九品人の落書帖

写真をまじえ、身の回りで見聞きしたことを、つれづれなるままに!

歎異抄余話(つづき)

2023年09月30日 | 書籍

 【前回からの続き】

 ご門跡さまが地方へ巡錫(旅行)し、宿泊先で風呂を使われると、

 その残り湯を門徒らが、こっそり頂戴する習俗があった。

 北陸や東海地方の真宗王国では、ごく普通のことであったらしい。

 持ち帰って、これを飲むというのである。

 その湯には薬用効果があると信じられ、難病も治るという俗信である。

 浄土仏教の弥陀の本願であり慈悲でもあった?

                   

 さて、親鸞の頃の教団は、天台や真言のような大きな勢力にはなれず、

 片隅の説教所のようなものだったらしい。

 本願寺が津々浦々へ勢力を拡大するのは、第8代蓮如の政治力による。

 農村に講を造り、砦のような寺の上に大寺による管理体制をしいた。

                   

 歎異抄を説き浄土真宗を法義とする本願寺の祖となった親鸞。

 最後に、親鸞らが受けた「二位の法印」とよばれた裁きについて触れたい。

 後鳥羽上皇の御代、親鸞以下弟子たちは「仏法の敵」と興福寺の僧らに訴えられた。

 朝廷より罪を得て、親鸞は越後国へ流罪となった。

 親鸞は、僧でもなく俗でもなく、いわゆる破戒僧となったのである。

 それ以降、破戒僧の異名である「禿(とく)」を姓とした。

 署名は、いつも「愚禿(ぐとく)親鸞」とした。

  

 

 

コメント (2)
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