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名所江戸百景232 第29景 砂むら元八まん 砂町の富士塚 

2015-05-29 12:25:34 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 前回は、江東区・砂町(すなまち、江戸時代は砂むら)の元八幡の話をしましたが、「名所江戸百景008 第29景 砂むら元八まん 仙台堀川の桜(1)」で、名所江戸百景の話を続けるのに忙しく、元八幡の話を後回しにしていました。そのままになっていましたので、今回は砂村元八幡に行った時の話にします。
 下の写真が砂町の富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう、元八幡)です。

 他の場所で撮影していたら遅くなってしまいましたので、夕暮時になってしまいました。
 砂町にあるこの神社の創建は古く、大化の改新に藤原 鎌足(ふじわらのかまたり、中臣 鎌足)の孫・藤原 豊成(ふじわらのとよなり)が下総守(しもうさのかみ、現在の千葉県北部の国司)になった時(奈良時代)に創建された神社だそうです。以前も話したように、この付近は荒川・利根川(とねがわ)の河口部にある中洲のような島でしたから、江戸時代初期は「宝六島」と呼ばれていました。

 現在の砂町の富岡八幡宮の社殿です。

 同じく江東区・深川の富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう、深川八幡)は深川祭りで有名ですが、この富岡八幡宮は江戸時代の3代将軍・家光(いえみつ)の寛永年間までは、砂むら(砂町)から深川の永代島へ移し、4代将軍・家綱(いえつな)の寛文年間の頃に砂町の富岡八幡を「元八幡」と呼ぶようになりました。
 神社の入口左に元八幡の旧跡の石碑がありました。


 江戸時代・前期は「宝六島」と呼ばれたこの土地が「砂村」」と呼ばれるようになったのは、4代将軍・家綱の万治年間に砂村新左衛門(すなむらしんざえもん)主導の元に、砂村新四郎らが新田を開発したことから、「砂村新田」と呼ばれるようになりました。砂村新左衛門は江戸時代初期の農民でありながら、土木技術者でもあり、日本各地の新田開発を主導してきた人です。

 江戸名所図会(えどめいしょずえ、天保7年に刊行、挿図は長谷川雪旦)の挿図です。

 図の右上には、
 「砂村富岡八幡宮 洲崎弁天(すさきべんてん)より十八丁あまり東の海浜にあり。深川八幡の旧地なりといへり。」
 と書かれています。「丁(ちょう、町)」は江戸時代の長さの単位で1丁(町)=約109m程度です。

 下の絵が名所江戸百景「第29景 砂むら元八まん」です。

 元八幡付近は松の木が茂り、海に面した風光明媚な所であり、江戸の名所の一つなっていました。
 広重の絵には元八幡の鳥居(とりい)と土手の松並木、江戸の海(東京湾)が描かれています。

 砂町の元八幡(富岡八幡宮)の境内には、浅間神社(せんげんじんじゃ)もあり、結構立派な富士塚(高さ4m程?)があります。(注意書きにあるように登るのは禁止です。)

 11代将軍・家斉(いえなり)の天保年間までに、江戸時代後期に爆発的に広まった富士山信仰の富士講(ふじこう)のひとつ山吉講(やまきちこう)によって造られた富士塚があったそうです。この頃の塚は高さ30mもある土の山でしたが、昭和8年の水害で表面が崩れたので、表面を溶岩(ようがん、伊豆黒ボク石)で固めたそうです。
(絵画調)

 砂町の富士塚は富士山の形を模して造られていて、正面(西)が吉田口、背面(東)を大宮口などがあり、中腹の宝永山の代わりの小さな高まりがあったりと凝った造りになっています。

 富士塚の説明板にあった昭和30年代頃の富士塚の写真です。

 まだ、この当時は、隣の家の屋根より高そうな感じです。
 昭和37年になると、30m程移動となり、現在の場所に移され、現在の大きさになったそうです。
 高度成長期と言う時代を経て、現在の町中に残る歴史の一風景です。 


(1)以前作成した「第29景 砂むら元八まん」のブログは以下のとおりです。
 「名所江戸百景008 第29景 砂むら元八まん 仙台堀川の桜(1)」
 「名所江戸百景231 第29景 砂むら元八まん 砂町・荒川放水路の風景」

(2)江戸時代の深川や江東区の話は以下のブログです。
 「名所江戸百景021 第68景 深川八幡山ひらき 深川(1)」
 「名所江戸百景022 第68景 深川八幡山ひらき 深川(2)」
 「名所江戸百景023 第68景 深川八幡山ひらき 深川(3)」
 「名所江戸百景024 第69景 深川三十三間堂 深川(4)」
 「名所江戸百景025 第107景 深川州崎十万坪 空からの風景」

 今回は、これで終了とさせていただきます。
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名所江戸百景231 第29景 砂むら元八まん 砂町・荒川放水路の風景

2015-05-26 12:25:22 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、「名所江戸百景227 第70景 中川口 初夏の陽気」の続きになります。旧中川(きゅうなかがわ)の終点は、下の写真の荒川ロックフィルゲートで荒川放水路につながっています。

 荒川ロックフィルゲートより南側は江東区の砂町地区になっています。
 この日は、自転車で荒川の川沿いに下流側に移動してみました。下流側の砂町から上流側の荒川ロックフィルゲートを眺めた写真です。
(絵画調)

 この付近は昔から船宿の多い所です。

 後方に葛西橋(葛西橋、昭和38年完成)と、清砂大橋(きよすなおおはし、平成16年完成、斜張橋)の塔とケーブルが見えます。
(絵画調)

 河口の左側には葛西臨海公園がありますが、5月はシギ類の渡りの季節ですね。

 行く途中に江戸名所図会(えどめいしょずえ、天保7年に刊行、挿図は長谷川雪旦)が描かれている所がありました。

 江戸時代の砂町は砂村(すなむら)と呼ばれ、富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう、深川八幡)が元々あった地であり、3代将軍・徳川家光(いえみつ)の寛永年間に現在の深川の地に移したことから、砂村の八幡様を元八幡・富賀岡八幡宮と呼ぶようになったそうです。

 下の絵が名所江戸百景「第29景 砂むら元八まん」です。


(1)以前作成した「第29景 砂むら元八まん」のブログは以下のとおりです。
 「名所江戸百景008 第29景 砂むら元八まん 仙台堀川の桜(1)」

 今回は、これで終了とさせていただきます。
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現状(ブログ放置してしました)

2015-05-24 22:12:29 | インポート
こんにちわ、「くまドン」です。

 前回の神田祭のブログから2週間放置してしまいました・・・。その間に訪問していただいた方ありがとうございました。
 4月の末から電子メールの受信が不可能になりまいた。インターネットはアクセスできるので、メール側の問題のようです。神田祭のブログを作成後に、色々と試みた結果、やっと受信可能になりました。やっと正常な使用状態に戻りました。

 今年のGWの連休の休みは、福島県・相馬市から宮城県にかけての被災地に行ってきました。復旧作業は進んで、ガレキの山はほとんど見られませんでしたが、何も無くなった土地が津波の跡を物語っていました・・・・
 記録と観光の両面で色々な写真を撮影してきましたが、現地で見てきたことと、調べた事が次々に頭の中で混じり合い、頭の整理がつきません。旅日記に載せて良いのかどうか判断できず、気持ちの整理もついていない状態です。

 前回のブログから間が開きすぎましたので、しばらく、東京付近の話題でブログを作らせていただきます。


名所江戸百景230 第10景 神田明神曙之景 神田祭(3) 神輿宮入

2015-05-09 18:30:16 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、江戸三大祭りの一つ神田明神(かんだみょうじん)の例大祭です。今年は2年に一度の本祭です。今年は遷座400年奉祝の年とのことです。


 平成27年の神田祭りの日程の一部です。神田祭は5/15(金)の例大祭まで続きます。
 5/10(日) 終日
  神輿宮入(みこしみやいり、町の神輿が大鳥居を潜り、参道を駆け上がり神田明神へ向かいます。)
  大小200の神輿が揃いますので、朝から晩まで続き、熱気は最高潮になります。

 今回は、前回・平成25年の神輿宮入の時の写真です。この日は仕事の帰りに寄りましたので、最後に近い神輿の宮入りのみ撮影できました。
 写真右に写っているようにインターネットTV生放送もあります。神田明神のHPの「神田祭の特設サイト」に表示があります。


 まずは、先導の高張り提灯(ちょうちん)が通り過ぎます。

 続いて、氏子(うじこ)町神輿が門をくぐります。境内は人で埋め尽くされ、熱気にあふれています。

 神社の本殿に近づくまでに威勢の良い掛け声が境内に響き渡ります。
 本殿の前で神輿が到着すると、拍子木(ひょうしぎ)の音が鳴り響きます。




 祭りの簡単な説明は前回のブログにあります。
 「<速報>名所江戸百景032 神田明神の神田祭(1)」
 「<速報>名所江戸百景033 神田明神の神田祭(2)」
 「名所江戸百景228 第10景 神田明神曙之景 神田祭(1) 鳳輦神輿遷座祭」
 「名所江戸百景229 第10景 神田明神曙之景 神田祭(2) 神幸祭・附け祭」

 今回は、これで終了とさせていただきます。
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 「くまドン」はGW中に旅行に行ってましたので不在でした。「いいね」していただいた方や、訪問していただいた方ありがとうございました。それから申し訳ありませんが、「くまドン」はFaceBookや携帯は未使用なので、「いいね」を返せません。ごめんなさい。
 神田明神には直接関係ありませんが、色々と撮影する気が無かったので、「くまドン」の仕事日と重なり、今年の神田祭り撮影は予定なしです。

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名所江戸百景229 第10景 神田明神曙之景 神田祭(2) 神幸祭・附け祭

2015-05-08 19:30:47 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、江戸三大祭りの一つ神田明神(かんだみょうじん)の例大祭です。今年は2年に一度の本祭です。今年は遷座400年奉祝の年とのことです。

 平成27年の神田祭りの日程の一部です。
 5/9(土) 終日
  神幸祭・附け祭(しんこうさい、氏子地域一帯の神田・日本橋などを巡行)
 5/10(日) 終日
  神輿宮入(みこしみやいり、町の神輿が大鳥居を潜り、参道を駆け上がり神田明神へ向かいます。)

神幸祭の行列である附け祭の風景からです。今回の写真は、全て前回(平成25年)の本祭りの時に撮影した写真で、全て絵画調しています。
 最初は、前回の附け祭で新たに加わった「花咲か爺さん」の山車(だし)です。後ろに見えている神社は水天宮(すいてんぐう)ですが、現在は平成28年まで建て替え中のようです。

 下の写真は、お爺さんが桜に花を咲かせる為の灰を巻いている所ですが、写真見て、何か浦島太郎(うらしまたろう)が玉手箱を開けた時のシーンみたいだと思っていました。今年の新しい山車(だし)は、なんと「浦島太郎」 が143年ぶりの復活とのことです・・・・

 こちらは、平成17年に約250年ぶりに復活した「大鯰(おおなまず)と要石(かなめいし)」です。大き過ぎて、写真におさまりません・・・!


 場所は変わり、日本橋の店も提灯(ちょうちん)を飾って、お祭りムードです。

 そこに通りかかった福島県・南相馬市の相馬野馬追(そうまのまおい)騎馬武者です。今年も見れますよ!

 前回は雨で残念でしたが、今回の天気は、天気予報を見る限り、大丈夫そうですね。

 祭りの簡単な説明は前回のブログにあります。
 「<速報>名所江戸百景032 神田明神の神田祭(1)」
 「<速報>名所江戸百景033 神田明神の神田祭(2)」

 今回は、これで終了とさせていただきます。
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 神田明神には直接関係ありませんが、色々と撮影する気が無かったので、「くまドン」の仕事日と重なり、今年の神田祭り撮影は予定なしです。

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