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旅日記 北海道・釧路川の源流下り 自然に生きるカルガモ親子

2016-08-16 22:30:07 | 旅日記
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、何年か前に北海道の釧路川(くしろがわ)の源流下りの途中で見たカルガモ親子の話です。
 ちょうど、前々回の「名所江戸百景274 第97景 小奈木川五本まつ 仙台堀川親水公園のカルガモ親子」で都会の天敵のいない公園に生きるカルガモ親子の写真を見せましたので、北海道の自然の中に生きるカルガモの話をしたいと思います。
 カルガモ親子の写真は、まともに撮影できなかったので、釧路川源流のカヌー下りの写真を追加しておきます。
 同じカルガモでも、都会と自然では生き方の違うのが、わかるかと思います。

 釧路川の上流部も下流部もカヌーツアーが複数かあります。しかし、夏休前の7月ですから、カヌー下りをする客が「くまドン」一人しかおりませんでした。(いつも一人旅の寂しさを感じる瞬間でもありますが・・・)
 なんとか、1人でもOKな所を見つけて案内していただく事にしました。
 今回は、この「ペンション&アウトドアガイド アトレーユ」さんのカヌーで川下りです!
(絵画調)

 まず、スタート地点は、釧路川の源流は、弟子屈町(てしかがちょう)の屈斜路湖(くっしゃろこ)です。
 屈斜路湖の湖岸からスタートです。屈斜路湖はカルデラ湖ですので、周囲の山並みは外輪山(がいりんざん)ですし、水も湖底まで透き通って見えます。

 右奥に見える橋が、屈斜路湖から釧路川への流れ込み口です。
(絵画調)

 両岸は、木々が覆いかぶさり、北海道の自然らしさを感じます。護岸にコンクリートが見えたら、面白くありませんからね!

 川底に沈んだ倒木(とうぼく)の上を通過することもあり、楽しい川下りです。

 途中の川底からの湧水もあり、水の透明度の良さは素晴らしいです。水底の倒木もはっきり見えます。

 水底には、濃い緑や明るい緑の多様な水草が一杯です。

 カヌー下りをしていると、カヌーの左側岸にカルガモの親子がいたのですが、突然、カヌーの左前をバタバタと音を立てながら派手に通過して行きます。
 (なんだか分からない写真ですが、親カルガモが「くまドン」達の注意を惹きつけようとしている所です。)


 そのまま羽をばたつかせた状態で、カヌーの前方に移動して行きます。

 あらかじめ、カヌーの案内をしていただいた方に、野性のカモの習性を聞いていたのですが、これほど派手とは思いませんでした・・・・

 ひらすら、何百mも、この状態です。親カルガモも、自然の本能から必死なのでしょうが、・・・・
 親ガモは、いざとなれば、飛んで逃げられるので大丈夫なのですが、子ガモの方が親ガモについて行こうとして、はぐれる場合があるそうです。

 正直、野性の動物の習性、自然の姿とはいえ、「くまドン」としては、ただ、カヌーを楽しんでいるだけで、何も悪い事をしていないのに、犯人扱いされているようなものです。「何もする気は無いし、子を守る為、必死なのはわかったから、早く子カモの所に戻ってほしい・・・・」という気分でした。

 かなり長い距離の間、この姿を続けていましたが、大分離れたので、安心したのか?、この後、カルガモは横の岸に移動して、見えなくなりました。この後、親ガモは回り込んで子の所へ戻ることになります。

 「やっと、子ガモの所にもどってくれたか・・・・・」と安心すると同時に、
 自然の世界で生きる野性の世界の厳しさと、危機意識の高さを感じざるを得ませんでした。

 さて、前々回もカモ類の多くは、子育てはメス(♀)のみで、オス(♂)は子育てには参加せず、池や湖の真中で群れていると話ました。(これも、カヌーの案内していただいた方に聞いて、初めて知ったのですが)
 下の写真は、北海道の帯広(おびひろ)地方の海岸線の沼にいたカモです。

 小さいので、写真を超望遠で撮影して、さらにトリミング(画面の切り取り)すると、カモの後頭部にちょんまげ(寝ぐせ)がありますので、キンクロハジロ(金黒羽白)のオス(♂)です。

 キンクロハジロの大半は、シベリアなどの大陸で繁殖(はんしょく)しますが、その一部は北海道で繁殖しています。
 この群れの中に、頭の色が茶色の個体が1羽いましたので、ホシハジロ(星羽白)のようです。この種も北へ渡った一部が北海道で繁殖しています。

 続いて、北海道の網走(あばしり)市と小清水町(こしみずちょう)の間にある濤沸湖(とうふつこ)です。網走国定公園の一部で、ラムサール条約の登録地です。

 カモがいましたが、遠すぎるので、センターの望遠鏡を通して、撮影しました。
 写っているのは、マガモ(真鴨)のオス(♂)の群れとウ(鵜、左の黒い個体)です。

 マガモも、北海道や本州中部の山地では少数が繁殖します。

 カモ類のメス(♀)は下の写真のような草陰のある水辺で子育てしているので、滅多に見る事はできないようです。


 その他にもアオサギは多数いました。関東では留鳥ですが、北海道では普通の夏鳥です。シラサギ類は北海道では珍しいので、ニュースになるぐらいですが、最近は繁殖はしませんが、夏に観察できる個体が増えているそうです。

 北海道の夏は海岸線に行くと、セグロカモメ(北海道では夏鳥、関東では冬鳥)が多数いて、なんだか、冬の葛西臨海公園の水鳥が、引っ越してきたような風景です・・・・(汗)
 (北海道だけで見られるタンチョウやオジロワシなどの鳥もいますが、今回は冬の関東でも見れる水鳥だけです)

 これだけだと、寂しいので、すぐ近くの湖畔にいた馬の写真もいれておきます。
(絵画調)

 同じ濤沸湖の海岸側の小清水原生花園のユリの写真は以前のブログにあります。

(1)前々回と前回のブログです。
 「名所江戸百景274 第97景 小奈木川五本まつ 仙台堀川親水公園のカルガモ親子」
 「名所江戸百景275 第70景 中川口 旧中川の灯篭流し」

(2)以前、作成した北海道のブログです。
 「旅日記 初夏の北海道」
 「城002 鳥取神社 (北海道・釧路市、模擬天守)」
 「旅日記 初夏の北海道」

 北海道は、カヌーツアーも盛んで、時にはカヌーと自然保護、漁業との間に生じる問題を教えてもらう事もありました。この問題に関して、北海道旅行した場所は、上手に両立させている方でした。そうなると、問題となるのは、旅行者側のマナーや一部の利益目的の犯罪(花の盗掘や密猟など)の防止となります。このブログを見て、北海道へ旅行する人がいるならば、良い人である事を祈ります。
 今回のブログを作った後に、なんとなく気になったので、追記しておきます。

 今回はこれで終了とさせていただきます。
 都会と野性のカルガモ親子の対比で載せました。次回の話は東京に戻ります。

 お盆に作成した旧中川の灯篭流し(とうろながし)のブログを作成中に、昨年の北海道へ行くフェリー「サンフラワー大雪」の事故を思い出しました。フェリーは今年の春には復帰して、通常通り運行しているようです。
 今年は、家庭の都合により、春休み(GW)や夏休みの長期休暇は、遠くへ旅行に行くこともなかったので、北海道や東北地にも行く事もありませんでした。
 今回の北海道のブログをもって、鎮魂とさせていただきます。

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名所江戸百景275 第70景 中川口 旧中川の灯篭流し

2016-08-15 22:30:10 | 名所江戸百景
こんにちわ。「くまドン」です。

 今回は、本日、8月15日は、旧中川の灯篭流し(とうろうながし)です。江戸川区と江東区が終戦記念日に共同で行うイベントです。
3年連続の撮影になりましたが、仕事帰りなので、三脚未使用の撮影となりました。なんとか、灯篭流しの時間に帰りつきました。(絵画調)

 今年のスカイツリーのライトアップは、リオ五輪中なので、日本の国旗である「日の丸」をイメージした白と赤のライトアップと、

 ブラジルの国旗をイメージした緑と黄色を中心としたライトアップです。

 今年の春から、旧中川ふれあい橋もライトアップしています。


(1)以前の旧中川の灯篭流しの話は、以下のブログです。
 「名所江戸百景197 第70景 中川口 旧中川の灯篭流し」
 「名所江戸百景249 第67景 逆井のわたし 旧中川の灯篭流し」

 今回は、これで終わりとさせていただきます。
 お盆前後は出勤日になりますので、あまりブログ作成の時間も無くなります。

 短い時間で作れる話があれば、ブログ更新しておきます。

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名所江戸百景274 第97景 小奈木川五本まつ 仙台堀川親水公園のカルガモ親子

2016-08-14 22:48:29 | 名所江戸百景
こんにちわ。「くまドン」です。

 今回は、江東区の深川祭(ふかがわまつり)を撮影した帰りに、仙台堀川(せんだいぼりがわ)の親水公園で見たカルガモの親子の風景です。前回まで話をしていた小名木川(おなぎがわ)の一つ南側にある運河です。
 流れに沿って、道を自転車で移動中にカルガモの親子が泳いでいるのを見つけました。
(絵画調)

 カモ類の多くは、自然界では、メス(♀)のみが子育てを行い、オス(♂)は子育てをしないそうです。子育てをしないオスは、湖や池の土真ん中の目立つ所に群れでまとまっています。

 これに対して、メスはタカ(鷹)などの天敵(てんてき)から雛(ひな=子)を守る為に、アシ(芦)などの草陰の水面に隠れて、子育てをします。近場では、江戸川区の葛西臨海公園(かさいりんかいこうえん)でも、タカ(鷹)やタヌキ(狸)、ネコ(猫)などがいるので、カルガモの親子は草むらに隠れるように生活しています。草むら間の目立つ水面の移動は慎重です。
(絵画調)

 しかし、仙台堀川親水公園は、町中の建物が建ち並ぶ中にある細長い公園の上に、タカなどはいませんし、上は樹の葉に茂っているので、完全に安心しきっているみたいです。

 親が、全く隠れる所もない、岩の上で羽づくろいを始まると、ヒナ鳥も羽づくろいを始めて、警戒心ゼロです。
(絵画調)

 思いっきり、リラックスムードです!

 タカなどの天敵という危険のない安全な生活の中、親から子へ伝えられてきた習性(伝統)というか?なんと言うべきか?



(1)以前の仙台堀川親水公園のブログは、以下のブログです。
 「名所江戸百景008 第29景 砂むら元八まん 仙台堀川の桜(1)」
 「名所江戸百景009 第97景 小奈木川五本まつ 仙台堀川の桜(2)」

 今回は、これで終わりとさせていただきます。
 お盆前後は出勤日になりますので、あまりブログ作成の時間も無くなります。

 短い時間で作れる話があれば、ブログ更新しておきます。

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名所江戸百景273 第97景 小奈木川五本まつ 猿江魔利支天と扇橋閘門

2016-08-11 23:35:19 | 名所江戸百景
こんにちわ。「くまドン」です。

 今回は、江東区・猿江(さるえ)周辺の話です。

 下の写真は、猿江神社の例大祭(れいたいさい)の町神輿を撮影した写真ですが、後方に橋が見えます。
(絵画調)

 小名木川(おなぎがわ)に架かる小松橋です。
(絵画調)

 小松橋から西側を見ると、扇橋閘門(おうぎばしこうもん)があり、広重の名所江戸百景「小奈木川五本まつ」の説明板がありました。「小奈木川五本まつ」は、猿江の小名木川護岸にあった松の名所でした。


 下の絵は、広重の名所江戸百景「第97景 小奈木川五本まつ」です。

 江戸名所図会(えどめいしょずえ)にも「小名木川 五本松(おなぎがわごほんまつ)」の説明文と挿絵(さしえ)があります。江戸名所図会は、広重が「東海道五十三次」と同じ天保年間に出版された地誌紀行図鑑(絵入りの名所一覧ガイドブック)です。挿絵の中には、
 「深川の末 五本松という ところに舟を さして 川上と このかわしもや 月の友 芭蕉(ばしょう)」
 との説明書きがあります。絵には、五本松の護岸に舟遊びをしている様子と、小名木川の東へと続く川面(かわも)に、東の空から登る満月が映し出されている絵が描かれています。
 五本松の説明文の一部を抜粋(ばっすい)しておきます。
 「九鬼(くき)家の構へ(かまえ)のうちより、道路を超えて水面を覆ふ(おおう)ところの古松(こしょう)をいふ(言う)
 (昔は、この川筋に同じほどの古松五株(ちゅう)までありしとなり。他は枯れて、ただこの松樹(まつ)のみいまなお蒼々(そうそう)たり)。
 小松橋から小名木川の東側を望んだ現代の風景です。奥に架かる橋は小名木川橋です。

 この松も、明治時代の末に枯れてしまったそうですが、昭和63年(西暦1988年)に小名木川橋の近くに松が植えられています。

 この五本松は、江東区・猿江の護岸にありましたが、何故か?江戸名所図会には「猿江神社」に関する記載が見当たりませんでした。単純に「くまドン」が見つけられなかっただけかもしれませんが、その代わりに猿江の文字がついた名所は、「猿江泉養寺(せんようじ)」と「猿江魔利支天祠」でした。いずれも挿絵に描かれています。

 猿江神社の西北に少し離れた所に、「目先神社・魔利支天尊(ひのさきじんじゃ・まりしてんそん)」と書かれた小さな神社が残っています。
(絵画調)

 江戸名所図会の挿絵の説明文には、以下のように書かれています。
 「猿江(さるえ) 魔利支天祠(まりしてんのほこら) 霊験(れいけん)炳然(いちじるし)とて、詣人(けいじん)常(つね)に絶えず。来由(らいゆ=由来)は、拾遺江戸名所図会によってみるべし。」
 文中の「拾遺江戸名所図会」ですが、刊行予定はあったらしいですが、未刊の為、調べようがありません・・・(汗)
 挿絵を見ても江戸時代は、立派な社殿や池まである広い神社だったようです。

 猿江泉養寺は、蓮の花で有名でしたが、関東大震災の火災で焼失してしまい、昭和初期に千葉県・市川市の国府台(こうのだい)に移転しました。
 泉養寺に関する写真が無いので、代わりに猿江地区にあった「豊川稲荷」神社の写真です。
(絵画調)


 江東区・猿江(さるえ)地区の南側にある小名木川(おなぎがわ)の対岸は、江戸時代初期の慶長年間の頃には扇橋(おうぎばし)と言う名の橋があったことから、対岸の地区は扇橋が地名となっています。
 下の写真は現代の新扇橋です。橋の左奥に見えるのが、扇橋閘門(おうぎばしこうもん)です。
(絵画調)

 徳川幕府の初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が、行徳からの塩の運搬の為に、小名木四郎兵衛に命じて、小名木川を開削させたのが天正18年(西暦1590年、豊臣秀吉の小田原征伐と家康の関東移封)頃で、慶長年間(豊臣政権と徳川幕府の初代・家康と2代・秀忠(ひでただ)の時代)は西暦1596年~1615年になります。かなり初期のころから橋が架けられていたのですね!
 下の写真は、扇橋閘門から西の扇橋を見た風景です。その奥に青色の「新高橋」が見えます。

 この2つの橋の中間に大横川(おおよこがわ)が交差して横切っています。この場所に江戸時代は、下の写真の説明板のように猿江船改番所(さるえふなあらためばんしょ)がありました。


 現代の両地区の間には、扇橋閘門(おうぎばしこうもん、昭和51年竣工、東京都管理)と呼ばれる施設があります。
 下の写真の閘門が前門にあたります。

 閘門(こうもん)とは、水面の高さが違う河川を船が通航できるようにした“ミニパナマ運河”といえる施設です。その仕組みは、2つの水門に挟まれた水路(閘室)に船を入れ、水位を人工的に昇降させることにより船を通過させるというものです。
 中間の水路の先に後門があります。
(絵画調)

 普段は、この場所は進入禁止ですが、夏休期間中は、一般公開されている日があります!
【扇橋閘門(おうぎばしこうもん)の夏休み期間中一般公開 (平成28年夏休み分) 】
 公開日 :平成28年8月11日(木曜・祝日)、12日(金曜)、13日(土曜)、14日(日曜)、
                20日(土曜)、21日(日曜)、27日(土曜)、28日(日曜)の8日間
 公開時間: 9:30~17:00 (10:30~、13:30~、15:30分~に施設説明会あり)
 見学範囲への入場は自由。参加費無料。10人未満は事前申込み不要。全面禁煙。駐車場なし。
 なお、耐震補強工事のため、平成28年10月以降の扇橋閘門施設見学は工事中で不可能となるそうです。

 下の写真が扇橋閘門の管理棟内部です。見学はできますが、装置に触れるのは厳禁ですね!

 現在は、海抜ゼロm地帯の洪水対策の為に、閘門東側の水域の水位をAP-1m(干潮時の水位より1m下げている)為と、小名木川を通過する舟(最近はカヌーが多いらしいです)を通す為に使用されています。

 上の写真の説明図にある右側(AP-1m)水域の西側は、扇島閘門(東京都管理)と、北十間川樋門(樋門、昭和53年竣工、東京都管理)で守られていて、
 水域の東側は、旧中川と荒川放水路とを結ぶ閘門である荒川ロックゲート(平成17年竣工、国土建設省管理)、そのすぐ隣の小名木川排水機場(昭和44年竣工、東京都管理)、旧中川上流部にある木下川排水機場(樋門=ひもん=水管とポンプにより水を荒川放水路に排水、昭和52年竣工、東京都管理)に守られています。

 水域が閉じているので、水質が悪化しないように下の写真のように水を流しています。

 それでも流れの下流側にあたる旧中川の荒川ロックゲート・小名木川排水機場と木下川排水機場の2カ所では水質がかなり低下するので、荒川放水路から水を入れて、水質改善を行い、再び荒川放水路に排水しています。

(1)以前の猿江神社周辺の過去のブログは、以下のブログです。
 「名所江戸百景011 第66景 五百羅漢さゞゐ堂 横十間川の桜」
 「名所江戸百景009 第97景 小奈木川五本まつ 仙台堀川の桜(2)」
 「名所江戸百景271 第97景 小奈木川五本まつ 猿江神社の例大祭(1)」
 「名所江戸百景272 第97景 小奈木川五本まつ 猿江神社の例大祭(2)」

(2)他の閘門・樋門に関する話は、以下のブログです。
 「名所江戸百景231 第29景 砂むら元八まん 砂町・荒川放水路の風景」
 「名所江戸百景012 第91景 請地秋葉の境内 大横川の桜」
 (スカイツリーの西側にある業平橋付近が、北十間川樋門の近辺になります)
 「名所江戸百景049 第67景 逆井のわたし 旧中川の白サギ(1)」


 今回は、これで終わりとさせていただきます。
 お盆前後は出勤日になりますので、あまりブログ作成の時間も無くなります。
 もう少し、防災面での話をしたかったのですが、猿江周辺からどんどん地域が広がってしまった上に、長い話になりますので、この辺で終わりとさせていただきます。
 (3月の葛西臨海公園の話の最後でした荒川放水路の話も作成途中で中断していますので、無理しないことにします・・・・)
 短い時間で作れる話があれば、ブログ更新しておきます。

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名所江戸百景272 第97景 小奈木川五本まつ 猿江神社の例大祭(2)

2016-08-10 19:00:21 | 名所江戸百景
こんにちわ。「くまドン」です。

 今回は、昨年・平成27年に撮影した江東区・猿江(さるえ)神社の例大祭(れいたいさい)の続きです。
 下の写真は、猿江神社の近くにある宮元の町神輿(まちみこし)の所にあったお供え物です。

 「猿江」の歴史は古く、平安時代・後半になった康平年間に、海岸の入江だったこの地に「源頼義 家臣 猿藤太(さるのとうた)」と書かれた鎧(よろい)を着た武士の遺体(いたい)がこの地に流れ着いた為、この地の人達が、稲荷(いなり)社の境内に塚(つか)を建て手厚く弔ったら豊漁になったという伝説に由来しています。「猿藤太」と「入江」が合わせて、当時は「猿江稲荷」と呼ばれたそうです。当時の康平年間でも、この稲荷社は300坪(約1000平方m)の広さがあったらしいです。
 下の写真のように猿江神社の社殿の裏側になぜか?お稲荷さんの祠(ほこら)があります。

 源頼義(みなもとのよりよし)というのは、河内源氏(かわちげんじ)の2代目棟梁で、奥州(おうしゅう、現在の東北地方)の前九年の役(ぜんくねんのえき)で、陸奥国司(むつこくし)として奥州豪族と戦い、勝利した人です。
 その長男に源義家(みなもとのよしいえ、八幡太郎)がいて、その子孫に鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)、室町幕府を開いた足利尊氏(あしかがたかうじ)がいると言えば、わかりますでしょうか?
 源頼義は、前九年の役で勝利し、翌年・康平6年(西暦1063年)に都(京都)に凱旋(がいせん)していますので、猿江神社に伝わる伝説は、その当時の話となります。
 子のお稲荷さんには、何の説明も見当たりませんでした。伝説に関係しているのでしょうか?なぞ(謎)です!

 この時は気づきませんでしたので、写真はありませんが、猿江神社の裏側にある道の反対側に「猿江稲荷社」があるそうです。その稲荷の御神体は「猿藤太木像」です。この稲荷社の管理は、妙寿寺(世田谷区北烏山)ですが、江戸時代においては、猿江のこの地にあり、猿江神社の別当(べっとう=神社を管理する寺)もしてましたが、明治時代の神仏分離により猿江神社とは別々となりました。その後、妙寿寺は関東大震災で罹災(りさい=家屋全壊)して、世田谷に移転して現在に至っています。

 撮影当日は、猿江神社と隣の東大島神社の例大祭が同時に行われる為、両神社の例大祭のスケジュールを調べに下見に行った所、猿江神社の関係者が記念撮影中でした。横から撮影させていただきました。
 今回も写真の大半は絵画調です。


 この猿江地区は、深川地域東部の中でも数少ない江戸時代以前から陸地が広がるエリアだったのですが、江東区の公園にあった室町時代の古地図には、北側の柳島(現在の錦糸町とその北側地区)や東側の亀島(現在の亀戸・大島付近)は書いてあるのですが、猿江稲荷のある入江がどの付近なのか知る事は困難です。この付近は荒川・利根川の河口部にあたる海岸線ですから、中洲の様な陸地は多数あったでしょうし、洪水により地形も変わる上に、古い地図ですから、細かい所は記載されていないので、特定は困難です。

 猿江神社のお稲荷様とは別に、神社入口右側に「藤森稲荷社」があります。

 江戸時代初期は、本所・横網町(現在のJR両国駅北側の地域)に江戸幕府御用材木蔵に祭られていたお稲荷様でしたが、徳川幕府・8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)の享保年間に、江戸幕府御用材木蔵が、現在の猿江恩賜公園(さるえおんしこうえん)に移転する際に、同時にこの地に遷座(せんざ)しています。

 大正12年(西暦1923年)の関東大震災(かんとうだいしんさい)で、猿江神社は焼失します。昭和6年(西暦1931年)に当時としては先端技術の鉄筋コンクリート造りで設計された珍しい社殿でした。この為、戦災の火災でも社殿は焼け残り、伊勢大御神を合祀(ごうし)して、社名は「猿江神社」となります。

 隣接する猿江恩賜公園(さるえおんしこうえん)が大正13年(西暦1924年)まで皇室領であった為なのか?、社殿は旧宮内庁(くないちょう)設計技官が設計となっています。


 昨年・平成27年(西暦2015年)の猿江神社の例大祭は本祭りでした。
 前回の午前の神幸祭・神輿連合渡御に続き、午後の神輿町内巡行の風景です。
 下の写真のポスターが、その時の例大祭プログラムです。

 ポスター下部に「猿江地区連合町会」とありますが、さらに、「猿一町会」「猿二町会」「住一町会」「住二町会」「毛利町会」「住利町会」と分かれているようです。(撮影時には、ここまで気がついていなかったのですが・・・)
 地図上では、江東区の「猿江(さるえ)」「住吉(すみよし)」「毛利(もうり)」の3地区が氏子領域です。

 猿江1丁目の神輿です。

 町神輿が通り過ぎる路(みち)のその先にスカイツリーが見えるのは、現代ならでは風景です。

 猿江神社は猿江2丁目にありますから、猿江2丁目の町神輿の駒札(こまふだ)には、「宮元」の文字ですね!

 午前の神幸祭・神輿連合渡御の後なのに良く体力が続くものだ・・・と関心します。

 住吉2丁目の神輿です。

 この付近は、都営地下鉄・新宿線と東京メトロ・半蔵門線(はんぞうもんせん)の住吉駅があるので、商店街になっています。祭り風景もにぎやかです。

 住吉1丁目の町神輿です。神幸祭・神輿連合渡御中に撮影した写真です。

 町神輿巡行中に行った所、1丁目の神輿は休憩中でしたので、二丁目の神輿を先に撮影後に移動中に路地から神輿を担ぐ声が聞こえてきました。見たら「住一」の駒札のある神輿です。偶然とはいえ、幸運でした。

 毛利の町神輿は、神幸祭・神輿連合渡御に参加していたので、その時の写真を再度載せておきます。

 徳川幕府8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)の享保年間に、江戸隼町の伊勢屋・毛利藤左衛門によって毛利新田が開発されて、「毛利」という地名になったそうです。毛利2丁目の東側大半は猿江恩賜公園(さるえおんしこうえん)です。この場所は、同じく江戸時代の享保年間から、幕府(ばくふ)管理の貯木場となり、昭和の戦後以降に貯木場から公園に変わりましたので、1丁目と2丁目を合わせて、毛利町会となっているようです。

 住吉地区と毛利地区の境付近に山車(だし)がありましたので撮影しましたが、よく見ると「住利町会」と書いてあります? 撮影した時は、何がなんだかよく分からず?一応撮影しておきました。

 後から調べた結果、大正12年(西暦1923年)の関東大震災(かんとうだいしんさい)の復興支援の為に、当時としては先進的な設計の鉄筋コンクリート構造・同潤会(どうじゅんかい)アパートが東京の各地に建てられたそうです。
 この地区にも、その計画の一環として、住利共同住宅(初期の名称は猿江裏町共同住宅)が建設されました。住利(すみとし)は「住吉」と「毛利」の地名からつけられた名前だそうです。現在では老朽化と耐震強化の問題から建て替えの必要が発生し、全ての同潤会アパートは姿を消しています。

(1)以前の猿江神社周辺の過去のブログは、以下のブログです。
 「名所江戸百景011 第66景 五百羅漢さゞゐ堂 横十間川の桜」
 「名所江戸百景009 第97景 小奈木川五本まつ 仙台堀川の桜(2)」
 「名所江戸百景271 第97景 小奈木川五本まつ 猿江神社の例大祭(1)」
 「名所江戸百景272 第97景 小奈木川五本まつ 猿江神社の例大祭(2)」 (今回のブログです)
 「名所江戸百景273 第97景 小奈木川五本まつ 猿江魔利支天と扇橋閘門」

(2)猿江神社に隣接する地域の祭りの話は、以下のブログです。
 東側は、横十間川(よこじっけんがわ)を挟んで、大島地区です。
 「名所江戸百景269 第66景 五百羅漢さゞゐ堂 亀戸香取神社神幸大祭」
 「名所江戸百景270 第66景 五百羅漢さゞゐ堂 東大島神社の例大祭」
 北側と北西側の墨田区側は、亀戸天神(かめいどてんじん)の氏子領域です。
 「名所江戸百景199 亀戸天神の例大祭(1) 献灯明・薪神楽」
 「名所江戸百景200 亀戸天神の例大祭(2) 御鳳輦渡御祭」
 「名所江戸百景201 亀戸天神の例大祭(3) 御鳳輦渡御祭」
 西側の江東区は大横川(おおよこがわ)を挟んで、深川神明宮(ふかがわしんめいぐう)の氏子領域です。
 「名所江戸百景248 第56景 深川萬年橋 深川神明宮は3年に一度の本祭!」
 南側は小名木川(おなぎがわ)を挟んで、宇迦八幡宮(うかはちまんぐう)の氏子領域ですが、昨年・平成27年が本祭りでしたが、その日は休暇日では無かったので、写真無しです・・・・・。
 この地区の一番北側にある扇橋(おうぎばし)地区のみが、一丁目のみ深川祭りで有名な富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)の氏子で、二丁目と三丁目は宇迦八幡宮の氏子となっています。
 深川祭りも今年は陰年ですが、イベント自体は多いので、一応、前回の本祭り(平成26年)の時の写真です。
 「名所江戸百景247 第4景 永代橋佃しま 今年の深川祭は二ノ宮神輿渡御」

 今回は、これで終わりとさせていただきます。
 せっかく、ここまで作りましたので、ブログを作成する時間があれば、次回は、「小奈木川五本まつ」を含めた猿江周辺の話をしたいと思います。

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