました。

 本丸に向かう途中に白峰神社の石段があります。


(2)次に、謙信の死後、上杉家の跡目を巡る内乱に乗じて、織田信長(おだのぶなが)が越中に侵攻してくると、織田家に従う事になります。この時の越中方面の担当者である佐々成政(さっさなりまさ)の配下となります。

 阿尾城の神社は、透明なガラス(?)で覆われています。


(3)さらに、本能寺の変(ほんのうじのへん)で信長が死去すると、羽柴秀吉(はしばひでよし、豊臣秀吉)に従った前田利家(まえだとしいえ、加賀と能登が領地)と佐々成政(越中が領地)が対立することになります。

 遊歩道を歩いて行くと、本丸に到着です。本丸には櫓(やぐら)があり、富山湾を見下ろす見張り台で、富山側(佐々軍領地)と能登側(前田軍領地)と間の海上交通を抑える要所だったわけです。現在の本丸には展望台があります。


(4)当然、阿尾城は、能登(のと)と越中の境界に当たる為、戦略上の要所(最前線)となります。
 阿尾城主・菊池武勝(たけかつ)は前田家の誘いに応じて、佐々家から前田家に寝返ることにします。
 安土桃山時代の天正13年4月に、前田家の軍勢数千人が阿尾城に向かい、菊池武勝が城門を開き、前田家の軍勢を迎えるという事態になります。当然、戦闘も無く、無事に軍勢は場内に入ったのですが、この時軍勢の中の前田慶次は、前田利家のいる第五陣にいたようです。先陣は、村井長頼(むらいながより)だったそうです。
 佐々成政は、菊池武勝の裏切りを知り、阿尾城に攻め込もうとしますが、すでに前田家の数千の軍勢が入場していた為、無理攻めをせずに富山城に帰ります。

 阿尾城の北側を流れる阿尾川の桜並木も満開でした。前田慶次のいた時代には、桜の代表種であるソメイヨシノ(江戸時代の品種)はありませんでしたが、前田軍が阿尾城に向かう途中の山中には山桜が咲いている事もあったのでしょう。
(絵画調)


(5)前田利家は阿尾城から軍勢を金沢(かなざわ)に引き上げることになり、阿尾城の城代(城の管理者)として、前田慶次(利家の義理の甥)に任せることになります。前田慶次ゆかりの城の誕生です!
 同時に阿尾城の兵力は前田軍と元城主の菊池軍を合わせて合計約2000人に減ります。

 本丸から北側の眺めです。ここから北の能登半島の海岸線は、現代と違い道路はありませんので、海路を除けば、山越えの道となります。


(6)天正13年6月になると、佐々成政は好機と見たのか、神保(じんぼう)軍約5000人で阿尾城を攻めさせます。
 ここに、阿尾城の合戦が始まるのですが、なんと、前田軍の2倍以上も多い神保軍と野戦で迎撃することになります。
 阿尾城は断崖で堅城そうですが、2000人で守るには不利だったのか、兵量に問題でもあったのでしょうか?
 もっとも、守備する武将は、前田慶次を始めとして、片山延高、高畠定良など前田家の猛者(もさ)ばかりで、数に勝る軍勢相手におとなしく護城して援軍を待っているようなメンバーでもなさそうです・・・・
 元城主の菊池軍の方も佐々家を裏切っていますから、戦となれば負けるわけにはいかず必死です。
 戦闘の前半は双方一進一退の大激戦になります。しかし、徐々に数に勝る神保軍が有利になってきた所で、前線の巡視に来た前田軍の村井長頼(この人も前田家の猛者)の300の兵が加勢した所で形成が逆転し、神保勢が負けて後退するという結果になりました。
 加勢した人数を含めても、2倍以上の兵力に勝利した結果になります。阿尾城・城代としての前田慶次の勇名は上がったことでしょう。
 この戦から5年後の天正18年、養父・前田利久(まえだとしひさ)も亡くなり、前田家との縁を切るかように前田慶次は前田家を出奔して、京へと向かうことになります。

 前田慶次については、不明な所が多く、その奇抜な行動から多くの人の想像を生み出し、伝説や逸話にもつながっていきます。
 もっとも、織田信長や前田利家も、若い時は十分な傾奇者(かぶきもの、異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者)でしたが・・・・

 そして、現在もテレビドラマの「かぶき者 慶次」でも、新たな前田慶次のイメージが作られようとしています。
 前田慶次の晩年の話ですから、俳優が藤竜也(ふじたつや、73歳)、天徳和尚が伊武雅刀(いぶまさとう、66歳)というもの凄い渋い対決と、20代俳優のラブコメの組み合わせという展開に、「くまどん」は・・・・・・(黙秘)です。
 脚本は、大河ドラマ「天地人(主人公は直江兼続(なおえかねつぐ)」担当の小松江里子(こまつえりこ)さんです。
 でも、藩主・上杉景勝(うえすぎかげかつ)も、直江兼続も出番はなさそうですね。この二人を出したら、あっさり家中の問題は終わりですしね。

 今回は、これで終了とさせていただきます。

 5月頃から東京オリンピックの新国立競技場のムダ使いについて書こうかと思っていたのですが、元々「くまドン旅日記」は、好きな写真撮影でブログを作るのが目的でしたから、あまり政治の話は作る気が湧きませんでした。
 (それでも、国民の税金の使い方や増税に腹を立てて、何回か脱線もしていましたが・・・)
 今回、前田慶次のゆかりの城にしたのも、もやもやした気持ちを吹き飛ばしたかったのです。

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名所江戸百景235 第77景 鉄砲洲稲荷橋湊神社 つきじ獅子祭(豊洲移転前の最後の本祭り)

2015-06-11 23:10:09 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、中央区・築地(つきじ)の「つきじ獅子祭」です。今年のつきじ獅子祭は本祭です。
 しかも、場内市場が移転前の最後の本祭ということで、市場内水神社大神輿も今回のみ一緒に渡御祭を行う事になりましたから盛大です。「くまドン」は仕事日に当たるので、見に行けませんが、せっかくですので、ブログ作成してみることにしました。
 写真は、昨年・平成26年と一昨年・平成25年に撮影した写真の余りからです。

今年・平成27年の築地獅子祭の日程は以下の通りです。
 日時: 平成27年 6月10日(水)~14日(日)
6月10日(水) 大祭式
6月11日(木) 鎮花祭・宵宮祭
6月12日(金) 御神楽祭、江戸里神楽奉納
6月13日(土) 渡御祭 (神社千貫宮神輿・弁財天お歯黒獅子・水神社大神輿御巡行)
6月14日(日) 弁財天お歯黒獅子宮入・各町神輿連合社参
 下の写真が、弁財天お歯黒獅子です。雌獅子(めじし)ですので、担ぎ手は女性ばかりでした。

 下の写真は波除神社にある雄獅子(おじし)です。

 続いて、波切神社です。夏越しの大祓いの茅ノ輪(ちのわ)もあります。

 大通りからみた築地場外市場の店の看板です。

 場内市場が移転後も、場外市場はここで商売を続けるそうです。

 築地の人達は、このまま場内市場が築地にいて欲しい見たいですので、この先どうなるか不透明な所がありますが、ともかく祭りの最後は盛り上がることでしょう。


 下の絵は、広重の名所江戸百景「第77景 鉄砲洲稲荷橋湊神社」(秋景)です。


以前作成した昨年と一昨年のブログは以下の通りです。
 「名所江戸百景188 築地獅子祭に行ってきました」
 「<速報>名所江戸百景043 「日枝神社の山王祭」と「つきじ獅子祭」」

 今回は、これで終了とさせていただきます。
 別の話を入れようとしていましたが、築地獅子祭が本祭りのニュースが入りましたので、急きょ変更しました。

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名所江戸百景234 第37景 墨田河橋場の渡かわら竈 今戸神社と山谷掘のアジサイ

2015-06-06 00:15:30 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回も時間が少なかったので写真が少ないですが、台東区の今戸神社(いまどじんじゃ)と山谷掘(さんやぼり)のアジサイ(紫陽花)の写真です。
 「名所江戸百景044~045・・・・」で谷中(やなか)・日暮里(にっぽり)のアジサイを撮影した帰りに、下見に撮影に行った時の写真です。
 下の写真は今戸神社で撮影した写真ですが、アジサイには少し早かったようですね。

 今戸神社の独特の円型の招き猫が描かれた絵馬にアジサイの組み合わせでなかなか良いのですが、「くまドン版」の名所江戸百景では、アジサイの景は日暮里・谷中に決めていましたので、百景の選択対象にはなりませんでした。

 江戸時代後期の天保年間に刊行された江戸名所図会(えどめいしょずえ)では、「今戸八幡宮(いまどまちまんぐう)」として紹介されています。
 「今戸橋(いまどばし)より一丁(=一町、長さの単位、約109m)ばかり北の方、道より左にあり。祭神、山城国(やましろのくに)石清水(いわしみず)に同じ。別当(べっとう、神社を管理する寺)は天台宗にして、松林院(しょうりんいん)と号す。祭礼は毎年八月十五日にして、放生会(ほうじょうえ)を修行せり。」
 と記されています。続いて、社記の説明が続き、
 平安時代の康平年間に源頼義(みなもと の よりよし)と義家(よしいえ)親子が、奥州討伐(前九年の役)平定の後に、京都の石清水八幡宮を、鎌倉由比郷(かまくらゆいのさと)、および、この今戸に地に勧進し、祈願したのが始まりであると伝えられています。
 さらに、その後に永保年間に源義家が、再び、奥州討伐(後三年の役)に向かう時も、鎌倉の鶴岡(つるがおか)と今戸神社に戦勝祈願をしたと伝えられています。
 そのような経緯があり、鎌倉幕府を開いた、子孫の源頼朝(みなもとのよりとも)も、奥州・藤原氏(ふじわらし)の追討の進発の際には、勝利を祈願したそうです・・・

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第37景 墨田河橋場の渡かわら竈」(春景)です。


 下の写真は山谷掘で撮影した写真ですが、こちらの方はアジサイが奇麗な青色に咲いていました。


 江戸名所図会(えどめいしょずえ)の山谷掘りの絵には、
 「山谷掘 俗に掘とばかりもいへり。 今戸橋 慶養寺 待乳(まつち)しづんで、梢のりこむ今戸橋 土手の粗傘、片身がはりの夕時雨 君をおもへば、あはぬむかしの細布  右 英一蝶(はなぶさ いっちょう)戯作。」と書かれています。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第34景 待乳山山谷堀夜景」(春景)です。

 対岸の墨田区側から描いた絵ですが、絵の右奥に見える橋のが今戸橋、ここが絵の手前を左右に流れる隅田川(すみだがわ、江戸時代の荒川)と山谷掘の合流点です。今戸橋の両岸には船宿や茶屋が多くあり、灯り(あかり)が見えます。真ん中奥のこんもりとした森が待乳山聖天(まつちやましょうでん)になります。


(1)今戸神社と山谷掘の話は、以下のブログです。
 「名所江戸百景151 第37景 墨田河橋場の渡かわら竈 今戸焼の招き猫とサザンカ」
 「名所江戸百景173 第100景 よし原日本堤 山谷掘桜景」

(2)谷中・日暮里のアジサイの話は、以下のブログです。
 「名所江戸百景044 第14景 日暮里寺院の林泉 谷中のアジサイ寺」
 「名所江戸百景045 第15景 日暮里諏訪の台 日暮里のアジサイ」


 今回は、これで終了とさせていただきます。
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