NHKーEテレ『ヨーコさんの言葉』から引いた。
□
生物の宿命は自然の営みであり、
そのように宇宙は成り立っている。
人が歳を取るのは何の不思議も無い。
あの人も歳ねぇ。私も歳よねぇ。
分かっているの。
でも、鏡を見ると「こ、これっ私、ウッソー」と。
ペテンにかかったんじゃないか。
崩壊は止まらない。
ぐんぐんスピードを増してゆくのである。
物忘れがひどくなり、
人の名前が、すぐに出てこない。
「あれ、あれ」「あの人、あの人」と。
記憶力の肉が、たれてきているのだ。
集中力がうすまり、仕事が続かない。
精神力の肉も垂れ下がって来ている。
その時、「えっ、嘘、嘘、知らなかった」とは思わず、
仕方ないよなー。
これが歳ってもんだ、と
妙に心が静かになって来る。
一人でいる時、
私は一体幾つのつもりで居るのだろう。
青い空に白い雲が流れていくのを見ると、
子供の時と同じに世界は私と共にある。
六十であろうと、四歳であろうと、
「私」が空を見ているだけである。
十代の時は、人間は四十過ぎれば大人という者になり、
世の中を全て理解して、
いかなる困難にも正しく対処するものだと思っていた。
いま思うと、十代の私は自分の事しか考えていなかったのだ。
共に生きている同時代の人達以外に、
理解や想像力を働かせようと、していなかった。
しかし、四十になり五十になると、
自分の若さや単純さや、
おろかさ浅はかさを非常に恥じるようになり、
その歳になって、オバサン達の喜びや哀しさに共感し、
人生は四十からかも知れないと、
歳をとるのは喜びでさえあった。
そして、
四十だろうが五十だろうが、
人は決して惑わないなどという事はない、と
いう事に気付くと、
私は仰天するのだった。
何だ、九歳と同じじゃないか、
人間、少しも利口になど、ならないのだ。
私の中の四歳は死んでいない。
□
嬉しい時、
私は自分が四歳だか九歳だか、
六十三だかに関知していない。
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生物の宿命は自然の営みであり、
そのように宇宙は成り立っている。
人が歳を取るのは何の不思議も無い。
あの人も歳ねぇ。私も歳よねぇ。
分かっているの。
でも、鏡を見ると「こ、これっ私、ウッソー」と。
ペテンにかかったんじゃないか。
崩壊は止まらない。
ぐんぐんスピードを増してゆくのである。
物忘れがひどくなり、
人の名前が、すぐに出てこない。
「あれ、あれ」「あの人、あの人」と。
記憶力の肉が、たれてきているのだ。
集中力がうすまり、仕事が続かない。
精神力の肉も垂れ下がって来ている。
その時、「えっ、嘘、嘘、知らなかった」とは思わず、
仕方ないよなー。
これが歳ってもんだ、と
妙に心が静かになって来る。
一人でいる時、
私は一体幾つのつもりで居るのだろう。
青い空に白い雲が流れていくのを見ると、
子供の時と同じに世界は私と共にある。
六十であろうと、四歳であろうと、
「私」が空を見ているだけである。
十代の時は、人間は四十過ぎれば大人という者になり、
世の中を全て理解して、
いかなる困難にも正しく対処するものだと思っていた。
いま思うと、十代の私は自分の事しか考えていなかったのだ。
共に生きている同時代の人達以外に、
理解や想像力を働かせようと、していなかった。
しかし、四十になり五十になると、
自分の若さや単純さや、
おろかさ浅はかさを非常に恥じるようになり、
その歳になって、オバサン達の喜びや哀しさに共感し、
人生は四十からかも知れないと、
歳をとるのは喜びでさえあった。
そして、
四十だろうが五十だろうが、
人は決して惑わないなどという事はない、と
いう事に気付くと、
私は仰天するのだった。
何だ、九歳と同じじゃないか、
人間、少しも利口になど、ならないのだ。
私の中の四歳は死んでいない。
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嬉しい時、
私は自分が四歳だか九歳だか、
六十三だかに関知していない。