こんにちわ、「くまドン」です。
今回は、台東区の浅草(あさくさ)の鷲神社(おおとりじんじゃ)で行われていた酉の市(とりのいち)の風景を撮影してきました。江戸時代には、11月の酉の日には、鷲大明神社の鷲妙見大菩薩(みょうけんだいぼさつ)が開帳され、参拝者で賑わい、酉の市が盛大に行われていました。浅草の酉の市は、その当時の賑わいを残しています。「くまドン」は、11月2回目の酉の日(二の酉)に撮影に行きました。
今回は、「名所江戸百景101 第101景 浅草田甫酉の町詣 浅草・酉の市」の続きになりますが、この時に「くまドン」が使用していた一代前のコンパクトカメラのズーム操作に異常が生じて、撮影終了・修理出しになってしまいました。
できれば、「くまドン」が作成している名所江戸百景「くまドン版」の再確定を行いたいと思いました。
(一応、プログを始めた時点で、残景分の撮影終わらなかったので、最初に決めたルールで再確定認めてます。過去の例として、「亀戸天神の藤の花」と「根津神社のつづじ」があります。)
酉の市と言えば、熊手(くまで)ですね。来年の干支(えと)である羊もいますが、望遠で派手に切り取り過ぎて、熊手の写真では無く、店名の方が主役の写真になってしまいました・・・・・
酉の市の中には、江戸時代や明治時代の熊手も展示していました。
店の熊手が売れると、熊手に名前や会社名が貼り付けられます。江戸時代の浅草には、歌舞伎(かぶき)の座が集められましたので、歌舞伎関係者の名前もありました。
(絵画調)
前回、百景を確定した所に行き、代わりになる写真が撮影できないか、色々やってみましたが、空の白ぬき部分の面積が多くて、思うように作れませんでした。
撮影日は用事があったので、夜遅くまで撮影できませんでしたので、場所を変えて、百景になりそうな場所を探してみる事にしました。
(絵画調)
下の写真は、隣にある長国寺から鷲神社の方向を撮影した写真です。
江戸時代の鷲神社は、長国寺が管理する神社でした。長国寺は「酉の寺」と呼ばれていました。
前回の撮影の時は、ここでカメラ故障の悪化してきましたので、午後の用事や翌週の撮影予定もあり、慌ててカメラの修理出しに向かいました。この為、長国寺側は見ている時間がありませんでした。
長国寺側にも酉の市があります。なんとか、酉の市の熊手と長国寺を両方入れて撮影できました。
この写真を、広重の名所江戸百景「第101景 浅草田甫酉の町詣」に対応する「くまドン板」の景(再確定・冬景)とさせていただきます。
(このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
長国寺の中にも、とんでもなく大きな熊手が飾ってありました。
ちょうど、お昼時だったので、地元のドラ焼き販売していたので、一つ食べて、美味しかったので、家族へのみやげ用に買いました。さらに帰り道の屋台で、牛筋入りお好み焼きがありましたので、これも美味しく一つ完食です。
毎度のことですが、食べた後に撮影し忘れたのに気付くので、みやげ用の写真しかありません・・・・・・
食事後に、ルートから30mほど離れた所に小さな神社がありました。吉原神社です。
吉原神社は、明治5年に新吉原遊郭の四隅に祀られていた四稲荷社と、地主神(じぬしのかみ)の玄徳稲荷社を合祀して創建されています。昭和10年吉原弁財天を合祀しました。浅草七福神の一つ・弁財天にあたります。
名前の通り、江戸時代の新吉原遊郭の鎮守の社であり、花魁(おいらん)の参拝も記録に残っているそうです。
(以前にも申しましたように、「くまドン版」では新吉原関連は、あっさり終わります。)
下の絵は、広重の名所江戸百景「第101景 浅草田甫酉の町詣」(冬景)です。
吉原で働く女性の控屋から、田圃(たんぼ)の畦道(あぜみち)を、酉の市の縁起物の熊手を担いで歩く人達の行列が描かれていますが、絵の説明は前回しましたので、省略します。
(1)昨年作成した浅草・酉の市のブログ配下の通りです。
「名所江戸百景101 第101景 浅草田甫酉の町詣 浅草・酉の市」
今回は、これで終了とさせていただきます。
「くまドン旅日記」のブログを見ていただきありがとうございました。
今回の撮影後に行った場所も、名所江戸百景「くまドン版」の残3景の一つです。景の確定に手間取った場所です。
名所江戸百景の残分一つ作るのに、かなり手間取っていますので、今秋に撮影した葛西臨海公園の写真や過去に撮影した写真を手間のかからないように短く区切って、名所江戸百景の残分の合間に入れて行きたいと思います。
日本プログ村に参加しています。良ければ、「ポチッ」応援お願いします。(携帯からは無効ですので、不要です。)
今回は、台東区の浅草(あさくさ)の鷲神社(おおとりじんじゃ)で行われていた酉の市(とりのいち)の風景を撮影してきました。江戸時代には、11月の酉の日には、鷲大明神社の鷲妙見大菩薩(みょうけんだいぼさつ)が開帳され、参拝者で賑わい、酉の市が盛大に行われていました。浅草の酉の市は、その当時の賑わいを残しています。「くまドン」は、11月2回目の酉の日(二の酉)に撮影に行きました。
今回は、「名所江戸百景101 第101景 浅草田甫酉の町詣 浅草・酉の市」の続きになりますが、この時に「くまドン」が使用していた一代前のコンパクトカメラのズーム操作に異常が生じて、撮影終了・修理出しになってしまいました。
できれば、「くまドン」が作成している名所江戸百景「くまドン版」の再確定を行いたいと思いました。
(一応、プログを始めた時点で、残景分の撮影終わらなかったので、最初に決めたルールで再確定認めてます。過去の例として、「亀戸天神の藤の花」と「根津神社のつづじ」があります。)
酉の市と言えば、熊手(くまで)ですね。来年の干支(えと)である羊もいますが、望遠で派手に切り取り過ぎて、熊手の写真では無く、店名の方が主役の写真になってしまいました・・・・・
酉の市の中には、江戸時代や明治時代の熊手も展示していました。
店の熊手が売れると、熊手に名前や会社名が貼り付けられます。江戸時代の浅草には、歌舞伎(かぶき)の座が集められましたので、歌舞伎関係者の名前もありました。
(絵画調)
前回、百景を確定した所に行き、代わりになる写真が撮影できないか、色々やってみましたが、空の白ぬき部分の面積が多くて、思うように作れませんでした。
撮影日は用事があったので、夜遅くまで撮影できませんでしたので、場所を変えて、百景になりそうな場所を探してみる事にしました。
(絵画調)
下の写真は、隣にある長国寺から鷲神社の方向を撮影した写真です。
江戸時代の鷲神社は、長国寺が管理する神社でした。長国寺は「酉の寺」と呼ばれていました。
前回の撮影の時は、ここでカメラ故障の悪化してきましたので、午後の用事や翌週の撮影予定もあり、慌ててカメラの修理出しに向かいました。この為、長国寺側は見ている時間がありませんでした。
長国寺側にも酉の市があります。なんとか、酉の市の熊手と長国寺を両方入れて撮影できました。
この写真を、広重の名所江戸百景「第101景 浅草田甫酉の町詣」に対応する「くまドン板」の景(再確定・冬景)とさせていただきます。
(このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
長国寺の中にも、とんでもなく大きな熊手が飾ってありました。
ちょうど、お昼時だったので、地元のドラ焼き販売していたので、一つ食べて、美味しかったので、家族へのみやげ用に買いました。さらに帰り道の屋台で、牛筋入りお好み焼きがありましたので、これも美味しく一つ完食です。
毎度のことですが、食べた後に撮影し忘れたのに気付くので、みやげ用の写真しかありません・・・・・・
食事後に、ルートから30mほど離れた所に小さな神社がありました。吉原神社です。
吉原神社は、明治5年に新吉原遊郭の四隅に祀られていた四稲荷社と、地主神(じぬしのかみ)の玄徳稲荷社を合祀して創建されています。昭和10年吉原弁財天を合祀しました。浅草七福神の一つ・弁財天にあたります。
名前の通り、江戸時代の新吉原遊郭の鎮守の社であり、花魁(おいらん)の参拝も記録に残っているそうです。
(以前にも申しましたように、「くまドン版」では新吉原関連は、あっさり終わります。)
下の絵は、広重の名所江戸百景「第101景 浅草田甫酉の町詣」(冬景)です。
吉原で働く女性の控屋から、田圃(たんぼ)の畦道(あぜみち)を、酉の市の縁起物の熊手を担いで歩く人達の行列が描かれていますが、絵の説明は前回しましたので、省略します。
(1)昨年作成した浅草・酉の市のブログ配下の通りです。
「名所江戸百景101 第101景 浅草田甫酉の町詣 浅草・酉の市」
今回は、これで終了とさせていただきます。
「くまドン旅日記」のブログを見ていただきありがとうございました。
今回の撮影後に行った場所も、名所江戸百景「くまドン版」の残3景の一つです。景の確定に手間取った場所です。
名所江戸百景の残分一つ作るのに、かなり手間取っていますので、今秋に撮影した葛西臨海公園の写真や過去に撮影した写真を手間のかからないように短く区切って、名所江戸百景の残分の合間に入れて行きたいと思います。
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