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城002 鳥取城と鳥取砂丘(2) (鳥取県・百名城63番)

2013-10-30 07:55:53 | 訪城記
こんにちわ、くまドンです。

 今回は、鳥取砂丘(とっとりさきゅう)と鳥取城の撮影の話です。

 前回の竹田城(たけだじょう)の2日目からの続きです。

 一応、鳥取城の簡単な情報です。
【鳥取城(とっとりじょう)】 百名城63番(スタンプは鳥取城内の「重要文化財 仁風閣」内)、国指定史跡
 別名:久松山城
 分類:山城 →平山城
 場所:鳥取県鳥取市東町
 特徴:山の上にある戦国事態からの山城部分と、江戸時代に整備された麓(ふもと)の近代城郭部分に分かれる。
     関ヶ原の戦いの後、池田長吉(いけだながよし、池田輝政の弟、鳥取藩6万石)が治めることになり、
     麓(ふもと)に近世城郭の二の丸・三の丸などを造る大改修を行う。
     天球丸の石垣のたわみを防ぐために球面を持つ巻石垣が有名です。
     昭和の半ばから、石垣の修復が進み、往時の姿がよみがえりつつあります。

 下の写真が、鳥取城です。天守台は、後方に見える久松山(きゅうしょうざん)の「山上の丸」にあります。
 織田信長軍の命により行われた羽柴(豊臣)秀吉の中国攻めで、毛利家の吉川経家(きっかわつねいえ)が守る鳥取城を、兵糧攻めで降伏させた時は、まだ、山の上丸を中心とした山城でした。
 その後、秀吉配下の宮部 継潤(みやべけいじゅん、五奉行の一人)が城主となります。
 
 写真の下半分の城らしい石垣が見える所は、「山下の丸」と呼ばれてます。
 江戸時代の鳥取藩6万石の藩主・池田長吉によって、近代城郭に改修された所です。
 2代将軍・徳川秀忠の時に、池田光政(いけだ みつまさ、姫路城藩主・池田輝政の孫、池田家・宗家)が幼少との理由で、姫路藩から移封となり、32万石の大藩となったため、石高に見合う城の改築を行い、現在の石垣が出来上がっています。
 3代将軍・徳川家光の時に、今度は岡山藩(31万5千石)の池田家の藩主の跡継ぎ・池田 光仲(いけだ みつなか池田輝政の孫、池田家・分家)が幼少との理由で、岡山藩と鳥取藩の藩主が交代となり、幕末まで続きました。
 結果的には、江戸時代の鳥取藩は、池田家が交代で治めていた事になります。

 真ん中の右側に見える小高い石垣の見える所が、鳥取城の「二の丸」の御三階櫓台です。
 その右にある建物が仁風閣(明治40年建造)です。
 仁風閣のある手前の内掘の向こう側は「丸の内」と呼ばれた所です。

 二の丸に登って行くところにある復元された城門(昭和50年再建)です。


 下の写真は、算木積み(さんぎづみ)です。石垣の角部分に使用される積み方で、長方体の石の長辺と短辺を、交互に重ね合わせることで、強度を増しています。石垣の石を見ると、大きさと形にばらつきがあります。

 鳥取城の改築は江戸初期の慶長年間から、幕末期の嘉永年間まで行われています。
 この為、鳥取城の石垣は、野面積みから、打ち込みハギを経て、切り込みハギに進化していた歴史を見る事が出来ます。
 下の写真は二の丸の御三階櫓台の石垣です。
 隅石(角部分)を比べると、上の写真と同じ算木積ですが、奇麗に成形された石を使用しています。


 二の丸から「天球丸(てんきゅうまる)」への登り口には、お稲荷さんがあります。
 時折、雲の隙間から夕日も差してきます。

 天球丸には、池田長吉の姉の「天球院」が居住していたことで知られています。
 天球丸にも三階櫓があったそうで、二の丸の御三階櫓と並んで立っていたそうです。

 天球丸の石垣は、復元に伴う発掘調査の結果、宮部時代にあった石垣を元に、池田長吉の時代に多段の石垣に拡張され、さらに池田光政の時代に現在のような凸型の石垣に拡張されていきました。

 この天球丸の下の石垣には、鳥取城の代名詞となっている「巻石垣(まきいしがき)」があります。
 下の写真にある亀の甲羅(こうら)状の石垣です。角を持たない形状から巻石垣と呼ばれています。

 文化4年(1807年)頃に、石垣が崩れそうになり、それを防ぐ目的で築かれています。
 川の護岸(ごがん)や港の突堤(とってい)に関わりのある職人が築いたとされています。
 この形の石垣は、鳥取城以外にはないそうで、絵図を元に復元した石垣です。

 天球丸の下は整備中の為、巻石垣を下から見る事はできませんでした。

 すでに、日没までの時間も少なくなり、日も西の雲の中に沈みましたので、吉川経家が指揮を執った天守台のある山上の丸は、あきらめることにしました。

 二の丸から見た仁風閣(重要文化財、観覧料150円)と鳥取の町です。
 仁風閣は、明治40年の大正天皇(当時は皇太子)の宿泊施設として建てられた旧鳥取藩主(明治時代は侯爵)の別邸です。フレンチ型ルネッサンス様式を基調とした白色塗装の木造瓦葺二階建てです。

 仁風閣の先にある掘は、内堀ですから、江戸時代には、その先の鳥取市街まで城が広がっていたのです。

 明治時代の洋風の部屋の中にある照明器具が、レトロ調で凝っています。

 仁風閣から二の丸を眺めた景色です。

 建物の正面は、櫛形(くしがた)破風の棟飾りを主要モチーフとして造られています。

 今回の訪城記の話は終わりです。

 次回からは、再び、名所江戸百景の続きになります。大分、期間が空いてしまいましたので、急がなければ(汗)

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城002 鳥取城と鳥取砂丘(1) (鳥取県・百名城63番)

2013-10-29 07:55:41 | 訪城記
こんにちわ、くまドンです。

 今回は、鳥取砂丘(とっとりさきゅう)と鳥取城の撮影の話です。

 前回の竹田城(たけだじょう)の2日目からの続きです。
 竹田城を見学していると、晴れた空に薄雲が広がり始め、曇りになってしまいました。
 あまり、風景撮影に向かなくなってきましたので、鳥取城に向かう事にしました。

 竹田城からは近いと思って行ったので、車で1時間程で着くかと思ったのですが、片道2時間かかりました。
 鳥取県の境まで来ると、国道は、日本海のすぐ側を通ります。
 せっかくですから、鳥取砂丘に向かう海岸通りに出ると、なんと、鳥取砂丘の付近だけ晴れています!

 日本海の青い海が見れて、鳥取まで来ただけありました。竹田城の雲海といい、今日はラッキーです(笑)!
 東の浦富海岸(うらどめかいがん)の方を見た写真ですが、
 陸地側にも、海の上にも雲があるのに、何故か、鳥取県の海岸線だけ晴れていました?

 西の鳥取砂丘の方を見た景色です。波が結構あるみたいです。奥に見えるの鳥取港です。

 鳥取砂丘の駐車場に着きました。

 「くまドン」が鳥取砂丘に来たのも、10年ぶり、2回目の撮影となります。
 懐かしい風景ですが、平日にも関わらず、観光客も結構多いです。

 鳥取砂丘には、砂丘列が3つあり、正面に見える小高い砂丘が第2砂丘列、その下の大きく窪んだ水のある所が「すりばち」と呼ばれる所です。「くまドン」が撮影している所(入り口)は、第3砂丘列です。

 砂丘の上を見ると、おっ!パラグライダーがいます。
(絵画調)

 望遠で、思い切り拡大してみました。今は、パラグライダーのスクールがあるのですね。

 さて、砂丘の上まで登ってみることにしました。

 砂丘の上まで行くと・・・?。何かの撮影をしていました。

 TV撮影か?それとも、宣伝用の撮影か?
 良く分かりませんが、鳥取砂丘の風景と外人さん3名を撮影していました?

 砂丘の下の海岸線を見ると、先ほどのパラグライダーの人がいました。

 左奥に見える少し小高い所が、第一砂丘列です。

 時間も遅く、午後3:00頃だったので、足跡が多かったのですが、東の方を見た風景です。

 風が弱かったのですが、風紋(ふうもん)が少しありましたので、手前に入れて撮影です。
 風が強いと、カメラの隙間に飛砂が入り、カメラの故障の原因になるので、痛しかゆしですが・・・・・

 手前の足跡が邪魔だったかな・・・・・?

 観光馬車も、今日は帰り仕度を始めました。観光用のラクダ(駱駝)もいました。


 竹田城から鳥取に行く途中で、お昼になったので、「道の駅 ようか但馬蔵」に寄りました。
 ちょうど、「兵庫・但馬(たじま)の道の駅を巡る 駅丼スタンプラリー」をやっていましたので、注文してみました。
 「八鹿(ようか)豚のかつ丼」です。

 八鹿豚は、自然豊かな山々に囲まれて育つ為、ストレスを感じず、のびのび育つことから、肉質が柔らかく、脂身が上品で甘いのが特徴です。

 一応、鳥取城の簡単な情報です。
【鳥取城(とっとりじょう)】 百名城63番(スタンプは鳥取城内の「重要文化財 仁風閣」内)、国指定史跡
 別名:久松山城
 分類:山城 →平山城
 場所:鳥取県鳥取市東町
 特徴:羽柴(豊臣)秀吉の中国攻めで、毛利家の吉川経家(きっかわつねいえ)を兵糧攻めで降伏させた時は、
     まだ、山城(山の上丸と呼ばれる所)でした。
     その後、秀吉配下の宮部 継潤(みやべけいじゅん、五奉行の一人)が城主となる。
     関ヶ原の戦いの後、池田長吉(いけだながよし、池田輝政の弟、鳥取藩6万石)が治める事になり、
     麓(ふもと)に近世城郭の二の丸・三の丸などを造る大改修を行う。
     天球丸の石垣のたわみを防ぐために球面を持つ巻石垣が有名です。
     昭和の半ばから、石垣の修復が進み、往時の姿がよみがえりつつあります。

 長くなりましたので、この続きは、次回にいたします。

 次回は、鳥取城に訪城です。

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城001 天空の城 竹田城(3) (兵庫県・百名城56番)

2013-10-28 07:55:55 | 訪城記
こんにちわ、くまドンです。

 今回は、「天空の城」として人気が急上昇している竹田城(たけだじょう、兵庫県)の3日目です。

 前日の「くまドン」は、朝4:00起きて、目が覚めると、残念ながら、外は雨の音です。
 雨では気が進みませんが、ともかく状況を確認するために、昨日と同じ立雲峡の駐車場に5:00に到着しました。
 今日は土曜日なので混んでいるかと思いきや、雨なので、20台程度でした。土日・祝日は地元の方が駐車場の整理をいるので、お尋ねした所、いつもなら、この時間は、すでに満車との事でした。
 駐車場から竹田城も見えませんし、竹田城の駐車場も満車ですので、藤和峠(ふじわとうげ)に行ってみる事にしました。

 藤和峠に到着したら、何故か竹田城が見えました。城の奥の立雲峡側には雲海があります。見えないわけです。

 だんだん、明るくなってきますと、雲海も動き出します。
 立雲峡側からも雲海が切れて、竹田城が見えるようになってきました。
 竹田城の石垣の上は、雨にも関わらず、城と雲海の撮影者が沢山(たくさん)います。

 右の一番高い所が天守台です。西から竹田城を見ているので、左側が北千畳です。

 一応、藤和峠からの雲海は撮影できたので、天守台に向かう為、シャトルバスが発着している竹田の城下町の駐車場に向かいました。
 しかし、シャトルバスは最終便しかなく、戻りのバスは無いとの事でした。さらに、8時からは車で上の駐車場に上がれるとの事でしたので、1時間程の待ち時間で、竹田の城下町を散策してみることにしました。
 竹田の城下町の真ん中には、竹田まちなか観光駐車場(無料)があります。
 下の絵地図にあるように、真ん中のJR竹田駅西側の竹田城の麓(ふもと)には、お寺と神社が並ぶ寺町通りがあります。

 撮影しようとすると、雨も止み、最後には晴れ間も見える展開になりました。

 【法樹寺(ほうじゅじ)、古城山麓の4ヶ寺の一つ見星山法樹寺 】 浄土宗知恩院の末寺。
 安土桃山時代の1578年(天正6年)僧勝誉が曜萬院を河原町に開創した。
 竹田城が廃城した後、生野代官中野吉兵衛から旧城主赤松広秀の所有地及び陣屋・土蔵等の寄進を受け、
 江戸時代の寛永年間(1624年~1644年)現在地に移る。


 左の石仏の並ぶ階段を登っていくと、竹田城の城主・赤松広秀(あかまつひろひで)の墓があります。

 竹田城の城主・赤松広秀(あかまつひろひで)の墓です。

【赤松広秀(あかまつひろひで、斎村 政広)】
 羽柴秀吉の中国攻めにより降伏。その後、秀吉に従う。賤ヶ岳の戦いや、小牧・長久手の戦いなどに参戦。
 その功により、播磨・龍野城主から但馬・竹田城主(2万2千石)となる。
 慶長5年(16000年)の関ヶ原の戦いでは西軍に味方し、細川幽斎の居城である丹後・田辺城を攻撃する。
 関ヶ原で東軍の家康が勝利すると、東軍に寝返って、西軍・宮部長房の居城・因幡・鳥取城を攻めるが、
 家康に許されず、鳥取の真教寺にて切腹。
 その後、徳川幕府の方針により、竹田城は廃城となるが、石垣の破壊などは受けかったようです。
 結果的には、現代でも戦国時代の石垣が残る史跡となっています。

 さらに、常光寺(じょうこうじ)、勝賢寺(しょうけんじ)、善證寺(ぜんしょうじ)と続き、4つのお寺の白壁が並ぶ中を小川が流れ、風情があります。初夏の川岸には、約3000株もの菖蒲の花が咲きます。
(絵画調)

 お寺を結ぶ石橋は、全て江戸時代のものです。常光寺(じょうこうじ)の石橋が最も古く、宝永年間(1707年)の文字が刻まれています。

 4つのお寺の向こうには、表米神社があります。
【表米神社(ひょうまいじんじゃ)】
 丹後(たんご)・白井の浜に来襲した新羅(しらぎ)の賊(ぞく)を討伐した武人・表米宿彌命(ひょうまいすくねのみこと)を祀る神社です。

 赤淵(あかぶち)神社(和田山枚田)も同じく表米宿彌命が祭神です。

 山門(さんもん)の彫刻も凝っています。

 建物の後ろにある本殿は、三間社流造(ながれづくり、三間は柱が4本)で、千鳥破風(ちどりはふ)を有してます。


 この神社の境内には、全国的にも珍しい「相撲桟敷(すもうさじき)」があります。
 相撲の土俵(どひょう、写真左の緑のシートの所)を囲んで、半円形に六段の石積みが観客席です。
 土俵の反対側には、舞台(写真左奥)があります。歌舞伎(かぶき)見物に使用されたと考えられています。

 このような、半円形石積段型桟敷は、山口県長門市の赤崎神社(あかざきじんじゃ)・楽桟敷(らくさじき、国指定)の他は、類例が少なく、珍しいものだそうです。

 竹田の町中には、所々にお地蔵さんが祀られていました。


 のんびり撮影していたら、8:30になってしまいました。山の上の駐車場まで行くと、かなり空いていました。
 今日も竹田城に向かって登っていく時にすれ違った方に「今日はどうでした?」とお尋ねすると、雨の中で待っていたにも関わらず、「良かったですよ」と皆さん喜んでいました。
 竹田城にたどり着くと、霧はわずかにしか残っておらず、この1枚を撮影して、すぐ無くなってしまいました。

 後は、前回の竹田城(2)の写真と同じ様な写真になるので、割愛します。

 竹田城のお祭り情報を見つけましたので、一応、情報として、載せておきます。
【朝来市「わだやま竹田」お城まつり】
 日時: 平成25年11月10日 10:00~16:00
 場所: 兵庫県朝来市 JR竹田駅周辺
 内容: 手作りの鎧兜を身に着けた総勢100人が練り歩く武者行列などが行われます。
 (平成25年10月時点の情報です。変更になる可能性もありますので、インターネット等でご確認ください。)

 福知山(ふくちやま)への帰り道に、「道の駅 農匠(のうしょう)の郷やくの」に蕎麦(そば)屋さんがありました。
 竹田城の滞在時間が長かったので、お昼近くになっていました。
 残念ながら、福知山城の見学時間は無く、またの機会にして、そばを食べて帰ることにしました。

 夜久野産のそば粉を使用した十割そばです。
 その他に竹田城の北にある出石城(いずしじょう、兵庫県豊岡市出石町)は、出石そば(いずしそば)で有名です。

 長くなりましたので、今回はこれで終わりとさせていただきます。

 次回は、前回の2日目の続きで、鳥取城撮影です。

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城001 天空の城 竹田城(2) (兵庫県・百名城56番)

2013-10-27 12:25:06 | 訪城記
こんにちわ、くまドンです。

 今回は、「天空の城」として人気が急上昇している竹田城(たけだじょう、兵庫県)の2日目です。

 前日は、かなり早く寝たので、、朝3:30には目が覚めてしまいました。
 (早起きなければという緊張感で、眠りが浅かった事もありますが)
 早く到着する分には問題ありませんので、宿を出てると、雲が多いのですが、明るい月が出ていました。
 新暦10月の満月の二日前ですので、十三夜(後の月、旧暦の9月13日)の日です。
 竹田城に近づくと、城下を流れる川から薄い川霧が発生していました。
 4:00頃に立雲峡の駐車場に到着すると、平日にも関わらず、すでに約10台の車が駐車していました!
 見てみると、兵庫と隣県ナンバーが多いのですが、中には愛媛や群馬ナンバーの車までありました・・・・・!!
 駐車場のすぐ近くの第3展望台に行って見ると、竹田城の左下の方は雲海が、はっきり見えました。
 期待できると喜んで、第1展望台まで登って行きました。
 展望台は、かなりの人はいましたが、隙間も多く適当な場所に三脚を構えました。
 真ん中の小高い所が竹田城です。見事に雲海に浮かぶ姿を撮影することができました。

 暗い時は、雲海は下の方にあったのですが、明るくなるに従い、雲海は高さと広がりを増していきます。 

 ついに、城の石垣にも雲海がかかり始めました。下の写真の右上一番高い石垣が天守台で、左の低い石垣が南千畳です。竹田城側も撮影者が一杯で、シャッターチャンスを迎えているようです。

 今度は、右側の北千畳に雲海がかぶさりました。

 東側に雲があったので、朝日が当たるのが遅かったのですが、やっと城に朝日があたりました。

 暗い時は、雲海の無かった和田山まで雲海が広がる絶景となりました。

 正直、初回の撮影で、雲海に浮かぶ竹田城を撮影できたのは、幸運だったとしか言いようがありません。

 雲海も少しずつ切れてきて、隙間に下の町が見えるようになってきました。
 昼間の観光客が大勢来る前に、竹田城に登城することにしました。
 駐車場まで戻ると、ほとんどの撮影者は引き上げたので、駐車している車の台数は少ないのですが、駐車場の入り口付近まで駐車している車が残っていますので、一番多い時は、数十台駐車していた事になりますね!!!
 下の写真の城下を流れる円山川から発生する川霧が雲海の発生原因です。

 この時間帯には、川の霧は無くなっています。向こうの山には、上昇した霧が残っています。

 山上の駐車場まで行くと、平日にも関わらず、朝は満車だったらしいです。「くまドン」が行った時は、8:00過ぎていたので、かなり空いていました。入場料300円を払って登城です。
 地図の下が駐車場で、真ん中が天守台のある本丸です。

 「くまドン」が行った時は、直登坂ルートは工事中で、右から回り込む「亀さんコース」で行きますが、この車道も途中から工事中で、ショートカットで南千畳(城の南東側)に到着します。行く途中で、何人かのすれ違う人に「今日はどうでしたか?」と尋ねたら、全員「良かったですよ!」と皆さん喜んで帰って行きました。満足率100%ですね!!
 城郭に到着した時は、薄く雲(霧)がかかっていたのですが、すぐに無くなってしまいました。少し遅かったようです。
 南千畳から天守台(右奥)方向を見た写真です。

 南千畳から北千畳を眺めた景色ですが、本当に高い石垣です。
 竹田城の石垣は、穴太積(あのうづみ)で、穴太衆と呼ばれる石垣職人が手がけた石垣です。
(絵画調)

 天守台から南千畳方向を望む有名な景色です。このブログの上から3番目の写真の時は、南千畳の木のある所まで雲海が登ってきていたわけです。当然、後ろの谷間は雲海で埋め尽くされています。

 南千畳から北千畳側を眺めた景色です。右側の石垣は天守台の石垣です。
 天守台の南側の石垣が、観光客の激増が原因で崩れかかってしまい、石垣保護の為、立ち入り禁止となる事態が発生しています。白い防護シートが被せてあるので、それを避けての撮影です。
(絵画調)

 秀吉が但馬方面に攻め込んだ時は、これだけの石垣は、まだ、無かったと思いますが、この石垣の高さだけを見ると、「こんな城落とせるのか?」と思ってしまいます。
 もっとも、秀吉の軍は、落とせなくても城下町は占領できるでしょうから、兵量攻めで終わりですが・・・・・・
 天守台付近から北の和田山・円山川方面の景色です。

 晴れていた空も、薄曇りとなりましたので、撮影はここまでにして、この日は鳥取城(とっとりじょう)に行くことにしました。鳥取城の訪城の話は分けてすることにさせていただきます。

 一応、竹田城の情報を再度、載せておきます。
【竹田城(たけだじょう)】 百名城56番(スタンプはJR竹田駅)、国指定史跡
 別名:虎臥城(とらふすじょう)、「天空の城」、「日本のマチュピチュ」
 分類:山城
 場所:兵庫県朝来市(あさごし)和田山町竹田字古城山169
 特徴:天守は無いが、天守台を始めとする山頂に並ぶ石垣群は見事です。
     秋から冬にかけてのよく晴れた早朝に朝霧が発生することがあり、
     近くの展望台からの雲海に包まれた城の姿や、竹田城から見下ろす風景は、まさに絶景!!!
     (ただし、雲海の発生は、その時の運任せ。)

 この日は、雲海に浮かぶ竹田城を撮影できた祝いに、また、「但馬牛」を食べる事にしました。
 鳥取城の帰りだったので、道の駅「但馬楽座」で「駅丼」の特別メニューがありましたので、食べてみました。
 ご飯の上に半熟玉子と但馬牛が乗せてあります。タレをかけて食べます。

 牛肉と玉子とご飯の組み合わせが結構いける味わいでした。

【竹田城の入場券の特典】
 食事後に和田山のホテルまで戻ってきましたが、車で4kmぐらい走った所に日帰り温泉「よふど温泉」があるので、行ってみました。露店風呂もある温泉で、21:30まで営業しているので、のんびり温まりました。
 嬉しいのは、竹田城の入場券があると、入浴料600円が100円安くなり、500円になりました。その他にも道の駅「但馬のまほろぼ」の朝来市のお土産の中に何%か割引になるものがあるとか、色々特典があるそうです。

 3日目も竹田城の朝を撮影の予定になりますが、天気予報で午後から雨を予報していますので、怪しい雰囲気になってきました。
 長くなりましたので、この続きは、次回にいたします。

 最後に、kainakaー2様へ、おかげさまで雲海に浮かぶ竹田城の写真を撮影することができました。
 kainakaー2様のブログでは、竹田城や山陰海岸の色々な事を教えていただきありがとうござました。

 次回は、竹田城撮影の3日目です。

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城001 天空の城 竹田城(1) (兵庫県・百名城56番)

2013-10-26 21:05:16 | 訪城記
こんにちわ、くまドンです。

 今回は、「天空の城」として人気が急上昇している竹田城(たけだじょう、兵庫県)の撮影旅行に行ってきました。
 名所江戸百景のブログの間に入れさせていただきます。
 名所江戸百景がらみの江戸城を除けば、城めぐりは、「くまドン」の初めてのブログになります。

【竹田城(たけだじょう)】 百名城56番(スタンプはJR竹田駅)、国指定史跡
 別名:虎臥城(とらふすじょう)、「天空の城」、「日本のマチュピチュ」
 分類:山城
 場所:兵庫県朝来市(あさごし)和田山町竹田字古城山169
 特徴:天守は無いが、天守台を始めとする山頂に並ぶ石垣群は見事です。
     秋から冬にかけてのよく晴れた早朝に朝霧が発生することがあり、
     近くの展望台からの雲海に包まれた城の姿や、竹田城から見下ろす風景は、まさに絶景!!!
     (ただし、雲海の発生は、その時の運任せ。)

 東京からですと、竹田城のある兵庫県までは、かなりの距離があります。
 なんとか取れた3日の休暇日で、マイカーで竹田城の往復を運転するのは、疲労が激しく無理です。
 新幹線・特急で行くことにしました。久しぶりに新幹線に乗ります。まずは出発前に駅弁の購入です。

 「名所江戸百景」を描いた広重を有名にしたのは、「東海道五十三次」でした。
 この駅弁の包み紙にある絵は、16番「由比宿」の絵の一部をカットした絵です。

 京都から山陰本線の特急に乗り換えましたが、途中の車窓から渓流が見えたり、たぬきの置き物が並ぶ駅があったりと、退屈はしませんでした。
 JR福知山駅(ふくちやまえき、京都府)で、レンタカーに乗り換えます。天気も良かったです。

 楽天トラベルのレンタカーで一番近かったのが、福知山のレンタカーで10倍ポイントキャンペーン中だったので、ついでに福知山城もと選びました。後で調べたら、JR和田山駅の近くにもレンタカーありました(結構安かった)。

 竹田駅に着く少し手前に古墳がありました。茶すり山古墳です。直径約90mの近畿地方最大の円墳だそうです。

 結構高さがありました。中段には円筒・朝顔形埴輪(はにわ)のレプリカが置いてありました。
(絵画調)

 すぐ下にある建物が古墳の学習館(入館無料)です。出土品は、近くの「古代あさご館」で展示してあります。
 左奥の山並みが、これから向かう竹田方面の山です。

 とりあえず、JR竹田駅に到着、駅の観光案内所で、百名城のスタンプの押印を済ませ、現地の情報を集めます。

 駅の暖簾(のれん)にある家紋(かもん)は、竹田城・最後の城主・赤松氏の家紋の一つ「五三桐(ごさんぎり)」です。赤松氏の家紋には、その他に「二つ引両」、「左三つ巴」があったりします。

 竹田城は、朝の雲海に浮かぶ山城の石垣の姿が美しく、人気が急上昇した城です。
 朝の雲海は天候の運任せです。こればかりは、どうにもなりません。
 とりあえず、夕方も近いので、明日の朝の撮影に備えて、軽く場所の下見です。

 まず、最初の撮影スポットは、立雲狭(りつうんきょう)です。
 立雲狭は、竹田城のある古城山(標高354m)と竹田の町の横を流れる円山川を挟んで、東にある朝来山(標高756m)の中腹にあります。

 無数の奇岩・巨岩・滝が点在する景勝渓谷であると同時に、但馬吉野とも称される山陰随一の山桜の名所です。毎年桜の開花期にあわせて立雲峡桜祭りが開催されます。この付近は、「朝来郡山県立自然公園」です。
 竹田の町から、円山川を渡り、車道を登っていくと、ホテル立雲狭(ビジネス客も可と書いてありました)の看板があります。ここを右折して、細いが舗装されている林道を登っていくと、ある程度の広さがある駐車場に着きます。
 整理すれば、100台以上駐車できる駐車場が、シーズン中の土・日には4:00に満車になっているというから凄いです。
 駐車場からも木の隙間から竹田城が見えました。正面の高い所が、天守台です。(かなりの望遠にしています。)

 石垣の上に点々といるのが人です。見ての通り平日の夕方でも観光客が結構います。

 展望台は第一から第三までありますが、一番近い第三展望台は、駐車場から登って、すぐ近くにあります。

 竹田城と展望台の間にある谷間を流れる円山川から、朝に川霧が発生して、雲海を作り出します。
 (雲海が発生するかどうかは、その時の気象条件によるので、その時の運次第ですが・・・)
 写真の左に高圧電線があります。夜間撮影の時は、注意しなければなりません。
 日が沈むまで時間が無いので、第一展望台(徒歩25分)は明日にして、他の撮影スポットに行ってみる事にしました。

 次の撮影スポットは、藤和峠(ふじわとうげ)です。ここは、竹田城を西北西から望むポイントですが、駐車できる台数が少なく、距離が遠いので、長めの望遠が欲しい場所です。朝は逆光気味になるので、どちらかと言えば、地元・ベテラン向きのポイントです。

 広角の写真ですので、分かり難いですが、右下2列目の山並みの高い所に竹田城があります。

 最後に、武田城のある山の上の駐車場まで行きます。時間も遅かったので、駐車場には入らず、林道(一方通行)のルートのみ確認で済ませました。
 下のマップの真ん中がJR竹田駅、その上が竹田城です。自動車は右上の道から登り、左の林道で下山します。
 立雲狭は、マップの左下に描かれています。藤和峠はマップ右上の道路の先にあります。

 駐車場から、入場料(2013年10月現在で300円)を払って、徒歩15分ほどで城に着きます。朝3時から入場可)
 竹田城の人気が急上昇した結果、土・日曜日は、朝早くから山上の駐車場が満車になり、不法駐車が問題となり、地域住民空の苦情が出るまでになっています。
 麓(ふもと)のの竹田の町に駐車場を作り、10月・11月の土・日・祝日は、中腹にある「山城の郷」までシャトルバスを出しているそうです(山中の所定の駐車場が満車になった場合のみ)。ルールを守りながら、楽しみましょう。

 とりあえず下見は完了で、せっかく、但馬(たじま)に来たのですから、夕食は宿の方に聞いた和田山の国道沿いにある「太田家」という店で但馬牛を食べることにしました。ここの肉は、本物の「但馬牛」だそうです。

 お店の人の勧めと「くまドン」の好みで、角切り盛り合わせ、カルビ、佃煮茶漬けの組み合わせです。

 焼いている間も、肉汁が落ちて、美味しそうです。早く焼けないかなと待つのは、楽しいものです。
 とても、やわらかい肉でした。(今回は珍しく、食べ物の写真も、撮影してきました。)

 宿は、レンタカーがありますので、和田山にあるビジネスホテル好日です。明日の朝(4時出発)に備えて、早めに就寝することにしました。
 和田山以外にも、竹田の城下町にも宿はあるようです。

 長くなりましたので、この続きは、次回にいたします。

 次回は、竹田城の2日目です。

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