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名所江戸百景252 第29景 砂むら元八まん 東砂の祭り

2015-08-30 16:00:00 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 前回の北砂(きたすな)に続いて、今回は、江東区・東砂(ひがしすな)の祭りの風景です。
 前回、「深川神明宮」の例大祭の撮影に行く途中で、北砂の祭りに出会った話をしましたが、
 「深川神明宮」の例大祭の撮影したので、、まだ、「北砂」の神輿の行列がいるかどうか向かってみました。
 それで見つけて見たら、「東砂」の文字のついた神輿でした・・・という話です!
 東砂4丁目の神輿
(絵画調)

 この日は自転車での移動です。横十間川(よこじゅっけんがわ)を渡り、砂町エリアに入り、そのまま東へと進んでいくと、なんとなく、祭りの太鼓(たいこ)や囃子(はやし)の音が聞こえてきます。
 いまいち方向感がつかめないまま、さらに東にすすでいくと、前方の大通りを前に向かって進む、神輿(みこし)の最後尾が見えてきました・・・・・!

 東砂5丁目の神輿
(絵画調)

 大通りで、神輿の行列を追い抜く事は不可能です。適当に裏通りを利用して、祭りを音を頼りに、行列の位置をつかみながら、行列を追い抜いていくという、思いつきの手段でしたが、運良く、神輿の最前列に回り込みに成功しました!
 東砂4丁目の神輿
(絵画調)

 ただし、追いついた地点が、たまたま、神輿巡幸の終着点だったので、撮影開始して、しばらくすると、最後の拍子木(ひょうしぎ)を打つ準備が始まるので、撮影しながら、慌てて、前方に向かうことになりました。

 東砂3丁目の神輿
(絵画調)


 最後に来たのが東砂1・2丁目の神輿ですが、神輿の回しなど、結構見せていただきまいた。

 結局、この時は、運良く、東砂の神輿は1丁目から5丁目まで全基撮影できました。
 しかし、後から調べたら、東砂6・7丁目(東砂天祖神社の氏子さん、例祭は9月)もあって、途中で神輿の行列が分かれたのか?別開催なのか不明のままとなりました。
 思い出してみると、1町目~5丁目の神社の幟(のぼり)も何か別々の神社名であったような・・・・・?

 調べてみると、東砂には、妙法陶首稲荷神社、生田神社、大塚天祖神社、中田稲荷神社といった神社に、それぞれの神輿があるのです。江戸時代に各地区の新田開発が別々に行われ、その村の鎮守(ちんじゅ、守り神)として、神社を祀った歴史から来ているようです。

(1)妙法稲荷神社(東砂2-3-2) :萩新田の稲荷 :慶長年間に荻勘七郎が当地を開拓した新田
(2)生田稲荷神社(東砂3-17-17) :太郎兵衛新田の鎮守 :新田が開拓された慶安年間の創建
(3)大塚天祖神社(東砂4-2-18) :大塚新田の鎮守 :新田が開拓された寛永年間に勧請(かんじょう、分霊)
(4)中田稲荷神社(東砂5-4-10) :中田新田村の鎮守 :新田が開拓された寛永年間に創建
(5)東砂天祖神社(東砂6-13-4) :八郎右衛門新田の鎮守 :深川村の名主深川八郎右衛門が開発した新田であり、元禄10年に深川神明宮を分霊して創建。
 これとは、別に陶首稲荷神社(東砂2-14-5) :又兵衛新田・中田新田・大塚新田の鎮守
                              :小名木村の又兵衛が開拓した寛永年間に創建
があります。砂町地区(北砂・東砂・南砂)は、神社と江戸時代の新田開発が結び付いています。

 「くまドン」には、今回の「東砂」の例大祭は、いつやっているのか?も、神社の祭りが一つなのか?も不明です。
 この時撮影した神輿の行列が、何年かに一度の本祭りの神輿行列なのか、東日本大震災の復興祈願で行われた連合神輿行列なのかすら不明なのです・・・・・・・・・・・・
 (ある意味、滅多に撮影できない神輿行列を撮影していたかもしれない事になるのですが?・・・・・・・)

 平成24年は名所江戸百景「くまドン版」を作る為に休暇日は、ほとんど撮影に追い回されていましたので、
 この後、一度、家に帰宅してから、再度、車で名所江戸百景撮影の一部として、羽田空港の飛行機を撮影に向かいました。
 東京港のゲートブリッジ経由でしたので、途中、南砂町も通りましたが、神輿などとは出会いませんでした。道路わきに神社の小さな幟旗は一杯ありましたので、南砂でも祭りはあったようです。
 南砂地区の神社は、万治2年の開拓地の鎮守として、「仙気稲荷神社」もありますが、南砂付近は、以前このブログでも話した砂町の元の名前となった「砂村新四郎」が開拓した「砂村新田」が広がっていました。広重の「名所江戸百景で有名な元八幡(富賀岡八幡宮)があります。
 砂町地区は「北砂」、「東砂」、「南砂」、「新砂」の4つのエリアに分かれますが、今一つ氏子エリアが見えてこない場所の一つです。

以前に作成したブログは以下の通りです。
(1)北砂の話は、
 「名所江戸百景251 第29景 砂むら元八まん 北砂の祭り」
 「名所江戸百景245 第29景 砂むら元八まん 砂町銀座の七夕まつり」
(2)南砂の話は、
 「名所江戸百景232 第29景 砂むら元八まん 砂町の富士塚」

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 8月も終わりですので、夏祭りの写真は、今年はこれで最後になります。今年撮影して載せられなかった分は、また、来年とさせて抱きます。
 オリンピック会場の話をするといったにも関わらず、体調悪化で1週間以上放置しました。体調が回復してきたので、遅ればせながら、オリンピック関連の話を再開します。

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名所江戸百景251 第29景 砂むら元八まん 北砂の祭り

2015-08-28 18:30:10 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、江東区・北砂(きたすな)の例大祭の風景からです。
 前回のブログ作成後に、体調が悪化して、先週の末からパソコンを立ち上げる気力もないまま、寝込んでいまい、ブログが完全に放置状態でした。本日も、パソコンの前にいるのが少々つらいので短く、終わらせていただきます。
 以前、「名所江戸百景245 第29景 砂むら元八まん 砂町銀座の七夕まつり」のブログで、
 ポスターに書いてある様に北砂町内の祭りですが、日曜日に神輿(みこし)の渡御(とぎょ)があると伝えましたが。

 22日頃に、三年前・平成24年に撮影した写真を簡単に並べてブログ作成するつもりが、寝込んでしまいましたので、未作成でした。
 完全にタイミングがずれてしまいましたが、余力も無いので、北砂の祭りの写真を並べてみます。
 3年前に深川神明宮の祭りに行く途中に偶然出会ったので、かなり幸運(ラッキー)でした。
 ただし、北砂は1丁目~7丁目まであるので、同じ祭りどうかは正直確証がないです。ただし、神輿に遭遇した場所は北砂2丁目と3丁目の境にある「小名木川駅前」(地元の人しか知らない駅名です!)の交差点でした。
(絵画調)

 神輿(みこし)は一基ではなく大中小の三基あるようです。

(絵画調)



 親水整備されたばかりの小名木川(おなぎがわ沿いに神輿が練り歩いて行きます。
(絵画調)



 「名所江戸百景245 第29景 砂むら元八まん 砂町銀座の七夕まつり」

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 病み上がりで、持久力が不足しているので、次も簡単な内容にするかも知れません。

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名所江戸百景250 オリンピック競技場問題(1) 過大な建設需要が最大の問題

2015-08-20 22:30:20 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 また名所江戸百景からは脱線しますが、今回も2020年東京オリンピックの競技場問題が続きます。今回は、東京都担当の新規建設予定のオリンピック会場について考えていました。
 「くまドン」が何を言っても意味が無いかもしれませんが、小さな個人ブログですし、自由に考えさせていただきます。
 話の内容としては、「過大な公共事業による建設需要(バブル経済状態)を抑制する為に、不要な公共事業を削減して、急ぐ必要ない公共事業は後に回して欲しい」という内容だったのですが、途中から「くまドン」の怒りがあちこちに発散して、今一つ焦点がボケ気味です。
 色々悪口を書いていますが、世の中には社会的制約や利害関係もありますので、理想通りには、なかなか行かないものです。民主主義では「世論」という厳しい言葉が必要なのかもしれません。あまり上手く言えませんが、日本を少しでも良い方向に進めたいと真面目に実行する人達には、「世の中は汚い」などと短気を起して止めたりせずに、しっかりとした方向に進んでください。こういう人ほど組織の中に残って、世の中をまともな方向に進めて欲しいと思います。

 最初に、全体の流れとして、「くまドン」は、以前のブログに書いてある様にオリンピック招致段階では、東京オリンピック招致段階での東京都担当分の競技場施設の当初の予算が1500億円程度で、すでにオリンピック予算として計上していると聞いて、東京都がやっているのだから真面目に計画していると思って、素直(すなお)に東京オリンピック招致を喜んでいました・・・・・・・・・
 ところが、東京オリンピック招致が決まった途端に、競技場施設の予算が、1500億円程度から最大4584億円までに膨らむ有様です。当初予算に競技に必要な整備費だけを盛り込み、周辺整備を計上していなかったのと、建設費の高騰が原因なのですが、オリンピック招致段階で全く表面に出さず、決まった途端に問題が浮上して、予算が膨れ上がる有様に、正直、あきれ果てるは、「だましていたのか」と腹が立つはという次第です。
 とりあえず、多くの都民・国民からの非難が上がる中、舛添要一(ますぞえよういち)・東京都知事と森喜朗・元首相がオリンピックの競技場の再検討をすると宣言しました。舛添都知事の指示により、東京都側は多くの競技場の変更や競技場の予算圧縮により、一応、2576億円まで圧縮しました。1年間、全く予算圧縮の検討もしていないて、建設予算が膨れ上がったJSC担当の新国立競技場に比べれば東京都側も努力した方ですが、当初予算から比べると、建設費は、当初予算に比べると1000億円も増大しています。
 東京都側にも、予算をまじめに検討して減らしてきた人達もいて、予算を減らしたいと思った人も多くいたと思いますが、裏で公共事業の利権や利益増大を考えているような人達もいます。また、社会上の立場や利害関係により思っていても口に出せない人もいると思います。「くまドン」は何のしがらみ(関係)も無いので、厳しい意見にさせていただきます。

 下の写真は、大田区の東京港野鳥公園で見かけた東京湾のオリンピック施設建設予定地付近の航空写真です。


 湾岸エリアの新規施設でも以下の状況です。建設資材や人件費の高騰により、建設費がかなり上昇しています。
 (1)海の森水上競技場(ボート、カヌー・スプリント) 当初予算   69億円 → 491億円 
 (2)葛西臨海公園の近く(カヌー・スラローム)    当初予算   24億円 →  73億円 
 (3)夢の島公園(アーチェリー)             当初予算   14億円 →  24億円 
 (4)辰巳 オリンピックアクアティクスセンター(水泳) 当初予算 321億円 → 683億円 
 (5)有明アリーナ(バレーボール)           当初予算  176億円 → 404億円 
 (6)大井ホッケー競技場(ホッケー)          当初予算   25億円 →  48億円
 (7)有明テニスの森(改修)               当初予算   59億円 → 144億円

 「くまドン」には(1)と(2)を考えるのがやっとで、(3)~(7)は建設費や競技の知識がないので無理でした。正直、(7)の既設の「有明テニスの森」のテニスコート増設だけで、なぜこんなに建設費がかかるのか?全くわかりません。
 (1)のボート、カヌー・スプリントの競技場となる「海の森水上競技場」について考えている内に、「各競技場の個別の問題」と、「オリンピックの競技場建設全体に影響を与えている問題」の2つに分けて考えた方が問題点が、はっきりと見えてくるような気がしました。

 まず、「各競技場の個別の問題」の共通の原因としては、
(1)競技に必要な整備費のみで、周辺設備の整備を盛り込んでいなかった当初の杜撰(ずさん)な計画
(2)各競技団体が東京に競技場が欲しいと、あれもこれもと要求して、そのまま計画に反映されていた。
(3)オリンピックに関係のない計画も含まれていた為、整備計画が過大になっていた。

 もう一つの、「オリンピックの競技場建設全体に影響を与えている問題」は、
(4)国の過大な財政支出の結果、現在の「バブル経済」状態と言える過大な建設需要の結果、バカみたいに建設価格が上昇している事が原因です。

 最も問題なのは(4)です。国民に消費税など増税を押し付けて、税金をばらまいた結果、バブル経済状態になり建設需要が異常に増大して、建設費がムダに高騰している事自体が一番の問題です。そのツケが、消費税増税などで普通の国民に押しつけられて行くわけですから、迷惑以外の何物でもないです。
 オリンピックの建設費高騰の問題の一部に過ぎないのです。
 一番重要な問題は、政治の過大な財政支出やムダ使い、放漫な計画をなくすことが一番の解決方法です。
 (この問題は自民党にも、民主党にも責任問題があり、官僚の予算肥大体質にも原因があるのですが)


 そんな事を考えている間に、テレビのニュースなどから色々な情報からは次から次へとオリンピック名目の整備計画の情報が流れてきます。
 新国立競技場の建設費が異常に高く(2500億円以上)なり、白紙撤回で計画やり直しとなり、オリンピック後の維持費も含めて、税金のムダ使いが減るのかなと思っていたら、
 舛添都知事の出てきたニュースで、
 「東京の外環道の西側(東京区間)の整備を2020年のオリンピックまでに目指す」とか
 「首都高速の再整備を2020年のオリンピックまでに行う」
という話がありました。
 このニュースを聞いて、「舛添都知事や建設促進している議員が、建設費を異常に高騰させている原因の一つなのでは?一つの問題の税金のムダ使いを減らしても、その横で建設費を高騰させて、税金のムダを増加させていたら、都民や国民に対するゴマカシではないか?基本的に「バブル状態」にまで膨れ上がった建設需要そのものを減らさなければ、問題は解決しない」と考えています。

 他の情報からは、
 「東京の外環道や圏央道の整備を2020年のオリンピックまでに、ほぼ完成!」
 「51年前に開催された東京五輪に際して、大規模なインフラ開発の結果、首都高速道路は、築50年超の河川や道路上の路線は、腐食でボロボロになっている。」
 という公共事業をせかすような話がありますが、
 逆に言えば、2020年オリンピックまでに、急いで首都高速道路を再度造れば、再び50年後に同じようなインフラ老朽化問題が発生する分けですよね?当然、建設費も高くなりますし、迷惑です。過大な建設需要の削減と公共事業の連続性を考えれば、いくら老朽化していても、オリンピックまでに再整備を進める必要は無いはずです。むしろ、「2020年までに整備」などという計画は、無計画の放漫経営でしょう!

 同じ意味で、東京の外環道の西側(東京区間)と圏央道の整備も無理して整備する必要はないはずです。今年・2015年3月に「中央環状線が全線開通したために、都心の首都高速の渋滞が50%解消した。」ということや、平成27年度中には、圏央道の東名高速から東北道までの区間が完成しますので、逆に言えば、わずか2週間というオリンピックの期間に、都心環状線の利用に制限により、オリンピック関連以外の利用者を環状線に迂回させたとしても2週間という期間であれば問題ないはずです。(オリンピックの期間だけ以前の渋滞レベルに戻るだけです。)現状でも都心環状線は正常に使用できるので、わずか2週間というオリンピック期間のために道路建設を急ぐ必要は全く無いでしょう。
 過大な建設需要の削減と公共事業の連続性を考えれば、2020年オリンピックまでは、現在のオリンピックに不要な建設計画の工事費(工事量)を大幅に減少させておき、本当にオリンピックに必要な整備計画に建設に必要な人材・資材を回して、建設費用を下げるべきだと思います。たとえ、関東の直下地震に対する危険があったとしても、首都高速道路のような大きなインフラ整備は、長い年数をかけて計画的に進めて行くもので、オリンピックという短期的目的の為に行われる事業ではないと思っています。
 オリンピックに関係ないのにオリンピック名目の公共事業は、2020年以降の建設需要が落ち着いて、建設費が正常単価になってから、財政に負担を与える事無く、不要な事業は排除して、安定的に整備を進めて欲しいものです。
 不要に建設費を増大させて、建設費を高くしている事自体、国民や地域住民の税金をムダに使っているようなものです。財政赤字のツケが国民や地域住民に増税の形で押し付けられるのも迷惑だし、二重の迷惑です。
 過大な公共事業で放漫経営のあげく、国民の税金や道路利用者の通行料金にツケを回すのは止めてください!


 この問題は、他の地域に対しても当てはまります。
 東日本大震災の被災地の復興にかかる費用が異常に高騰して、被災地の住民の復興計画にも影響が出ています。
 原因は、震災復興を名目とした大量の建設需要の為、建設に必要な人件費と建設資材(コンクリート、砂、砕石)が不足して、その費用が異常に高騰しているのが原因です。コンクリートや砂の単価が短い期間で2倍も跳ね上がって、建設費用を高額にしているありさまです。
 震災の被災者を名目にした建設計画を削減・後回しにして、被災地の復興に本当に必要な建設需要に絞った方が建設費も安くなり、税金のムダ使いも減らす事ができると思います。
 復興支援を名目にしてる復興支援道路(三陸海岸と東北自動車道を東西に結ぶ数本の高規格道路)など被災地の復興とは直接関係のない道路に多額の予算が使われています。
 以前、復興支援道路の予算が出た事を喜んでいる県知事のニュースを見ましたが、被災地を利用した被害の少なかった内陸部の票集めの行動としか見ていません。
 その結果、多くの建設人員と多量の建設資材が消費されています。異常に建設費が高騰している事を考えれば、急ぐ必要のない道路の建設工事です。この道路を推進する為に被災地のニュースが流れても、予算を正当化する為の行動と見ています。
 津波の被害で地域を分断された沿岸部を結ぶ三陸自動車道ですら、災害時の対応として、既存の国道と役割が重複していて、建設を急ぐ必要のない区間もあります。この区間に関しては、建設需要が過大に発生している状況では後回しか不要の扱いで問題なしです。
 さらに、津波対策の防潮堤の中にも、被災地が高台に住宅を移転した結果、人が住まなくなり、田畑だけになったエリアを守る為に、巨大な防潮堤を建設する計画もあったりします。通常の場合、地域住民が防潮堤建設に反対しているにも関わらず、国土交通省が後から追加した「L2(大規模)津波の浸水領域が同じになるように防潮堤の建設が必要」との法律が原因になっています。

 震災後にエコ(環境)好きの人が始めたメガソーラ(太陽光)発電事業も不要と考えています。太陽光発電は発電効率が低く、発電した側が高値の電力料金を売りつけて、高値で買取った電力会社が利用者に電力料金に上乗せする仕組みですし、いたずらなメガソーラ建設計画自体、利用者にとっては迷惑です。こうなると、「環境保護」という美名に乗せられた人の独善と、発電側の勝手な都合にしかなりません。メガソーラ発電に反対する人達を二酸化炭素(CO2)発生抑制=エコ(環境)という言葉で黙らせているようなものでしかないです。
 おまけに過大な建設需要で、中国の低品質ソーラパネルを高値で大量に輸入しているわけですから、日本の産業に全く貢献していない上に、税金のムダ使い、そして、日本の利用者である普通の人に高額電気料金の負担を押し付けるという悪循環です。中国側に、いいように利用されているようなものです。利用者の負担増になるにも関わらず、やたらメガソーラ発電を持ちあげるマスコミは左派系新聞だったりします。
 日本の火力発電は優秀ですし、ソーラパネルより、はるかに環境に優しいと思います。エコと言う言葉ばかりに目を奪われないで、メガソーラ発電を増やすのは止めて欲しいです。むしろ、発電側が価格が下がったにも関わらず、単価の高いLNGを輸入している事の方が問題と思います。同時に日本の技術は日本の財産ですから、中国や韓国に奪われないように、しっかり守りましょう。親中・親韓のマスコミや政治家ほど、「国際貢献」の言葉を使用して、技術流出の原因を作り、日本の邪魔をしているようなものなのですから。

 このようなムダな公共事業を無くして、本当に必要な復興事業だけに予算を使って欲しいと思います。

 過大な公共事業(建設需要と税金のムダ使い)に関しては、地元の東京都や被災地に対してすら、厳しく書きましたから、他の地域についても、同様に過大な公共事業の削減を厳しく要求します。(あくまで例として出しただけで、東京都や被災地に特定した問題ではありません。ただし、「くまドン」一人で把握できるレベルと量ではありませんが・・・・・)
 東京都や被災地の予算が浮いたから、その予算を他の地域で転用しようという考え方自体が問題です。
 ムダや急ぐ必要のない公共事業を減らして、しっかり歳出抑制して欲しいです


 財務省は8月10日、平成27年6月末現在で、国の借金(国債と借入金などの残高を合計)が1057兆円を超えたと発表しました。
 高齢化に伴う医療、年金などの社会保障費の拡大が原因と書いてありましたが、本当にそれだけでしょうか?
 これだけ、公共事業にムダな歳出をしておいて、国の借金が増えるのは当たり前です。ムダな公共事業や急ぐ必要も無い公共事業を削減しないで、財政再建も何もあったものではないです!

 この問題は、単純に安倍首相を攻めるだけでは解決できないでしょう。
 (アベノミックスの三本の柱の一つは、「機動的な財政政策 大規模な公共投資(国土強靱化)」ですから、簡単に安倍首相が納得してくれないかもしれませんが、現在の財政政策は、「機動的」ではなく、「放漫経営」です。)
 なぜなら、アベノミックスという言葉に群がっている人達は、公共事業の増大による利権目当てですからね。安倍首相が財政再建をやろうとしても、この人たちが邪魔して、消費税増税などの形で国民への負担に転化しようとします。
 経済界や金融界は公共事業に金を出せば喜び、金を出さなければ、わざと株価を落としたり、経済を悪化させて、誤魔化して金を出させようとします。
 利権や利益目当てに周辺に群がっている人や経済界・金融界も含めて攻めた上で、安倍首相が消費税増税を取りやめ、過剰な公共事業を減らさなければ、現在のバブル状態の経済を財政負担の少ない状態には戻せないでしょう。おまけに官僚は、湯水のごとく予算要求して、国民の税金を使うはで、どうしょうも無い状態です。
 「民主党(分裂した生活の党も含む)」も、民主党政権取る時に過大な公約で予算をバラマキして、最後は消費税増税は可決したり、官僚任せにして公共事業を増大させる有様で、現在の問題の始まりになっています。
 最近では、中国や韓国の手助けをして、日本の足を引っ張る有様で、あきれています。民主党左派だけでなく、いまだに共産主義の中国に幻想を持っている政治家も多く、中国のスパイか協力者かというような論調で、日本を自虐的に見ている政治家には、「これで日本の政治家か?」と言う目で見ています。アメリカの日本に対する盗聴疑惑が発生していますが、中国の方が相当悪どく、計画的です。スパイや工作活動の対策なら、アメリカより中国・朝鮮半島のスパイ・工作活動に対する取り締まりを強化した方が良いと思います。
 「維新の党」も大阪のカジノ構想のような考えに走り、自民党にIR法(カジノを含むリゾート法案)の為に利用されています。「くまドン」は、カジノは禁止、リゾート法も、過去の地方の財政破綻・悪化を招いたバブル経済時の「リゾート法」の焼き直しですから、絶対反対です。

 ・・・・と言うわけで、全員を攻撃することになりました・・・・・
 全員を敵に回しているわけですから、問題解決のやり方としては下手(へた)な方法かもしれません。
 ただ、最初に書きましたように、何のしがらみ(関係)もない小さな個人ブログの「くまドン」だからこそ言えたような話であり、普通であれば、社会的な制約と利害関係で、自由に思っている事を言えない人も多いのでしょう。

 オリンピックの話だけにするつもりだったのですが、ブログを作っている間に、だんだん、バブル経済の時と同じような大量の公共事業の使い方に対する不満と「くまドン」を含む国民へのしわ寄せに対する不満が噴き出してしまいました。

 最後に、今回のブログを考えている時に、新国立競技場の計画見直しのニュースが流れてきました。
 「政府は8月14日、関係閣僚会議を開き、9月初めに公募を開始する国際コンペでは「日本らしさ」が重要な要件となる方針。施設は原則として競技機能に限定し、屋根は観客席の上部のみとした。遠藤利明五輪相は陸上大会開催のために必要なサブトラックの常設を断念し、五輪時は仮設とすると表明した。木材を利用した和風建築の可能性かも?」
 このニュースを見て、「くまドン」は、少し安心すると共に、少し不安になってきました
 「総工費の上限は未定」と「常設の観客収容人数は未定」なこと(また、ずるずると高めの建設費見積もりになるのでは?)も原因の一つですが、こういうニュースが流れると、受注競争では木材を多量に使ってアピールを狙うでしょう。木材を多量に消費するのであれば、多量の需要により木材価格が高騰したりする事は問題です。新国立競技場だけでなく、震災復興地を含む住宅などの建設費にも悪影響がでてくるかもしれません。必要以上の木の伐採になるかもしれません。また、新国立競技場を直下地震の災害時の避難地にして欲しいとの意見も見ました。この点を考えますと、新国立競技場の耐震設計だけでなく、震災後に発生する火災に対する防火能力も必要ですので、多量の木材消費や建設費高騰にならないように、建物の基幹部ではなく、外観の装飾程度の方が良いのではと思います。
 「安かろう悪かろう」では困るという意見がありますが、「高かろう良かろう」でも困ります。「安かろう良かろう」を目指して欲しいです。

 過去に作成したオリンピック関連のブログは以下の通りです。
 「名所江戸百景246  新国立競技場の問題について(5)」 
 「名所江戸百景244  新国立競技場の問題について(4)」
 「名所江戸百景240  新国立競技場の問題について(3)」
 「名所江戸百景237 新国立競技場の問題について(2)」
 「名所江戸百景236 新国立競技場の問題について(1) ラクビーワールドカップ2019」


 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 一応「くまドン」も素人ですが、ボートやカヌーの競技場になる「海の森水上競技場」について考えたみました。
 競技場設計計画自体が進んでいるらしく、競技場のレイアウトも、設備に関する知識も分からない状態で考えるのは難しかったのですが、次回に考えた事を並べてみたいと思います。

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名所江戸百景249 第67景 逆井のわたし 旧中川の灯篭流し

2015-08-16 23:50:51 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 本日、8/16は、地域にもよりますが、「送り盆(おくりぼん)」の日です。お盆期間中、家に迎えたご先祖様の霊をあの世へと送り出す日です。(地域によっては7/16や旧暦の7/16の所もありますが)(青字訂正)
 ご先祖様を迎える「迎え火」と同様に、火を灯して、墓などにお参りをしますが、
 地域によっては、川などに小さな舟を作り、精霊とともにご先祖様をあの世に送り返す「精霊送り」を行う地方もあります。この中で、灯籠だけを流すのが、「灯籠流し」となります。

 下の写真は、昨日撮影した「旧中川(きゅうなかがわ)の灯篭流し」の写真です。(旧中川の灯篭流しは東京大空襲(昭和20年)の犠牲者の慰霊(いれい)の為に、8/15に行われていますので、意味が異なりますが)
(絵画調)

 仕事日だったので、旧中川の「ふれあい橋」に到着したのは、夜の8:00頃でした。
 すでに灯篭の大半は流し終わっていましたが、スカイツリーのライトアップが特殊ライトアップに変わる時間だったので、撮影してきました。今回のスカイツリーの特殊ライトアップは「煌(きらめき)」です。

 下の写真は、今年の7月に早めの夏休みを取り、北海道に「さんふらわあ だいせつ」に行く時に撮影した写真です。船のボートに「さんふらわあ だいせつ」の文字が表示されていました。

 今年の往復のフェリーは、行きも帰りも「さんふらわあ だいせつ」に乗船していました。
 それから一ヶ月もたたない平成27年7月31日に、大洗(おおあらい、茨城県)から苫小牧(とまこまい、北海道)間のフェリー「さんふらわあ だいせつ」の車両甲板から火災が発生しました。乗客は全員避難して無事でしたが、残念なことに、2等航海士の織田(おりた)さん1名が、消火作業中にに煙に巻かれて、お亡くなりになりました。

 北海道旅行してから、それほど日数が過ぎていなかったことから、あまり他人ごととは思えず、乗客全員が退避できただけに、織田さんも生きていて欲しかったです。

 下の写真は、三陸沖ですれ違った、大洗に向かう「さんふらわあ しれとこ」です。

 姉妹船の「さんふらわあ だいせつ」も似たような感じフェリーです。

 昔は夏休みになると学生が、わんさか北海道に押し寄せて、7月末頃には乗客でフェリーが満員になっていたことを考えると、時代の流れを感じざるを得ませんが、現在は貨物輸送が主役になっているようです。

 下の写真は、3年前に北海道に旅行に行った時に撮影した写真ですが、「さんふらわあ しれとこ」から、大洗に向かう「さんふらわあ だいせつ」を撮影した写真です。

 行きも帰りも、フェリーに乗るまでの当日は忙しく、翌日は撮影や仕事)があるので、フェリーの中では、ほとんど休憩している状態でしたが、静かで安心のできる航海の中、ぐっすりと眠ることができました。「さんふらわ だいせつ」の乗務員の皆さま、本当にありがとうございました。

 「くまドン」の家でも、昨年の暮れに親戚の方が1名亡くなられましたので、
 最後に、この1年間に災害や事故などの原因も含めて、亡くなられた方のご冥福(めいふく)をお祈り申し上げます。
 (念のため、たまたま、お盆に合わせてブログ作成しましたが、亡くなられた方への感情を利用した曲解などは、お断りいたします。)

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 次回は、東京オリンピックで東京都が湾岸エリアに新規で建設する海の森水上競技場(ボート、カヌー・スプリント)についてブログを作成中ですが、あまり進んでいません・・・・・・・・(汗)
 (たださえ、時間が無いのに、中間に3つもブログを入れれば、時間なくなりなすわな・・・)
 お盆中は話を控えて、なるべく、本来の名所江戸百景の話に戻るようにしていましたが、
 お盆明けの「くまドン」は、また脱線して、こうるさくなりそうです。

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名所江戸百景248 第56景 深川萬年橋 深川神明宮は3年に一度の本祭!

2015-08-14 22:20:17 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、江東区の深川(ふかがわ)のもう一つの祭りである深川神明宮(ふかがわしんめいぐう?)の例大祭です。今年・平成27年は3年に一度の本祭りです!
 今年・平成27年は、有名の富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)の深川祭りは陰年で、連合神輿渡御の行列の無い代わりに、今年の深川神明宮の例大祭では、町神輿連合渡御の水掛祭りが見れますぞ!!!
(絵画調)

 森下(もりした)四町目の神輿です。

 深川神明宮の例大祭は毎年、8月17日に近い日曜日に行われますが、富岡八幡宮の深川祭りの二ノ宮神輿の渡御と同じ日です。両社の氏子領域は、小名木川(こなきがわ)を境にお隣さんなので、その気になれば、両方見れます!
 今年は、深川神明宮の例大祭は、三年に一度の本祭りは、「宮神輿の巡幸」と「町神輿の勢ぞろい」が行われます。
 期間は8/14(金)~8/16(日)
 8/15(土) :宮神輿の巡幸 (宮神輿は水掛けは無しです)
          8:00出御 ~ 17:00還御 (午前コースと午後コースに分かれます)
 8/16(日) :町神輿の勢ぞろい (盛大に12基の神輿が揃う勇壮な水掛け祭りです) 8:00~13:00


 今回の写真は、前回・平成24年に撮影した写真です。前回は、平成23年の東日本大震災の自粛して、深川祭りの連合神輿渡御も平成24年に行われたのですが、この年は、日程が1週間ずれていたので、両方の町神輿連合渡御が見れるという幸運でした。「くまドン」も百景の撮影のついでに撮影に行きました。

 下の写真が、江東区・高橋にある深川神明宮で、「深川発祥の地」と呼ばれています。

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)の小田原征伐の後に、関東(関八州)を治めることになった徳川家康(とくがわいえやす)は、関東の平野部の開発の為に荒川・利根川の治水事業を行います。同時に行徳(ぎょうとく)からの塩を運送の為に、小名木四郎兵衛に命じて、小名木川(こなきがわ)の開削を行います。
 その頃、小名木川の北側の地に、深川八郎右衛門(ふかがわはちろうえもん)という摂津(せっつ、現在の大阪)出身の人が一族をつれて移住してきます。
 まだこの頃の深川は、荒川・利根川の河口部にある砂州(さす)でしたが、深川八郎右衛門達は、土地の開拓を進めて行きます。
 元禄元年に徳川家康が巡視に訪れ、深川八郎右衛門と話をしたことから、この地が「深川」という地名になり、深川八郎右衛門は、深川一帯の二十七ヶ町の名主(なぬし)を務めることになったそうです。

 町神輿は、高森、森下一丁目~五丁目、常盤一丁目~二丁目、新大橋一丁目~三丁目、千歳三丁目の合計12基の連合町神輿です。
 下は、森下二丁目の神輿です。

 江戸時代の森下には、酒井左衛門尉家(酒井 忠次(さかいただつぐ、徳川四天王の一人)の家系)の下屋敷があり、木が森の様に生い茂っている下に町屋があった為、森下と呼ばれたそうです。

 大人の神輿の間に、子供神輿も参加しています。

 下は、森下五丁目の神輿です。


 深川八郎右衛門の屋敷にあった祠(ほこら)が、現在の深川神明宮の場所となっています。
 なお、「神明宮」とは、伊勢神宮(いせじんぐう)の神様を分霊した神社で、深川神明宮は伊勢神宮の内宮・天照大御神の分霊を祀っています。

 下の写真は、高森町会の神輿です。神社の前で、町の神輿を担ぎあげます。
(絵画調)

 「高森」というのは、地名の「高橋」と「森下」の両方の地域を合わせた名前なのか?それとも昔の地名なのか?

 氏子のお嬢さん方も、神社の神様と町の世話役にごあいさつです。
(絵画調)



 常盤二丁目の神輿です。
(絵画調)

 昔の松代町と言う場所に住んでいた人達が、火災で移転になる際に、新しい町名を「松」にちなんで縁起(えんぎ)良く「常盤」と名付けたそうです。
 常磐(ときわ)という言葉は、「とこいわ、永久不変な岩)」のから、永久に変わらない意味に変化し、さらに、「松」のように冬でも緑色のまま不変である常緑樹を指すようになったそうです。
 後方に萬年橋(まんねんばし)が見えます。常盤地区には江戸時代の俳句で有名な松芭蕉(まつおばしょう)の深川芭蕉庵のあった所です。ちょうど、萬年橋の右手前の所に当たります。
 常盤一丁目の神輿です。
(絵画調)

萬年橋の南側は富岡八幡の氏子領域ですから、神輿が萬年橋を渡る事はありません。

 新大橋一丁目の神輿です。この祭り町の水掛けは深川祭と同じくらいすごいですが、別の意味で危険です。
(絵画調)

 なぜなら、神輿を担ぐ姿を撮影したくて、神輿に近づき、神輿の進行の邪魔になりそうな撮影者がいると、カメラを持っていようと、待ってましたとばかりに撮影者に水を掛けてきます!ここでは、撮影者本人やカメラがぬれても、撮影者の自己責任(邪魔した撮影者が悪い)になりますので、ご注意ください。
 幸い、「くまドン」は風景写真出身ですから、余り近づかないで助かりましたが、何も知らないで神輿に近づいて、水を掛けられていた人も何人も見かけています。

 一度だけ、「くまドン」も神輿の間隔が空いたので、神輿の進行方向で下の写真(新大橋二丁目)の撮影をしました。
(絵画調)

 撮影後、まだ神輿が来るまでは距離があるのですが、念のため、早めに退避した所、
 隣の若いお兄さんが、「やる(水を掛けられる)と思った?」と笑って聞いてきました。
 「くまドン」も、一緒に笑いながら、「やっぱり、水を掛けるタイミングを狙っていたか・・・・・(汗)」と思ってました。
 皆さまも、撮影に集中しすぎないように、十分にお気を付けください。
 (この祭りで水を掛けられても、「くまドン」も含めて、誰も責任を負いませんので・・・・)


 下の写真は新大橋三丁目の神輿です。

 江戸時代の新大橋が架けられていたことからついた地名ですが、江戸時代の新大橋は、少し南側にあり、ちょうど芭蕉記念館の付近です。

 一応、説明の補足として、地形図(大雑把な位置で、正確ではありません)を載せておきます。
 「国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用しました。」
 下の地図の真中を蛇行して流れる太い川が隅田川(当時の荒川)です。右端を蛇行して流れる川が、江戸時代の中川(なかがわ、江戸時代以前の荒川)です。
 この二つの川の間を東西(左右)に流れている川が小名木川(下の赤線)竪川(上のオレンジ色の線)です。
 
 地図を見て分かりますように、江戸時代に、現在の江東区の内部に運河が縦横(じゅうおう)に造られました。
 隅田川と小名木川竪川、そして、南北(上下)に流れる大横川(黄色の線)に囲まれた領域は、北の墨田区・本所(ほんじょ)エリアと南の江東区・深川のエリアに分かれます。
 北側の墨田区は亀戸天神の氏子領域、南側の江東区が深川神明宮の氏子領域となっています。 左上の赤星印が亀戸天神ある所です。
 唯一の例外が、エリアの西北に位置する墨田区・千歳(ちとせ)地区です。千歳地区の一部が深川神明宮の氏子領域となっているので、深川神明宮の例大祭において、墨田区からは千歳三丁目だけが神輿をだします。
 千歳一丁目と二丁目の神輿は?というと、千歳地区にある江島杉山神社の例大祭で町内を練り歩きます。江島杉山神社は、江ノ島弁財天と元禄時代の鍼灸師(しんきゅうし)・杉山検校を祀る神社です。
 逆に亀戸天神の氏子では無く、例大祭には参加しませんので、当然のことながら、亀戸天神の神幸祭の行列は千歳地区を通過しません。さらに、ややこしい事に、この千歳地区には、隅田川対岸のエリアを氏子とする初音森神社の本社があります。江戸時代の明暦の大火(めいれきのたいか)が焼失後の江戸の町の整備計画が原因で、神社を千歳地区に遷る(うつる)ことになりました。
 なお、深川神明宮の氏子領域の南(下)側は、深川祭りの富岡八幡宮の氏子領域でして、小名木川が境界線になっています。


 前回は、先頭の神輿数基を撮影できなかったので、町神輿12基の写真は揃いませんでした。
 今回は、お盆でも仕事日で撮影にいけませんが・・・・
 すでに、例大祭初日が過ぎてしまいましたで、これで、終わりとさせていただきます。

 過去に作成したブログは、
(1)深川の萬年橋や芭蕉庵については、
 「名所江戸百景054 第56景 深川萬年橋 響け江戸風鈴 泳げ江戸川の金魚」
(2)江戸時代の江東区や深川付近の話は、
 「名所江戸百景021 第68景 深川八幡山ひらき 深川(1)」
 「名所江戸百景022 第68景 深川八幡山ひらき 深川(2)」
 「名所江戸百景023 第68景 深川八幡山ひらき 深川(3)」
 「名所江戸百景024 第69景 深川三十三間堂 深川(4)」
(3)亀戸天神の例大祭と氏子エリアについては、
 「名所江戸百景200 亀戸天神の例大祭(2) 御鳳輦渡御祭」
(4)初音森神社の話は、
 「名所江戸百景057 第59景 両国橋大川ばた 両国橋・柳橋の夜景」

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 次回は、東京オリンピックで東京都が湾岸エリアに新規で建設する海の森水上競技場(ボート、カヌー・スプリント)についてブログを作成中です。深川の祭りのブログを作っていたら、時間がなくなりました。できれば、お盆前に出したかったのですが・・・・・
 お盆中なので、別のブログになるかもしれません。

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