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旅日記002 蒜山高原と大山の風景(2) 茅部神社の桜並木

2014-06-29 09:30:12 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、4月の岡山県の蒜山高原(ひるぜんこうげん)の続きです。
 元々、季節外れに始めましたが、初回のブログから間が空いたので、さらに季節外れになってきましたが、少し前に進めることにします。

 蒜山高原の南側には、茅部神社(かやべじんじゃ)という蒜山高原では有名な神社があります。
 なにが有名ななのかと申しますと、
(1)日本一(高さ13m)の石の鳥居(とりい)がある。鳥居が造られたのは、なんと、幕末の文久3年(西暦1863年、14代将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)の時代)です。150年間以上も記録を保持しています。
 下の写真が神社の入口付近ですが、写真の後方にその石の鳥居があります。

(2)神社入口の大鳥居から神社まで、約1kmもの桜並木が続いています。平地の桜は散ってしまいましたが、蒜山高原の桜は、まだ咲いていました。
(3)天照大神(あまてらすおおみかみ)の伝説に天岩戸(あまのいわと)伝説がありますが、天岩戸の場所に関しては西日本各地にその場所であるという候補地があります。蒜山高原の茅部神社後方の山奥も、その一つです。

 まさに桜のトンネルですが、車が通れる程の舗装(ほそう)された道がありますので、神社に向かうと、駐車場に展望台があります。
 下の写真は、茅部神社の近くにある展望台から、蒜山高原の山並みを眺めた写真です。

 天候が回復してきたので、やっと山並みが見えてきた程度ですが・・・・

【茅部神社(かやべじんじゃ)】
 天岩戸伝説(あまのいわとでんせつ)のある所ですから、祭神は当然、天照大神となります。
 背後の岩倉山には「天の岩戸」と呼ばれる巨岩が祀られています。
 幕末の頃に天磐座(あまのいわくら)と呼ばれるようになったそうです。

 天照大神とは別にもう一つ祭神がいまして、年神(としがみ、歳神)様と呼ばれる神様を祭ってあります。
 年神様は、毎年お正月に各家に来てその一年の幸せを願ってくれる来訪神(らいほうしん)で、人々に歓待される神様です。正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものなのだそうです。例えば門松(かどまつ)は年神が来訪するための依代(よりしろ、この場合は神様の宿る場所)であり、鏡餅(かがみもち)は年神へのお供え物(おそなえもの)であったです。

 神社の入口のしめ縄も、島根県の出雲大社(いずもたいしゃ)にあるしめ縄と雰囲気が似ていて、太くて真っ直ぐです。

 「くまドン」が神社の参拝を済まして、神門を通ると、鳥居の先に桜並木のトンネルが奥まで続いていました。

 茅部神社は大山に行く途中の寄り道ですので、今回は天岩戸伝説の巨石のある所までは、行きませんでした。
 この続きは、また次回とさせていただきます。

 前回のブログは、以下の通りです。(ブログ右欄のカテゴリアーカイブで「旅日記」をクリックすると、一覧が表示され、一覧の先頭(一番下)にあるので、これをクリックしてもブログが開きます。)
 「旅日記001 蒜山高原と大山の風景(1) 鬼女台から見た大山」

 今回は、これで終了とさせていただきます。
 くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。

 7月前半は不在の日が多いので、申し訳ありませんが、当分、コメント不可になります。
 ブログをいくつか作成しましたので、適当な間隔で自動更新で入れておきます。

 次回も、蒜山高原の話が続きます。今度は蒜山高原の自然です。


水紀行002 今年の関東の水がめは?

2014-06-26 07:55:09 | 水紀行
こんにちわ、「くまドン」です。

 下の写真は、埼玉県行田市(ぎょうだし)の古代蓮の里に咲いていた「古代ハス」です。映画・小説で有名な「のぼうの城」で有名な忍城のある所です。後方に見える古代蓮会館(有料)の展望タワーです。

 今年も早咲きは咲いていて、大賀蓮は6月24日の情報で花・ツボミともに多数とのことです。

 昨年・平成25年の今頃のブログを調べてみると、昨年は雨が少なく、北関東のダムは水不足気味の話でした。
 今年は、どうなっているかで調べてみました。
 前回も書いているように間が空いたので突然追加したような話なので、話とは関係ありませんが、今年も写真を少し入れておきました。

(1)今年・平成26年の関東地方は4月・5月は雨が平年より少なかったのですが、今年の冬の豪雪で、雪解け水が多かったのか、6月初めで、関東の各水系のダムの貯水量は、過去の参考年でも最大の貯水量となりました。放水量の調整も順調だったようです。
 今年・平成26年の降水量(平成26年6月25日現在)は平年比で以下の通りです。
  利根川水系: 4月は64%、5月は69%、6月は148%
  鬼怒川流域: 4月は73%、5月は80%、6月は201%
  荒川水系 : 4月は52%、5月は62%、6月は275%
 しかし、6月に入り、梅雨(つゆ)になると、突然、大量の雨が降り出し、荒川水系では6月前半だけで、平年比200%越えという状態です!
 しかし、ほとんどの水系は順調に治水・利水管理が行われ、今の所、順調に7月の制限洪水期貯水容量に近づいているようです。(1水系だけ、やや疑問がありますが・・・)

 下の写真は、展望タワーから眺めた「田んぼアート」の風景です。見事な絵となっています。
 毎年、水田をキャンバスとして色彩の異なる複数の稲を植え付け、文字や図柄が描かれます。

 今回の写真を撮影したのは、4年前の平成22年(西暦2010年)の7月ですが、映画「のぼうの城」が封切られる前のことです。絵柄は、忍城(おしじょう)と映画で「のぼう様」と呼ばれた成田長親(なりたながちか)です。

【治水・利水の常識・非常識】
 前回も話しましたが、ダムの「有効容量」(有効貯水容量)は、計画上でダムに水を貯められる水量です。
 通常は、農業用水や上水道を安定供給する為に使用されます。
 急な雨などに備えて、ダムが貯水できる「総貯水容量」に対して、十分な余裕を持たせてあります。
 さらに、夏場は、集中豪雨や台風などで大量の雨が降りますので、
 夏季(洪水期、6月~9月)の間、「有効容量」の一部を「洪水調節容量」に変更して、
 ダムに貯水可能な量を増やします。余る分は放水することになります。

 下の写真が忍城(おしじょう)跡にある郷土博物館の御三階櫓(ごさんかいやぐら、模擬?復興?)の写真です。

 江戸時代の5代・徳川綱吉(とくがわつなよし)の元禄年間の阿部家時代に御三階櫓が造られ、天守閣の代わりになっていました。明治6年に解体されましたが、昭和63年に再建されています。
 映画「のぼうの城」の舞台となった豊臣秀吉(とよとみひでよし)の「小田原攻め」の頃は、二ノ丸屋敷だけで、天守は無く、湿地帯の島を利用した堅城でした。石田光成(いしだみつなり)の城攻めが失敗により、「忍の浮き城」の別名で呼ばれる事もあります。

(2)まず、今年・平成26年6月25日の各水系の貯水量データだけを見てみると、

 水系名      有効容量  貯水量  貯水率  平年比
           (万m3)  (万m3)  (%)   (%)
 利根川水系   46,163  38,947  84    114
 鬼怒川流域   17,698  14,073  80    142
 荒川水系     14,420   9,036  63    152
 多摩川水系   18,540  16,975  92    120
 相模川水系   22,118  21,194  96    102

 となっています。このデータだけ見ると、荒川水系の貯水率が63%と低く見えますが、7月初めからの夏季の洪水調節容量に調節している結果ですから問題は無いです。
 なお貯水率の平年比は平成4年から平成25年までの貯水量平均値との比較ですが、
 荒川水系は、3年前の平成23年6月に滝沢ダム(たきざわダム、有効貯水容量5,800万m3)が完成、
 鬼怒川流域は、2年前の平成24年3月に湯西川ダム(ゆにしがわダム、有効貯水容量5,390万m3)が完成
 していますので、ダムが無かった時の貯水量を含む平年比に対して、現在の貯水量は大きくなっていますで、100%を大幅に越える数字になっています。

 下の写真は、埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の写真です。関東では珍しく、大きな前方後円墳がいくつもある所で、石田光成が忍城攻めで布陣した丸墓山古墳(まるはかやまこふん、円墳)から、隣の稲荷山古墳(いなりやまこふん、前方後円墳、5世紀後半の造営)を眺めた所です。


(3)7月1日になると、各ダムの有効貯水容量(洪水期利水容量と言います)は、減少して以下のようになります。
 (貯水量のデータは6/25のデータを使用しています。)

 水系名      有効容量  貯水量  貯水率  平年比
           (万m3)  (万m3)  (%)   (%)
 利根川水系   34,349  38,947  113    114
 鬼怒川流域   15,140  14,073  93     142
 荒川水系      8,000   9,036  113    152
 相模川水系   22,118  21,194  96    102
 (多摩川水系は夏季の有効容量が7月にならないと不明の為、未記入です。)

 こうして、貯水率を見ると、「利根川水系」、「荒川水系」は平年より水量豊富で、7月初めの夏季の有効容量へと順調に近づいています。「相模川水系」は6/15に夏季の有効容量に変わっていますので、変化ありません。

 残る「鬼怒川流域」ですが、湯西川ダムの増加により、平年比データは役に立ちません。
 6月初めまでは、過去最高の貯水量で問題無しかと思いましたが、6/20時点で夏季の制限容量を下回っています。6月上旬に多量の雨が降り、上旬だけで平年の100%を超える水域も多かったので、6/10頃に鬼怒川水系の貯水量が急上昇したようで、大急ぎで放水した形跡が貯水量のグラフから読み取れます。
 ただ、6月中旬以降の雨量が落ち着いたにも関わらず、多量の放水を続けているので、6/25時点で貯水率が夏季の93%まで落ちています。何か、一度方針変更したら、修正がきかないような減り方です・・・・・
 今年・平成26年は雨の多い夏との予報ですが、予報が外れて、雨不足になると、水不足の原因になるような?
 昨年までは、湯西川ダムができて間もない為、貯水量は低めに推移していました。おそらく、ダムが満水状態での運用は今年初めてと思いますので、過去データも無いし、慎重になっているのかな?と思います。
 元々、夏季制限容量は、超えていけない水位では無く、洪水時に下流部への放水を抑止する調整水量ですから、利水の側面を考えると、少し行き過ぎのような気がします。

 最後に、ブログに勝手に載せるわけにもいかないので、各データの入手方法ですが、
 インターネットのgooogleなどで「利根川水系 貯水量」と検索すると、おそらく、先頭と2番目付近に
 「貯水量情報|東京都水道局」と「利根川水系 | 河川 | 国土交通省 関東地方整備局」が表示されるはずです。

 「利根川水系 | 河川 | 国土交通省 関東地方整備局」をクリックすると、
 「利根川水系」の降水量・貯水量のデータとグラフが表示されます。
 ページの下の方に他の水系の情報のページへ飛べる場所があります。
 (「利根川水系鬼怒川流域」「荒川水系」「多摩川水系」「相模川水系」へ飛べます)

 多摩川水系のグラフを見たい場合は、「貯水量情報|東京都水道局」をクリックして、左欄の「水系別貯水量の推移」をクリックすると見る事ができます。ただし、対象となるダムの数が異なるのか?計算方法が異なるのか?多摩川水系の総容量が異なります。(利根川水系と荒川水系の情報もあります。)

 一応、昨年のブログも表示します。(クリックすると、そのブログに飛びます。右欄のカテゴリアーカイブで「水紀行」を選択しても一覧(現状は2つだけ)が表示されます。)
 「水紀行001 水不足?」

 今回は、これで終了とさせていただきます。
 くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。

 次回も、別の話になります。


名所江戸百景194 山王祭の下町連合渡御 日本一の神輿

2014-06-21 19:45:44 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今年・平成26年は日枝神社(ひえじんじゃ)の山王祭(さんのうまつり)が本祭でした。
 今回は6月15日に行われた下町連合御渡(したまちれんごうとぎょ)と日枝神社の風景からです。 下の写真は、日枝神社で行われていた江戸里神楽(えどさとかぐら)です。

 「くまドン」は、サッカーワールドカップの日本代表の試合を見ていたら、午前中の例祭奉幣(ほうべい、ほうへい)、お昼の山王太鼓(たいこ)に間に合いませんでした。なんとか里神楽の最後には間に合いました・・・・・・(汗)

 梅雨の晴れ間となりまして、この日は良い天気でした。休日ですから、参拝者も多く、参拝者が神社の入口まで並んでいたので、夕方に参拝することにして、日本橋の下町連合渡御の撮影に行く事にしました。


 13日の神幸祭(じんこうさい)で皇居外苑(こうきょがいえん)で撮影後に、もう一カ所ぐらい撮影しようと欲を出し、
 東京駅の北側から東方向に進んでいくと、
 下の写真のように「COREDO日本橋」の交差点にでました。日本橋はすぐ左に見えます。

 この場所で、「日本橋ごよみ」という宣伝パンフレットのトップに「山王祭の神輿行列」との文字が大きく書かれていました。写真右にある町の神輿(みこし)を含めた12基の神輿が日本橋・京橋(きょうばし)の中央通りの練(ね)り歩きます。
 午前中は日本橋茅場町(かやばちょう)の摂社(せっしゃ)・日枝神社付近を出発して、八丁堀(はっちょうぼり)を通り、神輿の数を増やしながら、お昼に京橋に到着します。
 午後は京橋を出発した神輿が日本橋まで行って折り返しますが、日枝神社の撮影もあったので、一番人気のある日本橋一か所に絞りました。
 さて、京橋に神輿が集まり出発寸前の頃、日本橋では半被(はっぴ)を着て、高張提灯(たかはりちょうちん)を持った人達が整列を始めます。提灯には、「室町」「本町」と、写真奥に見える日本橋北側の町名が書かれています。

 「江戸三大祭り」や「天下祭(てんかまつり)」として、有名な「山王祭」の日枝神社と「神田祭(かんだまつり)」の神田明神(かんだみょうじん、神田神社)の氏子領域の境界は、日本橋を境に分かれます。
 日本橋の南側が日枝神社、北側が神田明神の氏子領域です。下町連合渡御では、氏子領域境界の日本橋で、神田明神の氏子さん達が、日本橋の中央通りを渡御してきた山王祭の神輿を迎えるそうです。
 なお、神田祭の本祭りの山車(だし)行列は、上の写真奥の交差点を右から入り、右折して、後方の神田方面に向かいます。江戸時代の半ばから、神田祭と山王祭は、隔年(2年)に1回のペースで交互に行われるのが伝統です。

 下の写真は、日本橋で神田明神の氏子さんとの挨拶を終えて、折り返してきた神輿行列の先頭集団です。

 先頭は高鼻赤面の「猿田彦(さるたひこ)」と「猿女君(さるめのきみ、アメノウズメ)」、神官・巫女、各町の高張提灯と続きます。

 いよいよ、神輿が次々と日本橋にやってきます。撮影者も、ここが一番集中する所です。

 現在の日本橋は、明治44年に作られた19代目の橋ですが、中央柱の像は、麒麟(きりん、伝説の霊獣)らしく、本来の伝説では羽が無いそうですが、「飛躍する首都」を表現する為に付けられたそうです。
 (正直、ドラゴン(龍)と勘違いしてました・・・・)

 なかなか、日本橋と神輿の組み合わせが見られる機会は少ないので、撮影に来て良かったです。

 日本橋に向かう神輿と戻る神輿の行列で中央通りは、祭りの人で埋め尽くされ、活気のある一日でした。


 下町連合渡御の最後の写真は、「日本一」の文字が書かれた神輿です。

 上の「COREDO日本橋」の写真に写っていた日本橋一丁目(日本一)の町神輿です。

 一応、参加した12基の神輿の町名を参考に列記しておきます。(「日本橋ごよみ」からの情報)
(1)八丁堀三丁目西、(2)八丁堀二丁目西、(3)八重洲一丁目東、(4)日本橋三丁目西、
(5)江戸橋連合、(6)日本橋二丁目通り、(7)日本橋一丁目、(8)京橋三丁目、
(9)京橋一丁目、(10)室町二丁目、(11)京橋二丁目、(12)日本橋七ノ部連合

 下町連合渡御の撮影後に、再び、日枝神社に戻りました。
 短くなったとはいえ、参拝者の行列は長いので、夕方まで時間もあるし、のんびり神社で撮影していました。
 奉納された品です。野菜と酒が一杯です。

 今年も生け花展をやっていました。ここの生け花は、相変わらず、ダイナミックと言うかなんと言うか・・・・

 最後は、納涼大会(山王音頭)の風景です。もうすぐ、夏祭り本番の季節ですね!


 これで一応、一区切りになりますので、過去ブログも並べておきます。(クリックで、そのブログへ飛びます。)
(1)この後の、直近のイベントしては、芝・愛宕神社(あたごじんじゃ)の千日詣り(ホオヅキ市)があります。
 平成26年は、6月23日(月)・24日(火) (他の場所より1月早いです。)
 「名所江戸百景047 第21景 芝愛宕山 ほおずき市」
(2)アジサイ(紫陽花)のシーズンですので、
 「名所江戸百景044 第14景 日暮里寺院の林泉 谷中のアジサイ寺」
 「名所江戸百景045 第15景 日暮里諏訪の台 日暮里のアジサイ」
(3)日枝神社の山王祭のブログは、
 「名所江戸百景041 第52景 赤坂桐畑 日枝神社の山王祭(1)」
 「名所江戸百景042 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 日枝神社の山王祭(2)」
 「<速報>名所江戸百景043 「日枝神社の山王祭」と「つきじ獅子祭」」
 「名所江戸百景046 第73景 市中繁栄七夕祭 日枝神社の山王祭(3)」
 「名所江戸百景187 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 山王祭と築地獅子祭」
 「名所江戸百景189 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 神幸祭の行列(1)」
 「名所江戸百景190 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 神幸祭の行列(2)」
 「名所江戸百景191 山王祭の神幸祭を見てきました。」
 「名所江戸百景192 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 神幸祭の行列(3)」
 「名所江戸百景193 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 神幸祭の行列(4)」

 昨年のブログを思い出したついでに、昨年同様、「くまドン」は、「私たち国民」が選んだ国会議員が行う政治に対して、「日本を良くすると同時に、税金使うことばかり考えないで、私たち国民の負担を軽くして欲しい」という、多くの「批判」と「期待」の両方を込めて、今回は下の写真を載せておきます。(前回の文章そのままですが)

 この絵画調の写真だけは、縮小率を変えて、トリミング(画像の切取)しています。

 今回は、これで終了とさせていただきます。
 「くまドン旅日記」のブログを見ていただきありがとうございました。

 今週は、家にいる時間も少なかったので、思ったよりブログを作るのに日数がかかりました。
 次回は、別の話の予定です。 

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名所江戸百景193 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 神幸祭の行列(4)

2014-06-17 07:55:37 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今年・平成26年は日枝神社(ひえじんじゃ)の山王祭(さんのうまつり)が本祭でしたが、神幸祭(じんこうさい)の行列も終わり、大きな祭りは、本日15日が最後です。下町連合御渡(日本橋・八丁堀・京橋を神輿(最大12基)の御渡り)や日枝神社でも儀式や行事などが行われます。

 今回は前回・平成24年と今回・平成26年に撮影した神幸祭の行列の風景からです。写真の大半は絵画調です。
 江戸の天下祭・江戸三大祭りになるだけに山王祭りの神幸祭行列は、とても長いです。神社の行列の列次説明を見ると、大きく第一梯団(ていだん、集団)から第四梯団までの四つの集団に分かれます。最後の第四集団です。

(1)副宰領(ふくさいりょう)、禰宜(ねぎ、馬上)と口取(紫) (何も書いていない場合は前回・平成24年分です)

(2)権禰宜(ごんねぎ、白服)、巫女と続きます。

(3)日枝神社氏子総代連 高張(提灯)、総代連(茶色の裃)、日枝神社奉賛青年会 高張(提灯)、青年会旗(緑旗)
 日枝神社葵会連 高張(提灯)、葵会連

 茶色の裃(かみしも)の方は、半日奉仕らしいです。午前のJR四ッ谷(よつや)駅付近では、2名だったのが、
 午後に有楽町のJR線路を通過した時には、いつの間にか人数が増えています。いずれにしても良い笑顔です。

 後ろの緑の山手線の電車にヤクルト・タフマン(栄養ドリンク)のCMが描かれているのも現代の景色ですね。
 帝国ホテルの正面ですが、実は、この場所、後方の東京宝塚劇場付近まで行くと、新幹線も見えるのです。

 今回・平成26年の副宰領(代官姿)と権禰宜(ごんねぎ、白服)です。
 後ろは、江戸城(皇居)の富士見櫓(ふじみやぐら)。

 禰宜(馬上)と口取(白服)、後ろは桜田二重櫓

 巫女

 総代連ですが、何故か?今年は茶色の裃(半日奉仕)と青色の裃(終日奉仕)が混在しています。


 再び、前回の平成24年分に戻ります。
(4)葵会連、竹棹(たけざお)持、花山車と続きます。

 竹棹(たけざお)持は、鳳輦(ほうれん)や山車(だし)などが通行で邪魔(じゃま)になる街路樹の枝を上に持ち上げて、通行可能にする役目で、それぞれの山車前には必ず配置されています。

(5)干支山車(青龍)

 前回の2年前は辰年(たつどし)でしたが、今回・平成26年は午年(うまどし)ですので馬の山車になります。

 神幸祭行列の目的地・茅場町(かやばちょう)で撮影した写真です。今年の神幸祭は、お昼に雨に降られて残念でしたが、雨の中でも子供達が元気に干支山車を引いていました。用事があるので、これが最後の撮影となりましたが、午後には天候も回復したようです。

(6)美少年山車(テレビの人形劇に出てきそうな人形ですが、胸に猿の面をつけています。)
 江戸時代の職人の技を生かして造られた山車だそうです。近代になると、道路に電線があり、山車の高さに制限が生じた為、上の部分が下に下がって、通過可能になるように工夫されています。

 前回の平成24年は、築地市場(つきじしじょう)で見かけたような車で引っ張っていましたが、
 今回・平成26年は人力で引っ張っていまいた(撮影場所の違いもあるので、なんとも言えませんが)。


(7)猿山車

 日枝神社(山王信仰)では、サル(猿)は神の使いとして扱われるので、特別な意味を持ちます。
 江戸時代の山王祭でも、猿山車と諌鼓鶏(かんこどり)の山車は先頭に位置し、広重の名所江戸百景でも、半蔵門(はんぞうもん)から江戸城に乗り込む神幸祭行列が描かれています。
 下の絵は、広重の名所江戸百景「第51景 糀町一丁目山王祭ねり込」です。

 真ん中奥に小さく見えるのが御幣(おへい)を担いだ猿の山車です。左手前に大きく見えるは諌鼓鶏山車です。
 下は、今回・平成26年の猿山車の写真です。

 皇居外苑は江戸時代は江戸城の「西の丸下」と呼ばれる場所で、主に普代大名(ふだいだいみょう)の屋敷のあった場所です。

 巡行路の場所によっては、猿山車の後に山車が追加されています。
(8)牛若山車

(9)東郷平八郎元帥山車(JR市ヶ谷駅手前から牛若山車の前に入ってきた山車です)


 最後は、今回・平成26年の猿山車と東京駅の写真です。前回は東京駅の丸の内駅舎(西口)は工事中でしたが、外観はかなりできていましたので、あまり、見た目は変わりません。

 東京駅の向こうに工事用クレーンが見えます。まだ工事があるのですね?
 前回の平成24年は八重洲口(東口)側が工事もありましたので、、工事用クレーンがかなりの台数ありました。

 6/15(日)は「下町連合御渡」を見てきたので、第四集団のブログ作成が遅れました。
 とりあえず、下町連合御渡を含めて、次回に、その他の山王祭の風景をいくつか取り上げて、今年の山王祭のブログを終わりたいと思います。画像データの整理が追いつかないので、今後は、ゆっくりペースです。

 一応、第一集団からの過去ブログも並べておきます。(クリックで、そのブログへ飛びます。)
 「名所江戸百景189 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 神幸祭の行列(1)」
 「名所江戸百景190 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 神幸祭の行列(2)」
 「名所江戸百景191 山王祭の神幸祭を見てきました。」
 「名所江戸百景192 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 神幸祭の行列(3)」

 今回は、これで終了とさせていただきます。
 「くまドン旅日記」のブログを見ていただきありがとうございました。

 次回は、今年の山王祭(今年は本祭)の最終回の予定です。 

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名所江戸百景192 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込 神幸祭の行列(3)

2014-06-15 09:30:37 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今年・平成26年は日枝神社(ひえじんじゃ)の山王祭(さんのうまつり)が本祭でしたが、神幸祭(じんこうさい)の行列も終わり、大きな祭りは、本日15日が最後です。下町連合御渡(日本橋・八丁堀・京橋を神輿(最大12基)の御渡り)や日枝神社でも儀式や行事などが行われます。

 今回は前回・平成24年と今回・平成26年に撮影した神幸祭の行列の風景からです。写真の大半は絵画調です。
 江戸の天下祭・江戸三大祭りになるだけに山王祭りの神幸祭行列は、とても長いです。神社の行列の列次説明を見ると、大きく第一梯団(ていだん、集団)から第四梯団までの四つの集団に分かれます。今回は第三集団です。

(1)副宰領(ふくさいりょう)、権禰宜(ごんねぎ)、竹棹(たけざお)持、鳳輦(ほうれん)(一)
 (何も書いていない場合は前回・平成24年撮影分です。)

 オレンジ色の服装の副宰領は、神幸祭の運行側の総責任者「宰領」の補佐です。
 4つの集団の先頭には権禰宜(ごんねぎ、先導神職も含む)と副宰領が配置されています。
 竹棹(たけざお)持は、鳳輦(ほうれん)や山車(だし)などが通行で邪魔(じゃま)になる街路樹の枝を上に持ち上げて、通行可能にする役目で、高さのある鳳輦・山車などの前には必ず配置されています。

 下の写真は今年・平成26年の第三集団の先頭です。少し行列が変わります。
 権宮司+禰宜(ねぎ)の人数が3人から4人に増えたので、各集団に馬上の神官がいます。前回は第二集団にいた禰宜さんが、第三集団の先頭にいます。副宰領の服装も、中世風から江戸時代の代官風に変わっています。

 観光名所の皇居外苑(江戸城)ですから、外人の観光客も結構いましたね。

(2)御鳳輦(ほうれん)2基と御綱取(黄色の服の方々)

 鳳輦は、鳳凰(ほうおう)の飾りがある神輿(みこし)です。鳳輦(一)と鳳輦(二)と2基続きます。
 山王祭では神輿を担ぐのではなく、台車に載せて、黄色の服の綱取りの方が鳳輦を進めていきます。
 巡幸路は坂やカーブが多いので、単純に引っ張る・押すのでは無く、結構大変だそうです。

 下の写真は今年・平成26年の御鳳輦(一)の写真です。後ろは、江戸城(皇居)の富士見櫓(ふじみやぐら)です。

 御鳳輦(二)です。桔梗門(ききょうもん、左)と桜田二重櫓(右)も見えます。


(3)宮神輿

 鳳輦2基に続いて、3基目は日枝神社の宮神輿です。摂社(せっしゃ)の日枝神社を出発する所です。
 下の写真は今年・平成26年の宮神輿の写真です。


(4)紫翳(むらさきのさしば)、錦蓋(きんがい)、宰領(さいりょう)?、宮司(人力車、黒服)、権禰宜(ごんねぎ)

 翳(さしは、さしば)は、儀式用の長柄の団扇(うちわ)です。錦蓋は錦の傘です。

(5)宮司(ぐうじ、人力車、黒服)、人力車付、権禰宜(ごんねぎ、白服)、朱傘(しゅがさ)

 宮司は神社のトップです。

(6)賽物係(さいもつがかり、緑色の服の方)、祭典委員長(人力車)?

 祭典(副?)委員長(人力車)・・・・・祭典委員長と祭典副委員長がいるのですが、どちらか不明・・・・・・

 さらに今年・平成26年は祭典委員長・副委員長の人力車が4台に増加・・・・・・ますます混乱・・・・(汗)

 今年は、残念ながら、お昼になると雨が降り出しました。人力車に屋根がついているのですね。。
 第三集団は、これで終わりです。次回は最後の第四集団です。

【山王祭】
 日程 :平成26年(西暦2014年)6月7日(土)~6月17日(火) (期間が長いです!)
      6/15(日) 11:00~ 日枝神社では例祭奉幣(ほうべい、ほうへい)、山王太鼓(たいこ)
               9:30~15:00 下町連合御渡(日本橋・八丁堀・京橋を神輿(最大12基)の御渡り)
     その他の日にも神楽・献灯(けんとう)・納涼大会(山王音頭)などの儀礼・行事があります。
 上記は、平成26年の山王祭の日程と一部抜粋(ばっすい)です。
 詳細は日枝神社のホームページで御参照ください。


 今回は、これで終了とさせていただきます。
 「くまドン旅日記」のブログを見ていただきありがとうございました。

 次回は、山王祭(今年は本祭)の続きの予定です。 

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