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名所江戸百景149 第96景 堀江ねこざね(2) 行徳の野鳥病院

2014-01-31 07:55:44 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、千葉県・市川市(いちかわし)の行徳野鳥観察舎(ぎょうとくやちょうかんさつしゃ)で野鳥撮影の続きです。

 野鳥観察舎を出て、歩道からユリカモメの撮影です。ユリカモメは東京都の「都民の鳥」に指定されています。

 古来から詩歌や絵画の題材となり、古くは「ミヤコドリ」と呼ばれていました。

(1)昔の行徳鳥獣保護区は、新浜(にいはま)と呼ばれ、隣の新浜鴨場(宮内庁のカモ猟の場所)と共に干潟(ひがた)と葦原(あしはら)が茂る海岸でした。
  下の写真は行徳野鳥観察舎にあった昭和41年の行徳・浦安付近の航空写真です。右上から真ん中にかけてが行徳の町で、下の埋立地がすでにある付近が浦安市です。埋立前の浦安市の面積は、現在の1/4程度です。
 昭和40年代に行徳の海岸の第一次埋め立てが行われた結果、新浜の赤く囲った四角のエリアを除き、周りは全て埋め立て地になり、住宅と工場となっていきました。

 昭和40年代は、住宅からの生活排水により、残された水域だけでなく、東京湾や河川の汚れも悪化した時代でした。こうした中で、自然の環境を取り戻そうという運動が盛り上がっていきました。
 また、残された新浜の水辺がカモの飛来地となり、スズガモの大群が飛来するようになり、この頃より、バードウォッチングの趣味が一般に認められていきます。
 水域の環境を野鳥や生物にとって住みやすい環境を整えながら、現在の市川野鳥の楽園が造られていきました。

 下の写真は、最近のカモメの飛行風景ですが、昭和30年代は、この付近が海岸線で干潟が広がっていました。

(2)野鳥の楽園ができた当時、夜間に東京湾にいたスズガモが、朝になると行徳の野鳥の楽園に大群で戻ってきて、水面に着水するのでした。朝の日の出とカモの大群のシルエットが見事な為、野鳥撮影者にとっては有名な撮影ポイントになっていました。
 「くまドン」は、行徳のスズガモが東京湾から戻ってくるのは、昔は東京湾でカモの狩猟が昼間は許可されていて、夜間は禁止されていた為、夜はスズガモが東京湾にエサを獲りに行き、狩猟が始まる前の早朝に行徳の新浜に戻ってくると、はるか昔に誰かに聞いたことがありました。新浜保護区は、スズカモの昼間の避難所だったわけです。
 しかし、今は、そのスズガモの大群を新浜保護区で見る事はできません。

 なぜ、スズガモの飛来が減ったのか?は知りませんでしたので、野鳥観察舎の方にお聞きしました。
 スズカモのエサ場である三番瀬(さんばんせ)が銃猟禁止区域となり、スズガモが人間の法律は知らなくても、何年かすると安全な事が分かる様になり、昼間もそのまま海に残り、徐々に行徳の野鳥の楽園に飛来するスズカモは減っていったそうです。(ありがとうございました。)
 ある意味、自然の姿に戻っていったとも言えますが・・・・・・・・・

 現在では、行徳野鳥観察舎で観察できるカモは、オナガガモがほとんどです。オスの尾羽が長いので、他のカモとの区別が容易です。餌づけが容易なカモです。その他にオオバン(黒い鳥、冬鳥)もいます。
(絵画調)


(3)現在残されている三番瀬の浅瀬は、第二次埋立計画で埋め立てられる予定でした。オイルショックにと自然保護の考え方が広がり、昭和50年代に計画は凍結されます。
 昭和末期のバブル時代に名目を変えて、埋立計画が息を吹き返してしまいますが、バブル経済自体が甘い考えの塊(かたまり)ですから、わずか数年のバカ景気の放漫経営(ほうまんけいえい)の結果、過大な財政赤字・企業経営の破綻(はたん)・個人財産の消失という重い借金を残して崩壊します。
 バブル崩壊後になり、干潟の水質改善の役割が見直された結果、やっと平成11年に埋立計画は縮小(740ha→101ha)されます。計画は実行されていませんが、それでも埋立を中止にしないので、現在の三番瀬埋立問題となっているわけです。三番瀬の埋め立て問題が中止にならない原因は、国土交通省が第二湾岸道路を三番瀬に通す計画があるからです。

 オナガカモの中にコガモが混ざっていました。十羽以上のカモの群れがいると、なぜか一羽だけ混ざっていることがあるので不思議です。コガモの群れは見た事がありません。
 撮影距離があるので、小さくなってしまいましたので、トリミング(画像切取り)してます。


(4)現状としては、平成13年から三番瀬の再生・保全を進める千葉県知事(堂本 暁子(どうもとあきこ)、森田 健作(もりたけんさく、芸名))が続いているので、三番瀬埋立は止まっています。
 最近、世の中にバブル時代のような甘い考えが噴出していますので、予断は許されないでしょう・・・・・・・・・・・・
 さらに、ここに行徳の漁業関係者の生活が加わり、多発する赤潮・青潮などの環境問題が絡みあってきます。
 いつか暇な時に話してみたいなとは思いますが、結構やっかいな問題でもあります。

 ユリカモメの冬羽は頭部が白く、目の後ろに黒い斑点があるのが特徴です。


 ユリカモメは夏羽になると顔が黒くなります。4月の初めに上野公園の不忍池(しのばずのいけ)の話で載せた写真をトリミング(画像の切り取り)した写真です。右下に夏羽に変わったユリカモメがいます。

 冬鳥ですので、北へ帰る前です。他のユリカモメは、夏羽に代わる途中で、顔は灰色に代わっています。
 左下はカモの一種で、キンクロハジロ(金黒羽白)です。

 さて、行徳野鳥観察舎の隣に野鳥病院が併設されています。色々な鳥がいて、野鳥園みたいです。
 トビ(トンビ)は、この日の野鳥病院には3匹いましたが、羽が折れている個体もいて、正面からみると、痛々しいので、横から撮影したものを載せます。トビの主食は魚などの動物の死骸やカエルなどの小動物ですから、鷹狩りには使えませんが、猛禽類(もうきんるい)らしい雰囲気はあります。

 都市部では生ゴミなども食べる上、繁殖期以外のトビは群れを作る時もあります。
 同じゴミを食べ物にするカラスとなわばり争いをしたり、カモメとゴミ争奪戦を繰り広げることもあります。
 この三種は、自然界では鳥の掃除屋ですので、食べるものが競合しているのです。

 フクロウ(梟)もいました。昼間だから寝ています。

 ツグミやイソシギ(?)もいましたが、なにか寒そうです。どの鳥も、治療中の鳥です。


 川の向こうの堤防沿いに猫が歩いてきました。水面にいるカモが群れで追いかけます。
 観察舎の方から聞いた話ですと、カモは集団になると、相手を追いかけて、プレッシャーをかけるそうです。
(絵画調)

 手前のエサ場にカモがいて、猫が歩いてきた時は、全てのカモが一目散(いちもくさん)に水の中に逃げ込んだのですが、同じ猫なのに、今度は追いかけています。水の中で集団でいるとカモは気が大きくなるのか?猫は水に入れない事を知っているのか?不思議です???
 猫は毎度のことなのか、全く気にせず歩いて行きました。

 夕方になり、だいぶ日が傾きました。干潟でカモメがエサを探しています。カニでしょうか?ゴカイでしょうか?

 ユリカモメは雑食性で、小魚類、水棲昆虫、生ゴミなどを採食しています。
 撮影も終わりかなとのんびりしていると、周辺の方々が写真の方を指して、「あそこにいるよ」と話しています。
 何かなと思いましたら、タヌキ(狸)でした。赤○の所です。

 普段、人の入れないエリアにタヌキが住むようになったそうです。撮影した写真を拡大してみましたが、距離が遠く、後ろを向いて歩いているので、写真見ても、何だか分かりませんが・・・・・ともかく、タヌキがいました。

 行徳野鳥観察舎の中にあった説明書きです。(撮影しておいて良かったです。)

 今年もタヌキがいるみたいです。なお、タヌキの野性の生活を守る為に「エサやり禁止」です。宜しくお願います。

 最後は、歩道のロウバイ(蝋梅)の花です。大寒も過ぎましたので、これからは春に向かって日も長くなりますね。
(絵画調)


 過去の鳥関連のブログを再度載せておきます。
 「名所江戸百景137 第108景 芝うらの風景 浜離宮恩賜庭園の鷹(1)」
 「名所江戸百景138 第108景 芝うらの風景 浜離宮恩賜庭園の鷹(2)」
 「名所江戸百景144 第26景 八景坂鐙掛松(1) 東京港野鳥公園」

 今回は、これで終了とさせていただきます。

 くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
 今月は、正月休みがあったので、15回のブログで1月分7景と12月残分2景のを作りましたが、仕事や撮影もあったので、1月分は予定分未達成です。
  11月:15景中11景完了、4景残り
  12月:12景中12景完了
   1月:14景中 7景完了、7景残り(未確定4景は、雪が降らなかった場合の仮景は撮影済)
 残りは多分27~29景程度ですが、2月は年末のお城訪問ブログも作りたいので、いつ頃全て揃うのか・・・?(汗)

 次回から2月分ですが、野鳥の話が続きます。野鳥はこのシーズンに集中させてますので、前後関係から野鳥関連の話を先行させています。

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名所江戸百景148 第96景 堀江ねこざね(1) 行徳の野鳥病院

2014-01-29 07:55:31 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、千葉県・市川市(いちかわし)の市川野鳥の楽園にある行徳野鳥観察舎(ぎょうとくやちょうかんさつしゃ)で野鳥撮影の話です。撮影日は、昨年・平成25年の1月末頃です。

 上の写真は、行徳野鳥観察舎の隣にある野鳥病院にいたトビ(トンビ、留鳥)です。

 「行徳近郊緑地特別保全地区」は、千葉県指定の「行徳鳥獣保護区」と宮内庁所轄の「新浜鴨場」に分かれます。
 普段は、行徳野鳥観察舎の前の歩道以外は立入禁止です。

 普段は入れない保護区の観察は、定例園内観察会(毎週日曜・祝祭日)があ。
  13:30に野鳥観察舎前に直接集合(1~2時間程)
 (変更の可能性もありますので、インターネットなどで確認お願いします。)

 行徳野鳥観察舎の前に到着すると、手前の川(淡水)にいるのは、カモとウ、アオサギだけです。

 堤防の先は鈴ヶ浦と名づけられた潮の入る池(?)です。元々はここが海岸線でした。
【行徳野鳥観察舎】
 開館時間: 9:00~16:30 毎週・月休(祝日の場合は翌日)、毎月末の金曜日、年末年始: 入館無料
 最寄駅: 地下鉄東西線「南行徳駅」から京成バス「ハイタウン塩浜」or「新浦安駅」行きで「行徳高校」下車徒歩700m
 図書室、視聴覚室、展示室もあり、カモメの羽も置いてあり、手にとって見る事が出来ます。


 望遠鏡が44台常設(固定)されていて、観察舎の2階と3階から室内で野鳥を観察できます。
 観察舎に到着した時は、カモメが水面や棒杭の上にとまっていましたが、時折、何かに驚いたかのように一斉に飛び立ちます。

 昭和30年代までは、この付近が海岸線でしたが、現在は、対岸の400m程先に三番瀬(さんばんせ)の浅瀬が広がります。
 水面のカモメを超望遠で一杯に大きくしてみました。よく見ると、大きいカモメと小さいカモメがいます。

 画像の縮小率を下げて、トリミングしました。大きい方がセグロカモメ(冬鳥)で、くちばしが赤くて(日陰なので黒)小さい方がユリカモメ(冬鳥)のはずです・・・・・ん?・・・・・小さい方にもセグロカモメがいるような・・・???
 実は、行徳のカモメは種類が多いのです。・・・・・(汗)

 しばらく野鳥観察舎で、のんびり見ていると、カモメが手前の堤防に集まってきました。

 野鳥観察舎の方が出てきて、エサを置いてます。観察舎の正面は、エサ場だったのです。

 エサを与える時間は、鳥の生態や体内時計を狂わせないように決まっています。観察舎の方に話した上で、同じ時間にエサを上げるようにしてください。
 ユリカモメは旋回しながら、エサを待ちますが、カラスは、すでにエサ箱前で食べる準備完了のようです。
 ここのカラスは数が少ないので、大人しくて愛嬌があります。

 上の写真でもカモメの飛んでいる状態が良いのですが、
 広重風に俯瞰(上から下を見下ろす)構図で、遠景まで入れることにしました。

 広重の絵とは場所も異なり、方向は南東方向で全く逆向きですが、「くまドン版」では無視できるので、
 この写真を、広重の名所江戸百景「第96景 堀江ねこざね」に対応する「くまドン板」の景(確定・冬景)とさせていただきます。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)
 次回に話をしますが、本当はカモ(鴨)の群れが飛んでいる所を撮影して百景に入れる予定でしたが、カモメ(鴎)の群れが飛んでいる景になりました。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第96景 堀江ねこざね」(秋景)です。

 川の左側の集落が堀江村、右側の集落が猫実(ねこざね)村です。右の松林の中にある神社が豊受神社(とようけじんじゃ)です。真ん中を流れている境川で今も流れています。手前は東京湾(江戸湾)で、奥が江戸川(江戸時代は利根川)ですが、埋立られる前は、この間は1.5km程度しかありませんでした。手前の行徳の砂浜で、千鳥(チドリ)の一種を捕獲する網(あみ)を仕掛けているらしいです。(現代では固定網の猟は禁止されています。)
 遠景に富士山と丹沢(たんざわ)山塊を配置していますが、境川は西北方向にあり、富士山は西南西にありますので、絵ですから自由に配置できますが、写真で富士山を入れようとしたら、かなり広角で撮影することになります。
 この付近も下見で撮影もしたのですが、5月だったので、江戸時代の行徳の話は、また時間のある時にとさせていただきます。

 過去の鳥関連のブログは、
 「名所江戸百景137 第108景 芝うらの風景 浜離宮恩賜庭園の鷹(1)」
 「名所江戸百景138 第108景 芝うらの風景 浜離宮恩賜庭園の鷹(2)」
 「名所江戸百景144 第26景 八景坂鐙掛松(1) 東京港野鳥公園」

 今回は、これで終了とさせていただきます。
 昨年や正月から、くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
 おかげさまで、昨年7月の月間最多PV数を超えました。もっとも毎月どんぐりの背比べなのですが(笑)

 次回も、行徳野鳥観察舎での撮影の続きです。

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名所江戸百景146 第1景 日本橋雪晴 スカイツリーからの大展望

2014-01-27 11:30:42 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、墨田区(すみだく)のスカイツリーからの大展望です。スカイツリーの「くまドン版」の当初の目標は、広重の「第一景 日本橋雪晴」の様な降雪後の雪景色を撮影することです。
 このブログは4月後半に作りましたので、完全に季節外れになってしまいました・・・・・・(汗)

 今年・平成26年2月の1回目の大雪が降りました。雪景色を撮影する為、朝早く出かける前にスカイツリーのホームページを見ると、「スカイツリーの営業は12:00以降の予定」と書いてありました・・・・・・
 仕方が無いので、タワーホール船堀からの雪景色を先に撮影する事にしました。
 しかし、空気の透明度も良く、青空の素晴らしい景色でしたが、残念ながら富士山だけは見えませんでした。
 (この話は、「名所江戸百景160 第107景 深川州崎十万坪 タワーホール船堀からの雪晴」をご覧ください。)
 肝心要の百景が撮影できない事を残念に思いながらも、スカイツリーに向かい、地下鉄の押上駅に到着です。

 このエレベータは、結構な長さがあります。
(絵画調)

 スカイツリーの周辺も見ての通り、大雪の処理で大変な状態です。

 スカイツリーに11:30に到着しましたが、予約はしていませんので、当日入場の方に向かうと、大行列となっています。すでに、整理券渡しの状態で、入場は13:30となりました。
 2時間程余裕があるので、「くまドン版」で雪景の対象となっていた浅草(あさくさ)と墨田公園(すみだこうえん)を撮影しようとした所、東京メトロ銀座線のダイヤが大幅に乱れ、結局、浅草には行けず、墨田公園の雪の残景撮影のみとなりました。大幅な時間ロスです・・・・・・・
 下の写真は、スカイツリーから見下ろした墨田公園の写真です。

 墨田公園は隅田川を挟んで、墨田区(下側)と台東区(上側)にまたがる公園で、右下に牛嶋神社の緑色の屋根が見えます。「くまドン版」の百景を撮影した真ん中下の池も、雪で真っ白です。
 (この話は、「名所江戸百景161 第91景 請地秋葉の境内 墨田公園からの雪景」」をご覧ください。)

 墨田公園からスカイツリーに戻るのも徒歩になりました。13:30より遅れて到着したので、並んでいる人が少なく、10分程度の待ち時間で下の展望台(高さ350m)まで登る事ができました。
 そして、スカイツリーから日本橋方向を眺めた写真です。
 スカイツリーの下の展望台(標高350m)から見た雪景色なのですが・・・・・・?・・・・・??・・・・・・
 良く見ると、空の真ん中すこし右側の雲の中に黒い影があります。富士山がわずかに雲の上から輪郭(りんかく)を見せています。10分程度すると、雲の中に消えて見えなくなりました。
 あきらめていた富士山が少しでも見えたのですから、ラッキー(幸運)だったのでしょう。

 写真の右側には、秋葉原(あきはばら)のビル群が、左側には大手町(おおてまち)のビル群と皇居(こうきょ)が見えます。その中間が、現代の日本橋(にほんばし)と神田(かんだ)の街並みになります。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第1景 日本橋雪晴」(春景)です。

 絵の説明は「名所江戸百景085 第43景 日本橋江戸ばし 築地市場」でしましたので、省略させていただきます。

 スカイツリーからの雪景と富士山は撮影できましたが、富士山がはっきり写っておらず、「くまドン」は困りました。
 1月に雪が降らなかった場合の仮景として撮影していた写真は、富士山がはっきり写っている写真があります。
 こうなると、雪景と富士山のいずれを選ぶかという話になります。
 「くまドン」は悩みましたが、この景を第1景とする予定でしたので、やはり、富士山がはっきり写っている1月の仮景を選択する事にしました。
 冬の1月に撮影した写真ですが、主に撮影していたのが、スカイツリー開業年の平成25年度で、時代背景として、スカイツリーに重点に置くという方針でしたので、広重の名所江戸百景と同様に第1景(春景)とします。

 この写真を、広重の名所江戸百景「第1景 日本橋雪晴」に対応する「くまドン板」の景(確定・春景)とさせていただきます。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)

 最後は、スカイツリーから眺める富士山を望遠でアップした写真です。

 スカイツリーからの他の展望写真は、「スカイツリーに始まり、スカイツリーに終る」という考えで最後にまとめさせていただきます。
 なお、2月に各地で大きな被害をもたらした2回目の大雪の時は、スカイツリーも強風の為、営業中止が続き、雪景の撮影はできませんでした。

(1) 広重の名所江戸百景「第1景 日本橋雪晴」の絵の説明は、
 「名所江戸百景085 第43景 日本橋江戸ばし 築地市場」
(2)昨年の大雪の話は、
 「名所江戸百景142 第99景 浅草金龍山 雷門雪景」
 「名所江戸百景143 第111景 目黒太鼓橋夕日の岡 目黒の雪景」
(3)今年の雪景の話は、
 「名所江戸百景 雪が降りました。しかも20年ぶりの大雪!」
 「名所江戸百景160 第107景 深川州崎十万坪 タワーホール船堀からの雪晴」
 「名所江戸百景161 第91景 請地秋葉の境内 墨田公園からの雪景」
 「名所江戸百景162 第106景 深川木場 木場公園の雪の夜景」


 今回は、これで終了とさせていただきます。
  なお、1週間程度過ぎた後に、順番を整理するために日付を146番の位置に移動させます。

 これで確定していない残りの景は7景(紅葉が4景、1月と2月分が3景景)ですが、続きは5月以降になりそうです。

 次回は、名所江戸百景の別の景か、奈良県の城の続きのいずれかの予定です。

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名所江戸百景146~147 の取り扱い

2014-01-27 07:54:24 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 前回も、お伝えしましたように、ブログを作成している時間が無く、1月の残景を作成している時間がありませんでした。
 「名所江戸百景146~147・・・・」を作成すると、2月分のブログ作成に影響を与えるので、
 申し訳ありませんが、1月残分は、時間のある時に作成いたします。
 最終的には、このブログの後方に「名所江戸百景146~147・・・・」を並べるようにします。

 1分後に、本日分のブログを更新します。


名所江戸百景145 第26景 八景坂鐙掛松(2) 大森 品川神社

2014-01-26 09:30:32 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、大田区の大森駅(おおもりえき)近くの八景坂(はっけいさか)の話です。
 前回の東京港野鳥公園(とうきょうこうやちょうこうえん)で撮影からの続きになります。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第26景 八景坂鎧掛松」(春景)です。

 現在のJR大森駅山王口前の池上通りの坂道を江戸時代の人達は「八景坂(はっけいざか)」と呼んでいました。
 広重の絵は、その八景坂からの眺めを俯瞰(ふかん、上から下を見下ろす)で描いた絵です。
 江戸時代の頃は、八景坂の上からの眺めは素晴しく、東京湾を房総半島まで一望のもとに見渡すことができたそうです。
 江戸時代の品川から大森海岸までの東海道(とうかいどう)は海岸線沿いにありました。絵にも描かれています。
 八景坂は池上道と呼ばれる東海道から分かれて池上本門寺に向かう道の途中にあった坂です。
 絵の右下から人や籠(かご)が登ってくる坂が八景坂です。江戸時代の頃は、かなり急な坂道だったそうです。
 また、この池上道は古道で、昔は東海道だったという説もあります。
 坂の上には、茶屋と大きな松の木が描かれています。この松の木は「鐙掛松」と呼ばれ、平安時代の武将・源義家(みなもとのよしいえ、八幡太郎、源頼朝・義経の四代前の先祖)が、奥州(おうしゅう、現在の東北地方)遠征の行く途中、鎧を掛けたとの伝説が残る松でした。明治時代に枯れて、今は無いそうです。
 絵の奥にある左側から突き出た一番前の岬が品川宿の付近です。沖合には船荷の積み替えをする船が停泊しています。品川(北)の向こうにある海岸線が房総半島(東)へと続いていく風景と言われていますが、そう考えると方向感覚がおかしくなりそうです。

 江戸時代に八景坂から眺めることができた八景は以下の通りです。
  笠島夜雨(かさじまやう)、鮫州晴嵐(さめずせいらん)、大森暮雪(おおもりぼせつ)、
  羽田帰帆(はねだきはん)、六郷夕照(ろくごうゆうしょう)、大井落雁(おおいらくがん)、
  袖浦秋月(そでがうらしゅうげつ)、池上晩鐘(いけがみばんしょう)
 (「笠島」は、現在の鈴が森付近にあったと云われています。「袖浦」は、東京湾対岸の千葉県袖ヶ浦市があり、東京湾越しに、房総半島から登る月を指したものと考えます。残り六景は現在も地名が残っています。)


 東京港野鳥公園から、バスでJR大森駅に向かう途中、京浜急行の大森海岸駅を経由します。
 現在の京浜急行の線路のある付近が江戸時代の海岸線です。ここからJR大森駅までは、広重の絵にあるように平坦な地形が続いています。
 下の写真は、JR大森駅の西口にある八景坂の上にあった天祖神社(てんそじんじゃ)です。駅の西側は崖になってます。写真の下の所に八景坂が左(南)から右(北)へ登っていくですが、人がいるので、カットしました。


 天祖神社の祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)ですが、創建の年代は不明です。
 階段途中の左手には、稲荷神社(いなりじんじゃ)もあります。
(絵画調)

 急な階段を登っていくと、社殿がありました。
 広重の絵に描かれた鎧掛松は、源義家が奥州征伐に向かう途中で、この神社で戦勝を祈願する為、境内にあった松の木に鎧を掛けた伝説からきています。
(絵画調)

 現代では、神社の周りは樹木と高い建物に囲まれ、広重の絵に描かれた眺めは望めません。鎧掛松の木も、明治時代には枯れ、広重の時代の面影は、天祖神社が残されているだけです。

 神社の左手を下りていく坂に、馬込文士村をテーマにしたレリーフ(説明板)がありました。
 下のレリーフは、「大正8年の大森駅付近の風景」だそうです。まだ、この頃は、駅の向こうに海が見えますね。

【馬込文士村(まごめぶんしむら)】
 JR大森駅の西側の台地は、山王(さんのう)と呼ばれる土地で、その西側には馬込(まごめ)村がありました。
 明治9年(新橋~横浜間開通の4年後)に開業した歴史の古い駅ですが、当時は、東京郊外の雑木林や田畑が広がっている地域だった為、画家や文士が好んで住んでいました。
 大正12年の関東大震災後になると、尾崎士郎(おざきしろう)と宇野 千代(うのちよ)を中心に、さらに移り住む文士が増えていき、昭和初期にかけて多くの文士、芸術家が暮らしていた地域だったそうです。この頃は、作家や文化人が集まるハイカラな住宅地の自宅でダンスパーティーを開くのが流行していたそうです。


 東京港野鳥公園は昼食抜きで撮影していました。八景坂の撮影終了後、JR大森海岸駅の周辺には、美味しそうな店が並んでいたのですが、品川方面の撮影がもう一カ所残っていたので、我慢(がまん)することにしました。
 京浜急行線の大森海岸駅に戻り、京浜急行で品川方面に向かっていくと、西側の車窓から台地の崖が近くに見えます。
 京浜急行線と並行して走っている第一京浜道路は、江戸時代の江戸時代の東海道(とうかいどう)です。
 品川から大森海岸までの江戸時代の東海道は海岸線沿いにありましたので、京浜急行線も江戸時代の海岸線の近くを走っている事になります。
 そうして考えて見ると、縄文時代の海岸線だった崖線(がいせん)と江戸時代の海岸線の間に、平坦な土地が長く伸びていた事が、電車に乗りながら見えてきます。
 青物横町駅を過ぎると、途端に台地の崖が無くなります。この付近は目黒川の河口部で、次の新馬場駅(しんばんばえき)は、目黒川の真上にある駅です。そして、ここが、もう一つの撮影の品川神社がある所です。
 新馬場駅北口を出ると、目の前の第一京浜道路の向こう側に品川神社が見えます。
 神社の左側に大黒様が見えますが、品川神社は、東海七福神の1社で、大黒天を祀ってあります。

 写真の左上には、富士塚(ふじづか、品川富士)があります。品川神社のある台地の崖に造られている為、正面から登ると結構な高さがあります。
 富士塚は、富士浅間信仰(ふじせんげんしんこう、富士山を神と見立て信仰・崇拝する)する人たちが、富士山を遠くから拝む為や、富士山に行くことができない人の為に造られた築山(つきやま、人工的に造られた山)です。

 正面の階段の途中から富士塚への登り口が分かれます。

 少し先の「二合目」と書かれた場所には、石像もあります。
 手前に鬼の石像が二体あるので、役行者(えんのぎょうじゃ、役小角)のようです。役行者は修験道(しゅうけんどう、山岳修行)の開祖です

 この品川富士は明治2年に、北品川宿の富士信仰の人達により造られましたが、明治の神仏分離令で、一度破壊されて、明治5年に再度、造られたそうです。
 「四合目」です。途中に文字が刻まれたおおきな石碑があって、凝った造りです。

 「五合目」からは道幅が狭くなり、鎖場(くさりば)が登場! 

 「八合目」から下を見下ろすと、結構、急な斜面なのが分かるかと思います。

 富士塚頂上からの北東側の品川洲崎(すさき)方向への眺めは良いです。京浜急行の電車を見下ろせます。ただし、海は埋め立てにより、はるかに遠くです。本来は富士山の方向(西)を拝む為の場所でしたが、現在では、神社の木や高い建物に遮られて見る事はできません。

 今回は下見を兼ねて、暗くなるまで品川駅まで歩きましたが、日が傾いて、日陰が多くなりましたので、2月再訪して撮影しました。1月分の他の景がありますので、この続きは2月分で合わせてとさせていただきます。

 一応、説明の補足として、地形図(手書き部分は大雑把な位置で、正確ではありません)を載せておきます。
 「国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用しました。」

 図の左下にJR大森駅(紫■)があり、その西(左)側にある紫色の星印()が八景坂のある所です。有名な大森貝塚も、少し北側にあります。
 「東京港野鳥公園」は図右下の赤い矢印↓の先にあり、図の外側です。
 その中間に大井ふ頭中央海浜公園(白い○印)、品川水族館(赤い○印)、京浜急行の大森海岸駅()があります。
 西(左)側の黄色の台地部が縄文時代の海岸線です。江戸時代の大森付近の海岸線の近くに東海道(現在の第一京浜道路)がありましたが、ほぼ、京浜急行線が並行して走っています。埋め立てにより海岸線は、はるか先です。

 立会川駅()の右側にある濃い桃色の星印()付近が坂本龍馬像のあった付近です。右に勝島運河があります。この場所の話は、以下のブログです。
 「名所江戸百景071 第109景 南品川鮫洲海岸(1) 坂本龍馬と浜川砲台」
 「名所江戸百景072 第109景 南品川鮫洲海岸(2) 勝島運河と立会川」
 新馬場駅()の西(左)側に(赤い星印★)が品川神社ある所です。
 近くの北東(右上)の黄色の星印()が品川洲崎のあった所です。
 「名所江戸百景070 第83景 品川すさき 品川浦と釣り舟」

 今回は、これで終了とさせていただきます。

 くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
 11月~1月はハイペースの百景確定が必要なのですが、実際には、1カ月で10景前後がやっとです。
 今月も、1月分6景と12月残分2景を作りましたが、仕事・撮影と色々ありまして、未達成となりそうです。
 撮影するより、ブログ作成は手間がかかりますね。

 次回は、別の景の話になります。

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