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名所江戸百景083 第32景 柳しま スカイツリーの夕景

2013-08-31 13:30:10 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、夕景がテーマです。特に秋の空は、空気が澄み、夕焼けが美しくなります。
 下の写真は、8月に、たまたま偶然、撮影した夕焼け雲写真です。
 「夕焼け」は、夏の季語として用いられていました。

 中でも、梅雨明け後、夏の青い空と、夕日に赤く染められた雲のコントラストを持つ夕焼けは、「大夕焼け」と呼ばれるます。写真家の間でも、ひと夏に2~3日程度しかないと言われています。

 「くまドン」も、この大夕焼けを狙ったのですが、昨年の8月は夕方になると雲が増えてきて、夕焼けは、きれいに染まらず、限られた休みに中で、その機会に出会うことは難しかったのです。
 結局、8月中に撮影することができず、風の中に涼しさが感じられる9月にずれ込みました。

 「くまドン」が狙った場所は、「逆さスカイツリー」の撮影で有名な北十間川(きたじゅっけんがわ)の柳島(やなぎしま)の歩道橋です。

 なんと、「名所江戸百景001 スカイツリーの真下から」以来の撮影です。
 9月になると、気温が下がってきたのか、夕方の空の色も青く澄んでいます。

 正面の北十間川の奥の部分が、十間橋(ここも撮影スポット)です。橋の左側が墨田区の柳島です。望遠でズームします。分かり難いですが、左から横十間川が接続しています。東から西を見ている写真になります。

 なお、左手前は、江東区の亀戸(かめいど)です。近くに天祖神社(てんそじんじゃ)や亀戸天神があります。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第32景 柳しま」(春景)です。

 この絵では、左右に流れる川が北十間川です。左下から流れている川が横十間川です。南から北を俯瞰(ふかん、上から下を見下ろす)する絵となっています。川の向こうの小梅村の田園があり、遠くには筑波山(つくばさん)がその姿を見せています。(細かいことを言いますと、筑波山は北東側にあるので、絵の右側にあるのですが・・・・)
 江戸時代の典型的な上から眺める風景画ですが、川の交差部より右側や、左の寺の半分を絵の外に出しているは、広重の名所江戸百景らしい構図です。

 絵の手前にある赤い壁の寺は、柳島妙見(みょうけん)さまと呼ばれた「法性寺(ほうしょうじ)」で、現在は現代的な建物になっています。市川市の真間(まま)にある日蓮宗真間山弘法寺(ぐほうじ)の末寺だそうです。色々な石碑があります。
 その右の橋のたもとにある建物は、「橋本」という料理屋があったそうです。
 よく見ると、川に下りられるように階段があり、舟が一隻泊っています。

 スカイツリーのライトアップは粋(いき)です。この時間帯になると、川面(かわも)も鏡のようになり、奇麗にスカイツリーの姿を映してくれました。

 この写真を、広重の名所江戸百景「第32景 柳しま」に対応する「くまドン板」の景(確定・秋景)とさせていただきます。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)

 川の左に並行に走る道路には、バス停がありましたので、都バスも入れてみました。
(絵画調)


 この写真は、柳島から600m程、東に移動した福神橋(ふくじんばし)から、同じ日に撮影した写真です。
 こちらも、「名所江戸百景001 スカイツリーの真下から」で「柳島」と一緒に話をしましが、
 福神橋付近は、名所江戸百景「第31景 吾嬬の森連理の梓」が描かれた場所です。

 残念ながら、当日の川面がさざ波で奇麗にスカイツリーを映していなかったので、
 福神橋の方は、別の時期(「粋」以外のライトアップの日)に再挑戦となりました。

 平成25年は、9月7日まで、スカイツリーの「オリンピック招致」特殊ライトアップを行っています。

 前に2回も載せましたし、台風が近づいてきて、雨になりそうなのですが、
 前のブログに戻るのも大変ですので、一応、情報を載せておきます。
(1)8/25(日)~8/31(土) 18:45~23:00
 18:45に「明花」点灯、20:00に「2020年東京オリンピックへ!」が点灯、以後、1時間毎に交互に点灯
 ただし、8/30(金)のみ、紫で表現される気象庁の「特別警報」が始まる為、20:45~23:00は、紫色の「雅(みやび)」・「明花」のライディングとなります。
(2)9/1(日)~9/7(土) 18:15~23:00
 18:15に「2020年東京オリンピックへ!」が点灯、20:00に「明花」が点灯、以後、1時間毎に交互に点灯
(3)参考として、東京の日の入り時間は、8/31(土)が18:10、9/1(日)が18:09です。

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 次回から、9月となりますが、台風が近づいて来ていますので、大きな災害が無いこと祈ります。
 9月分の百景は、マイペースでブログを作っていきます。

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 繰り返しになりますが、8月中はブログ作成で大変でしたが、ブログ村では、色々と楽しめました。
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名所江戸百景082 第72景 はねたのわたし弁天の社 羽田空港

2013-08-30 07:55:05 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、大田区(おおたく)に羽田(はねだ)の渡しの景ですが、

 昨年の「くまドン」は、羽田空港の北側にある城南島(じょうんなんじま)の公園にある砂浜から、羽田空港に発着する飛行機を撮影していました。ここ城南島は、飛行機撮影では有名なポイントです。
 この日は、上空は晴天なのですが、遠方に大きな積乱雲(せきらんうん)があり、撮影には絶好の日でした。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第72景 はねたのわたし弁天の社」(夏景)です。

 手前に見える人の手と足は、渡し船を漕いでいる船頭さんです。広重の特徴である近景を大きく描く構図が用いられています。 (「名所江戸百景030 ・・・ 矢切の渡し」には、この絵を真似して撮影した写真があります。)
 中景に、弁天社(左)と常夜灯(真ん中奥、一晩中つけておく灯り)、舟を配置して、
 遠景として、多摩川が流れ込む東京湾には、遠く房総半島(ぼうそうはんとう)が描かれて、絵に奥行きを与えています。

 江戸時代の多摩川にあった渡し船は、江戸のある「武蔵国(むさしのくに)」と「相模国(さがみのくに)」との間を行き来きする為の交通手段でした。
 現在でも、多摩川には、鉄道や道路の橋が数多く架かり、交通の要となっています。
 そして、現代においては、飛行機もその交通手段の一つです。
(絵画調)

 名所江戸百景の現代版を作るなら、羽田空港に離着陸(りちゃくりく)する飛行機は、入れておきたいと撮影に行きました。

【江戸時代の羽田】
 「名所江戸百景」を描いた広重の代表作の一つは、「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」ですが、
 この東海道は、羽田の渡しの4km近く上流の「六郷(ろくごう)の渡し」(現在の第一京浜道路)を通っていました。
 羽田の渡しは、多摩川(たまがわ)の最下流にあった渡し舟で、広重のいた江戸時代の末頃は、川崎大師(かわさきだいし、初詣で有名)の参拝客(さんぱいきゃく)で繁盛したそうです。

 下の写真は羽田空港隣の海老取川(えびとりがわ)と多摩川の合流点付近です。今年の「くまドン」は羽田神社の夏季大祭の撮影に行きました。こちらは、羽田空港の南西側です。

 赤い鳥居(とりい)は、現在の羽田空港の敷地内にあった穴守稲荷の鳥居を移転した鳥居です。
 写真後方は多摩川ですが、絵に描かれていた弁天社は少し下流に向かった所にありました。逆に、「六郷の渡し」は上流にある大師橋付近にありました。

 下の写真は、現在の穴守稲荷神社からの風景です。

 絵の弁天社は多摩川河口にできた砂州に造られましたが、砂州の真ん中付近には、穴守稲荷(あなもりいなりがありました。
 江戸時代に、羽田の漁師町の「鈴木弥五右衛門」が中心になって羽田沖の干潟を埋め立てて、鈴木新田と呼ばれる開墾地を作りました。当時の村人達は、水害で悩まされましたが、堤防に穴が開かないようにとの願いを込めて、穴守社を堤防の上に祀ったのが始まりです。その後、堤防に穴が開かなくなったと伝えられています。

 羽田付近は、江戸時代から続く漁師町で、羽田のアナゴ(穴子)は土地の名物です。また、江戸湾(東京湾)には干潟が広がっていました。
 現在でも、羽田神社の祭りの時には、大漁旗(たいりょうばた)が、数多く並び立ちます。

 羽田神社の夏季大祭「羽田まつり」で行われる町内神輿連合渡御(神輿パレード)は、「ヨコタ」と呼ばれる独特の担ぎ方で、13町会13基の神輿が3時間近くヨコタで練り歩きます。(7月最後の土・日曜日に行われる)
 派手に左右に揺れる神輿は迫力があり、一見の価値はあるでしょう。
 羽田空港も氏子になりますので、全日空・日本航空の職員の方もボランティアで参加しているそうです。

 再び、城南島の公園に戻ります。
 夏休みの休日ですから、東京では数の少ない砂浜(人工ではありますが)は、家族連れが一杯です。


【羽田空港(はねだくうこう、正式名称は東京国際空港)】
 大正時代においても、羽田の広い干潟で飛行訓練が行われていました。
 昭和6年になると、立川飛行場がこの地に移転してきて、現在の羽田飛行場の始まりとなります。
 当時は、穴守稲荷より北側にある干潟の一部だけを使用していたので、多摩川沿いの南側は、そのまま穴守稲荷を中心とした観光地として賑わっていました。 戦前までの羽田は、遠浅の干潟がある海水浴場として有名でした。
 海の家があり、海水浴客が遊ぶ砂浜の横を、当時の最先端技術の小型プロペラ機が離発着していたと思い浮かべると、なんとも、のどかな風景なんだろうと思います。当時は、貨物輸送が中心でした。
 昭和7年には、海水浴客が利用するために、京浜電鉄(けいひんでんてつ、現在の京浜急行)が穴守稲荷まで線路を伸ばす程でした。
 (当時は、飛行機の需要も限られていましたしね。)

 昔の羽田でも、砂浜の横に飛行場があったわけです。当然、当時はプロペラ機ですが・・・・・

 戦後、昭和22年に羽田飛行場の拡張が行われ、現在の飛行場の敷地内にあった穴守稲荷や、広重の絵に描かれた弁天社は、現在の場所に移動することになりました。海水浴場もなくなり、遠浅の海は埋め立てられ、飛行場へと変わっていきました。
(絵画調)


 正直、羽田神社の夏季大祭に行った時に、「くまドン版」の百景の写真を変更するかどうか迷いました。
 広重の名所江戸百景で描かれた羽田の渡し付近は、多摩川の風景、梅雨明け早々の羽田神社の夏季大祭や、夏の最後の夜を彩る穴守稲荷の献灯祭など、羽田の歴史を語る上で、魅力ある被写体で一杯です。
 百景の全体バランスを考慮して、昨年撮影した城南島で撮影した写真にすることにしました。

 この写真を、広重の名所江戸百景「第72景 はねたのわたし弁天の社」に対応する「くまドン板」の景(確定・夏景)とさせていただきます。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)

 羽田を行き来する飛行機ばかりではありません。
 羽田沖は、東京湾の出入口ですから、いろいろな種類の舟が通ります。客船・貨物船・作業船・巡視船・・・・

 羽田は、今も多くの交通の要所であり続けています。

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 夏休みがあった8月も終わりが近づいています。
 次回は、8月最後の景となりますが、8月中に撮影チャンスに恵まれず、9月に撮影した秋景の写真になります。
 夏景は終わりですので、なんとか8月分は間に合いました。(ホッ・・・・・)
 お盆明けから、仕事も増えてきますので、マイペースでブログを作っていきたいと思います。

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名所江戸百景081 第62景 駒形堂吾嬬橋 駒形橋

2013-08-28 12:25:52 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、隅田川に架かる駒形橋にある駒形堂の話です。

 話が少し戻りますが、「名所江戸百景077」の中川口での撮影時に、1枚だけ鳥を入れる事ができました。

 階段の下で遊んでいたムクドリが、偶然、スカイツリーの前を通り過ぎました。
 写真を縮小しないで、ムクドリとスカイツリーをトリミング(画面の切り取り)した画像です。

 ムクドリは秋の季語で、背景も狭く、中川口も半分画面の外なので、「くまドン版」の百景には選びませんでした。

 この写真を見て、広重の「名所江戸百景」の絵が1枚、頭に浮かびました。
 下の絵は、広重の名所江戸百景「第62景 駒形堂吾嬬橋」(夏景)です。

 雨の中、空を飛んでいる鳥は、「ホトトギス」(夏の季語)です。初夏に南方から渡ってきて夏を告げる鳥です。
 その鳴き声が激情的な為、万葉集の時代から歌に詠まれた鳥です。
 左右に流れる川は、隅田川です。左に架かる橋は、吾妻橋(あづまばし)です。
 江戸時代に駒形橋は無く、現在の駒形橋の近くに「駒形の渡し」がありました。
 左下に見えるのが、浅草寺(せんそうじ)の駒形堂(こまがたどう)で、この付近は浅草寺の寺社領でした。
 駒形堂の一部だけを切り取って、俯瞰(ふかん、上から下を見下ろす)しているのが、名所江戸百景らしいです。

 「浅草寺縁起」によると、聖徳太子(しょうとくたいし)が補佐したことで有名な推古天皇(すいこてんのう)の末年(西暦628年)にまで遡ることになります。
 この地で漁をしていた兄弟が、隅田川(昔は江戸浦と呼んだそうです)から、1体の仏像を網で引き上げました。
 この仏像が、聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)の像であったため、自ら出家して、屋敷を寺に改めたことが浅草寺の始まりとなっています。(浅草寺に参道に説明板があります。)
 この観音像が、浅草に上陸した場所に駒形堂は建てられました。こちらの本尊は馬頭観世音菩薩(ばどうかんぜおんぼさつ)です。別名「こまんどう」とも呼ばれ、毎月19日にお開扉されて、参拝できます。
 現在のお堂は、平成15年造られた建物で新しいです。

 広重の絵とは異なり、俯瞰はできませんので、後方に隅田川の替わりに駒形橋が見えます。

 隅田川の親水テラスから撮影した駒形橋の写真です。スカイツリーのライトアップは粋(いき)です。
 駒形橋は、関東大震災(かんとうだいしんさい)の復興計画により架橋された橋で、昭和2年の完成です。

 当初は、駒形堂が写っている写真を「くまドン版」に選ぼうとしたのですが、その位置からだと、変化のつけようが無い写真になりますので、この写真を、広重の名所江戸百景「第62景 駒形堂吾嬬橋」に対応する「くまドン板」の景(確定・夏景)とさせていただきます。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)

 前々回の「名所江戸百景079・・・・」でも、お伝えましたが、
 スカイツリーは、9/7(土)まで、「オリンピック招致ライトアップ点灯」しています。
 すでに知っている方も多いかと思いますが、隅田川の橋と一緒に撮影される方も多いので、
 一応、情報を再度載せておきます。
(1)8/25(日)~8/31(土) 18:45~23:00
 18:45に「明花」点灯、20:00に「2020年東京オリンピックへ!」が点灯、以後、1時間毎に交互に点灯
 ただし、8/30(金)のみ、紫で表現される気象庁の「特別警報」が始まる為、20:45~23:00は、紫色の「雅(みやび)」・「明花」のライディングとなります。
(2)9/1(日)~9/7(土) 18:15~23:00
 18:15に「2020年東京オリンピックへ!」が点灯、20:00に「明花」が点灯、以後、1時間毎に交互に点灯
(3)参考として、東京の日の入り時間は、8/31(土)が18:10、9/1(日)が18:09です。

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 次回は、羽田の景、いまだにどちらの写真にするか悩んでいますが、早く造らなければ・・・・(汗)

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名所江戸百景080 第67景 逆井のわたし 亀戸浅間神社の祭

2013-08-27 07:55:56 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、「逆井の渡し(さかさいのわたし)」付近にあった江東区(こうとうく)の亀戸浅間神社(かめいどせんげんじんじゃ)の例祭(れいさい)です。
 (亀戸天神や深川祭と違い、地元以外では、ほとんど知られていないので、ある意味珍しいです。)

 今年、平成25年の夏は、本祭(ほんまつり)の祭りが少なかったのですが、
 平成25年7月28日(日)が、亀戸浅間神社は、4年に一度の本祭りが行われました。
 逆井の渡しを渡り、神社に手前で、行列に遭遇。いきなり、馬に乗った宮司(ぐうじ、神主)さんが登場!!!
 「くまドン」は、「え~~馬!」と、いきなり驚きました。
(絵画調)

 地元の人でなければ、「驚くような事か?」と思うかもしれませんが、
 たとえば、江戸三大祭(神田・山王・深川)の氏子(うじこ)エリアは、何十もの町の人達が氏子になっていて、都心の大きな企業や商店街も氏子として構成されているのです。祭りの費用は氏子さん達が出し合います。
 これに対して、亀戸には、4つの神社(亀戸天神、香取神社、天祖神社、浅間神社)があり、それぞれの神社の氏子に分かれているのです。亀戸一つの町どころか、浅間神社の氏子さんは、亀戸東側(7丁目と9丁目が多い)しかいないのですよ。・・・・・・・・・

 カメラのフィルタ機能の中に特定の色だけ抽出する機能があるので、使用してみました。

 こちらは、亀戸浅間神社の宮司さんですが、「名所江戸百景046 ・・・ 日枝神社の山王祭(3)」に出てきた、馬に乗った禰宜(ねぎ)さんも、同じ赤い服を着ていました。
 この赤い服は、神社の正装(衣冠(いかん))でして、大祭(例大祭や、神社造営等などの重要な祭り)の時に着用します。この正装の色は、神社本庁の規定により、身分(特急~四級)ごとに決められていて、勝手な色は使えないそうです。ちなみに、この赤色の服を着用できるのは、神宮(じんぐう)の禰宜や、別表神社(べっぴょうじんじゃ)と呼ばれる大きな神社の宮司になれる人です。

 行列の先頭の大神輿(みこし)が、江戸百景の「逆井の渡し」のあった場所に向かっていきます。元気があります。

 大神輿の歴史は古く、11代・家斉(いえなり)の寛政2年の頃の作らしいです。

 江東区側に、新しいですが、「逆井の渡し跡」の碑がありました。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第67景 逆井のわたし」(夏景)です。

 逆井の渡しは、旧中川と竪川(たてかわ)との合流点にあった渡し舟です。
 この絵は、「逆井の渡し」の少し上流の亀戸側から描かれた絵です。

 先導車の囃子(はやし)に続き、山車(だし)、稚児(ちご)、菅笠(すげがさ)を付けた氏子総代、そして、大神輿と続きます。子供神輿もあり、先に進んでいました。
(絵画調)

 山王祭をミニにしたような雰囲気ですが、亀戸の1/4弱のエリアで行われている祭り規模としては、立派でしょう。

 浅間神社は、富士山信仰(ふじさんしんこう)の神社ですが、ここの富士塚(ふじつか)には、猿の像もあります。
 (富士塚については、別の機会に話を致します。)

 下の写真が亀戸浅間神社ですが、ここの茅ノ輪(ちのわ)は関東一の大きさがあります。夏越(なごし)や年越(としこし)には見る事ができます。
(絵画調)

 この神社は、歴史が古く、社伝によれば、室町幕府11代将軍・足利 義晴(あしかが よしはる)の頃(西暦1527年)の創建です。その由来は、なんと日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征まで遡ってしまいます。
 本殿は、大正12年の関東大震災(かんとうだいしんさい)で被災して、昭和初年に建てられたものだそうです。 

 江戸時代の亀戸浅間神社の「逆井の渡し」付近は、以下の理由で有名でした。
(1)下総国(しもうさのくに、現在の千葉県北部)にある成田山(なりたさん)に向かう佐倉道(さくらどう、現在の旧千葉街道)の渡しであった。
(2)江戸から、逆井の渡し付近まで舟で行き、亀戸浅間神社を参拝後、古道を通り、亀戸天神に向かう参拝者が多かった。
 浅間神社には、古道の説明板がありました。右上には、途中にある亀戸水神社の絵図があります。


 一応、説明の補足として、地形図(大雑把な位置で、正確ではありません)を載せておきます。
 「国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用しました。」
 下の地図の右端を蛇行して流れる川が、江戸時代の中川(なかがわ)です。
 赤○で囲ってある所が、広重の名所江戸百景で描かれた「逆井の渡し」と「中川口」です。
 近くにある黄星印付近が亀戸浅間神社、左上の赤星印が亀戸天神ある所です。
 
 地図を見て分かりますように、江戸時代に、現在の江東区の内部に運河が縦横(じゅうおう)に造られました。
 江戸の町の人達は、亀戸方面に行く場合、舟で「逆井の渡し」まで行き、そこから陸路で亀戸浅間神社へ行き、古道を通って、名所江戸百景で描かれた「亀戸天神」や「梅屋敷」、「吾嬬(あづま)の森」に参拝へ行ったわけです。
 北十間川(きたじゅっけんがわ)と横十間川(よこじゅっけんがわ)の合流部が「柳島(やなぎしま)」の所です。
 (この付近の話は、最初の「名所江戸百景001 スカイツリーの真下から」でやりましたので、割愛します。)

 以前も申しましたが、本祭は神社の正式の祭りですが、費用負担が大きく、毎年続ければ、費用負担に限界が来て、続けられなくなります。このため、陰祭(かげまつり)を地味にやって、お金を貯めて、本祭に回すことにより、江戸時代からの伝統を続けてきました。言わば、長年の伝統から生まれてきた生活の知恵と言えるでしょう。
 「くまドン」は、これからも無理せず、昔から続く下町の伝統が続いて行けば良いのですが・・・と思いました。
 昨年は、他にも江東区内の夏祭りを三か所撮影したのですが、とても、出している余裕がありませんでした。
 いつか時間のある時に、まとめてみたいと思います。

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 次回は、別の水の景の予定です。(大分横道に入りましたが、8月分の残り3景、8月中に終るでしょうか・・・・?)


名所江戸百景079 献灯とスカイツリーのオリンピック招致ライトアップ

2013-08-26 07:55:50 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 、8/24(土)からスカイツリーで、オリンピック招致特別ライトアップをやっているとのことでしたので、亀戸の浅間神社のブログを作る予定でしたが、亀戸天神(かめいどてんじん)の献灯明(けんとうみょう)に行ってきました。
 家に帰宅してから、亀戸天神に向かいましたので、到着が夜8時となってしまい、神楽(かぐら)の笛や太鼓の音(ね)は、到着して、すぐ終了してしまいました。
 静けさを取り戻した境内で、献灯の灯り(あかり)だけが、静かに池に光を落していました。
 時間も無かったので、1枚だけです。

 ライトアップは、金色に輝く「2020年東京オリンピックへ!」です。もう一つの「明花」と1時間ごとに交互に点灯します。
 墨田区(すみだく、スカイツリーの所在地)の小学生から募集した約3400の作品から選ばれたそうです。
 日中は、雨だったようでしたが、夜の献灯の時間になると、雨も止み、涼しかったので、見物には最適でした。

 最近、8月分のブログを作るに躍起となっていて、スカイツリーの特殊ライトアップがあるのに気がつきませんでした。周辺情報に疎くなっているの感じました。

 今年、平成25年の亀戸天神の「献灯明」は、8/25(日)で終了しましたが、

 スカイツリーのオリンピック招致ライトアップは9/7(土)まで点灯しています。
 知っている方も多いかと思いますが、一応、情報を入れておきます。
(1)8/25(日)~8/31(土) 18:45~23:00
 18:45に「明花」点灯、20:00に「2020年東京オリンピックへ!」が点灯、以後、1時間毎に交互に点灯
 ただし、8/30(金)のみ、紫で表現される気象庁の「特別警報」が始まる為、20:45~23:00は、紫色の「雅(みやび)」・「明花」のライディングとなります。
(2)9/1(日)~9/7(土) 18:15~23:00
 18:15に「2020年東京オリンピックへ!」が点灯、20:00に「明花」が点灯、以後、1時間毎に交互に点灯

 今回は、これで終わりとさせていただきます。
 ・・・というわけで、撮影に行ってしまいましたので、次回の亀戸浅間神社のブログは、これから作ります。